14.源浄院主玄と木造具政
辺りが寒くなってきており、夜は火鉢の用意が必要になるような冬の暮れ、滝川一益と蘆屋道仁は、源浄院という寺に到着した。
一益と同じく滝川の流れを汲む源浄院主玄と会うためにやって来た2人は、寺の山門を潜り抜け、境内を走り回って夜の篝火の準備をしている下男を呼び止めた。源浄院は安濃津・木造近辺でそれなりの大きな寺であり、坊主、小坊主ら数十人で生活している。
『そこの坊主。すまぬが主玄殿を呼んでくれぬか。甲賀の滝川が来たと伝えてくれれば良い』
忙しそうにしていた小坊主はやや戸惑いながらも一益の頼みを聞き入れたのか、ばたばたと寺の奥へと駆けて消えていった。
一益と同じく滝川の流れを汲む源浄院主玄は、具政という若い北畠家からの養子に家督を譲ったものの、自分自身もまだ若く、精力的に寺を支えていた。また、北畠から養子としてやってきた具政は齢13歳と若く、主玄は源浄院にて具政の手習いの師として当主養育も行っている。
しばらく寺の正面で待っていると、先ほどの小坊主が戻ってきて、寺の脇にある宿坊の使用人らの玄関へ案内される道仁達。七堂伽藍とまではいかないが、大きな本堂に講堂、宿坊、回廊を備えた広い境内は源浄院の権威の大きさを示していた。
宿坊にて待ち構えていたのは僧にしては体躯の良い、まだ26.7歳ほどの若い僧であった。その若い僧・主玄も一益とよく似た意志の強そうな眉が特徴的だが、それ以外は凛々しい一益と違い、総じて柔和な雰囲気の男であった。
『皆様方、よく参られた。私が源浄院院主・主玄と申す。拙僧の出身、木造家も母方の祖を辿れば甲賀滝川家と同じ系譜。手紙を貰った時には驚いたが彦九郎殿と蘆屋殿、喜んで滞在を歓迎しよう』
そう言って微笑む主玄。爽やかに笑うその様は、一益の笑う様とよくよく似ているよい漢であった。
『某が甲賀滝川家、滝川八郎が二男。滝川彦九郎に御座いまする。此度は急な滞在の願いを叶えていただき大変感謝しております。此方の御仁は播磨陰陽師、蘆屋道満公を祖とする陰陽師、蘆屋道仁殿で御座います』
『此度は滞在をお許しいただきありがとう御座いまする。よろしくお願い致しまする』
お互いの挨拶が終わると、2人は主玄に案内されて源浄院の建屋に入った。源浄院の僧ら全員が寝起きしてもなお部屋の余っている広い宿坊で一益と道仁はそれぞれ一室を与えられ、暫し滞在することとなる。
鈴鹿峠ほどの疲労はなかったが、しばし部屋にて休ませてもらった2人。夕餉の頃になると主玄の誘いで一益と道仁は、宿坊にある座敷でささやかながら歓迎の酒宴を開いてもらえることとなった。
宿坊の一角にある座敷に案内された一益と道仁。ぱちぱちと音を立てる篝火と囲炉裏の火が弾ける心地よい音が響いている。2人が座る囲炉裏の座布団からは、障子の向こう、寺の庭のところどころに置かれた篝火の灯りが微かに見えていた。
2人を囲炉裏の席へ案内すると、主玄自ら手酌で一益と道仁に酒を注いで回る。年長者であり、木造家という由緒ある家柄でありながら、気さくで諸将、同僧達からも慕われるような性格の主玄である。
『この地方に来るのは初めてですかね?』
仲の良い年下の従兄弟に話しかけるように優しく2人にそう尋ねる主玄。周りの縁戚と言えば、北畠家や大河内家、坂内家と仲が良いとは言えない気を張る付き合いの縁戚ばかりだった主玄は、遠縁とは言え気兼ねなく付き合うことができそうな滝川家の彦九郎と話せるのは嬉しいことだった。
『御家の務めで一度は来たことがありますが、あの時は初めての仕事で心に余裕がありませんでしたからな。今回は落ち着いてこの地方の風土を堪能したいと思っております』
一益は少し昔を懐かしむように主玄の問いに答えた。また、主玄自身は忍びではないが、滝川と同じ流れを汲む木造家は他の北畠家筋の家と違い、少数だが忍びを抱える御家であった。
『私は初めてで御座います。この地方は海の美しい名所が多く、良い食べ物もたくさんあると安濃津の街で町人達から伺いました』
主玄は優しく微笑むと、
『それでは御二人方には私から地元の酒を勧めましょうかねぇ。これがまた伊勢の肴に合うのですよ。この肴は近隣の百姓や庄屋がいろいろ持ってきてくれるものの一つでね』
そう言って猪口を差し出した。安濃津・木造地域に根付いた源浄院は多くの檀家がおり、肴や食材などは檀家の差し入れで賄えるほどである。そして、今回の酒は、酒に目がない主玄が安濃津の酒屋で定期的に仕入れる逸品らの内の一つであった。
『おお、これは旨いな! 』
一益が猪口に口をつけるとそう唸った。
『この地方の酒はすごく良いものが多いのだよ。それに桑名、安濃津、松阪など良い湊が多いので、東と西から様々な品が集まるのよ。寺の必要品の買い付けの為に、安濃津に私自身も行くことがあるのでそこでいろいろな酒を飲むのだが、やはり、1番はここ伊勢の酒なのだよなぁ』
主玄が地方の名酒について説明すると、一益は安濃津で土産の酒を買ったことを思い出した。
『そういえば安濃津の街で此方の酒を買ったのですよ。よろしければ今宵はこれも呑んでみましょう』
『おぉ!! それは用意がよいな。よし、ここにしばらく滞在するのなら、御二方には安濃津の良い店を教えておこう』
その後はしばらく酒を楽しみながら、安濃津で聞いた堺に届いたという鉄砲の話や、雲林院での剣術の話などしばらく互いの近況などの話が続いた後、主玄が別の話題を切り出した。
『私は北畠宰相中将の三男である侍従様に家督を譲り、いまはまだ寺で修行をしておる身。そして侍従様は12歳と若くして木造の家督を継いだため、まだまだ未熟なところがありましてなぁ』
主玄は酒が少し回ったのか、赤ら顔で染み染みと語り始めた。
北畠家当主・晴具は幼少の頃より叙爵されており、8歳にして侍従、永正13年に左近衛中将、享禄元年に参議に列せられ、左近衛中将はそのままで、宰相中将となったのであった。
晴具には3人の男子がおり、嫡男・具教も8歳にして侍従に叙爵。その後、左近衛少将となった。次男・具政は11歳で木造家の家督を継ぐとして出された。また侍従にも叙爵されている。三男・具親は北畠家ゆかりの寺院である興福寺別当東門院に院主として入った。
『たしか、主玄殿は侍従様の手習いの師を務めていらっしゃるとか』
道仁が尋ねた。
『えぇ。その通りですな。私自身、北畠家に出家させられ、いろいろと思うところはありますが、侍従様の人柄や才覚には魅力を感じておるのですよ。そして、侍従様を確と支えていくのが木造家の為だとも思っておるのです』
『なるほど、それはよい心持ちだと思います』
道仁は、北畠家からの養子が来ることで出家しなければいけなくなった主玄が木造家を出ても尚、御家と養子入りした具政を大事にする心持ちに僧としても人としても良い男なのだと思った。
『若い頃は誰しも未熟なところがあるものです。それは今の私も然り。しかし、才ある者はそれが開花する時期が必ず来るでしょう。侍従様は才ある御方だと思うのです。ですから私は此の御方を確と導き、常に謙虚な心を忘れないようにと、日々の手習いで伝えておるのです』
主玄は酒をトクトクと徳利から猪口に移し、話し続ける。
『侍従様の父、宰相中将様や兄の左近衛少将様は気位が高すぎる方々でしてね。諸将や民のことを時々ぞんざいに扱うことがある。勢力を広げている今はいいですが、どこかで御家が苦しくなった時、民や諸将が果たして着いてくるでしょうか、私にはそう思えるのです。だから侍従様にはこの木造で、民を守護する当主になってもらいたい。木造の家を出た身だからこそ教えられること、見えてくるものもあるのですよ』
その後も三人は酒を飲みながら、北畠家と木造家の内情、北畠諸将の人柄や役割について語り合った。時間はあっという間に過ぎ去り、主玄は彼らを寝所へ案内するために立ち上がった。
『久々の御客人ということで、長く呑み過ぎてしまいましたね。そろそろ、宿坊へと移動しますか。しばらくこの寺へ滞在されるのですから、積もる話は追々いたしましょう』
主玄がそう言って立ち上がり、2人を案内してゆく。
木造具政は若くして家督を継ぎ、北畠家からは分家を北畠寄りに変えていくことを期待され、木造家からは名門北畠と木造の融合によって更なる御家の繁栄という期待をされている。
それぞれ思惑は異なるが、大きな期待を12歳で背負うこととなった具政。しかし、主玄は具政の人柄、才覚を見込み、父・晴具や兄・具教とは違う、木造の当主として成長できるように支えようとしていたのだった。
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