後日譚・茉莉花《まつりか》茶の午後
うららかな春の昼下がり。
ヒスイとコハクは、池底の城でお茶を飲んでいた。
鏡池の底には、ヒスイがその力で造った小さな城が建っている。そのこじんまりした城の中で、二匹は人の姿をとって、穏やかに日々を暮らしていた。
『ねえ、ヒスイ』
牛の乳で煮出した茉莉花茶を飲みながら、コハクが夫の名を呼んだ。ほんのり気づかわしげな口調で、ヒスイの目を見て問いかける。
『いつも何度も聞いてるけれど、水がなくて苦しくないの?』
『いつも何度も答えているが、水蛇とていつも水がなければ、生きてゆけない訳ではないよ』
ヒスイがにっこり微笑んで「可愛くてたまらない」と言いたげにコハクの頭を撫でまわす。
二匹の住まう城の中は、新鮮な空気で満ちている。
一方で、窓の外には池の水が満ちみちて、小魚なども泳いでいる。ちょっとした水族館のようだ。『たまに人が来て釣りなどすると、えさの臭いが水に混じるのが嫌だから』とヒスイは言う。割りに神経がこまいのだ。
『でも、蛇の姿のときはいつだって水の中にいたのに』
『涙の塩味、金平糖の甘い味。あの水はひどい味だった。妙味の水より、新鮮な空気のほうが良い』
『「ひどい味だった」?』
違う方向に気を使いだす妻のおでこへ、ヒスイがなだめるそぶりで手をあてる。娘にするようになでなでしながら、コハクの前へ花柄の小皿をさし出した。
『ほら! それより出来たぞ、お前の大好物。炒りたての「雪花豆」だ、食べてみろ』
『……うん』
コハクが何となく腑に落ちない顔でうなずいて、素直におやつを口に運ぶ。一口かじると嬉しそうに微笑んで、後はもう無心にぽりぽりし始めた。
雪花豆。
炒り豆に砂糖水を絡めてまた炒りつけた、雪をまぶしたようなお菓子だ。……コハクが池底の城にやって来て、初めて口にした食べ物だ。コハクが気に入ったのを喜んで、ヒスイはいつもこのお菓子を作ってくれる。
つきあってぽりぽり雪花豆を食べながら、ヒスイがふっとつぶやいた。
『……そういえばお前、このごろ少し肉がついたな』
『「肉が」? ……太ったってこと?』
『太ったというか……前より少しぷっくりした』
ふっと食べるのを止めたコハクが、ほっぺにそっと手をあてる。
『……やせたほうが良い?』
『いいや、やせるな! とんでもない! だいたいお前、以前は死にそうにやせてたのだから!』
ヒスイが椅子を鳴らして立ち上がり、必死の形相で言いつのる。その勢いに驚いて、それからとても嬉しくなって、コハクがぷくっと吹き出した。
ころころ笑う妻につられて、ヒスイも甘苦く微笑い出す。雪花豆をつまみつつ、ついでの口ぶりでささやいた。
『……我は、ぽっちゃりしたお前も見てみたい』
ついでの口ぶりを装って、本気で言っているのがよく分かる。よく分かるから、コハクもお菓子をつまみながら、冗談の声音でこう応えた。
『じゃあヒスイ、頑張ってあたしを「幸せ太り」させてよね?』
ヒスイがちょっと目を見はり、それからくくっと吹き出した。返事の代わりに、ほんわりとコハクの頭をこづく。
それからお菓子をひと粒つまみ、コハクの口もとへさし出した。新妻は鳥のひながえさをもらうように、ぱくりと豆を食べて微笑った。
『それよりか、ヒスイ……「星菓子はもうたくさん」だったのに、雪花豆は大丈夫なの?』
『いやいや、それとこれとは違う。金平糖は金輪際見たくもないが、砂糖そのものが駄目になった訳ではないぞ!』
言の葉できらきらじゃれ合いながら、二匹はふわっと嬉しそうにはにかんだ。
――愚にもつかぬ幸せが、いつまでも続きますように。
そう祈りたくなる昼下がりのお茶会に、ほんわりと茉莉花の香りが漂っていた。
(完)