20.鬼が泣く
狒々退治から一月ほど経過し、時は天文12年(1543年)。坊主も走る師走が過ぎ去り、伊勢はちらほらと降っていた雪が、しんしんと積もる見事な雪景色で迎えた新年であった。
そんな年越しも終えた頃、藍染着物に碧羽織を綺麗に着込んだ陰陽師、道仁と、猩猩緋の着物に少し暗めの朱色の羽織りの傾奇武者、一益の姿は未だに源浄院にあった。
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『侍従様、この2ヶ月でなかなか良い剣筋となりましたな。愛洲陰流の後の先の心をあと少しで会得できそうとみえます』
日暮れが迫り、焚き火と篝火が焚かれた源浄院の庭で、丁寧に雪かきが施された修練場に打ち稽古を終えた一益と木造具政が木刀を構えて対峙していた。
『本日もありがとうございました。狒々退治から既に一月。本来なら雪が降り積もる前に一益殿らは出立したかったところを、私の修練のために残って頂いて申し訳ありませぬ』
狒々退治の後、道仁らは再び旅へと出る予定であったが、具政と柘植保重から残って今しばらく剣技の師として滞在して欲しいと熱心に請われた。
本格的な冬となることで、天候のみが不安であったが、結局は旅路を急ぐわけでもない2人は、具政に請われるままに客将として木造・源浄院に残っていたのだった。
そして、伊勢に道仁達が残っていたこの一月で、件の狒々退治の噂が、民を中心に南伊勢で知れ渡ることとなった。
戸木を通る旅の行商から、旅芸人の一座に伝わった狒々退治の噂は、木造具政の弓の腕前と陰陽師・蘆屋道仁を面白可笑しく演じられ、娯楽の少ない冬の農村や町で人気の演目となる。
おかげで源浄院に滞在する道仁の下には伊勢の土豪や庄屋などから、妖退治や加持祈祷や卜占術の依頼から果ては呪詛の依頼まであらゆる依頼が来るようになっていた。
『今日も道仁殿のお姿が見えませんが、道仁殿はどこぞの村からの依頼ですか? 』
具政は道仁がこの数日ほど、依頼を幾つか受けて、忙しくしているのを見ていた。狒々退治の噂は木造家中でも広まっており、家臣の幾人かは具政に隠れて、傅役の柘植保重にどうやったら道仁に依頼を出せるか聞いてくるほどであった。
もちろん保重はそれに答えることはなく、具政に家中にてそのような噂が広まっていることをしっかり報告していたが、どこから漏れ聞いたのか。幾人かの家臣、他の武家からの依頼も道仁の下には届いていた。
『そうですねぇ。本日は北畠家松ヶ島砦主、日置大膳亮様の依頼で朝から出ております。道仁殿も依頼が多いので、中でも被害が大きいものや急ぎ対応した方が良いものを選んで受けておるようですよ』
『おぉ、北畠家足軽大将である大膳亮殿でありますか。北畠家家老・枝連衆の大宮含忍斎が嫡男・大宮大之丞殿と並ぶ弓の名手として私も何度か手ほどきを受けたことがございます。しかし、もはや木造だけでなく、伊勢全体へ噂が広まってしまいましたな』
具政は自らが噂を広めたわけではないが、少し顔を顰め、やや申し訳なさそうに呟いた。
噂では狒々を見事に退治した若様として領民に受け入れられた具政だったが、本人は木造の家中不行届として当主の責任を感じる苦い出来事と思っていた。
『しっかり依頼料は頂いておるようですから道仁殿も乗り気でございましたよ。それに伊勢の地縁も繋げて良いこともあります。ただ神宮も近いですから、神職の方々からどう思われるかというのは気にしておるようでしたが』
そんな会話をしていると、道仁が山門を潜り、源浄院へと戻ってきたのが一益から見えた。
『どうやら道仁殿がお客人を連れて戻ってこられたようですよ』
一益には、恰幅の良い武士の格好をした、常の人より日焼けで浅黒く顔も手も焼けた人物が道仁に案内され寺に入ってくるのが見えていた。
忍びの技で人より目鼻耳の良い一益には、道仁と話すその浅黒い日焼けの武士の訛りから伊勢の南、志摩の者であるとわかった。
そして、その浅黒い日焼けと屈強な体格から、その武士が志摩海賊衆の武士であると感じた一益は、延期していた志摩方面への旅の再開を予感したのだった。
『侍従様。今宵は柘植様も交えて道仁殿とあの浅黒く日焼けしたお客人と某と夕餉を食べてから城に戻られてはいかがですか。領外の者と話すのも、また一つ良い経験でございますれば』
夕方の修練後の迎えと城までの護衛として、傅役の柘植保重が寺の奥から庭の方にやってくるのが見えた一益は、具政にそんな提案をするのだった。
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