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下天を征く〜陰陽師:蘆屋道仁と滝川一益の戦国一代記〜  作者: シャーロック
天文11〜12年(1542-43年) 伊勢・志摩漫遊編
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18.戸木の拐かし


 木造具政の傅役・柘植保重は冬の冷たい隙間風の吹き荒むあばら屋で、部屋の四隅に置かれた低めの衝立の裏に息を潜めて狒々の到来を待っていた。


 手練れの武士(もののふ)、滝川一益、蘆屋道仁、そしてかつての主、木造前当主・源浄院主玄が妖を待ち構えるとはいえ、まだ14歳と心許ない木造具政を囮とすることの不安が保重の胸中を渦巻いていた。


 それが、このあばら屋に似つかわしくない、朱音の笛の閑雅な音色がなければ、保重は今すぐにでも主人の元へ飛び出しそうな心地にしているのだった。


 『がたっ……がたがたっ……』


 逸る気持ちを抑えようと朱音の笛を聴きながら深呼吸をしていた保重に、微かながらあばら屋の戸口が揺らされる音が聞こえた。


 『うぐっ……ど、道仁どの……』


 保重は唾を飲み込み、向かいの衝立に潜む道仁を呼び、顔を向ける。


 保重は、衝立の向こうからこちらを見つめる道仁の眼が怪しく煌めいたように見えたが、それも一瞬。


 色白の九郎判官(源義経)のように整った顔がしーっと微笑み、声を出さぬようにと、保重に身振りで示していた。


 囲炉裏に座した具政も音に気づいたのか、囲炉裏に火を焚べる手が止まっていた。


 『みしっ…みしっ』『がたっ……がたがたっ……』


 しばらく戸口が軋み、揺らす音が聞こえてきた後、ぴゅーっと今まで吹いていた隙間風とは違う、大きな冬の風が獣の匂いと共に土間の玄関から吹いてきた。


 『この前は明け方に来たせいで夜明けの(とり)の声で獲物を持ち帰れなかったが、今宵は村に犬が配してあったぞ。俺の苦手なものばかり置きよって、いずれ皆喰ってしまおう』


 衝立に潜む保重には、そんな低く醜い声の独り言が土間の方から聞こえた。


 ずんずんと重い足音が居間の入り口に差し掛かると、保重は衝立の裏に縮こまって向こうから見えないように隠れようとする。


 実際には朱音の笛が結界となっているため、隠れなくても見つかることはないのだが、そうは言ってもしっかり隠れてしまうのが人の性分であった。


 『さて、今宵の女子はどのような顔か』


 そう言うと狒々は、自らに背を向け座している具政の被っている衣を剥ぎ取った。


 朱音の曲が終わると同時に、衣を剥ぎ取られた具政は狒々から距離を取るように飛び上がり、抱えていた刀を鞘から抜き放って囲炉裏を挟んで狒々と対峙するように構える。


 潜んでいた保重も衝立を張り倒し、退路を断つべく、土間と居間の境に下段の構えで飛び出した。


 横には中段の正眼に構える道仁。狒々を挟んで向かいには具政とそれを庇う位置に主玄と一益が刀を構えて向かい合う。


 『汝等(うぬら)は何者じゃあぁぁ。そこな女子(おなご)ははったりだったかぁぁ』


 具政を女子だと思っていた狒々は屈強な男どもに囲まれて怒り狂って叫んでいた。先ほどまで聞こえていた朱音の笛もなくなり、低い醜い狒々の声があばら屋に響き渡る。


 保重が構えるその先には、見上げるほどの背丈の大きな毛むくじゃらの大男。いや、その顔は常の人より赤く醜態で、口からは上下にはみ出た大きな牙が覗いた猿のような、人のような中途半端な容姿の妖が全身の毛を逆立てて怒り狂っていた。


 『お主がここしばらく近隣で女子の拐かしをしておった妖か! 木造の領内にてそこな行いをしたこと後悔するが良い』


 保重は初めてみた妖に怯む自らの心を奮い立たせ、狒々にそう叫ぶと、下段に構えた刀を踏み込むと同時に斬り上げた。


 『ぎゃああぁぁぁ! 』


 保重の斬り上げを、咄嗟に左手で庇った狒々は醜態な悲鳴をあげ、斬りつけた保重の腹を蹴りつけ、吹き飛ばした。


 『うおぉっ……がこんっ!!』


 尋常ならざる力で蹴られた保重は、叫びながら吹き飛び、あばら屋の壁に衝突。隙間風の吹くような脆い壁に大きな穴が空いて、そのまま破片と共に外まで吹き飛んだ。


 『大丈夫かっ! 三郎左衛門(柘植保重)っ!! 』


 狒々のあまりの怪力と外に消えた保重を心配し、叫ぶ具政。壁に開いた穴からは、吹き飛んだ保重が刀を杖に立とうとするも力が入らないのか、倒れ込むのが覗いて見えた。


 狒々に斬りかかった柘植保重、祖先は伊賀忍びの流れを汲む者で保重自身も武芸の達者であったが、腕自慢の武士でも歯が立たぬのが妖との闘い。以前、この狒々より遥かに強い土山宿の鬼に互角以上の戦いをした一益の異常さを道仁は改めて感じたのだった。


 『我を斬りつけるとは、汝等(うぬら)必ず喰うてやるからなぁ』


 左腕から赤い血を流す狒々は、ギョロリとした目玉で道仁らを見回すとそう叫んだ。


 『某を喰っても美味くはないぞ? ほぅれっ! 』


 茶化すように答えた一益が、懐から鋭く研がれたクナイを狒々に投げつけ注意を逸らすと、すかさず道仁と2人で前後から斬りつけた。


 『うぎえぇぇっ!! 』


 クナイをはたき落とした狒々は、前方にいた一益の上段の袈裟懸(けさが)け一振りを避けたはよいが、後方の道仁の一振りを避けられず、右腕を肘から切り落とされ、喧しく泣き叫ぶと保重が開けた壁の大穴に飛び込んで外に逃げ出した。


 『ぬっ!! 逃げるつもりか? 』


 『う、五月蝿いっ!! 数年、山に潜めば片腕ぐらい生えてくるのじゃ。お主らがおらん時にまた喰いに来てやるからなぁ』


 太刀を避けられた一益が大音声(だいおんじょう)で狒々を罵ったが、狒々は形勢不利とあばら屋から逃げようとする。右腕を失って左右の均衡が取れなくなったのか、左に大きく身体が傾いたまま走り去ろうとしていた。


 あばら屋を飛び出した道仁ら一行から、懸命に左に傾きながら走って距離を取る狒々。最初の威勢は何処へやら。背中を見せて山の方へ逃げようとしていた。


 『侍従様、弓に自信はありますかな? 』


 道仁が具政に尋ねた。鎌倉時代より武士の腕の見せ所であった弓。足軽ならいざ知らず、武将となる御家の武士は弓の修練は必須であった。


 『はい。道仁殿。 主玄殿、弓を借りますぞ』


 吹き飛ばされて倒れていた保重を助け起こしていた主玄にそう言うと、戸口に立て掛けてあった弓を借り受け、矢を(つが)えようとする具政。


 『お待ち下さい侍従様。矢を、拝借致します』


 そう言うと具政から一本の矢を借りた道仁。袖からドーマン(9本の格子状に描かれた呪札)の書かれた小さな懐紙を取り出し、呪を唱えた。


 『あめのはばやよ、いせにあだなすあやしのものをめつしたまへよ』


 それが終えると懐紙を弓で貫き、その状態で具政に矢を返した。


 『致命の傷となるよう呪を掛けました。こちらで狒々を射抜き下さい』


 そう言われ、矢を渡された具政は、もはや距離が一町ほど離れた狒々を狙い矢を(つが)えた。


 白い雪が舞う冬の冷たい風が吹く中で、具政は領内で不貞を働く狒々を射殺さんと強い意思で弓を引く。(つが)えたそれが道仁の呪の掛かった矢だからなのか、具政は弓を引くのに、常の弓力の倍は力が必要であった。


 『ふっ!! 』 『……ひゅっ』


 短く息を吐いたと同時に放たれた具政の意志のこもった一矢は、弧を描いて、狩る側から狩られる側へと移ったあわれな獲物に飛んでいった。


 矢はもはや小さく見える狒々の後頭部に見事に突き立ち、道仁らからは狒々が崩れ落ちるのが見えた。


 『お見事っ!! 』『お見事で御座います』


 一益と道仁がそれぞれ具政の弓の腕前に感心する。


 『主玄殿は三郎左衛門様の介抱をお願い致します。我ら3人は狒々を確かめに征きましょう』


 そう言うと道仁の先導で、雪の舞う薄暗い道を一町半ほど離れた狒々の方へと一益、具政の3人で歩き始めるのだった。

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