第九話 Fools, know your weaknesses, your mistakes, your stupidity.
暗い。ここはどこだろうか。なんだかうまく頭が働かない。意識をはっきりとさせるために、頬を自分で叩こうとした手が、空中で止まる。鎖に繋がれ、下手に動かせない。どうやら私は、何か牢屋のようなところにいるようだった。薄暗くてよく見えないが、鉄格子のようなものがうっすらと見える。
「お目覚めかな、古原桧並ちゃん」
格子の外から声が聞こえた。顔は……よく見えない。なんで私の名前を知っているのだろうか。そもそもここはどこなのだろうか。声の持ち主が鉄格子を開け、近づいて来た。私の顎を持ち、顔を無理やり上げさせる。眼鏡を掛け、スーツを着た、これといった特徴のない男だった。強いて言えば、少し神経質そうな顔をしているぐらいだった。
「君の名前は君の鞄に入っていた生徒手帳から見させてもらったよ。まさかこの時代に律儀に紙の生徒手帳を持ち歩いているなんて、真面目な子だね。第六感は分からないから見せてもらえるかな?売り物の情報として必要なんだ」
売り物?何を言っているのだろうか。そんなに見たいなら見せてやる。ただし、顔面に命中させるという形で。壁から鉄の棒を生やし、男の頭に命中させた。させたのだが……
「うんうん、実に面白い能力だ。創造する能力か。強さからして、Aランクくらいはありそうだね。ここがどこか分からないだろうから教えてあげよう。ここは裏社会のヒューマンオークション会場だ。簡単に言えば人身売買だね。男の子は5000万、女の子は7000万から売れるんだよ。そこに能力や見た目で加算されていくんだよね。桧並ちゃん可愛いからね。能力も考えると最低でも億は越えそうだね。いやぁ嬉しいよ」
一瞬ひるんだように見えたが、次の瞬間にはケロッとして、流暢に話していた。気味が悪い。
「つまり私を売り物にすると。何のために……」
「簡単。お金のためだよ。君みたいな可愛くて、気が強い子は高く売れるんだ」
私は激しい嫌悪感に襲われ、思わず彼を睨みつけた。すると彼は豹変したように、私の頭を掴み、床へと抑えつけた。痛い。
「そういうところは、しっかりと調教しておかないとねぇ! 君は目玉商品なんだから。」
彼はそう言うと、私の頭に手を置いたまま、何かを唱えた。私の頭に、海月のようなものが纏わりついた。
「……っ、うがぁぁっ」
電撃を流されたような衝撃が、絶えず頭の中に流れ込んでくる。目がチカチカとして、うまく見えない。ひどい吐き気と、体を内側から何かに浸食されていくような感覚。私が、私では無くなってしまう。全身に力が入らず、私の体は地に伏していた。
「助けて……智君……」
私は思わず、そこに居ない、私の大好きなあの人の名前を呼んでいた。海月が、触手を伸ばし、腕を、足を縛ってくる。一瞬、電撃が緩んだ。そう思った次の瞬間、さっきとは違う感覚が私の全身を襲う。電撃ではなく、体が溶かされるような感覚。声も出せず、苦しさも少しずつ消えていった。
「智君……智君……? 智君って誰……?」
私の中で、大切な何かが塗りつぶされてしまった。
俺は今、桧並の超力の残滓が途切れ、焦っていた。手がかりが途切れた。目の前の空間に違和感を抱いていたが、どうすれば良いのか分からない。
「お兄ちゃん、私に任せて」
萌心が彰久さんの背中から降り、壁を見つめていた。暫くすると、空間にひびが入り、崩壊した。その先に、分厚い扉があった。
「これ、影帳っていう、汎用超力なの。やり方さえ覚えれば誰でも使える結界を作るの。結界の中と外ではまるで時間の流れが違う、中のほうが速く時間が流れるの。急いだほうが良いかも」
萌心がそう淡々と説明した。
「萌心、まだあの未来は変わらないか?」
萌心に聞く。こくりとうなずいた様子を見て、俺は少し安心した。まだ見えているということは、その未来は起きていないということだから。重い扉を押し開け、中へ飛び込む。空気が重く、少し息苦しかった。
「絶望、不安、怨嗟、そして狂気……そんな感情で満たされていますね。智様、苦しく無いですか」
少し苦しいとはいえ、そんなことは今は言っていられない。少し暗い中を、ゆっくりと、急いで進む。彰久さんを先頭に、俺と萌心が後ろに続く。少し進んでいくと、下りの階段を見つけた。下からは、今までよりも濃ゆい、よどんだ空気が上がってくる。萌心が、俺の服の袖を掴んだ。
「お兄ちゃん、どんどん未来が濃ゆく、はっきり見えてきたの……もうあんまり時間がないかも。急ごう」
……萌心の言葉に、俺は焦りを隠せなかった。
「焦りは失敗を生みますよ。失敗は許されないでしょう。落ち着いてください、智様」
彰久さんの言葉は、不思議と俺を落ち着かせた。暗い階段を、降りていく。
「ここは……牢獄?」
萌心がそうこぼした。階段を一番下まで降りると、薄暗い明かりがぽつりぽつりと存在する通路に出た。通路の横には、鉄格子によって仕切られた牢獄がいくつか存在していた。
「あの、あなた達外から来たんですよね、ここ、開けてくれませんか」
一番階段に近い牢屋から声が聞こえた。よく見ると、そこには俺よりも少し年下に見える少年がいた。どうしようか、俺が考えるよりも先に、彰久さんが、いつの間にか持っていた日本刀で、鉄格子を斬った。
「俺まだ考えてたんですけど。普通に鉄斬らないでくださいよ」
「彼に敵意が無いのは明らかです。この程度、鍛錬を積めば容易いことです」
彰久さんはそう言った。確かに、少年からは敵意は感じられなかった。
「ありがとうございます。ここは、人身売買が行われている場所らしいです……僕以外にも、沢山の人がここに連れてこられていました」
なるほど、となると桧並は人身売買の対象にされてしまったみたいだ。大丈夫だろうか。彼女はまだここにいるのだろうか……
「智様、急ぎましょう。手遅れになるかもしれません」
「待って、あなたが智さんですか」
少年が、俺の名前を聞いて、俺のことを呼び止めた。
「三日くらい前にここに連れてこられた女の人がいるんです。ちょうどあなたと同じくらいの年だと思います。ここの管理者の男と何か話していました。その時にあなたの名前を呼んでいるのが聞こえました。目玉商品だって言ってたし、さっき連れていかれてるのも見ました。今ならまだ間に合うと思います」
その情報は、焦る俺の気持ちに少しの落ち着きをくれた。
「後で助けに来る。それまで不用意にここから動かないで。私と、約束できる?」
萌心がそう少年に言った。少年は深くうなずいた。それを確認すると、俺たちは牢屋から出て、奥へ奥へと進んでいった。
幸い、牢屋から人身売買の会場までは一本道で、迷わずにたどり着くことができた。重苦しい扉をそっと開け、中へと忍び込む。中央に大きな扇形のステージ、それの周りに、階段状の客席。俺たちはその一番上に居た。
「さぁ次の商品は、13歳にして第六感覚醒済みの天才少女! 能力は触れたものを黄金に変えてしまう能力! 能力の有用性、容姿を考え、最低金額9500万からのスタートになります!」
ステージの真ん中に少女と眼鏡を掛けた男が立っていた。男は鎖を握り、その先は少女の首に掛けられた輪に繋がっていた。
「1億2000万!」
「1億6000万!」
観客席に座る奴らが、どんどんと少女に値段をつけていく。勝手に人を攫い、値段をつけ、売る。きっとその後はひどい扱いを受けるのだろう。俺の心が、少しずつ沸騰していた。我慢できず、ステージに跳ぼうとした俺の手を、彰久さんが掴んだ。
「苛立つ気持ちは分かります。あなたは特に、人の為に怒れる方です。しかし今は耐えて下さい。桧並様を助ける際に、ほかの方々も助けましょう。今は抑えるべきです」
彰久さんはしっかりと俺を見据え、そう言った。そうしているうちに、爆発寸前だった俺の理性は少し落ち着いた……とは言ってもほんの少しだが。
「2億、それ以上の方いませんか! それではこの少女は2億で189番様が落札です!」
どよめきと、拍手。正気じゃない。
「それでは今回のオークションの目玉商品! 16歳、古原桧並ちゃんです! 能力は創造、まさに神の能力を少しスケールダウンさせながらも使用できます! そして命令は遵守するよう教育済み、痛みを喜びに感じるようにもなっております!最低金額3億! 3億よりスタートとなります!」
桧並だ。頭に海月のような何かが纏わりつき、顔はよく見えない。そして全身傷だらけだ。男はベルトにつけていた鞭を手に取ると、桧並に向かって振り下ろした。ピシッと乾いた音が鳴り、彼女の腕に赤い痣が付く。我慢の限界だ。俺はいつの間にか、ステージに立っていた。乱入者を確認した、客席の悪魔たちが、敵意をむき出しに、俺に襲い掛かってくる。
「ここから先は、通しませぬ。智様、桧並様をお助けください」
彰久さんと萌心が、俺に向けられた無数の超力を、攻撃を、すべて弾いた。おかげでこちらに集中できる。
「桧並を返せ」
「返せとは何だい、まるで君の物のようじゃないか。もうこの子は君のことなんか知らないのに」
一発、男の顔面に俺の拳が炸裂した。確かな手応えがあったのだが、まるで何もきいていないかのように、けろりとしていた……
「実に良い力だ。君もコレクションに加えてあげたいくらいだよ。やってあげな。桧並ちゃん」
「了解……しました……」
桧並が、ゆらゆらとこちらに近づいてくる。ただならぬ圧力。しかし俺は彼女を拒めなかった。桧並の体が目の前に迫る。刹那、俺の体は彼女の右腕に飛ばされた。少し離れ、着地する。
「桧並……なんだよな……なんでこんなこと!」
俺の思考は混乱していた。
「簡単だよ。彼女はもう君を憶えていないのさ。僕がそうさせたからね」
憶えていない。信じたくない。でも彼女の行動が、俺に向けられる敵意が、それを肯定していた。
「僕はここらで失礼するよ。後は任せる、存分に遊んでくれ」
男はステージの端に立っていたもう一人の男に声をかけると、ステージの奥へと去ってしまった。追いかけようとした俺を、桧並と、さっき声を掛けられた、少し太って、バズーカのようなものを持った男が食い止める。
「俺と遊んでくれよ? せっかく来てくれたんだからよ」
男が、バズーカを構え、撃った。弾いても良かったが、嫌な予感がして、俺は直前で躱した。命中した壁には、ぽっかりと穴が開いていた。
「初見で触らなかったのは珍しいなぁ。俺の能力が怖いかぁ……?」
何発も何発も、続けざまに連射してくる。避けきれない弾を、俺は拾った瓦礫で撃ち落とした。すると瓦礫にも、きれいに穴が開いていた。
「気づいたかぁ? 俺の能力は攻撃の触れたものの中心を穿つ能力だ」
やはりか。となると、触れたらアウトだ。アウトなのだが……
「さっさと、死んでください。私はあなたが邪魔です」
桧並が的確に邪魔をしてくる。俺と張り合う体術で、弾を命中させようとしてくる。彼女のせいで、俺は眼鏡を外し、本気で戦うわけにはいかなかった。でも、少しずつ彼女の動きはブレて来た。元々体術ができるわけではない体を、海月が乗っ取って操作しているようなものだろうか。それに、邪魔と言った瞬間、桧並の超力が一瞬歪んだのを感じた。
「嘘はよくないぞ、桧並」
「嘘じゃないですっ……速く死んでっ……」
桧並の声に、焦りが。彼女の頬に、涙が流れた。攻撃ががむしゃらになってきた。
「『暗翳郷邑』 これ以上私を壊さないで!」
黒い超力が、俺と男と桧並の3人を包み、小さな、寂れた街を作り出した。全身から力が抜ける。俺の四肢を、影が掴んだ。振り回され、壁に叩きつけられる。
「こんなに時間がかかるとはなぁ。さて、ここで終わりだ」
男が、少し遠くでバズーカを構えた。普段なら、避けられるはずなのに、体が言うことをきかない。超力を纏おうとすると、すべてどこかへ吸い込まれてしまう。
「死んだか。ダメな人生だったな」
俺はもう諦め、目を瞑った。弾が発射される音。しかし、その弾は俺に届かなかった。
「ごめんなさい。智君」
桧並が、俺の前に立っていた。胸にはぽっかりと穴が開き、顔は穏やかに笑っていた。街が歪み、俺たちは元のステージへと戻った。超力も、普通に使えるようになった。桧並を抱きかかえる。眼鏡を外し、彼女の穴を塞ごうとする。それが逆に、彼女の命を奪うとは思わずに。
「智君、もう治さないで。苦しい」
腕の中で、桧並がそう言った。そのまま俺の握りしめた眼鏡をとり、掛けなおしてくる。
「よく見せて……やっぱり、よく似合ってるよ……顔、もっとこっちに……」
言われるがままに、俺は桧並の顔に、自分の顔を近づけた。彼女の唇が、俺の唇に触れた。桧並から、何かが伝わってくる。右目が、ほんのりと熱い。
「大好き……」
桧並が、軽くなり、動かなくなった。
「桧並……? 桧並……桧並!」
俺の叫びに、応える声はない。こんなはずじゃなかった。きっと、戻った世界では桧並を救えると思っていた。そういうシナリオだと思っていた。シナリオ通りに進んでくれると思っていた。自分の能力を聞いて、桧並を救えると思った。実際はどうだ? とどめを刺したのは俺だ。能力への過信。傲慢。愚かだ。自分に吐き気がする。時が戻ればいいのに。俺が、時を戻せれば。俺にもっと力があれば。俺の思考が、真っ黒に塗りつぶされていく。
「安心しろよ。今すぐ一緒のところに送ってやるからなぁ」
男が、もう一度俺に向かって構えた。
「……せぇ」
「何か言いたいならはっきり言えよ、聞こえないぞぉ?」
男が耳に手をあて、聞こえないと大げさにアピールしてくる。
「うるせぇよ」
この後のことは、よく覚えていない。
7月26日。私はいつものように、少し早い時間に家を出た。
「おはようございます、桧並さん。今日で一学期も終わりですね」
いつものように、紅破君が元気に挨拶してくる。私の隣には、彼がいない。そして、紅破君や九頭龍君の中からも。あの事件の日から、三か月。智君のことは、誰も知らない。
こんびゅわら。和水ゆわらです。愚者名乗る勇者 第九話でした。
どうだったでしょうか。大きな事件起こしましたけれど。
次話は桧並ちゃんが、どうにかしようと頑張ってくれるはずです。お楽しみに!!
和水ゆわらでしたん。