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4.~キスをする~

わたしは日高東磨を好きになる

そして、わたしは日高東磨を殺してしまう



4月3日 入学式の帰りにリサに誘われ立ち寄ったファストフード店で初めて彼を見つけた。入口から一番近い席に居る二人組の男子高生、背を向けているのが日高東磨。向こうもこちらを伺っているようで彼の顔が少しだけ見れた。


4月13日 二限の移動教室の時に体育館脇のゴミ置き場で彼はしゃがみ込んでいた。よく見ると猫と遊んでいるようで、その表情は校内で見かける時より幾分か優しそうだ。


4月26日 昼休みに中庭のベンチで談笑する彼を三階から眺めた。隣に居るのは同じクラスの安田和也と村山悠士、わたし自身も彼らの友人になるのは少し先の話し。


昨日までの熱帯夜が納まり鈴虫の音色が震える体をなだめてくれようとしていが、次第に月光は雲に遮られ暗闇が街に覆い被さっていく。それは自身の心の中と似ている気がした。

読んでいた項を閉じ読書灯を消す。

身体を横にして少しでも眠れるように祈る。




夏休みも後半にさしかかると夢のような時間が終わりを知らせ、いよいよ現実が姿を見せ始める。終わらない宿題、レポート、感想文。迫り来る始業式。


「休みも残り少しだね、憂鬱だぁー」


「だねー、でも学校始まればいい事もあるよ」


彼女のいい事とはなんだろう?…送ったスタンプの熊のように首を傾げた。


「東磨くんに毎日会えるじゃん」


語尾には心臓の形をした絵文字が二つ添えられていて、左右に揺れるように動いている。


瀬名朔来と付き合い始めたあのキャンプからもう直ぐひと月が経とうとしていた。

しかし、だからと言って恋人同士になった瞬間から劇的な変化が訪れるのを期待すれば、それは裏切られることの方が多いのは多くの人が経験しているではないだろうか。彼らにしたって同じだ。恋人とは?付き合うとは?デートとは?など日々自問自答を繰り返し手探りで何かを掴もうともがいていた。

ただ瀬名朔来は…彼女はいつだって東磨の欲しい言葉をくれ、その度に妹からは罵られている。

彼女にはまるで自分たちの未来が見えていて道に迷わないよう足元を照らし導いてくれているような気がした。


このひと月、恋人として何度か遊びに出かけた。

約束をしていた海水浴はシーズンに入り賑わいを見せる皆生海岸へ向かった。海の家の更衣室から出てきた水着姿の彼女を見た時は雷に撃たれたような感覚があった。二つに結ばれた黒い髪、着太りするタイプなのだろうか?スレンダーだとは思ったが想像していたよりもずっと細かった二の腕、太もも、小ぶりだが形の良さそうな二つのちぶ…


「もう、あんまり見ないで!ほら行くよ!」


恥ずかしがりながら水中メガネをして大きな浮き輪を腰にはめ彼の右手を掴みながら波打ち際へ突進していく。

到着するまでのバスで聞いたのだが、彼女は運動が全く駄目で水泳の授業でも五mしか泳げなかったらしい。

思い返せば後夜祭で踊ったフォークダンスのステップやリズム感も、キャンプ場で自ら提案した青春ごっこの全力疾走も何処か違和感がありそれを匂わせる節はあった。色々完璧な部分が多いからこそ、そんな素顔も魅力の一つ一つに足されていく。


「何ニヤニヤしてるの!?やらしいっ!」


彼女を乗せて静かに揺れる浮き輪の紐を引きながら思い出し笑いをしてしまったらしく、後ろから水を浴びせてくる。慌てて避けようとした彼は紐を強く引いてしまいバランスを崩した彼女は浮き輪ごとひっくり返り海に落ちた。足は十分届く浅瀬なのだが直ぐ彼にしがみついてきた。


「もうっ!…あっ、きゃっ!!」


緊急事態とはいえ余りの密着状態に耐えかね東磨を突き飛ばした。


「痛ってー、ひでーな」


「ご、ごめん、だって…」


余程恥ずかしかったのか海面に顔半分を隠し泡をブクブク作っていた。


「あ、あの、別に東磨くんが嫌なわけじゃないんだよ…」


再び泡をブクブクしだす。


「ったくー、気にしてないよ」


笑顔で言ってくれる彼に何か返したくて浮き輪を被り直してからスーッと近づいて誰にも見えない海の中で優しく手を繋いだ。

テトラポットに打ち寄せる波しぶきの向こうに見える水平線から、どこまでも高く登り続ける入道雲が青より青い空を染めていた。



お盆は島根の親戚の家で過ごすのだと電話越しに聴いて少し落胆した。他愛もない会話の中で宿題は捗っているか尋ねられたので全然だと答えた。


「じゃあ明日、米子図書館に集合!十時ね!」


米子駅からバスに乗り十分ほどで着く場所に図書館はあり、市役所や市立美術館などもその一区画に纏められている。先に挙げた三つの建物は褐色系のレンガ調に統一されていて、それぞれを繋ぐ通路や広場は石畳が敷き詰められ植えられた木々の青と調和し何処か異国情緒を醸し出している。


市役所前で降車し一本細い路地を入ると図書館は直ぐ目の前に見える。夏休みだからだろう、同世代が何人もそれぞれの目的の為に図書館の入口を潜っていく。少し早かったか、と広場にあるベンチに腰掛けた瞬間スマホが震えた。


「もう、なんでこんなに早いのよ!」


不思議に思ったが直ぐに合点がいって辺りを見渡すと入口近くのベンチから立ち上がりスマホを向ける彼女の姿があった。


「は、早いね」


「東磨くんだってじゃん、もぉー」


この頃には既に彼らの待ち合わせ時間は約束より三十分も繰り上がっていた。



① x³-3x² y+3xy² -y³ =(x-y)³

② x³-y³=(x-y) (x²+xy+y²)

③ x³+3x²y + 3xy² +y³ =(x+y)³


「…わかりません」


「…あはは」


「ごめん、俺馬鹿で。特に数学は…」


「大丈夫だよ、ウチの高校に入れただけでも全国平均よりは上だし。因数分解はね、そのまま解こうとしても時間がかかるだけで労力の無駄だから公式を覚えることがが大事なの」


自習室だと机が一人ずつで仕切られているので、隣の多目的室の長テーブルに並んで座った。


「この場合は三次公式だね、公式を当てはめて、ここをこうすれば…」


ペンを動かす度に漂ってくる甘い香りに胸が高鳴っていた。とてもじゃないが今の状況で彼女を直視できない…いやそもそも今は彼女じゃなくノートを直視しなければならないのだが。


「他の式もそれぞれ公式を覚えて当てはめれば簡単に解けるようになるから慣れるまで反復演習だよ、わかるまで何回でも説明するから頑張ろう」


「あ、うん、ありがとう」


何をやっているのだ、真剣に教えてくれる彼女に対してあまりにも失礼ではないか。と、自分を罵り深く深く深呼吸をし真剣モードに切り替えた。


「そうか、これなら…よし!解けたっ」


「東磨くん凄い!もう因数分解は完璧じゃない!?」


小一時間ほど彼女に助言を貰いながら問題集に載っている因数分解を片っ端から解いていった。大切な彼女、という贔屓目を抜きにして瀬名朔来の人に教える力は素晴らしかった。


「いやいやマジで名瀬さんのおかげだよ、凄いわかり易いし俺まで頭良くなったみたいに勘違いしそう」


「私は東磨くんが本気出せば私なんか直ぐ追い越せるって思うよ」


「それはない」と首を振り否定する彼を否定しようとしたが、今日は頑張ったのだしと労うよう一緒に笑った。



夏休みもあと数日というところで学校の課題は九合目まで辿り着き、残りも一週間で終えれるよう万全の計画を立てた。今までの人生で一番のしっかりした夏休みだ。全く、つくづく男ってやつは…


「来週、中海の花火見に行こう?」


「東磨くんが宿題をちゃんと終われるよう計画的に出来てたら行ってもいいよ?」


要するにそういうことなのだ。


当日、父親のお下がりの甚平を着て米子駅前のロータリーに居た。流石に今日は人が多い、自分の服装も全く浮いておらず同じような格好の人も目立つ。花火は

六時四十五分からで場所取りもあるだろうし、その前に屋台も巡りたい等と時間を逆算して駅に五時でと約束をした。

ロータリーに備え付けられた時計は四時十分を指し、暇潰しに聴いていけと言わんばかりにツクツクボウシがテンポよく歌を奏でる。


「ごめんなさい、早めに家を出たんだけど下駄が思ってた以上に歩きにくくて」


約束の十五分前に現れた彼女は息を切らせ気味に頭を下げてきた。


「いやいや、俺も今来たとこ…だし。そもそも全然時間前だし」


頭を上げた彼女にハッとさせられた。


「…てか浴衣似合ってる。髪型も、すげぇ可愛い。」


「あ、ありがと。東磨くんも格好良いよ」


ここから花火会場のある湊山公園までなら歩いてでも行ける距離だが、彼女の足元が気になりバスで向かうことにした。


花火会場が近づくにつれ道路は混み、歩道には雑踏が出来ている。バスを降り公園の敷地内に入ると普段のこの街からは想像も出来ない人の多さでスピーカーから流れるお囃子がかき消されるほどの活気があり、より明るい方へと彼女の右手を取り歩き出した。

屋台も予想以上に出ていて「あれ食べたい」「こっちも見よう」「あー、金魚すくいも」と、これまた予想外の彼女のテンションに着いていくのに必死になり、いつの間にか引いていた手が引かれるようになっていた。ただ足は大丈夫そうだなと安堵した。


「そろそろ時間だね」


りんご飴を舐めながら目を輝かせ腕に寄りかかってきた彼女の横顔はとても綺麗だ。


ひゅーーー、ドーーーン!!


「わぁ、綺麗」


生憎、彼女のテンションまで計算には入れてはおらず、場所取りどころではなくなってしまい立ち見になってしまったが、人の流れに乗りよく見える丘の上まで来られていた。

開幕いきなりのスターマインだったが打ち上がっても東磨はまだ彼女から目が離せずいた。綺麗、だけど何処かあの時の悲しそうな表情にも見えてしまう。


「凄いね!」


暫く花火を眺めていた彼女が耳に顔を近づけ話しかけてくる、いつもの笑顔に戻っていた。


「うん。あー、あれは牡丹だね。あっちは菊だ。割れて放射状に広がった光が尾を引いてるかどうかの違いでね、火薬の詰め方や量を変えるとあんな風になるんだよ。あっ、あれは色彩柳だね…あっ、ごめん」


「フフ、花火詳しいんだ?」


「あっ、うん。家の近所に花火師さんの作業場があって小さい頃に見に行ってたんだ」


へぇ、と納得した彼女は「じゃあ、あれは?あれは?」と興味津々に聞いてくる。

何となく恥ずかしくて花火が好きだということを誰にも話せたことなかったんだけどな…


「…来年も見にこようね」


嬉しくてつい勢いと雰囲気に任せ一年後の約束を口にしてみたが急に空気が変わったのを彼も感じた。


「…瀬名さん?」


横を向くと、瞳から頬へ光の筋が落ち花火が爆ぜる度に反射していた。


彼女を正面に向けてどうしたのか聴こうとした瞬間だった。

涙が溢れ続ける瞳を瞑った彼女の顔がゆっくり近ずいてくる。まるで自分たちだけがスローモーションの中に居るように、ゆっくり唇と唇が触れる。その不思議な時間の中で唇の感触だけが妙に生々しく脳裏に焼き付くようだった。

どれくらいそうしていただろう?

彼は目も閉じれず身動きもとれなかった。

気づいた時は彼女の唇はもう離れていた。


「…ごめんなさい、いつか話せる時が来たらちゃんと話すから。だから今は何も聞かないでほしい…ごめん」


前にもあった気がするが、この夜も東磨は自分がどうやって帰路に着いたか全く覚えていない。いつ花火が終わって、何処で彼女と別れたのかも。別れ際まで手は繋いでいた気がする。

頭の中はグジャグジャだが、あと数回眠れない夜が明ければ始業式はもう間もなくだった。

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