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「いってきます」
「いってらっしゃい」
仏壇に挨拶を済ませた由芽実は、通学用の自転車に跨がった。高校へは自転車で約20分。毎日7時40分に出発している。
由芽実が住んでいる町は米農家の多い、いわゆる田舎と呼ばれる町だ。かくいう彼女の家も米作りをしているが、父は役所に勤務しており平日は主に母と祖母が田畑の世話をしている兼業農家だ。
由芽実も時間がある時は手伝いをしている。
自転車で開けた農道を進む、7月も半ばになると、すっかり気候は夏のそれとなり、まだ8時前だというのに日差しが痛い。
風を切って走るがその風も生ぬるく、足へ張り付くスカートも不快だ。
相変わらず蝉は煩いし、道に飛び出してくる大きなバッタやカエルは何度も轢きそうになるので、注意しながら走らなければいけない。
通学は快適とは言い難い。
だが、それもたった20分だと思えば頑張れる。家から一番近い高校を選んで正解だったと由芽実は常々思っていた。
高校は由芽実の住む町の隣の市にあるが、市内から外れた緑の多い場所に建ち、市内よりもこの町の方に近い。なので、由芽実の通っていた中学校の生徒の多くがこの高校を目指す。
結果、受験をしたほとんどの生徒がこの高校に入学し、まるで小中高のエスカレーター式の学校の様になっていた。
幼い頃から仲の良い友達と同じ高校に通うので人間関係のストレスも少なく、高校生活も楽しい。
(日菜ちゃんもあんな事にならなかったら、一緒の高校だったのかも……)
行方不明になった『久繁日菜』も、この町で生まれ育った幼馴染みの一人だった。
日菜の家は日菜の両親が結婚すると同時に、この町にある、亡くなった父方の祖父母宅を改装し移り住んできたと聞いた。結婚前はもっと都会に住んでいたらしい。
父親は税理士で、母親は在宅ワークという何だかおしゃれで素敵なお家だと、当時思ったことを覚えている。
日菜ちゃんは一体どこへ消えたのだろう……町の誰かは攫われたと言っていた、また別の誰かは熊に襲われたと言っていた……結局は10年前が過ぎ去った今も、何もわからないままだ。
ふと気がつけば、高校は目の前に迫っていた。
キーンコーンカーンコーン。
あっという間に時間は過ぎ、昼休みになった。
母の手製の弁当を開ければ、ある程度パターンの決まったいつものメニュー。
「いただきます」
一度、一番好きだと言ったことにより弁当には必ず入っているこの卵焼き。それを一口かじる想像通りの味が口に広がる。甘じょっぱいこの塩梅が一番好きだ。
「由芽実んちの卵焼きはいっつもまっ黄色で可愛いね」
「彩月、前にもそれ言ってたよ?」
「え?そうだっけ?だって見てよ家の卵焼き!ほら!何か茶色いんよ」
「ははっ!本当に茶色い!でも美味しそう」
「まぁ……味はいいんだけどさ……もっと彩りとか考えてほしいよ」
由芽実と一緒に昼食を食べているのは小中一緒の幼馴染みの『彩月』だ。
確かに彼女のお弁当を覗けば、何となく茶色っぽい気がする。
「あ!でもほらオクラ入ってるやん!緑!」
「いやいや、その茹でたオクラ以外もよく見て、茶色くなってるオクラの煮浸し、鰹節まみれになってる何らかのオクラ、これはオクラの天ぷら……何か知らんけど、うちのお母さんせっかくの緑殺しに来るんよ」
「オクラ祭りやね」
「いや今年ほんと出来すぎて……毎日オクラのパーティー……ほっとくと筋張って美味しくなくなるけ収穫するしかないし」
「ちょっと前はピーマン祭りやったやん」
「ピーマンとししとうね」
「見た目ほぼ一緒!!あははっ!彩月んちってトマト作らんよね?彩りの代表!」
「トマトは家庭菜園で作ってたけど、お隣さんから山のように貰うから作るのやめたんて。そんかわりうちのオクラとかあげてる。ただミニトマトやなくて普通のやけ、切ってお弁当入れたらびしゃびしゃになるんよ。だから入れれんの」
彩月の家も兼業農家。米と野菜を作り、父親は教員である。
「彩月のお母さん料理上手なのにね」
「そう。料理は美味しいのにどこか残念なの……もぐもぐ……美味しい……」
そういえば彩月も日菜を知っているはずだ。と言っても小学1年生の頃の話なので、記憶は怪しいが。
「そういえばさ彩月、日菜ちゃん覚えてる?」
「ん?あぁ……ちょっとだけやけどね。どしたん?」
「あー……あれからほら、10年経つからさ……ちょっと思い出しちゃって」
「そっか、もうそんな経つんやね。由芽実は一応関係者っちゃ関係者やもんね」
「まぁね」
日菜が行方不明になった後は、学校で集会が開かれた。小さな町なので、最後に日菜と一緒にいたのが由芽実だと言うことはあっという間に広まった。
「でもま……日菜ちゃんと由芽実のおじいちゃんは可哀想やけど、私は由芽実が無事で良かったと思ってるし…………日菜ちゃんが連れて行かれたのも仕方ないよ」
「…………え?」
(おじいちゃん?日菜ちゃんが連れて行かれた?)
日菜の行方不明事件はなんの手掛かりもなかったはず、どうして彩月は『連れて行かれた』などと言うのだろう。そして、なぜそこで祖父が出てくるのだ。
「あれ……由芽実……どうしたん?」
「いや……連れて行かれた?……それにおじいちゃん?」
「うん?日菜ちゃんちの両親って、他所地から来たやん?やけ八重咲地蔵の事知らんやったんよね」
「え?……やえざきじぞう?よそち?」
「…………もしかして何も知らんの?!」
「え?いや……どう言う……」
彩月がしまったという顔をした。今朝の由芽実の母と同じ顔だ。
「んー……その内、教えて貰らえれると思うから私からは何も言えんよ……」
「えぇー何なんそれ?!なんの秘密があるん!!」
「あー……由芽実の親とかがさ、多分……その……由芽実がこう……ショック受けんようにとか……そういう……んー……」
何とも歯切れの悪い言い方をした彩月は、ちょっと考え込んでいる。これ以上聞くのは何だか悪い気もする。
(おじいちゃん……日菜ちゃん……何か関係あるの?)
「……所でさ由芽実、何で急にそんな話したん?」
「え?」
「今までこの話した事なかったからさ。何かきっかけでもあった?」
「えっと、ちょっと夢見たから」
「夢?」
「うん……日菜ちゃんが行方不明になる前に何処かの女の子とかくれんぼをしたんだけど……その時の夢」
「…………」
「彩月?」
「……由芽実……今日も一緒に帰ろう」
何故かとても真剣な顔で彩月が普通のことを言ってきた。
「ふふっ何その顔。彩月……彩月?」
彩月は表情を崩さず由芽実を見据える。
「絶対に約束」
「わ……わかった」
「よしっ!じゃあ、こんな話やめて夏休みどこに行くか決めるよ」
「えっ……うん」
何とも腑に落ちないが、話を変えられてしまっては日菜の話を再びすることは難しい。
(また、タイミングみて聞こう)
他愛の無い話をしているとあっという間に昼休みは終わり、気がつけば放課後になった。
「由芽実〜暑い〜」
「私も暑いよ……見てあの青空……快晴でしかない。ハピマ寄ってアイス食べてかえろ〜」
「賛成!」
寄り道は厳禁であるが、ちょっとコンビニに寄って買い食いするそれくらいなら先生たちは見逃してくれる。
学校の正門を出て200メートルくらい先にある地域密着型のコンビニエンスストア『ハッピーマーケット』は、由芽実の通う高校の生徒達が一番お世話になっているコンビニである。
『ハッピーマーケット』と書いてある看板の下には消された『河西商店』という文字が薄っすら見えるし、営業時間は朝の5時〜夜の8時まで、入口は自動ドアではなく引き戸、店内には有線放送で演歌が流れていて店員は70代のおばあちゃんだが皆の認識は『コンビニ』である。誰がなんと言ってもコンビニだ。
ガッ!ガリガリガリ。
ハッピーマーケットの引き戸はカラカラという音ではなくガリガリと砂を引きずりながら開く。しかも古いからか割と力も必要だ。
冷房は店員のおばあちゃんが好きじゃないという理由で、30度という謎の高めの設定だが、刺すような日差し降り注ぐ灼熱の外から入れば天国である。
「はぁー……暑かった」
「ここも快適とは言い難いけど、外に比べれば全然涼しいね。ほらっ、彩月っ!アイスアイス」
『アイスクリーム』と書かれたレトロなショーケース。ガラスの蓋を手前から奥に流れるように開けると、心地よい冷気が溢れてくる。
「あー……気持ちいい。由芽実はどれにする?」
「えーと、やっぱりガリガリちゃんかなぁ……」
霜により収納スペースの圧迫されたショーケースから目当てのアイスを手に取る。
「私は!アイスの小粒しよっと……おばちゃーん」
このコンビニは、しばしば店員が店から姿を消す。その場合は大きな声で『おばちゃん』と呼べば店員がやってくるシステムだ。
「はいはい……あら、彩月ちゃん由芽実ちゃんいらっしゃい」
「河西のおばあちゃん、こんにちは〜」
奥からいそいそと出てきたのは小柄な老婆。ここで昔から商店を営んでいるが住んでいるのは二人と同じ町で、実はご近所さん。二人とも幼い頃からの顔見知りだ。
「奥で休んでいくかい?」
「んー……どうする彩月?」
時々二人は、ここでお茶をして帰る。
「ううん。今日は買ったらすぐ帰るよ。また今度ね河西のおばあちゃん」
「そうかね。何か急ぎかい?」
「別に特には……ね、彩月…………彩月?」
「…………河西のおばあちゃん……」
「ん?」
「八重咲地蔵様に……もしかしたら花が必要かも」
「…………蝉引きかい?」
「わかんない」
「え?何?何?」
「……明日になったら由芽実の親にちゃんと説明して教えるから……だから、今日は帰ろう……お願い」
「うん……」
お金を払い、二人はコンビニを出た。
外は相変わらずの暑さである。
アイスを食べながら自転車を押し進む。
どことなく強張った彩月の横顔を見て、由芽実は少し気まずい思いをしながら二人は家路を急いだ。
拙い文章を読んでいただきまして、ありがとうございました。