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 あれからリットン伯爵家の没落は早かった。

 我が家に見限られたと知った貴族や取引先から、見捨てられたのだ。

 一部からは早々に借金返済を求められ、たちまち首が回らなくなった。

 お父様は伯爵が領地の切り売りを始める前に、慰謝料の免除と引き換えに目当ての土地を手に入れた。

 

 マーカスは、ステラ嬢に逃げられた。

 伯爵家没落の決定打となった二人の関係は、彼女の実家の男爵家でも問題になり、修道院行きが申し渡されたが、直前になって使用人の男と出奔した。

「真実の愛を見つけました」そう書置きを残して。


「チヨ、やはり結婚しよう。婚約破棄は間違いだった」


 マーカスは何度か復縁を求めて私の所へやって来たが、縋りつこうとする度に結界に阻まれ、弾き飛ばされていた。


 私にしつこく付きまとっていると知ったお父様は憤り、伯爵家とは完全に縁を切った。それまでは、生活に困窮しない程度には面倒を見ようと考えていたらしい。

 そんな父の座右の銘は「仁者は敵なし」だ。どんな相手にも寛容である彼らしからぬ態度に、その怒りの大きさが窺える。

 私は最後まで、彼から謝罪の言葉を聞くことはなかった。



 リットン伯爵家が破産し、爵位返上の噂が囁かれ始めた頃、私は二十歳最後の一か月をぼんやりとした晴れない気持ちで過ごしていた。

 

「ちょっと、チヨ姉さん聞いてるっ?」


 妹サラの声で我に返る。


 サラは、王立学園を卒業したばかりの十八歳だ。

 彼女は念願だった出版の仕事をする準備のために、今は私と共に王都の屋敷に滞在している。


 サラの前世は出版社に勤める編集者で、この世界で初の女性ファッション雑誌を出版するのが夢なのだそうだ。

 すでにスメラギ家の力で王都の出版会社を一つ買収し、そこの編集長の座を手にすることに成功した。あとは発刊に向けて準備を進めるだけだ。

 私はサラに協力するため、スポンサーとして名を連ねている。新発売のコメ麹化粧品シリーズの特集ページを組んでもらい、定期的に広告を載せ、一気に商品の知名度をアップさせる予定だ。


「もう今日はここまでね」


 私が使いものにならないと判断すると、サラはメモ帳に何事かをササッと書き記し表紙を閉じた。ペン捌きが堂に入っていて、前世のデキる編集者の片鱗が垣間見える。


 メイドに紅茶とクッキーを運んでもらい、ティータイムに入る。

 私はのそのそと自分の部屋からショコラの箱を持ってくると、バリバリッと包装紙を破り、蓋を開けた。


「それでどうしたのよ?」


 サラは私のショコラを無断で拝借し、「美味しい」と呟いてから、私の呆けている理由を尋ねた。

 彼女は、前世の年齢が四十代で年上なせいか、はたまた生まれ持った性質なのか、私よりずっとしっかりしている。実質上、私の姉のようなものだ。


「どうもこうも……あと少しで結婚適齢期が終わっちゃうのよ。まさかこの世界で、しかも貴族なのに嫁き遅れるなんて想像してなかったから、なんかショックと言うか、元気が出ないというか」


「何崖っぷちみたいな声出してんのよ。まだ二十歳は終わってないわよ?」


「だって私の誕生日までもう一か月を切ってるのよ。しかも婚約破棄二回だなんて、貴族の娘として致命的じゃないの。サラみたいな美人ならともかく、一生結婚できないって決まったようなものだわ」


 前世で結婚と離婚を経験したサラは、結婚に興味はないとまだ婚約者はいない。結婚するとしても、年齢に拘ることはないとゆったりと構えている。

 そんな彼女は女王様のように毅然としてカッコイイが、私は彼女ほど強くはなれない。

 みっともなく弱音を吐く私を見て、彼女は肩をすくめた。


「大袈裟ね。ねえ、チヨ姉さんは貴族と結婚がしたいの?」


「べつに貴族と結婚したいわけじゃないわよ」


 私はサラの意図が理解できず、首を傾げる。

 スメラギ家は身分に拘る家風ではない。お母様の実家は商家だし、何より異世界人の娘であり、転生者だ。結婚も本人の意思に任されている。

 それに前世での国の歴史がそうだったように、いつか貴族制度も終わりを迎えるだろうと予想している。私には身分を得るより、お金を稼ぐことのほうが魅力的に思えた。

 

「なら、なんでイアンは選択肢に入らないのよ?」


「え?」


 ポカンとする私を無視し、サラはメイドを呼んで紅茶のお代わりを依頼すると、大きなため息を吐く。


「もともとチヨ姉さんが連れてきたんじゃないの。『最後まで面倒見ます』ってお父様に泣きついて。てっきりそのつもりかと思ってたわ。バカ王子と婚約が決まって同情してたら、いい具合に婚約破棄になったっていうのに、ちっとも話は進まない。終いにはあんな落ちぶれ伯爵家に嫁ぐなんて、とち狂ったことを言い出してびっくりしたわよ。誰でもいいから貴族と結婚したいのか、ってね」


 サラが、私とイアンをそのような目で見ていたことに驚いた。

 どうやら彼女からすると、とち狂ったのはマーカスではなく私の方だったようだ。

 

「何も悩むことないじゃない。イアンなら結婚しても領を出なくていいし、見た目も姉さん好みだし、仕事も優秀。彼は絶対に断らないわ。何より誕生日までに結婚出来て、嫁き遅れにならない。ほら、いいことずくめだわ」 


 サラは一気に言ってしまうと、これで解決ね、という視線でこちらを見たが、私は慌てた。顔が赤くなっている。

 私だってその可能性を考えなかったわけではない。


「それはダメよ」


「なぜ?」


「私の我が儘で引き取ったからよ。ずっと尽くして貰って、今だって私の仕事のせいで寝る間もないほどよ。養育の恩に報いるためなら、もう充分おつりがくるわ。彼にだって、自分の幸せを求める自由と権利があるはずよ」


 主家の娘である。私が求婚をすればイアンは断らないのではなく、断れないのだ。

 たしかに私が他家に嫁いで家を出るより、このまま領に留まり、前世の知識を活かして事業や領を発展させた方が、我が家にとっては都合がいい。そう考えれば、我が家のことを知り尽くしているイアンは、結婚相手の第一候補になるだろう。

 でも無理矢理に彼の一生を縛り付け、不幸にするくらいなら、私は結婚などしなくてよい。いずれ彼の子どもに、私の事業を任せればいいのだから。


「それに私が妻だなんてイアンが可哀相よ。孤児院の子たちから、ずいぶん陰口を叩かれたのを知ってるわ。あんな()()()()()なお嬢様に、こき使われるために引き取られたんだって」


 私の自嘲めいた言葉に、ずっと鋭い視線を送っていたサラの目が揺らいだ。

 彼女は何か言いたげだが、私は構わず続けた。


「今だって私が縛っているせいで、他の女性たちが近づけないって言われてるのよ。良縁があったかもしれないのに、イアンに申し訳ないわ。私のせいで――――」


 その時、ガチャッと食器が触れ合う音がして部屋の扉に顔を向けると、両手で紅茶の載ったトレイを持ち、小脇に色見本帳を挟んだイアンが立っていた。


「あ…………」


 思わず息を呑み、衝撃で動けずにいる私をよそに、サラはイアンの脇から色見本帳を引っこ抜くと「ご苦労様」と言って、さっさとその場を後にしてしまった。


 サラに逃げられ、イアンと二人きりになると気まずい空気が漂う。

 まさか彼が来るとは。どこから聞いていたのだろうか? 

 私は青くなりながら、仕事の資料とショコラの包装紙で乱雑になったソファテーブルの上に、ティーカップが載ったトレイを置くイアンの動きを黙って眺めていた。


「お嬢、申し訳ございません」


 トレイを置いた姿勢のまま、こちらを向かずに謝るイアンを見て、胸に苦い想いが込み上げた。

 同時に彼が辞めてしまうのではないか、という考えが浮かび怖くなる。ずっと一緒にやってきて、袂を分かつなど想像したこともなかった。

 

「イアンが謝ることじゃないわ。今聞いたことは、全部忘れて」


 私は彼を見ていられなくなり、くるりと背を向ける。

 その背に向けられた声はいつもと変わらず、どのような表情で発せられているのか見当もつかない。


「すみませんでした。お嬢があんな風に考えている事に気づけず、辛い思いをさせて」


「だから、あなたのせいじゃないってば。やっぱりもう一人雇おうかしら? そうしたら少しはイアンの負担も減るだろうし、デートする時間ぐらいは――――」


「私のせいです。すみません」


 イアンが私の言葉を遮った瞬間、後ろから彼の腕がふわりと優しくまわされた。


ご覧いただき、ありがとうございました。

次回、最終回になります。

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