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下天を征く〜陰陽師:蘆屋道仁と滝川一益の戦国一代記〜  作者: シャーロック
天文11〜12年(1542-43年) 伊勢・志摩漫遊編
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19.戸木の拐かし


 狒々に蹴り飛ばされ、外に放り出された柘植保重は主玄に助け起こされ意識を取り戻した。蹴られた腹がまだ痛むが、おそらく内腑は無事であろうと感覚的に感じていた。


 『三郎左衛門(柘植保重)。大丈夫か? しばらく意識が飛んでおったようだな』


 『三郎兵衛様(源浄院主玄)……狒々は! 狒々はどうなりましたか! 』


 狒々に斬りかかったところで意識の途絶えた保重は、具政が見事に狒々を射殺したことを知らず、辺りを見まわした。


 『はぁ、三郎左衛門よ。いつまでも俺を俗名で呼ぶでない。お前の主人(あるじ)はもはや俺ではなく、侍従様ぞ。主人の前で、拙僧のことは主玄と呼ぶのだ、よいな? お前を蹴り飛ばした狒々は侍従様が弓にて見事に射止めたわ。道仁殿の陰陽の術があったとはいえ、見事な腕前よ』


 前当主の源浄院主玄(木造三郎兵衛利雄)を慕っていまだに俗名や、大殿(おおとの)と呼ぶ木造家臣は多い。保重もその癖が直らない家臣の1人であった。


 慕われる主玄は、悪い気はしなかったが、現当主の木造具政の前では主従をはっきりさせるため、主玄として振る舞うことを諭すように保重に伝えた。


 『侍従様は、道仁殿らと狒々の死骸を確認しておるところだ。お主はもう少しここで休め。もう時期、戻ってこよう』


 『某が蹴り飛ばされた後は何があったのですか? 』


 保重は、出会って早々に意識を失ったため、具政が狒々を射殺したと聞いて訳が分からなかった。


 『お主は早々に蹴り飛ばされおったから見ておらなかったか。お主があばら屋の外に飛ばされてすぐ、彦九郎殿が忍具を目にも留まらぬ速さで投げてな。それが狒々にはたき落とされたかと思えば、すでに彦九郎殿と道仁殿が迫っていて、居合(いあい)で狒々は片腕を切り落とされておったわ。拙僧が(まばた)き2つほどする間の出来事だった。そして狒々が逃げ出したところを侍従様が射ったわけじゃ』


 『彦九郎殿は甲賀滝川家の嫡男として武芸を修めているとは聞いておりますが、道仁殿は陰陽師で御座いますよね。源浄院での稽古は見ておりましたが、そこまでの使い手で御座いましたか』


 『そうさな。あの2人は九郎判官(源義経)と武蔵坊弁慶のようじゃ。狒々を斬った2人の剣技は、達人の阿吽の呼吸であったな』


 そんな会話をしていた2人の元に、老いた巨大な猿を引きずった一益を先頭に、道仁、具政が戻ってくる。


 『三郎左衛門っ! 無事であったか! 』


 『侍従様。啖呵を切って斬り掛かったものの、不覚を取ってしまい申し訳ございませぬ』


 すぐに保重のもとに駆け寄って身を案ずる具政に、かしこまる保重。


 『よいよい。先程、道仁殿と話しておったのだが、妖は常の人間とは違って力が強かったり、俊敏であったりと、一対一でやり合えるような武士の方が少ないということだ。お主が蹴り飛ばされた時は私も、心胆寒からしめられたぞ』


 そう言って笑って保重の肩を叩いて励ます具政。


 『これが、あの狒々ですか。ほんとに老いた猿であったのですなぁ』


 一益が引きずってきた大きな、それでいてとても老いた猿を見て主玄が染み染みと呟いた。


 狒々の後頭部には、具政が射た矢が突き立っており、後頭部から眉間にかけてその矢が貫通しているのがよく見えた。そして、猿の射抜かれたその眉間には道仁の懐紙に描かれたドーマンの印が浮き出ているようだった。


 妖となって強靭な肉体となった狒々に矢が当たったとしても、常の人間の弓程度では貫通するには至らない。具政が矢を射る前に施した道仁の呪が効いたからこその致命の一矢なのだ。


 『老いた猿が妖になったのが狒々で御座います。死したことでまた猿へと身体が戻ったのでしょう。この遺体は、村の外れにでも丁重に弔うべきかと。一時は妖として大きな力を持った猿でございます。しっかりと弔えば村を守護するものにもなりまする』


 道仁は、そう具政と主玄に対して進言する。


 一行は夜が明けてから後の始末を村の者らに頼むとして、あばら屋に猿を安置してから、ひとまず庄屋の仁兵衛の家へと戻るのだった。


**********


 庄屋に事の顛末を話し、狒々は村で丁重に弔うこととなった。村のまとめ役である仁兵衛に後を任せ、道仁・一益一行は主玄の案内で源浄院へと戻ることとなった。


 主玄は一行の帰路を案内する馬上で、今宵の出来事を思い返していた。


 たまたま今回は陰陽師の家系、蘆屋道仁が居り、滝川一益という縁者と親しい為、素早い解決となったが、木造家臣団のみでの対応であればどれだけ犠牲者が出たか。


 また、主玄が後見、師として育てる木造当主、具政の肝の据わった囮役と見事な弓の腕前に、その成長を感じる主玄。そして彼が最後に思ったのは、武士としての心残りであった。


 30にも届かぬ歳で出家し、僧として修行しながら具政を養育する主玄は、具政の優秀で謙虚な姿勢にそのやり甲斐を感じていた。


 しかし、今宵の妖退治で活躍したまだ20歳ほどの道仁、一益、具政の武者振り、未知の怪異に恐れず立ち向かう胆力を目の前で見せられ、主玄の心には武士として自分も同じように力を振るいたいという思いがぽつりと生まれた。


 滝川家嫡男でありながら、出奔し自らの実力を試そうとする一益に、当主を辞し出家した主玄は憧れのようなものを感じるのであった。


 今も馬列の後ろで、道仁と楽しそうにこれからについて話す一益の声が主玄には甘美な、それでいて羨ましい響きに聞こえている。


 『道仁殿、ここ木造も雪が舞うようになってきました。我々は雪で足止めされる前に、海沿いを志摩の方へと進んだ方が良いかもしれませんな』


 暗い空からちらほらと舞う雪を見ながら馬に揺られる一益が道仁に話しかける。


 『そうですねぇ。海沿いなら雪に閉ざされることもなさそうですし、海路で尾張、知多の方にも征けそうですしね。志摩には海賊衆と呼ばれる海を生業とする御家が幾つかあると聞きますから、海路の手段が得られるかもしれませんね』


 南伊勢、志摩の地図をぼんやりと思い浮かべながら道仁も答えた。


 『海賊衆の中でも九鬼家がなかなか権勢を誇っているらしいですな。他の海賊衆が北畠家と付かず離れずの弱い立場のなかで、九鬼は先代・泰隆公が北畠家の支援の下で一帯を支配する力を付けて、今は頭一つ抜き出た存在だとか』


 志摩は、小浜に小浜久太郎(真宗)、賀茂に加茂左衛門佐、楽島に安楽島(あらしま)越中守、浦に浦豊後守、千賀に千賀志摩守(為重)、的矢に的矢(まとや)次郎左衛門、甲賀に甲賀雅楽介(こうがうたのすけ)、国府に国府内膳正(三浦新助)、越賀に越賀玄蕃允(隆俊)、和具に青山豊前守、鳥羽に鳥羽監物(成忠)、波切・田城を九鬼宮内大輔(定隆)といった島や湊を本拠とする国人土豪がたくさんいた。


 志摩という農耕に適した地の少ない土地柄で、水先案内や交易で生計を成り立たせていた彼らは、自然と船の扱いに長けた海賊衆と呼ばれるようになる。


 また、伊勢の神宮領や南伊勢の雄、北畠家との関係性も深く、土豪らはそれらの庇護に入ったり、時には敵対し合う関係性であった。


 小浜、千賀、鳥羽はこの時、北畠家に属しており、九鬼も先代・泰隆の時代には北畠側として勢力を拡大させた。ただ九鬼家は元々、志摩に根付いていた御家ではないが、周囲に力を持ったため、他の土豪からやや疎まれる存在となってゆく。


 『何はともあれ、それだけ海に長けた御家があるわけですから海路の手段はなんとかなりましょう』


 『神宮の近くや松坂の街も通りますから、道中寄り道しながらゆっくり征きたいですなぁ』


 『そうですねぇ。私たちの旅はなにかとごたごたに巻き込まれますからねぇ』


 道仁が冗談ぽく呟くと、一益もにやりと笑って、


 『それは違いねぇ。道仁殿が惹きつけるのか、はたまた某か……ま、どちらであっても我ら2人が居れば、人も妖も一捻(ひとひね)りでござるよ。はっはっは』


 一益が、その朱色の羽織りを冬の風に翻し、胸を叩いてそう答えると、


 『それは(しか)(しか)り。ふっふっふ』


 道仁も同じように、藍染の羽織りを抑えながら合わせたように笑い合う。


 そんな2人の会話から、あと数年、具政が確と成長し、当主として自立した暁には、自らも外の世界を見聞きする旅に出るのも悪くはないと思う主玄。


 また、当主という重荷を1人で背負った事のある主玄は、背中を任せられる相棒のいるこの2人の会話を、微笑ましくも羨ましいなと思うのであった。


 伊勢に本格的な冬の訪れを告げる吹雪く細い街道を、刎頚の友と新たな旅を計画する道仁、一益は狒々を退治した清々しさと相まって、心地よい心持ちで馬に揺られて源浄院へと、進んでゆくのだった。


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