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5.~キスをした~

6月20日 日高東磨と初めて2人だけで遊びに出かけた。砂浜から水平線を眺めていると、どうしてもこの日記の事を考えてしまい表情が固くなるのを自分でも感じる。彼の前では絶対に明るく居よう。


6月28日 予報が外れて下校時間に雨が降ってきた。折りたたみ傘は持っていたがリサと柚絵に渡した。少しすると日高東磨が現れ傘に入れてくれた。彼がいつも折りたたみ傘を携帯しているのは知ってる。別れ際、自分は大丈夫だからと傘を預け駅へ向かって小さくなっていく背中に、本当はもう少し一緒に居たいのにと呟いた。


7月4日 倉吉へ遊びに行き梨ミュージアムでたくさん梨を食べお揃いのキーホルダーを買った。写真もたくさん撮った。日高東磨が生まれた街の海を見たくて初めて来たけどここも綺麗な水平線だった。大丈夫、楽しい、今日はちゃんと笑えている。




何度も何度も読み返した日記をこの日も噛じるように読んでいた。

たくさん泣いてきたから今はもう涙は出ない。

大丈夫、大丈夫と心の中で言い聞かせる。

鈴虫たちの鳴き声に惹かれ部屋の窓を開けてみると、じんわりと蒸し暑い空気が流れ込んでくる。

少し欠けた丑三つ時の朧月が明日の天気と気持ちの整理のしかたを教えてくれるように淡く光る。



二学期が始まり最初のひと月はあっという間に過ぎた。

今朝は晴れていたのに昼頃には黒い雲が広がり大きめの雨粒が落ち時折稲光も走った。かと思えば数時間後には雲の隙間から陽の光が射し幾つもの天使の階段が姿を現してはまた風に流された雲に消えた。

よくわからない天気だ、まさに自分の心の中を生き写したようだと日高東磨は思った。


花火の日から彼女との関係に何か変化があったかと問われれば、ないとは答えられなかった。いや、関係に変化があったのか気持ちが変化したのか、関わり方なのか…とにかく決して良いとは言えない変化だ。

先にはっきりさせておくが彼女のことは変わらず好きだ。毎朝LINEはしているし、放課後一緒に帰ることもある。

彼女の方はあれから何か変わったようには見えない。あの日以来、あの表情は見ていない。無理しているのかは今の彼では判断出来なかった。

ただ、二学期に入ってから休日に遊びに行くこと、つまりデートはまだ一度もしていなかった。二度ほど彼女から誘ってきてくれたが用事があると嘘をついた。

今の自分が何なのかよくわからない。今日みたいな虚ろな天気が心の模写だとか思っているのだから普通の精神状態でないのは認める。


「来週から中間テストだねー、勉強してる?」


「うん、やってるよ」


「わからないとこあったら言ってね」


「大丈夫だよ、ありがとう」


勉強などしていないし、おそらく理解出来ている範囲の方が少ない。最近は本当に嘘つきになった。

接し方がわからないから教えてくれない?(…なんて聞けたらどれだけ楽だろうな)


翌々週にはテストの結果が出たのだが案の定、彼の成績は散々だった。間違いなく過去最悪だ。

学校の決まりで赤点を取った物は追試で八十点以上取れるまで毎日放課後居残りで補習を受け、週に一度の追試に臨まなければならない。東磨は数学、物理、化学と三教科も赤点を取ってしまい、情けなさや恥じらいよりも先に居残りのテストの結果と補習を受けることを彼女にどう誤魔化すか考えてスマートフォンを取り出した。彼女にはどうしても知られたくなかった。


「ごめん、ちょっと用事が出来ちゃって暫く一緒に帰れそうにないんだ。先に帰ってて」


直ぐに返信があった。


「そっか、わかったよ。用事を終わらせたらまた一緒に帰ろうね」


補習室へ向かう廊下で静かに涙がこぼれた。それに気づいたのはすれ違う生徒が自分を見て笑ったり驚いたりしていたからだった。

それから心ここに在らずで腑抜けのような彼は三教科全ての補習を終えるのに三週間もかかってしまい、その頃には朝のLINE以外で彼女と関わることは殆どなくなってしまっていた。流石に彼女も補習を受けていることには気づいているはずだが何も聞いてこない事が逆に辛かった。



十月下旬のある日、日直当番の東磨は授業後にノートを集めて職員室に持ってくるよう担任の西村に言われた。


「ほい東磨、これもよろしくー。最近どうよ、なんか面白いことはないかい?」


「別に、可も不可もないよ」


和也は相変わらずだが最近は相手をするのも正直億劫になっている、何よりそんな風に思ってしまう自分に死ぬほど腹が立った。

何故だろう、つい半年ほど前まで当たり前に自分の中に存在していた言葉に今は全く納得出来なくなっていた。


ノートの束を抱え下り階段を通り南棟から渡り廊下へ出ると反対側から歩いてくる人影が見えた。最初は遠くて気づかなかったが、見知らぬ男子生徒の隣で談笑して居るのは…瀬名朔来だった。

引き返そうかとも考えたがタイミングが悪かった、今戻れば明らかに不自然な気がする。

気づかれないことを祈りながら外の景色を観るようになるべく二人を視界に入れずに歩く。しかし話し声は両手も塞がっていて防ぎようがない。手が空いていれば本当に両耳を塞いで歩いただろう。

楽しそうな会話が心臓に、脳みそに、身体中に突き刺さる。


「あははー。…あっ、東磨くん」


もう少しですれ違えると思っていた矢先だった、向こうが止まったの反射的に止まってしまった。


「日直?それ職員室に持って行くの?」


「あ、うん…」


手伝うよ、と言って抱えていたノートの束に手を伸ばしてきたので思わず振り払った。


「いいって!…これくらい独りで運べるから」


「あ、うん。…ごめん」


「あいつ、待ってるぞ。早く行けよ」


一度も彼女の目を見ることなく職員室へ歩きだした。

こんな事がしたいんじゃない、こんな話しをしたいんじゃない、あんな声を聞きたいんじゃない。

誰も居なくなった渡り廊下でまた泣いてしまった。

嘘つきで泣き虫で天ノ弱なクソ野郎になったとしても時間は決して止まってはくれないし、やり直しなどさせてはくれない。そんな事を嘆くこの時ですら時計の針は決して無情にも進み続けるだけだ。



11月も半ばを迎えると冬はもう直ぐそこまで来ている。山陰地方の冬は長い。雪が降ることは少ないが日本海から吹きすさぶ北風は容赦なく気温を下げる。


「東磨ぁ、帰りジャクバ行かね?」


「いいな、最近行ってないや」


十一月十一日はポテトの日と題してチェーン全体でキャンペーンを展開しているようだがこの店では平日の夕暮れという事もあり店内は閑散としていて、自分たち以外に学生のグループと老夫婦の二組が居るだけだった。

相変わらず大きな口で二段パテの名物バーガーを頬張る彼を尻目に、こちらも量こそキャンペーンで二倍だが相変わらずポテトでマスタードソースを捏ねていた。


「あっ、瀬名さん!」


和也が入口の方を激しく指すので思わず振り返ってしまった。ちょうど老夫婦が店から出ていくところだった。


「なぁ、東磨。そろそろ話してくれよ。俺だけじゃなくてさ、悠士や飯田さんや本間リサも皆心配してんだよ」


「なんだよ心配って、俺は誰にも迷惑なんてかけてないだろ」


ばつが悪そうにストローを咥えた。


「誰も迷惑をかけているなんて言ってないだろ、友達としてお前が心配なんだって言ってんだよ」


東磨は言葉が出てこなかった。


「夏休み明けてからだよな?お前がおかしかったのは。最初は様子を見てたけど明らかに瀬名さんと距離を作ってるよな?」


東磨はまだ黙っていた。


「何があったんだよ?キャンプの時あれだけ浮かれてて、なんか羨ましかったから二学期始まったら散々からかってやろうって皆で話してたのに。本気で嬉しかったのに…あの時の笑顔はどこ行ったんだよ!?」


熱が入りつい声が大きくなって学生グループが注目してきたが直ぐにあちらはあちらの世界へ帰っていった。

頑として黙秘を貫こうとしたが彼の目からは涙がこぼれて始めた。


「お、おい…ちょっと待て、場所を変えよう」


東磨は俯き紙ナプキンで顔を覆ったが次第に啜り泣く声が大きくなっていき今度こそ流石に注目されてしまった。


駅前のロータリーには疲れた背広を着て駅から出てきたサラリーマンやこれから外食に向かうと思しきタクシーに乗り込む家族連れ、犬とジョギングをするピンクのウエアを纏った若い女性に米子白鳳高校の生徒もちらほら駅構内へ入っていく。ここは様々な人の人生が休むことなく交わらないようにすれ違っていく場所だ。

二人はロータリーの脇にある人通りの少ないベンチに腰を下ろした。

今度は和也も黙っている。

おそらく彼が話し始めるまで待っているのだろう、暫く沈黙が続いた。


「…わからなくなったんだ」


「…うん?」


彼に話の腰は折らないからと先を促され、東磨は話の切り出し方を選ぶようにゆっくり深呼吸をした。


「瀬名さんの何とも言えない悲しい表情を見たんだ。初めて見たのは付き合う前だった」


「うん」


「最初は俺が何かしてそんな表情をしたのかと不安になったけど、多分違うかな?無意識なんだけど原因は別にある、…上手く言えないけどそんな気がする。その顔が頭から離れなくてさ、告白するのになかなか踏ん切りがつかなかったのもそれでだったんだ」


「…そっか」


「付き合ってからは本当に楽しかったよ。どうしてもあの表情を思い出しちゃう時もあったけど、それでも楽しさの方が全然大きくてそんなのは吹き飛んだ。…でも夏休みの終わりに中海の花火を二人で見に行ったんだけどさ」


あの日の出来事と東磨自身が抱いた感情を目の前で真剣に聴いてくれる友人に包み隠さず話した。二ヶ月以上経っているのに昨日の出来事のように思い出せる。


「それで俺、何も出来なくて。話せる時が来たら話すから今は何も聞かないでって…」


「…なるほどなぁ、来年の話をしたら泣かれた、か。確かに理由がわからん話だな」


東磨は頷きまた俯いた。


「んーでも、要するにだ。瀬名さんはお前に「待ってて」って言ったんだろ?だったら、黙って待ってればいいんじゃねーの?」


「そんな簡単な話じゃねぇよ!心配なんだよっ!」


和也の言葉に顔を上げ声を荒らげ、近くを通り過ぎるサラリーマンが怪訝そうな顔を向けてきた。


「…確かに当事者にしかわからん部分はあるよ?でもな、お前が心配してるのは自分のことなんじゃねーの?不安で堪らないから安心したいだけだろ?」


「何も知らないくせにわかったような事を言ってんじゃねーよ!」


「あぁ、わからないね!惚れた女のことを信用もせず自分可愛い可愛いしてる奴のことなんてな!」


「あ?なんだと?」


「東磨、お前の気持ちも本当はよくわかるし俺だってそんな出来た男じゃない。殴って気が済むなら後で幾らでも殴らせてやる。でもな、これだけははっきり言ってやる」


一瞬、我を忘れて殴りかかりそうになり彼の胸ぐらを掴んでいた東磨だったが拳を下ろし再び黙った。


「惚れた女をもっと信じろよ。お前が心配して不安になるってのは、彼女を信用してないって言ってるのと同じなんだぞ?」


「なっ…」


何か反論したいが全く言葉が見つからない。

頭からバケツいっぱいの水をかけられたような衝撃を受けた。悔しいが彼の言っていることは全て正しい。最初から和也が導いいてくれるという期待があって、最後までちゃんと言ってほしくて彼は反抗的に声を荒らげてしまったのかもしれない。


項垂れたまま泣いていた彼が蚊の鳴くような声で「…ごめん」と言ったが和也にはちゃんと届いた。


「…見てんじゃねーよ、誰にも言うなよ」


「明日の昼のカレーパンで手を打とう」


東磨がそっぽを向いたまま親指を立てるのを見て彼が笑うので連れるように笑ってしまった。


「あっ、しまった。いい雰囲気のところ悪いけど急がなきゃ。まだ終わりじゃないんだ」


東磨は首を傾げる。


「今日が何の日か知ってるか?」


スマートフォンを確認したがカレンダーには特に書き込みはない。ふと先程のバーガーショップを思い出した。


「あ、ポテトの日?」


彼は天を仰ぎわざとらしい溜め息をしてみせた。


「いいか11月11日、今日は瀬名朔来の誕生日だ」


和也はポケットからスマートフォンを取り出し何処かに電話をかけだした。通話の最後で「わかった、今から向かう」とだけ聞き取れた東磨に「こっちだ」とだけ伝え走りだした。


すっかり陽も落ちこれから帰宅するのだろうか、車のテールランプの列の横を彼の背中を追いながら思いっきり走った。

東磨は彼女のことを考えていた。


(俺は本物の馬鹿だ。瀬名さんが俺に何か嫌がることをしたか?逆に今までどれだけのことをしてくれた?そりゃ願わくば好きな人にはずっと笑っててもらいたいけど、多分そんなことは不可能だ。怒ったり悲しんだりもするだろう。そんな時に俺が拒絶してどうするんだ?和也の言う通りだ、俺は本物の大馬鹿だ)


駅からかなり走った、大通りの交差点を渡り飲み屋街の酔っ払いどもを潜り大学病院の脇を抜けていく。


(あれ、ここって…)


「もう少しだから急げ!」


湊山公園内に入っても和也は速度を落としてくれない、流石にキツい。駐車場も抜け遊歩道を通り、中海を望むあの丘へ向かっているのだと気づいた。


「はぁはぁ…あとは一人で行け」


急に立ち止まって振り返り東磨の目を見て言った。


「はぁはぁ…ありがとう」


再び走り出した友人に(がんばれ)とエールを送りその場に座り込みながら見送った。


「はぁはぁ、あと少し…」


「はぁはぁ、この先なんだ…」


公園はあの日とは全然違う景色だった。人影は殆どないし、屋台の明かりも提灯も音楽もない。街灯がポツポツあるだけで普段はこんなに暗いのかと思った。

知らない場所だと思えばそうなりそうだし、初めて来る場所だと言われればそれを納得してしまうかもしれない。湿気が混じっていた夜の暑さも今はもうない。


「それでも…それでもあの日、確かにここに居たんだ」


最後の階段を駆け上がると、その場所に彼女は居てくれた。


「はぁはぁ…」


直ぐに言葉が出ないのは全力で走ってきたからではない。


「あの、俺…ごめんっ」


「何がごめんなの?」


「…俺、瀬名さんのこと大好きなのに、大好きなはずなのに傷つけるようなことをしてばかりで」


「…そっか」


「本当は用なんかないのにどんな顔して会えばいいかわからなくて誘いを断ったり、テストで追試を喰らったのをバレたくなくて嘘をついたり…」


「…そっか」


「こんな事がしたいんじゃない、こんなのと言いたいんじゃないって頭では思うのに冷たい態度を取っちゃったりとか…」


「…そっか、もういいよ。大丈夫、全部わかってるから」


微笑む彼女の言っている真意が掴めなかった。


「冷たくされちゃうのも避けられちゃうのも、私のことを考えて悩んでくれてたからだって、心の中にいつでも私が居るんだってわかってたから。…それに、たとえ東磨くんが私を見なくなったとしても私がちゃんと東磨くんのことを見てるから、大丈夫だよ」


「名瀬さん…」


「でも」語気を強くして彼の方へ一歩近づく。


「いつかの渡り廊下ですれ違った時に「早くどっか行け」みたいに言われたのは流石にショックだったなー」


正確には「早く行けよ」だけなのだが東磨は青ざめて謝罪し頭を深く下げた。


「じゃあ、一つ言うことを聞いてくれたら許す」


人差し指を立てもう一歩近づく。


「…わかった」


「…これからは下の名前で呼んで」


「え、あ…う、うん」


彼女が更に一歩近づく。


「やっぱりもう一つ、名前を呼んで好きって言ってキスをして…くれたら許す」


了承して東磨も一歩近ずき深呼吸をしてから彼女の肩に手を添えた。


「さ、朔来…大好きです。…あと遅くなってごめん、誕生日おめでとう。生まれてきてくれてありがとう」


彼女は驚き目を見開いた。

溢れて止められない涙をそのままにそっと目を閉じた。


「…ずるい、私も大好き」


あの日とは違う涙と、本当のキスをした。



少し離れたベンチから様子を見守っていた四人は円満解決に満足して帰路に着いた。


「安田は日高とバーガー食ってたんだろ?俺たちは何も食わずに頑張ったんだ、今からラーメン奢れよ。腹ぺこだ」


「ったく、じゃあ俺がとりあえず払うから明日東磨に請求しとくわ」




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