第二十三話 The end of the war. The seeds of restlessness left behind.
さっきまでとは全く違う感覚。桧並と一緒に戦うというもの。今まで結構な数戦って来た。その中でも桧並と戦う機会が無かったわけではない。でも、今までのどんな戦いよりも戦いやすい。桧並は護るものだと、ずっと思っていた。
「暗翳郷邑」
桧並のその言葉に反応して、闇が広がっていく。桧並の足元から溢れ出した闇は、辺り一帯を飲み込んで、漆黒に染め上げてしまった。
「絶対にあなたを逃がさない」
怜悧に向けられた桧並の言葉には、覚悟が見えた。今の彼女は、護るべき対象ではない。俺が助けに行かなきゃ、すぐボロボロになってしまうような、弱い桧並じゃなかった。桧並が大弓を構え、矢を番える。それは桧並の創り出したもので、鏃にはよく分からない塊が付いていた。彼女がちらりと、こちらに視線を向ける。それに応えるように、俺が怜悧のすぐ近くまで踏み込む。大鎌を一度振り払うと案の定、怜悧はそれを片腕で受け止めた。
「二人でかかってこようと無駄だというのが分からないのかい、分かるように正面から叩き潰してやる」
傲慢な彼のことだ、こういう行動に出るのは予測できた。でも、今の俺は囮。本命は桧並の矢。俺の役目はそれを当てやすいよう、少しでも怜悧を止めること。俺が無造作に、手のひらを怜悧に向かって突き出す。そこから何かが放たれることを警戒したのか、怜悧の動きが一瞬止まった。そこを逃すことなく、桧並の弓から矢が三本、放たれた。
「……っ、時間よ止まれ!」
間に合わないと判断したのだろうか、怜悧が叫んだ。時間が、止まった。
「逃がさない」
時間が止まった世界の中で、桧並は何も手出しはできない。でも俺なら怜悧を止められる。焦りからだろうか、そのことを失念していたようだ。距離を詰め切った俺のに反応できず、怜悧の腹部に、俺の全力の蹴りが命中した。それと同時に、時間が動き出す。怜悧の体が飛んだ先で、桧並の放った矢が炸裂した。一旦距離をとり、桧並の傍に立つ。
「何撃ったの」
「毒」
短い言葉を交わし、臨戦態勢を取り直す。普段は虫も殺せないような、穏やかな桧並が、誰かの言葉を受けたわけでもなく自分から、毒を使っていた。そこまでやらなければ、こっちが殺されてもおかしくない。こっちが命を取る気でやらないと、この戦いは終わらないのかと、心のどこかで思っていて、でも怖くて押し殺していた感情が浮かんでくる。それは桧並も同じことを感じていたようだった。矢を放った腕が、震えていた。目線も、どこに向いているのかはっきりとしていない。
「大丈夫、もしもそうなったら、俺も一緒に背負うから」
真っ直ぐに、優しく素直に生きてきた桧並にとって、人の命を奪う――それが例え許せないあいてだったとしても――そんな十字架は重すぎる。というか、誰にとってもそんなもの背負えるはずがない。
「ありがと、大丈夫」
俺の言葉に少し安心したらしく、桧並は落ち着いていた。コツコツと、足音が響く。規則的なようで、少しだけずれている足音。
「なかなかの毒じゃないか。おかげで治療と耐性を作るのに時間がかかってしまったよ」
やはりこの程度では倒れないか。俺は大鎌を、桧並は薙刀を構える。
「少し驚いて反応が後手に回ってしまったのは良くなかったな、第二ラウンドといこうか」
怜悧の右腕には、細い直剣が握られていた。反りは無く、物を斬るのではなく突くことに特化した形状をしていた。三人が一瞬硬直する。怜悧の体が少しぶれたと思ったら束の間、すぐ目の前まで直剣が迫っていた。咄嗟に躱すも、剣先が頬に掠る。皮膚が裂け、血が流れだしていた。怜悧が身を翻し、二発目を構える。今度は見えている。見えてさえいれば、弾けないスピードではない。真っ直ぐ、正確に頭を狙ってくることを見越して、大鎌の攻撃を通り道に置いておく。ガキンと、金属同士がぶつかる音がする。怜悧の動きが止まった。何かを伝えあった訳でも無く、狙っていたわけでもない。桧並が怜悧の後ろに立ち、薙刀を振りぬこうとしていた。いや、それはもはや薙刀と呼ぶべきではなかった。薙刀に能力を纏わせ、形を変えた圧倒的な質量の塊を、全身の力を乗せて振りぬく。
「動くな」
怜悧の時間を止める。たった一瞬、瞬きをするよりも短い時間でいい。その僅かな時間だけで、桧並の攻撃は怜悧に届いていた。激しく、そして鈍い音を立てて怜悧が吹き飛ぶ。今しかないと思った。時間を止める。この世界に干渉できるはずの怜悧も含めて、文字通り全ての時が止まった。心装の翼をはためかせ、怜悧のすぐそばまで飛んでいく。右腕をまっすぐ上に掲げて、詠唱する。頭に浮かんだ言葉をそのまま口に出すだけ。
――我が身に宿りしその意志は我が命を燃やす原動力
森羅万象が織りなす 幾重にも重なる運命
大地を照らすは太陽 闇夜を灯すは月
交わることのない双光 我が力の元に収束せん
硝子の檻に閉ざされる砂 我のみが流れを支配する
それが紡ぐは不変なる定め
不俱戴天の双光 時を紡ぐ砂 前陳の運命を忘却せよ 新たなる運命を紡げ――
「紡ぎ手の詩」
右腕の先に、煌々と輝く巨大な超力の玉。それを小さく小さく、圧縮する。ビー玉程まで、小さく。それを一度掌で握る。そのまま手を開くと、怜悧の方へとふわふわと近づいて行った。即座にそこから離れて、桧並を抱えて飛ぶ。今まで居た暗闇の中から飛び出すと同時に叫んだ。
「時よ動き出せ、新たな運命を紡ぎだせ!」
時間が動き出すと共に、漆黒のドームの内側から、それを飲み込むように眩い光が溢れ、炸裂する。辺り一帯を、激しい光と爆音が包み込む。その衝撃波に煽られて、俺はふらふらとバランスを崩して墜落した。
「お兄ちゃん、桧並さん、大丈夫……?」
萌心の声がする。心配そうに、俺のことを覗き込んでいた。彰久さんが何も言わず、その後ろに立っていた。言葉は言わずとも、心配が顔に表れていた。
「大丈夫だよ、大したことない」
俺の腕の中で、桧並がもぞもぞと動いた。
「う……うぅ……」
桧並が、ふらふらと立ち上がる。それに合わせて立とうとするものの、体にうまく力が入らない。
「超力使いすぎた……疲れた……」
俺の最大威力を発揮する技、紡ぎ手の詩。時間を圧縮した状態から解放する、本来ならば起こるはずのない現象を無理矢理起こして、強大なエネルギーを持つ爆発を引き起こすもの。俺の時間操作能力における最強の技故に、超力の消費は凄まじかった。
「怜悧さんの分身も消えちゃったし、解決ってことでいいのかな」
少し探ってみるも、怜悧の超力は感じない。萌心の言う通り、解決したということで良いのだろうか。それにしては何だか……
「どうしたの? 超力すっからかん?」
本当に、俺が何かを感じている時を察知するのが速い。桧並が俺の顔を覗き込み、手を差し伸べていた。
「大丈夫、まだもう少しくらい残ってる。なんでかわかんないけど、少し胸騒ぎがする気がしただけ」
何とか桧並の手を借り、立ち上がる。この胸騒ぎは、杞憂だと思っていた。
「深夜三時はおはようございますでいいのでしょうか。皆さん、おはようございます。」
俺たちの目の前に現れた、夕焼け空のような茜色の髪を持つ少女。瑞花さんにそっくりな少女の声を聞くまで。
薙刀を構え、目の前に立つ少女に全意識を向ける。背は私よりも少し高く細身で、肌が白い。儚い雰囲気を感じさせるその容姿に、茜色の綺麗な髪がよく映えていた。私たちへの敵意を感じるのに、その姿、雰囲はあまりにも弱くて美しく、こちらの反撃の意思がそがれてしまいそうだった。
「おやおや、どうかしましたか? 古原桧並様。そんなに私に向かって敵意を向けないでいただけますか、私としても、あまり事を大きくしたくありませんし」
髪色以外はそっくりな、瑞花ちゃんとは対照的な、ふわふわとした温かい声。
「貴方が怜悧さんと何らかの繋がりがあるということは、なんとなく分かっています。彼は先ほど私たちを殺そうとしてきました。そんな人と繋がりのある人物に敵意を向けるなというほうが難しいことではないでしょうか」
こちらとしては、戦闘は避けたい。こちらの戦力は彰久さんに萌心ちゃん、私。既に長い間戦って消耗しているし、もうほぼ動けない智君や眠ったままの瑞花ちゃんを庇いながら戦うというのは苦しいものがあった。彼女の瞳を見つめてみるが、光のない深紅色に吸い込まれてしまいそうで、私は視線を外した。
「そうですよね、それはすみませんでした。それで、改めてなんですが。ここはこのまま休戦、互いに何も無かったということで済ますのはどうでしょう」
休戦、つまり私たちに手を出すことなく、穏便に治めようと、彼女は言っていた。この場を穏便に、何もせずに立ち去ってくれるのなら、こちらとしては願ったり叶ったりだ。ただ……
「信用できませんね」
当然、彼女の言葉を信用することができなかった。
「お姉様……?」
いつの間にか目を覚ましていた瑞花ちゃんが、彼女を見てそう呟いた。その瞬間、辺りの空気が変わった。
「貴女は例外。死になさい」
さっきまでとは全く違う、凍てつくような冷たい声。それと同時に、彼女は瑞花ちゃんへと飛びかかる。その姿に、さっきの儚さは微塵も残っていない。漆黒の影を全身に纏い、鋭い爪が瑞花ちゃんを貫こうとしていた。瞬間、暴風が吹き荒れ、彼女を弾く。
「一体何度お姉様と組手をやらされてきたとお思いですか」
瑞花ちゃんの顔には、戸惑いと怯えが浮かんでいた。でもその瞳の奥底には確固たる決意が見えていた。
「あら、思ったよりも強くなってるじゃない。昔のままだと死んでたわよ?」
距離を取ったまま、彼女が言い放つ。
「分かっています。事実私は零墨お姉様に昔から勝てませんでした。だからって、大人しく殺されたくはありません。それに、貴女が零墨お姉様だという確証もありません。だって……だって零墨お姉様はもう生きてはいないはずなのに!」
彼女の名は零墨というようだ。瑞花ちゃんの口から信じられない言葉が聞こえた。零墨さんと瑞花ちゃんは姉妹なのは納得できる。似すぎと言えるレベルで似ているから。でも、零墨さんはもう死んでいる? 言っている言葉を理解できない。瑞花ちゃんも理解ができていないようで、声が震えていた。
「落ち着いて。一度倒してから話を聞くのも遅くはないでしょう」
瑞花ちゃんの傍に立ち、そう告げる。彼女の震えが止まった。
「その言葉は、交渉は決裂ということで良いのでしょうか?」
零墨さんからの言葉。私からの答えは当然……
「はい、休戦の話は無しです。私は友達を目の前で殺されそうになって、我慢できるほど優しくありませんので」
沸々と、私の中に怒りが湧き上がってくる。私は薙刀を、瑞花ちゃんは木の葉型の扇を構える。
「面倒ごとは起こしたくなかったのですが……しょうがない」
零墨さんの足元から、黒い影が分裂する。それが狼の群れとなり、とびかかってくる。その群れを、彰久さんが止めた。
「私の方が多数戦は慣れているでしょうから」
任せろ、ということだろう。一理どころか百里ある。零墨さんへ狙いを定め、弓を引く。零墨さんは瑞花ちゃんと攻撃を交わしていた。ひゅんと飛んだ矢が、零墨さんにぶつかる直前で落とされた。何かが、高速で零墨さんの周りを浮遊している。
「古原さん!」
叫び声と共に、暴風が吹き荒れる。零墨さんの体勢が崩れた。大きく踏み込みながら、薙ぎ払う。すぐに飛び退いたにもかかわらず、私の肌にいくつもの、小さな裂傷が刻まれていた。
「遅いですね。もしも私が本気なら、貴女はもう小さな肉片でしたよ」
そう言い放つ零墨さん。恐らく誇張ではない。周りを飛んでいた何かが速度を落とした。真っ黒だった影の色が薄くなり、うっすらと零墨さんの顔が見える。
「……どうして。まだ夜明けじゃないはず」
「もう夜明けはすぐそこよ」
戸惑う零墨さんに向かって、智君に肩を貸す萌心ちゃんがそう言った。
「貴方の能力は朝に近づくほど弱くなるのが見えました、なら夜明けを近づければいいのです」
零墨さんの顔が、一瞬焦ったように見えた。でもそれはすぐにかき消される。
「……流石お兄様を倒しただけはあります。一度引きます。ただし忠告です。実験番号1016、あれは消しておく方が身のためかと」
そう言った後、零墨さんの姿は消えた。まるでそこには最初から何もいなかったように。
一夜をかけた、長い戦いが、今終わったようだ。智君がフラっと倒れそうになったのを見て、慌てて抱き寄せる。
「お疲れ様……大丈夫?」
「大丈……夫……」
そう言って、智君は眠ってしまった。なんだかいつも彼は眠ってるな、なんて思った。その後のことは、よく覚えていない。彰久さんがどうにか処理すると言っていた。私も、智君と同じように意識を失っていた。少なくとも言えるのは、私も智君も、無事だったということ。それだけで十分だった。




