15.源浄院主玄と木造具政
道仁と一益が源浄院に滞在すること1ヶ月少し。道仁は源浄院の手伝いや近くの村々での天候占いや祈祷などで幾らか金子を稼ぎつつ過ごしていた。
また、道仁は雲林院で手に入れた付喪神の龍笛と式神契約を結び、宴の席や祈祷の際にその音色を聞くことができるようにしていた。朱色に染められたその龍笛は”朱音”と名付けられ、道仁に手入れをされることで、かつての笛身を取り戻し、その音色は千語万語を費やしても表現し得ないものとなっている。
一方、一益はというと木造具政の手習いに道仁と共に剣術師範として参加していた。通常は、書画や兵法、仏教などを寺で学び、剣術などは傅役や、城で武士が務めるものだったが具政は少し違った。
というのも、普段の具政は北畠家より養子入りする際、共に木造家へ来た家臣らに傀儡のようにされているらしく、政務の邪魔になるとばかりに具政は、木造家からの傅役・柘植保重と共に1日のほとんどをここ源浄院で過ごすようになる。
木造家中では、北畠から来た家臣らは木造家を我が物のように差配すると、木造家臣団と北畠家臣数名らの対立は深まるばかり。一方で、具政自身に対しては、先代当主の主玄や木造家傅役の柘植保重が具政の養育をしていること、主玄が後見として守ることを表明した為、木造家中からの反発は少なかった。
源浄院に滞在することとなり早々に、主玄から親族として具政や傅役・柘植保重に紹介された道仁と一益。2人の忍び、陰陽師としての実力も知った具政達は、主玄と同様に師として受け入れ、短い期間だが信頼関係ができていた。
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鈴鹿の山にちらほらと見えた白いものが、今や伊勢木造の町でも見られるようになった師走の初め頃。
朝から朱音の音色を聴きながら、道仁と一益は寺の庭にて剣の朝稽古をしていた。
雲林院で塚原高幹ら鹿島新當流の使い手と過ごしてから、此の朝稽古は双方の日課となっていた。そして、源浄院に滞在してしばらく経ち、互いの剣技は木造当主として武略を学んだ主玄が見ても、もはや達人の域に達したものであると評されていた。
今朝の稽古は、互いの陰流、京八流のみならず、忍術、陰陽術を使った躍動する剣技に、その傍で白い狩衣で笛を吹く朱音の笛の音が交わり、さながら神式に用いられる剣舞の様であった。
朝の読経を終えた坊主達の幾人かが、剣舞を見に来たのか、はたまた朱音の笛を聴きに来たのか。御堂や宿坊の影から覗いている。
朱音の曲が終わると同時に2人の稽古も終わりを迎えた。昨日から軽く降り積もった雪化粧の庭で、一益と道仁の身体からは白い湯気が昇ってく。
『おはようございまする。彦九郎殿、道仁殿、朱音殿。朝から素晴らしいものを見ることができました』
先ほどまで寺の山門のあたりから稽古を見ていた、まだ幼さの残る木造具政とその後ろに控える柘植保重が、朱音から布を貰い身体を拭く2人の下へやってきた。
『これは侍従様に、三郎左衛門様。見られて居られたとは知らず申し訳ありません。まだ主玄殿との約束の刻限には早いようですが』
『昨夜の雪が気になったのです。民はどうしているかと思い、少し村々を回ってから来ました』
具政の答えに、道仁と一益は優しく微笑み、
『それは良い心がけでございますね。して、村々の様子はいかがでしたか? 』
『村々からは朝餉の白煙が立ち登り、しっかり食している様子。田畑はところどころ白くなっておりましたが、街道や家々はどこも問題はありませぬ』
具政の答えに一益は頷き、兵法書の一説を口にした。
『無取於民者、取民者也。無取民者、民利之。無取国者、国利之。無取天下者、天下利之。』
(民に取るなき者は、民を取る者なり。民を取るなき者は、民、これを利とす。国を取るなき者は、国、これを利とす。天下を取るなき者は、天下、これを利とす)
一益は片方の口角を上げ、少し笑いながら具政を試すように見ると、具政は少し考えたのち、その一説の続きを答えた。
『故道在不可見、事在不可聞、勝在不可知。微哉微哉。』
(故に道は見るベかざるに在り、事は聞くべからざるに在り、勝は知るべからざるに在り。微なるかな、微なるかな。)
具政の答えに満足したのか、一益は優しく具政に微笑む。
『六韜のうち、武韜の一説ですね。戦に勝つ為には、日々の政も疎かにしてはならぬ、民から搾取してはならぬと』
具政は自らの言葉を噛み締めるように呟いた。
『侍従様はよく学んでおられるようですね。出過ぎた真似を、失礼致しました。』
一益は、歳は上ではあるが、官位も持つ当主である木造具政に試すような問いをしたことに謝った。
『彦九郎殿、そのような事は必要ありませぬ。孫呉韜略はまさに主玄殿から学んでいる最中でございます。源浄院には政の師、主玄殿が居られ、剣の師、彦九郎殿、道仁殿が居られる。城においては、傅役、三郎左衛門や木造家臣らが居ります。私は、これらの人の和を大切にしているのでございます』
具政はまだ幼さの残る声で、そうはっきりと一益と道仁に宣言するかのように答えたのだった。
『孟子に此のような言葉がございます。"天の時は地の利にしかず、地の利は人の和にしかず”。侍従様のお心がけはこの"天地人"の考えに叶う良きもので御座いますれば、いずれ、政をご自身で行なわれる際、役に立つ事でしょう』
一益と具政のやり取りを聞いていた道仁や周りの僧達は、具政の勤勉さと民のことを慮る思慮深さに木造の当主としての器を感じ入った。
また、一益を一介の武芸者だと思っていた源浄院の僧達は、六韜三略を知る一益の武将たる器を知ったのだった。
『侍従様。そろそろ三郎兵衛様の下へ行く刻限でございます』
後ろに控えて問答を聞いていた柘植保重が具政へ、そろそろ御堂の中へ入るよう促す。
『師を待たせるわけにはいけませんね。彦九郎殿、道仁殿。午後の武芸の刻にまたお願い致します』
そう言って具政は御堂の中へ入っていった。その背中を見送る一行。
柘植保重はすぐに後を追わず、具政を先に御堂へ向かわせると道仁、一益らに向き直り、
『今はまだ侍従様は雌伏のとき。天の時、地の利が揃った時、北畠家臣らの専横を打ち払い、侍従様が木造当主として三郎兵衛様と政を行う時を我ら木造家臣は待っております。木造家臣を代表して、御二方にはその手助けを何卒、お願い致しまする』
保重は、そう言うと2人に深々と礼をした。
道仁、一益は、保重の急な申し出に困ったような顔でお互いに見合わせる。
『私たちは木造家の家臣ではないのでなんとも言い難いですが……これも何かの縁、その時がくればどうにか力にはなりましょう』
道仁は苦笑いしつつも、保重に誠実にそう答えたのだった。
『主玄殿は某と同じ滝川の親族。その時に仕える御家が違ったとしても、某もなにか力になりましょうぞ』
一益も道仁同様に困った様に笑いながら、そう答える。
2人の答えを聞いた保重は深々と礼をすると具政の後を追って御堂へ消えていった。
『流浪の陰陽師殿があの様な約束、よろしかったのですかな? 』
『そちらも尾張で一旗上げようという出奔武者殿があの様に、よろしいので?』
一益と道仁は、互いにニヤリと笑いながら具政達が見えなくなった御堂を見つめ呟きあった。
そして2人は互いを見やると、同時に同じことを呟いた。
『これも何かの』『縁でございますので』
『ふふふふっ』『ははははっ』
言葉が被った2人は互いに吹き出すように笑いあった。
数ヶ月ではあるが共に過ごし、友として互いに認め合うもののある2人は、もはや刎頸の交わりであった。
2人が笑い合うその後ろで、朱音がまた笛を喨々と鳴らし出す。その笛の音と笑い声は、冬の寒空へ悠々と伸びてゆくのだった。
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