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花の三・貝の涙

 このごろコハクの調子が良くない。


 ヒスイがコハクをめとって六年めの春のこと。少女から乙女の姿に成長したハクの蛇は、どうにもこのごろ食が細い。


『気になるな……多少無理にでも食せばどうだ?』

『それがだめなの。無理に食べると、もどしちゃって……』


 言いながらコハクが口を押さえる。ふいに青い目をまたたいたヒスイが、ものすごく真面目な表情かおをした。


『……コハク。お前「月のもの」は来ているか?』

『……あ』


 栗色の髪を揺らして顔を上げ、コハクのほおにじわりじわりと朱が昇る。しなやかな柳腰こしを宙に浮かせて、ヒスイがコハクの手を引いた。


『ザクロのところに行こう、コハク。あいつは趣味で医術もかじっている』

『本当? すごいわ、ザクロさん!』


 素直に『へび』をめるコハクに、ヒスイがちょっと複雑そうに口を開いた。


『……そうか? 我にはさほどの腕とも思えぬのだが……趣味ていどの医者に頼るのも心細いが、他に思いつく相手がない』


(あ、ちょっと焼きもち焼いてるんだな……)


 内心でこっそりつぶやいて、コハクはにっこり微笑わらって細い夫の手をとった。


『お天気は良い?』

『おそらくは。窓の外の小魚たちの機嫌が良いから』

『ああ、そうね! ねぇ、がちいけまで散歩しながら行きましょう、ヒスイ!』

『……大丈夫か? 体の具合は……』

『とちゅうで調子が悪くなったら、「空間転移」をお願いしますっ』


 コハクが微笑って舌を出す。いつからか『当たり前に甘えられる』ようになった乙女に、ヒスイは嬉しげにはにかんだ。


* * *


『……うん! こりゃ間違いなく「おめでた」だわ!』


 コハクを『診察』した柘榴ザクロの蛇が、満面の笑みで太鼓判を押す。

 いぶかしげな表情かおをしたスイの蛇が、しつこいくらいにがぶり寄って『タケノコ医者』を問いつめた。


『本当か? 本当に本当か? お前の診察間違いで、実は重~い病気の初期症状だったとかそういうオチは……っっ!!』

『……あんた、ほんっっとうに嫁バカねぇっ!! 間違いないわよ、それが証拠にコハクちゃんのおなかに耳あてて聞いてみなさいっ!!』

『…………良いか?』


 急にひるんだ顔をしたヒスイが、恐るおそるコハクに訊ねる。にっこり微笑ってうなずかれ、火に触れるようにおずおずと妻のおなかへ耳をあてた。


(とくん……とくん……っ)


 聞こえる。『生命いのちの時計』の音が。

 ヒスイの白いしろい頬に、見る間に血が昇ってゆく。涙ぐんで顔を上げ、翡翠の蛇は妻の両手をひしと握った。


『……コハク……ありが……っ!!』

『はいはい、あんまり見せつけないでよお二匹ふたりさん! コハクちゃん、これからはあんまり無理はしないでね? 重いもんなんか持っちゃダメよぉ?』

『そそ、そんなもん持たせるかっ! こうと決まったらこんなところに用はない、帰るぞコハクっっ!!』

『ちょっと! 「こんなところ」って何よ、ごあいさつねっ!!』


 ぷりぷりし出すザクロを思いっきり無視し、ヒスイがコハクを抱き上げる。あわてたコハクが夫の顔をまぢかに見つつ、可愛い声音で口を開く。


『ちょっとヒスイ! 重くない? そんな気を使わなくても良いから……っ!』

『何を言うか、「二匹ふたり」の妻に無理などさせられんっ! コハク、今日から家事炊事その他もろもろは全部我がするからなっ!!』

『あのねヒスイ、妊婦さんには適度な運動も必要よ~……?』


 あきれ顔のザクロが言い終わる前に、ヒスイはコハクを抱いたまま『かがみいけ』へと帰っていってしまった。


『……ほんっと、嫁バカね……』


 深く息をついた『女蛇』が、少し淋しげな笑みを浮かべた。


『さあって、一匹ひとりのザクロちゃんは二度寝でもしますかぁ!!』


 不必要に大きな声を張り上げて、ザクロは寝台にもぐりこむ。そのまま暁を覚えずに、三日ほど春眠をむさぼった。


 夢の中で、まるきり知らないひとに出逢った。……ふわふわと白い、温かな幽霊のような影ぼうし。白い影は三日まるまる夢の中で遊んでくれて、『またね』と言って手を振った。


『……変な夢……』


 目覚めたザクロはつぶやいて、くしゃりと寝乱れた髪に手をやった。それからふわりと口もとを緩めて苦笑する。

 ほんの少しだけ、気分が楽になっていた。


* * *


 やっと。

 やっとだと思う。


 寝台のとなりで眠る夫の顔を見つめつつ、コハクはやわく微笑んだ。

 六年前『生まれ変わった』コハクに向かい、自城しろの中でヒスイは告げた。


『十二から数えて、お前が十八歳おとなになったら抱かせてもらう』と。


 実のところコハクとしてはすぐにでも、文旦ぶんたんけがされた身を清めてほしかった。けれど『コハクを大事にしたい』ヒスイの気持ちもよく分かるから、黙って微笑ってうなずいた。


 そうして、三月前初めて二匹ふたりはひとつになった。そうして今おのれの身の内で、新たな生命いのちが育っている。


 けれども。

 けれども、この幸せは、いろんな生命を洪水で押し潰して生まれたものだ。それが少し悲しくて、それでもやっぱり今はいっぱい幸せで。


 コハクは眠る夫を見つめ、ささやかな声で問いかけた。


『ねえ、ヒスイ。まだいろいろのことを怒ってる?』


 怒るより、笑うほうが気持ち良い。

 殺すより、ゆるすほうがきっと――。


 そう知っているから、コハクはヒスイの胸に手を触れて問いかけた。

 眠るヒスイのくちびるからは、ただひたすらに穏やかな吐息がもれてくるだけだった。


* * *


 恐い。


 ザクロの城の一室の前、ヒスイは歯を噛みしめて迫る恐怖に耐えていた。


 恐い、とんでもなく恐い。

 たとえば文旦の家来どもにアリのようにたかられてとらまえられたときも、これほどの恐怖は感じなかった。今にも息絶えそうに恐い、自分の子どもが生まれるのが!


(子どもがもしも死産だったら?)

(あまりな難産で、コハクが死んでしまったら?)


 恐ろしい考えが山積みになり、息すら出来なくなりそうだ。白い肌からあぶら汗をしたたらせるヒスイの耳に、ザクロの声が飛びこんできた。


『ヒスイ! 生まれたわ! 元気な女の子よっ!!』

『――――っっ!!!』


 声もなく声を上げ、ヒスイが『分娩室ぶんべんしつ』へ駆けこんだ。

 白いしろい部屋の中で、桜のように赤みのさした頬をして、コハクが涙目で微笑っていた。そのとなりに、小さな赤子が眠っていた。


 白い髪に、白い肌。

 ヒスイの足音にすうっと開かれた大きな瞳は、真珠しんじゅのように真白く綺麗に輝いていた。


『…………っっ』


 ヒスイが大きく息を吐き、布団に顔をめりこます。そのまま肩を震わせて、男泣きに泣き出した。


『……っありが……ありがとう……っくっ……うぅう……っ!!』

『過呼吸かっ!!!』


 白衣姿のザクロが思いっきりヒスイの背中をしばき倒す。「ぐわっ!!」と悲鳴を上げたヒスイが、本気で怒って『産婆さん』にがぶり寄る。


『ザクロッッ!! おまっっ!! これ以上ない感動シーンをツッコミでぶち壊すたぁどういうことだっっ!!?』

『合わないわよっ、そんな真面目なシーンあんたにはっ! もっと素直に喜びなさい、ほらほら笑いなさいお父さん!! ゆくゆくはあたしがお嫁にもらったげるわっっ!! おほほほ~っっ!!』

『誰がやるかぁっっ!! 去ね!! 去なんかっっ!! もうはや産婆の出番はないっ!!』

『あら、婆なんて失礼ねっっ!! 「産お姉さん」とお呼びなさいっ!!?』

『黙れおかまがっっ!!!』


 いつもの通りのやりとりに、あっけにとられたコハクがくすくす笑い出す。そのとなりで赤子もにこにこ笑い出し、気を抜かれた男どもも顔を見合わせて吹き出した。


『……この子、綺麗に白いのねぇ。髪も肌も目も透き通るよう……』

『真珠を思わす目をしておるな。見ていると吸いこまれそうだ……』

『「真珠」……「シンジュ」って良くないかな? この子の名前!』


 ぽっと思いつくコハクの言葉に、ヒスイが嬉しげに青い目を緩めた。


『シンジュか……良い名だ。良い名だぞ、コハク! この子の名はシンジュにしよう!』

『あら、即決! わたしの未来のお嫁さんの名は「シンジュ」に決まりねっ!!』

『しつこいわおかまめっっ!! 男のけつでも追っかけていろっっ!!』

『あら、おかまを差別するつもりっっ!? そんなこと言ったらあんたのけつを追っかけてやるっっ!! 待ちなさ~いっっ!!』

『うわぁああぁあっっ!! 助けてくれコハクっっ!!!』


 看護婦のいない『病院』では誰も止め手がいないので、馬鹿騒ぎも収まらない。

 くすくす笑うコハクのとなりで、赤ん坊が呆れたようにあくびした。


* * *


 その晩、ザクロは夢を見た。


 あの白い影ぼうしの夢だった。影は二匹ふたりで遊んでいるうち、だんだんと形がはっきりしてきて、しまいに白い髪に白い肌、白い瞳の少女になった。


『……あれ? あんた、シンジュ? シンジュちゃんじゃないの?』


 ザクロが影に訊ねかける。白い少女はまじまじザクロの顔を見て、それからふわりとはにかんだ。


『初めまして……よろしくっ!!』


 少女はきゅっとザクロの両手を握りしめ、ころころ笑って駆け去った。


 そんな夢から、目が覚めた。

 ザクロは平たい胸へ手をあてて、火照ほてった息でつぶやいた。


『あれ……? わたし何でこんなにどきどきしてるのかしら? ……変ねぇ……』


 微笑いながらつぶやくザクロは、知らなかった。

 そのとき、ヒスイとコハクにはさまれて眠るシンジュも、頬を染めてふわふわ微笑っていたことを。

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