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1.~さくらの咲く日々に~

わたしは日高東磨を好きになる

そして、わたしは日高東磨を殺してしまう




風は潮の香りを運び、朝日はまだ靄のかかった街に新しい一日を告げる。

月明かりに光る銀色のキャップが横に転がり剥き出しのままの鉛筆が開かれた日記帳に挟まり栞代わりとなって窓からの風にパタパタ捲れる。

記されたページを見つけたのはここがまだ夢の中なのか既に覚めたのか判断出来ない、自分の部屋のはずなのに一面が灰色の霧で覆われているような、それは五分か七分咲きの桜の露が溶け輝き揺れるある明朝のことだった。



「暖かな春の訪れと共に、私達210名は県立米子白鳳高校の一年生として入学式を迎えることが出来ました。

校門に咲き誇っている桜の花がまるで私達を歓迎しているかのようでした 」


声で女子だとわかる。おそらくは入試トップの成績を収め新入生代表として挨拶をしているのだろう。

姿は見えない、前方を覗き込めば見えなくもないだろうがそこまでする理由も興味もない。


(退屈だな…)


日高東磨(ひだかとうま)は前後左右の同級生を何気なく見渡し心の中で呟いた。

電車に乗っている時間だけでも小一時間、中学からの知り合いが殆ど居ないからこそわざわざ自宅から遠いこの高校を選んだ訳でもあるのだが。

ここ鳥取県立米子白鳳高校は県内では上から数えた方が早いレベルの偏差値でそれなりの進学校である。特別進学科クラスと普通科クラスがあり特進が一、二組、普通科が三、四、五、六組で一クラス三十五名一学年二百十名が無事全員入学したのである。校内には誰もが知る序列制度があり特進科と普通科を跨ぐことは出来ないがそれぞれ特進クラスの一、二組と普通科の三、四、五、六組間は進級時に試験の成績順で組み分けされる。つまるところ勉学で言えば一組が一番優秀で六組が一番劣等で新入生の場合は入試成績順ということになる。稀に三組の上位が二組の下位を超すことはあるが普通科の生徒が特進に上がることは通常は先ずない。



校長式辞、PTA会長式辞、祝電披露…意識してそれらを遠くに聴こえるBGMに変換していた。式の進行は順調そのもののようだ。

入学式が終わり新入生は各教室へ向かうよう角刈りで体格も声量も良い教諭がマイクも使わず指示を出している。怒鳴りつけていると表現してもいいかもしれない。入学式の会場で、しかも保護者も列席の中でそんな態度がとれるのだからなかなかの名物教諭なのだろう。


東磨は四組に居た。

可もなく不可もなく、まさに自分に相応しい成績に満足な様子で横に友人でも居ようものなら肥大させた話を雄弁したであろう。

可もなく不可もなく、彼の好きな言葉の一つだ。他にも挙げるなら、月並み、平凡陳腐、B級グルメ、最高ではないが最悪でもない等。

ここから彼の内面をある程度紐解くことが出来るのではないだろうか。

彼がそういう人間であると紹介している内に後ろの席に誰か座った感覚があった。

東磨は声をかけようか迷った。一瞬躊躇したぶん遅れをとり振り返ろうとした瞬間に右肩をコツコツ叩かれた。


「よう、俺は安田和也(やすだかずや)。三中、よろしく」


屈託のない笑顔に東磨は面を喰らった。


「お、俺は倉吉二中」


しまった…名前を伝えていない…

慌てて付け加えようとする前にツッコまれた。


「ヘぇ、あっちからか、遠いな。で、倉二の誰だよ?」


「ひ、日高東磨、よろしく」


掴みとしては上々の笑いだっただろうかと苦笑いでくだらない負け惜しみを考えながら会話を続けるか迷っていたところに、タイミング良くか悪くか担任と副担任と思われる教諭が登壇した。

ホームルームが終わったら今度は俺から話しかけてみるか。

担任の西村という教諭が、楽しく元気に可もなく不可もなく一年間宜しく頼む、という挨拶を口にしているところだった。



パテが二段重ねになった店イチオシのバーガーをコマーシャルのように大きな口で頬張る和也の横でマスターのソースをポテトで捏ねくり回しながらボーッと彼の様子を東磨は眺めいた。地元のファストフードバーガーショップ、ジャックバーガーに寄っていこうと誘ってきたのは和也からだった。


「東磨は部活とかどうするんだ?月曜は新歓と部活紹介だってよ」


オーロラソースを口角にトッピングしながら和也が尋ねてきた。


「うーん、部活かぁ。」


中学では一応野球部だった。一応というのはさほど精を出していたわけでもないし、かと言って幽霊部員としてサボっていたわけでもない。

甲子園を目指すなど露ほども思えないし何より頭を刈り上げてまでやりたいと自分は到底思えない。

ここでも彼は座右の銘を貫いていた。


「和也は?」


彼の視線が東磨の頭よりやや右上を見据えている事に気づいた。


「…どうした?」


「あれ…」


周囲に気づかれない程の小さな仕草で顎を視線と同じ方へ促す。

東磨が振り返るとレジで注文待ちをしている幾人かの中に三人組の女学生が目に留まった。

数秒間が空いてから合点がいった。


「…あぁ、ウチの生徒だな。知り合いか?」


「総代だ」


「えっ?」


和也が初めて触れる単語に戸惑うと


「新入生総代、要するに入試トップ通過の才女さま、あの真ん中の子」


「へぇ…あの子が」


先程の新語を脳内辞書にインプットしながらさり気なく視線を向けた。

三人とも同じような背格好で、口元に手を当てながらクスクス笑っている。好みは人それぞれだろが客観的に見ても間違いなく可愛いの部類に入る人種だろうと思った。


「容姿端麗、頭脳明晰…あとはなんだ?スポーツ万能で絶対音感を操り人望も厚いお金持ちのお嬢様か何か?」


「そこまではどうかな?でもまぁ、俺たちみたいな庶民には縁のない別の世界の住人だろうな」


お手上げポーズを作りながら東磨は鼻で笑った。

その後、彼女がどこの席に着いたのか、そもそも店内で食べたのかすら東磨は知らない。その日はもう彼女の姿を見ることはなかった、彼の頭の中以外で。



桜の木々もすっかり青くなり新しい制服も校門までの緩く長い坂道にも慣れてきた。

ゴールデンウィークが明け高校生活も一ヶ月が過ぎそれぞれが各クラスでの自分の立ち位置や人間関係が定まりつつある頃、東磨は彼女と初めて喋った。きっかけは機械的なことだだった。


米子白鳳高校の校舎は北棟と南棟があり二つが平行に並ぶようにして中央に渡り廊下がある、上から見ると片仮名のエだ。

東磨たち普通科の教室は南棟、特進クラスやその他の専門教室は北棟となっているため普段普通科と特進クラスが交流することは滅多にない。


[一年六組日高くん、繰り返します、一年六組日高くん、至急職員室西村のところまで来てください。]


休み時間に入り和也と最近話すようになった村山悠士(むらやまゆうし)と購買部へ昼食のパンを買いに行こうと廊下を歩いている時だった。


「げっ、なんだよ…悪い、俺のパンも買っておいてくれないか。カレーパンとツナサンド、あとカフェオレ」


友人たちに五百円玉を渡し踵を返して職員室へ向かう。遠くでブラスバンド部の昼練だろう、タイトルは知らないがどこか聞き覚えのある曲の演奏が始まっていた。

職員室は北棟一階の大部分を占めるなかなかの広さがあり入学してから一度しか訪れていない彼は担任の西村を見つけるのに難儀した。


「おーい、こっちだ」


整然とワークデスクが並ぶ部屋の奥から座ったまま手を振り呼ぶ担任の姿を見つけた。

西村の前に一人生徒が立っていた。東磨の方からだとちょうど背を向けており誰なのかはわからない。

手を振る方へ近づくにつれ脈が僅かに狂れるのを感じた。あの見覚えある背格好、真っ直ぐな黒髪…既に記憶の片隅に追いやられていたがこの女子を彼は知っていた。


「悪いな、飯もまだだろう。手短にいこう。」


自分も早く食事がしたいんだと言わんばかりに世話しなく話しかけてきた担任の男性教諭を横目に東磨は凛と佇む隣の生徒に関心を寄せた。


「瀬名だ、一特の。瀬名、こっちはさっき話したウチのクラスの日高」


一特とは一年生特進クラスの略称なのだが普通科にはそういう略称は存在しないようだ、少なくとも東磨が入学してからの一ヶ月では耳にすることはなかった。

教諭に紹介され彼女は初めて東磨に向き直り会釈をした。


「はじめまして、一組の瀬名朔来です」


(自分たちとは住む世界が違う…)緊張しているのか人見知りなのか、それとも元より自分なんかに興味はないのかわからなかったが、前に何処かで話した和也とのやり取りが蘇り東磨のはなんとなく取っ付き難い印象をもった。彼女の小さな動きで仄かに甘いシャンプーの香りが漂った。


「どうも、四組の日高です。…あのこれはなんの集まりなのです?」


自己紹介もそこそこに担任へ救済を求めた。


「今月末に体育祭があるのは知っているな?実はその実行委員を各クラス一人決めなくちゃいけなかったんだが、俺がうっかりしてて委員の決定期限を過ぎてしまったんだ」


バツが悪い時に頭をかく癖は一ヶ月程の付き合いだが見慣れた。真面目で生徒からの人望もそれなりにありそうだが偶に抜けている。


「で、ウチのクラスの実行委員を日高に頼めないかと思って来てもらったんだ。ちなみに瀬名は学年実行委員長だ」


隣で頬を紅潮させ俯き加減で耳に髪を掻き上げる仕草を目の端で捉えた。


「なんで俺なんですか?」


他意はなく素朴な疑問として正してみると教諭の方がが女生徒に目で伺いを立てたように見えなくもなかった。


「 いやまぁ…とにかく時間がなくてだな。誰でもいいと言うわけじゃないんだが、クラスで他の委員会や部活動をしていない生徒に片っ端から頼もうと思ってて…たまたま日高が最初というわけで…」


西村は目を逸らして再び頭をかいた。

彼は担任の言い回しを頭で復唱し何故違和感を覚えたか思考を巡らせたが


「なるほど…まぁいいですよ」


ポーズで溜め息の仕草を入れてみたものの普段なら絶対断るはずの自分の決断に少し驚いた。しかしその一方で奉仕精神など自分には皆無なのは承知だし、引き受けた理由はわかりきっていた。


(下心丸出し…だな)普段なら縁のないこういう人種に単純に興味が湧いたのだ、認めたくない自分の心の中で繰り返し言い聞かせた。気づかれないよう彼女を盗み見ると相変らず俯き加減だが僅かだが表情が緩んだように感じた。


西村に礼を言われ瀬名朔来と職員室を出た。それぞれ教室に戻る別れ際に


「じゃ、じゃあ、放課後西村先生に言われた通り生徒会室で実行委員会議があるから出席してね」


声に張りはないが優しい目で自分を捉えてくれていると感じた、もちろん誰にでもそうなのだろうが。暗く冷たい最初の印象はこの短時間の内にこれっぽっちも残っていなかった。(全く男ってやつは…)


「う、うん、これから宜しく」


「こちらこそ、宜しくね。日高東磨くん」


軽く掌を向けて小走りで階段の方へ去っていった。

渡り廊下を歩きながら今のやり取りに違和感を覚え心臓が小さく跳ね腹の減りが治まった。


…えっ、下の名前教えたっけ?


放課後、生徒会室の扉をくぐると長テーブルをロの字に囲み集まった生徒たちは着席していた。一年四組と書かれた立て札の置いてある席に腰を下ろし周りを伺った。昼間に呼び出しを喰らい教室へ戻ると東磨の席を囲い和也と悠士が昼食を済ませようとしていた。


「おかえりー、なんだった?」


「あー、いやなんか体育祭の実行委員を任された」


席に着いて頼んでおいたカフェオレの紙パックからストローを外し飲み口に差し込みながら東磨は答えた。


「そりゃ大変だなー、ところで今日帰りにどっか寄って行かない?」


「それが放課後早速会議があるらしい」


和也の誘いに項垂れながら答えた。委員会が面倒臭いというのは本音だし、彼らと遊びに行きたいのも事実だ。が、項垂れたのは半分演技だった。会議にだって楽しみにしていることがある、誰にも言えない密かな楽しみが。


一年一組と書かれた席はちょうど反対側だったがその席の主はまだ現れていないようだ。

伝えられた時間の5分前になってようやく瀬名朔来は姿を現した。内容は聴き取れないが議長である生徒会長に謝罪の念を伝える身振り手振りだ。おそらくはクラスの用事で遅れそうになったのだろう、と無意識に彼女を擁護する想像をしていた自分に悶々とした。

彼女が着席する時の目が合い微笑んで会釈してきた、ぎこちなかっただろうが笑顔で返した、…返せたと思う。

会議中にも何度か目が合いその度にお互い直ぐに目を逸らし俯いた。


ここだけの話、彼は配布されたプリントを一文字も読んじゃいない。会議中、ずっと瀬名朔来のことを考えていた。

週明けの放課後、会議で伝えられた書類を提出する事を忘れてしまい、もとい提出することすら聞いていなかった一年四組の実行委員は担任から注意を受けてしまったことは言うまでもない。


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