6.~最初で最後の~
師走。
立派で落ち着きのある僧侶でも走り回るほどに忙しい一年を締めくくる月。と言うのは誰でも知っている話だがこの月には他にも沢山の呼称があるらしい。例えば、極月 (ごくげつ、ごくづき)、氷月(ひょうげつ、ひづき)、限りの月、果ての月、除月など。まだまだあるがどれも一年の最後を飾るに相応しい中二病をくすぐられるようなものばかりだ。勿論これは受け売りで最近聞かせてもらったばかりの話なのだが。
マフラーと手袋が手放せなくなった季節、彼女は更にタイツも含まれるようだ。日が沈むのも随分早くなり辺りも暗くなり始めている放課後、校門を出ると年の瀬に向け桜並木にもLEDのフェアリーライトが施され普段より明るく暖かく感じさせてくれる坂道を下っている時に聞かせてくれた。
「中でも私が一番好きなのはねー、春待月。文字通りなんだけどシンプルでロマンチックじゃない?春を待つ、桜を待つ。さくら、つまり私を待ってるってこと?」
「へぇー、それも格好良いな」
「ちょっと、突っ込んでよー!」
変哲もないありふれた普通の会話だ、はたから聞いてもなんの面白味もないだろう。恋愛とはそういうものだ。
彼女の誕生日から早一ヶ月が過ぎた。
そもそも友人の力を借りなければ彼女の誕生日を完全にスルーしてしまうところで黒歴史になりかけたと自分を罵りプレゼントは後日贈らせてもらった。気に入ってくれたか自信はないが今まさに付けようとしている桜をモチーフにしたチャームのネックレスだ。付け終わるとチャームを摘み笑顔を向けてくる。
首元なら見えないはずだが学校内では校則違反に触れるからと、校門を出てから付けるのが日課となっているのが実に彼女らしい。
それから思い返すだけでも恥ずかしいが、あの翌日からは大変だった。
キャンプのメンバーからは、本当は夏休み明けに喰らわすはずだった祝福のセレモニーを二ヶ月も我慢させられたんだと一週間は問答無用でからかわれた。そんな状態なわけで周りも気づき始め二人のことは直ぐに学校中に広まった。特に一年生の間で瀬名朔来は有名人だから彼氏がどんな奴なのか、暫くは小休憩の度に一年四組の前には人集りが出来ていた。興味本位や冷やかしの視線の中に冷や汗の出る重たいものも複数混じっていて、改めて凄い女性と付き合えているのだと感じずにはいられなかった。
「はーい!こちらが学年首席、瀬名朔来さんの恋人の日高東磨くんでーす。皆さん押さないでー、写真は一人一枚までお願いしまーす」
ふざけて後ろから羽交い締めをしてきた和也が人集りの前に出そうとするので抵抗したが本当に何枚か写真を撮られてしまい、後で教室中を追いかけ回した。悠士にも協力を求めたが文庫本を片手に二人のおふざけを微笑みながら眺めていた。
放課後、一緒に帰るところ見られようものなら
「お幸せにー、式には呼んでねー」
「家まで送るのー?親公認いいなー」
など耳にタコが出来るほど聞かされ、その度にタコほど赤くもなった。
「フフ、言わせとけばいいのよ。直ぐに落ち着くわ」
こういう時の彼女の落ち着きようには舌を巻くし、同い年を疑ってしまいそうになる。
「う、うん。朔来が平気なら俺も大丈夫だから」
「うん、ありがとう」
(あぁ、神様こちらこそありがとう!)と特に信仰する宗教があるわけでもないので空に居そうな神様にとりあえず礼を言った。
もう何があっても彼女を信じるし、彼女に頼られ話しても良いと思える男になると誓った十一月の暮れのことだった。
師走も進み中頃にさしかかったある日、今日は彼女が駅まで送ってくれた。取り決めをしたわけではないのだが、何もなく二人で帰る日は彼の駅か彼女のバス停を順番に送り合うようになっていた。
「ねっ」
もう少し話したいなと考えていた時に、後ろからピョンと制服の袖を掴んできた。
「ク、リ、ス、マ、ス。どうする?」
「え、おぉ、ク、クリスマス…」
「ぷっ、繰り返してるだけじゃん」
今まではリビングに小さなツリーが飾られ家族でチキンとケーキを食べる日だった。数年前までなら朝起きると枕元に一応それも届いていたのだが…クリスマスって他に何をするんだ?と脳みそから煙が出るほどフル回転させていると
「とりあえず空けとくから。じゃ、また明日ね」
棚から牡丹餅のような形でクリスマスを過ごす約束が出来たのは嬉しい。が、やはり何をするのか検討もつかなかった。
彼女が見えなくなるまで見送るとすかさずスマートフォンを取り出し友人に助けを求めた。
「なぁ、クリスマスって何をすればいいんだ?」
「そりゃお前…セッ〇スじゃね?」
和也に聞いてしまった自分の愚かさに腹が立ち手に持った電話機を地面に投げつけそうになるのを必死で抑えた。
こんな時はやはり彼女持ちの友人だ。
「悠士たちはクリスマスってどうやって過ごすんだ?」
「そうだな…一日中愛し合うかな?」
(なんということでしょう…なんだこいつらは、こんな野生の獣のような思考の奴しか俺の周りには居ないのか?)
いや、もちろん彼だって年頃なわけで興味がないわけではないし、人類の繁栄のためにという大義であることも理解しているつもりだ。
(けど相手はあの瀬名朔来だぞ?そんな…大それたことを…そんな…朔来の…小ぶりな…)
彼女が徐々に衣服を脱ぎ始め裸になる直前で妄想を止め慌てて揉み消し改札まで走った。
帰宅するとリビングのソファーで南未が雑誌を広げていた。流し目で観るとちょうどクリスマスの特集ページを読んでいたので声をかけるか悩んだ。
(流石に妹からアドバイスを貰うのは情けないか…)
「ねぇ、知ってる?」
自分が興味のあることで相手にも興味を持って欲しい時の彼女は、嬉しそうにいつも目を輝かせながらこう切り出してくる。
「クリスマスっていうのはイェス・キリストの生誕祭、誕生日だと思っている人もいるかもしれなけど生誕じゃなくて降誕祭、つまり生まれてきてくれたことをお祝いする日で、実は新約聖書にもキリストの生まれた日は特定されてないんだよ。でね、今ではその前日みたいに言う24日クリスマスイヴのイヴ、元々これは英語のevening(夜)のイヴなの。だから本当はクリスマス前夜じゃなくてクリスマスの夜ってことなのよ。2000年前のユダヤ暦では一日の区切りを日没にしてたから、今のカレンダーと重ねるとクリスマスは24日の日没から25日の日没で、クリスマスイヴはその中に含まれる24日の日没から日付がかわる深夜0時までのことなんだよ」
久しぶりに雲が少ない快晴の冬空が広がった。冬休み初日にも当たるこの日、東磨は先日聞かされた雑学を思い返しながら地元の駅で約束をした相手を待っていた。
米子方面からの電車が到着し改札に出来る人の流れを目で追う、暫くして彼女は一番最後に現れた。
「やっほー、うぅー緊張するー」
本当に緊張しているのかポーズなのかはわからないが、今日の彼女は一段とお淑やかに見えた。胸元の桜を見て本当にそれで良かったのか雰囲気をぶち壊していないか己のセンスを疑いわするが、服装のせいなのだろうか落ち着いた色合いのコートとレザーのハイカットブーツがまだ16歳の少女を大人びて感じさせているのかもしれない。
「いらっしゃい、来てくれてありがとう。そんな緊張しないで」
「いやいや、流石にするよー」
どうやら本当に緊張していたようだ。
珍しい光景にスマホで撮影したくなる衝動をグッと我慢する。下手したらグーパンチが飛んできそうだ。
「じゃ、行こっか。母親と妹も楽しみにしてるよ」
「う、うん。はぁぁー」
事の経緯は…
あの晩、頭の中で散々葛藤を繰り返したが藁にもすがる思いで恥を忍び南未に相談してみたのだ。
「えぇー!お兄ちゃん、彼女居たのー!?聞いてないよ!
」
「あ、うん一応…それでクリスマスなんだけど何をしたら…」
照れながら助けを乞う兄の真剣な質問など無視をして部屋を飛び出て行ってしまった。
リビングで妹が騒ぐ声とそれに負けないくらいに反応する母親の声が嫌な予感を暗示させる。
暫くすると母親と共に戻ってきた。
「東磨ー、なに彼女いるって?もーなんで言わないのよー。24日のお昼に連れてらっしゃいよ。今年は昼間にパーティしちゃいましょ。デートはそれからでもいいでしょ?東磨の彼女、将来のお嫁さん?うふふー、楽しみだわー」
「お兄ちゃんお兄ちゃん、なんて呼び合ってるの!?チューはしたの!?」
(フラグは台本通りに回収されたが…最悪だ。今まで彼女なんて出来たことなかったから知らなかったけど、ウチの家族ってこんな感じになるんだ。妹を頼った俺の致命的なミスだ、あぁ…ごめんな朔来)
というのは墓場まで持って行く事にして、成り行きで話したら24日のお昼に朔来も是非にと軽い感じで誘われたから気楽に遊びにおいでよ…ね、と説明してみたが予想通り
「ねっ、じゃなーい!もう、どうするの?」
「いやー、ウチの家族結構しつこくて…もちろん朔来が嫌じゃなければなんだけど…」
「…嫌、ではないけど、緊張するし本当にお邪魔していいの?」
申し訳なさ込みで頷いた。
「わかったわよ、じゃあ宜しく伝えておいてね。手土産何がいいかなー…」
という感じで今に至る。
地方都市の更に田舎と呼ばれるカテゴリーに属し周りを見渡せば田んぼと畑が存在感を強く主張してくるこの辺りでは一般的で敷地だけが無駄に広い一軒家。
門を潜り玄関先まで到着すると流石に東磨まで緊張してきた、いや横からゆらゆら流れ込んできてるようだ。コケコッコー!家畜たちも歓迎しているようだ。
「ただいまー」
「おかえりなさーい!お母さん、帰ってきたよー!」
置かれた屏風の奥から激しい足音が近づいてくる。南未だけかと思えば母親も大人気なく走ってきた。
彼女は深呼吸をして姿勢を正すのが目の端に捉えた。
「母さん、南未、紹介するよ。同じ学校の瀬名朔来さん。朔来、ウチの母親と妹の南未」
「はじめまして、瀬名朔来と申します。今日はお招きいただきありがとうございます」
つい先程までの緊張の面持ちなど微塵にも感じれず今の朔来を見ていると本当に同級生か?自分の彼女か?と疑いたくなるほど完璧な女性。凛とした佇まいに落ち着いた表情、その上で謙虚だが美しい礼を見せる洋装を纏った現代の大和撫子。
「まぁまぁ立派なお嬢さん、朔来さんね。ようこそ、いつもウチの子と仲良くしてくれてありがとう。さぁ上がって」
「はじめまして、南未です。お兄ちゃんにこんな美人な彼女さんが居たなんて驚きました。でも、会えて嬉しいです」
「私もです、南未ちゃんって呼ばせてもらってもいいですか?」
この二人は直ぐに打ち解けたみたいで昼食が始まる前には彼女の横を完全に妹に占拠されてしまった。
ダイニングで最後の仕上げをしていた母親がスマートフォンを手に顔を覗かせる。
「ごめんなさいね、パパはどうしても仕事で休めなくて。その代わり沢山写真をお願いされてるの、いいかしら?」
うふふ、と笑いながら朔来と南未のツーショットを収め早速LINEしているようだ。
「いえ、こちらこそ宜しくお伝え下さい。あと…すみません、なんのお手伝いもせずに」
「いいのよ、そういうのは追々楽しみましょう。南未の相手をしてて」
「それでね朔来さん!これは中学の時のお兄ちゃんでね」
そう遠くない未来、並んで家事をしながら沢山お話出来ることを楽しみにしてると含みを見せる母親、ひとの部屋から勝手に過去のアルバムを持ち出して生き生きしている妹。自分の家のはずなのに、なんだこのアウェイ感は…と嫉妬心を働かせたがギクシャクするよりはいいのかと今は静観することに決めた。
何より朔来が笑ってるからそれでいいのだ、と盛り付けてあった鶏の唐揚げを一つ摘んだ。
ターキーレッグにチキンの唐揚げ。カボチャのグラタンにシーザーサラダ、ミネストローネスープ。 中央にはチョコレートの家と砂糖菓子のサンタクロースが飾られた苺のホールケーキ。グラスや食器も煌びやかに配膳された食卓は、とても昼間から四人で食べられる量ではないほど豪華だった。例年のクリスマスから比べても明らかにお母親の気合いを感じる。
「凄い、とっても美味しそう」
朔来は目を輝かせながらこの場合は遠慮すると逆に失礼になると知っていて丁寧ながら見ていて気持ちの良い食べっぷりを披露した。
食事中は次から次へと彼女に質問攻めが続き見かねた東磨がいい加減にしてくれと割って入った。
食事が終わると南未と朔来で洗い物をしだしたので頃合いを見計らって台所へ顔を覗かせる。
「朔来ごめんね、お客さんなのに。終わりそう?」
「お兄ちゃん!あたしにも少しは気遣ってよ!」
「ふふふ、大丈夫よ。もう終わるし南未ちゃんとっても面白いから」
妹がもう少しゆっくりしていけと言わんばかりに不満そうに膨れたが、一応は空気を読んで兄の恋を応援してくれるようだ。
「今日は沢山ご馳走になりました、ありがとうございました」
「朔来さんに戴いたお菓子もとっても美味しかったわ、またいつでも遊びにいらしてね」
「朔来さん、お兄ちゃんも大事かもだけど…またあたしとも遊んでね」
「うん、もちろん。今度は女子会をしましょう」
彼女がチラッとこちらに伺いを立ててきたので、そんな笑顔を向けられたら器の大きいアピールをするしか選択肢はなかった。
「ふぅー、疲れたー。でも楽しかった」
米子へ向かう電車の中で珍しくへばって見せた。
相当気を使ってくれていたようで無理もないと思った。
「本当にありがとう、紹介できてよかった」
「うん、私も。会えてよかった。…でもね東磨くん」
「んー?」
「これ逆があること忘れてない?いつか私の親に会う日が来るかもなんだよ?」
ハッとした彼を見て意地悪そうにクスクス笑う。
二両編成で冬の日本海沿線を走る車窓からは見慣れた田園風景がゆっくり流れた。暖房の効いた車内、心地よい揺れに程よい満腹感と満足感。クリスマスプレゼントにと二人で選んだ揃いの手袋越しに伝わってくる指の形を感じながらお互いに頭を預け少しだけ眠った。
それから数日は年の瀬でバタバタしていたが、心はとても穏やかに過ごせた。
例年、大晦日の夜は紅白歌合戦が始まる頃に年越し蕎麦を食べて、それから父親の運転で毎年大山寺へ参り除夜の鐘を聞き、年を越したら車で少し仮眠を取ってから初日の出を拝むのが日高家の通例行事だった。しかし今年は…
「朔来ちゃん暖かくしてきた?カイロあるから言ってね」
「はい、ありがとうございます」
「朔来さん、見て見て。このヘアピン、桜だったから買っちゃったの。そのネックレスとお揃いだね」
「本当ね、可愛いわ。とても似合ってる」
「朔来さんすみませんねー。ウチのに無理矢理付き合ってもらって。いやー、しかし写真で見るより遥かにべっぴんさんだ」
「こ、こちらこそ。お誘いありがとうございます」
家族行事へ向かうの車中、これまでと違うのは瀬名朔来が同乗していることだ。
(最悪だ…連絡先を交換していた妹経由で母親が誘って勝手にこうなる事が決まっていた。てか母さん、いつの間にかちゃん呼びしてるし…南未、嬉しそうだね。そのネックレスはお兄ちゃんが選んだんだよ…父さん…それはセクハラだ…)
大山の中腹にある駐車場に車を停め寺までは少し歩いて登る。
「ごめんね、ウチの家族本当にうるさくて」
「ううん、羨ましいくらい素敵な家族よ。あっ、さっきは驚いた?」
家を出て少ししたところで大山寺へ向かうのにいつもと道が違うから尋ねると、米子へ寄り道するという。思い返せば三人は笑いを堪えてた気がする。
小一時間ほど走ると何故か見慣れた米子駅のロータリーだった。何をしているのか聞いても誰も答えてくれない。暫くすると車のドアが外から開き彼女が乗り込んできて、言葉が出ない東磨を他所に四人は大喜びだった。
「そりゃびっくりしたよ、本当に知らなかったんだもん。でも、朔来と年を越せると思ってなかったから…嬉しい」
「うん、私も。そういえばさっき香保里さんともLINEを交換しちゃった」
ため息を漏らしたが照れるように頭を搔く彼女を見ていると、名前で呼ぶよう半ば強要したことが容易に想像つく母親への文句の言葉も何処かに消えていく。
他愛もない話を続けて気が付かなかったがいつの間にか除夜の鐘が鳴り出していた。
周りを伺うと家族は少し離れたところに居て、一応気を使ってくれているようだ。
(…3…2…1)
最後の鐘が鳴り響いた。
「あけましておめでとう、今年もよろしく」
「明けましておめでとうございます、こちらこそ宜しくね」
彼の家族とも挨拶を済ませ配られていた甘酒を飲みながら駐車場まで戻ってきた。
日の出前まで仮眠するらしいが彼女は眠れる気がせず、既に寝てしまった南未の顔を眺めその隣に居る彼を想いながら目だけは瞑ってみせた。
(大丈夫、ちゃんと笑えてる。…笑えているよね、私?…君と迎える初めての…最後の新年だもん)
暗い車内で皆寝静まった中、一人誰にも気づかれないよう小さく泣いた。
駐車している周りの車からは年明けのおめでたいムードなのかまだ騒ぎ声も聞こえてくる。
雄大な山の頂きを導るように東の空に昇った月は、新しい年と人々の喜びや悲しみ、苦しみやその想いの全てを包むように静かに灯った。