閑話: 野呂家厩番 林助蔵
本編は2日に一回の更新ということでしたが……。閑話はちょくちょくそれとは関係なく更新する予定です。
天文11年(1542年)秋頃 野呂城 厩番
林 助蔵
昨日斬られた右腕がまだ痛むが、幸い傷が浅くて助かったぜ。妻のお幸が布で作った吊り輪で俺の腕を固定してくれたお陰で、なんとか馬達の世話も怪我腕を気にせずできるようになって良かった。
『よーしよし、いい子だなお前達。しっかり干し草をお食べ。今朝は長門守様と昨日のお客人達を雲林院城まで運ばにゃならねぇからなぁ。しっかり腹ごしらえして征くんだどぉ』
昨日は殿と雲林院の若様の馬丁として関家亀山城まで同行したが、まさか東海道の街道で襲われるとは思ってもいなかった。
若様のお乗りになっていた馬はなかなかの駿馬であったが、襲撃の最初に狙われ、可哀想に亡くなってしもうたわ……。馬に罪はないというのに酷い事だ。
幸い若様も殿も無事この城まで帰って来れた。
旅の武士の方々が居らなければ、今頃、俺もお釈迦様のとこに行っとっただろなぁ。
俺が斬られ、うちの殿だけでなく、雲林院の若様までもし斬られて居ったら、雲林院家に仕える林家本家筋の方々も肩身の狭い思いをすることになったっただろう。
俺も妻のお幸を残してあの世に行くことになっては心残りで化けて出てやるわ。
しっかし、これで長らく続く関一党との諍いも和睦で落ち着くだろうか……
そんな事を考えておると、館の方から足音が聞こえて来た。
『助蔵! 朝から馬の世話、ご苦労だな。腕は大事ないか? 昨日の今日であるから、あまり無理せぬでも他の者に馬の世話は任せれば良いのに』
この声はうちの殿か。わざわざ見舞いに来てくださるとは、若いのに本にしっかりとしたお優しいお方よ。
『これは殿。腕はお幸に布を結ってもらってこの通りでございます。某、野呂家厩番として馬の世話には誇りを持っておりますから、この程度で休むわけにはいきませぬ』
主家の雲林院の馬もなかなか駿馬揃いだが、野呂家の馬も負けてはいない。今日は雲林院城まで征くのだからこの子らも丁寧に身体の手入れをしてやって、雲林院の厩番を唸らせてやらにゃならん。
『そうかそうか。馬達もお前が無事で嬉しそうじゃな。今朝の用意が済んだら今日はもう休めよ。お前に何かあってはお幸殿に儂が恨まれてしまうからな。はっはっは』
『殿を恨むなんてとんでもねぇ。今回の襲撃も、殿の剣の腕前に助けられたんですぞ。某は若様に庇ってもらってしまったくらいで……』
雲林院家には今、塚原様という強い御武家様が逗留していらっしゃって若様や、殿などが時々道場にて稽古を付けてもらっていらっしゃる。
昨日の襲撃もお二方の剣技がなければ早々にやられていたはずじゃ。俺は剣術には詳しくないが、助太刀下さった武士の方々の技量もなかなかなものじゃったな。
『なぁに。雲林院家馬廻衆でもあるまいに、儂らだけで手練れを何人も斬り捨てるなど難しいこと。あれは仕方あるまいよ』
殿はそうは言うが、うちの殿は雲林院家の中でもなかなかの腕前と聞くぞ? それこそ野呂家先代様が生きておられた頃は、殿が小姓として雲林院中務少輔様の側回で1番の武芸者だったとか。
『滝川殿、蘆屋殿の朝餉が終わればすぐに雲林院城へ向かうこととなる。腕が痛むとは思うが、馬の支度は頼んだぞ』
『ははぁ! 畏まりました!! 』
さてさて、馬達に干し草をやったあとは身体を拭いてやらねばな。滝川様と蘆屋様にも昨日の助太刀の感謝を込めて、しっかりと乗馬の準備を進めておかねぇとな。
雲林院家に野呂家という重臣が仕えていたという記述が勢州軍記にあって、1580年頃に織田信包に謀殺されたそうなのですが、この優男な長門守はどうなるのか……
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