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仮面をとって

作者: 高野







嗚呼、いつからだろうか。







「あー!まってましたぁ、いつも指名ありがとうございます」



そう言って目の前の男性に向かって作った笑顔を降らせるのも、もう慣れてしまった。ピタリとくっついて「今日もかっこいいですね」なんてお世辞を吐き出して、高いシャンパンを口内に流し込む。


私がやっていることは一般的に"水商売"と言われるものだろう。



わかっているんだ。こんなことしても別に何かが変わるわけじゃないってことぐらい。私だって好き好んでこの仕事を選んだわけじゃない。そんなことをする人はなかなか少ないと思う。まぁ要するに、みんな訳あり とでも言っておこうか。


人間はみんな違う、同じ人なんていない。この地球に存在する全ての人間が違うのだ。ということは当たり前だが全員が違う人生を歩んでいる。


その人にしかわからない感情や想いはたくさんあるだろう。



私の場合は 「愛」だろうか。なんの自慢にもならないが、なぜか私は20年以上も生きていて愛されていると感じたことがない。それは多分 私が相手をシャットアウトしてるとか愛を感じたくないとかそういうことじゃなくて、きっとただ単に私はあらゆる人に 愛されていなかった。それだけのことだと思う。


幼い頃は地味で友達を作れないような極度の人見知り、それが原因でいじめられるようになりそれは高校卒業までも続いた。


そして親は、いや義理の両親は、か。本当の両親には赤ちゃんの時に捨てられたらしい。そして養子として来た家の親は仮面夫婦だった。もうここまでくると悲しみなんてものは通り越して笑えてしまうぐらいだ。


どうにかその生活から抜け出したくて、家を出て夜の繁華街に飛び込んだ。



「愛」ってなんなのだろうか。


キャバ嬢にでもなって人に貢がれてみれば少しはわかるんじゃないか。なんて考えていたのにお店no.1の売り上げを誇っても尚、愛はちっとも感じられなかった。男なんて所詮下心しかないのだろう。もはやそんなことまで感じてしまっていた。



最低限でいい。それで十分だ。お金で言ってしまえば、最低賃金。働く人がもらえる最低限のお金。それぐらいの愛でいい。それでいい。それがいい。私はそれが欲しい。




嗚呼、神様。


私に愛を、教えてください。


















「愛って、なんだよ」



この10分ほどガラガラになった朝5時のキャバクラで愛について無駄なぐらい考えてはみたが、結局愛を受けたことのない私にわかることなんて一つもない。



「確かに、言えてる」



突然に降って来た声にパッと顔を上げるとそこには顔の整った見覚えのないスーツを纏う男性が1人、目の前に座っていた。



「だれ、?」


「さぁね」



そう言って私に向けられた笑顔。ああ、なんか、私 その笑顔嫌いだ。大嫌い。まるで作った笑顔の仮面をつけたみたいで、目の奥が笑っていないという表現がこの場合適切だろう。笑顔を貼り付けて作った声と喋り方。普通の人から見たらただの笑顔かもしれないけど、私には分かってしまう。


私と同じだから。


だから、嫌だ。



「私、あなたが嫌い」


「僕達気が合いそうだ。僕も君が嫌いだよ」



彼はそう言った。1ミクロンも驚かずに動揺せずに彼は「嫌い」を受け入れて私と同じように目の前の私に「嫌い」と告げた。



「人は誰かに愛されることで、幸福を感じる」

「君は、その幸福を知らない」



さっきの愛想笑いが嘘かのように彼から笑顔は消えていってまるで感情が無いロボットのように冷たく彼はそう言い放った。



「愛されないのは、私のせいなの?」


「さぁ。君が愛を消してるんじゃない?」


「私が?愛を、?」



もしも。もしもそうならば。今までの最悪な人生の中に誰かが私に愛を向けてくれていた。なのに、私はそれに気づかないフリをしていたってこと?



「愛ってなに?」


「え?」


「さっき、君がそう言っただろう?」



彼はそういうと、隣にあったウイスキーを口に含みゴクリと飲み込んだ。どこか寂しそうな彼のその姿に「同じだ」なんて心のどこかで思いながら、彼の言葉を待った。



「君のいう通り、愛とは定められていないものだ。じゃあ君の考える愛は、なに?」


「…それがわかってたら愛が何かなんて問わない」


「ふは、それはそうだね」



彼は あはは と笑いを漏らした。ついさっきのように仮面のような笑顔ではない、人間味のある笑い方をしたんだ。



「貴方、笑えるのね」


「失礼な。常に笑顔でいるつもりだよ」


「でもそれは、作り笑いでしょ?」



私が"作り笑い"そう言った瞬間、初めて少しだけ一瞬だが無駄に綺麗な彼の顔が歪んだ。動揺を示した。だけどそれは本当に一瞬で瞬きをする間にさっきの彼に戻る。



「初めて言われたよ。そんなこと」


「貴方は私と同じなのよ。だから、嫌いなの」


「…そうか」



彼は瓶に少し残ったウイスキーを口内に押し込んで、ふぅ と息を吐いた。控えめに香るアルコールの匂いがどこか私を虚しくさせた。



「ずっと笑顔の仮面をつけてると」


「仮面?」


「そう。その笑顔の仮面をつけ続けてると疲れない?」


「僕?」



自分に指をさして眉毛を八の字にさせて聞く彼に「貴方以外に誰がいるのよ」とツッコむと彼は んー と少し考えてから顔を上げた。



「この仮面のおかげで、僕は1年に8億稼いでるからね。」


「8億?!」


「そう、8億。だからたとえ疲れてもこの仮面をつけ続けるんだよ、僕は。」



それはただお金欲しさに笑顔を貼り付けているということなのか、はたまた違う意味なのか。私にはまだわからない。だけど、彼は「つけ続けるんだ」と言った。真剣な表情と眼差しで、彼は仮面をつけると断言した。



「君は?」


「…なにが?」


「君も仮面をつけているんでしょ?」



図星。今の私にはこの言葉が当てはまる。生きていてほとんどの時間はこの仮面をつけ続けてきた。だけど何故か彼が現れてから仮面はどこかに飛んでいって、全てが素の自分だったはずなのに。彼は全て、私を理解しているかのように私にそう放った。




「外したくても、外せないのよ。」


「どうして?」


「……誰かに好かれたいから。嫌われたくない、嫌われるのが怖い。少しでも良く見えるように、笑顔の仮面をつけてる。馬鹿で、愚かなのよ、私って。」




誰かに嫌われるのがそんなに悪いことなのかって言ったらそれは違う。生きていれば誰だって嫌われることはあるだろう。だけど、そうじゃない、私はただ愛が欲しい。愛を得るために、仮面をつけ続けたんだ。




「確かに。君は馬鹿で愚かだよ。全部相手の都合の良いようにして、自分の株を上げるなんて卑怯だ。」


「そこまで言わなくても、」


「全部、同じだよ。僕達は。」




その言葉にハッとして下げていた頭を上げて彼を見ると、彼に仮面は存在していなかった。その代わりに本物の彼の涙が一粒だけ頬を伝う。




「僕らは、愚かで卑怯だ。人より多くの傷を抱えた代わりに仮面を与えられたんだ。」


「、でも、幸せじゃない」


「そう。仮面でお金を余るほど稼ぐことができるけど、お金が増えていくたびに愛が遠くなる。消えていく、」




愛情や幸せはお金では買えないと言われるが、本当にそうだと思う。服や靴やコスメなんて山ほどあるし、まだまだ買える。だけど、本当に欲しいものが大切なものが消えていくんだ。




「君は、愛を諦めないで」


「…どういうこと?」


「さぁね。どこかの漫画で言っていただろ、"諦めたらそこで試合終了"って。」




そう言って笑った彼にはもう、すでに仮面が付いていた。ニコニコと笑顔を振りまいているんだ、本当は泣いているのに。私は、彼の仮面を取ってあげることはできるだろうか。




「貴方は?貴方は、諦めるの?」


「もう、アウトだよ。僕は。」



彼は困ったように笑って、いや、困ったように笑った仮面をつけてそう言った。


嫌い。嫌いだ、その笑顔。まるで私をみているようで。





「じゃあ、貴方の試合は終わったの?」


「…… 」


「本当の貴方はもう、生きていないの?」


「もう、とっくに死んだよ。本当の僕は」




神様は残酷だ。そのセリフぐらい笑顔を消せばいいのに、涙を流せばいいのに。仮面をつけたままなのだから。





「生きてるよ」


「死んでるよ」


「生きてる」


「そんなわけ」


「いるよ。貴方には、本当の貴方が」



「、君に何がわかるんだよ!!もう、本当の俺はいないんだ」




神様はどこまでも、残酷だ。私達に外すことが難しい厚く重い仮面をプレゼントするのだから。




「じゃあ、さっきの涙は?笑ったのは?今怒ったのは?確かに、周りの人と比べてしまえば圧倒的に私達は死んでるよ。だけど、まだ生きてる。まだ貴方はいる。」


「私達は同じだよ。だから、わかるよ。」




彼はまた困ったように笑って、涙を流した。半分仮面をつけたまま彼は泣いたのだ。私が最後に涙を流したのはいつだろう。もう 覚えていないくらい前のような気がする。





「君が、僕の仮面を 取ってよ」



「どうやって、?」



「愛してよ。君が」





相変わらず仮面はついたままの彼はうっすらと笑顔を浮かべたままそう言った。確かに、私に「愛して」といった。愛想笑いは張り付いたままなのに、その言葉は彼の本心のような気がするんだ。




「なら、私のことも愛して」




馬鹿で愚かで 卑怯な私だけど、最初で最後のわがままにするから 私 を愛して欲しい。




「僕に、人を愛すことはできるのかな?」




その言葉に 一理ある。と思ってしまった。愛を知らない私達は、人を愛すことなんてできるのだろうか。正直 不安だらけだけど、何故かどうしてなのかよくわからないけど 彼とならできる気がした。




「わからない。けど、私は人を愛したいし愛されたいって思ってる。」


「、僕もだよ」


「じゃあ、いいじゃない。愛を知らない同士 愛を知るために努力するのよ」


「…君は 僕に嫌いだと言ったじゃないか」




あぁ、確かに言った。たった10分前ぐらいに目の前の彼に 嫌いだ と。だけどそれは本心なんだよ、だって私は仮面をつけていつも愛想笑いの彼は嫌いだから。今もね。




「貴方の仮面は、大嫌い。けど 仮面が外れた貴方は嫌いじゃない。」



「ふはっ、正直だね。」



「嘘なんて、仮面をつけてる時だけで充分」



「ああ、その通りだよ。」




今の彼に仮面はついていない。彼は私の言葉にその通りだと頷いて苦笑いを浮かべた。そう、私達が纏う仮面は嘘にまみれているのだから。




「一緒に、住もうか。」


「…は?」


「愛が知りたいなら近くにいた方が効果的だと思うけど?」


「……まぁ、確かに」




確かに否定はできないが、あまりにも突然すぎではないか?私と彼はつい30分くらい前に出会ったというのに。いや、逆に考えたら30分の間でいろんなことが起きすぎたのかもしれない。




「どうする?来る?」



「い、く、、」




違う、違う。ただ興味があっただけ、年収8億稼ぐ彼の家がどんなものなのか。別にそんなことしなくてもいいのに何故か私はいくつもの言い訳を頭の中で考えている。




「こんな店、やめちゃいなよ」




忘れていた。そうだ今いる場所はキャバクラ、私が何度も何度も嘘を吐き出したこのキャバクラだ。



「やめる」


「いい子だ」



まるで子供を相手にするように彼はそう言って私の頭をくしゃっと撫でた。そんなことされたのは生まれて初めてだ。正直、嫌な気はしないんだけど。慣れていないからか、変な違和感のようなものが現れてしまうのだ。



「変な人」


「はは、そんなこと言われたの初めてだよ」



彼はそう言って、笑う。確かに彼は 容姿 性格 共に完璧だろう。仮面が付いているときは。変な人 なんて言葉きっと私しか言わないだろうな、なんて思いながらこの店に「辞めます」と書いてあるだけの手紙を残した。そして改めて彼についていくことを決心して、彼が差し伸べた手をとった。





「やめて清々した?」


彼は車の運転をしながら、助手席に座る私にそう問いた。



「一つだけ、引っかかる」


「え、なに?」


「明後日、給料日だったから」


「…ぷっ、ふは、そうなんだ」



いたって真面目に答えると彼は笑いを堪えるようにして、可笑しそうに笑う。え、私そんな変なこと言った?ただ、先月結構頑張ったからお金だけは貰っておけばよかったなって思っただけであって。



「君らしいね」


「そうかな、?」


「ああ。そういうところ僕は結構好きだよ」


「え、」



思っていた以上に私の口からは間抜けな声が漏れた。その原因は彼が当たり前かのように私に言ったその「好きだよ」という言葉である。



「そういうこと、普通に誰にでも言ってるんでしょ?」


「どうして?ダメ?」



無意識ってやつが1番怖い。今までこの発言のせいで堕とされてきたであろう多くの人達が気の毒になってくる。その気がなかったら言わなければいいのに。



「まぁ でも、これからはきっと君にしか言わないよ」



聞き間違いではないのかと疑った。そんな漫画に出てきそうな甘い台詞を、いとも簡単に吐き出すこの男を少し怖いとさえ思った。だが、それと同時にドクドクといつもより早く動き出す心臓は まさに"私は彼にキュンとしました!!"と自ら宣言してるような感覚がしてどこか少しだけ恥ずかしい。



「なに?照れた?」


「……だったらなに、」


「ふふ、素直じゃないなあ」



悪かったわね、素直じゃなくて。心の中で精一杯の彼へ反抗をして、さっきまでの仮面がなくなった本当の彼の笑顔を目に焼き付けておいた。


私達は仮面をつけることに慣れている分、いつ本当の彼を見ることができるのか分からないから。今だけでも。そういえば彼は仮面を取ると、あまりにも無邪気に笑う。大人っぽい雰囲気とは不釣り合いな 小さな子供のように。




「貴方の笑顔、私 好きよ」


「……なに?仕返し?」


「そんなんじゃない。ただ、好きだなって思っただけ」




単純に好きだった。それに、嬉しかったのかもしれない。彼の素の姿だと感じられたから。彼を知れた気がしたから。




「ねぇ、名前 そろそろ教えてよ」


「そうだなあ、キッド とでも名乗っておこうかな」


「キッド?」


「そう、君は?」




キッド 彼は自分をそう名乗り、私にも同じように名前を訪ねる。これで私が本当の名前を言ったらフェアじゃない気がして、何かあったっけ と名前を探し出す。




「、りお」


「それって、本当の名前?」


「いや、違う」




咄嗟に出してしまったその名前 りお はキャバクラで働いでいた時のお店の中での名前だ。意外と気に入っていたこの名前なら、まぁいいか なんて考えてつい言ってしまった。




「どうして キッドなの?」


「さぁ、何故かみんなそう呼ぶんだ。まぁ あだ名みたいなものかな。


そういう君はどうして りお なの?」


「芸名みたいなもの。私も自分でどうしてなのかわからない。」




お互いに、どうしてそう呼ばれているかは分からない。分からない中で、その名を自分だ と言う私達はきっと多くの人よりも涙を流し、傷つき本当の姿を隠しているのかもしれない。今はそれでいい。それでもいいんだ。




「いい名前だね。りお って。」


「私も、気に入ってる」



りお 最初にそう呼んだのは誰だっけ。そんなのずっと前の話でよく覚えていない。いつからか あのお店の中でその名前が広まって私の第2の名前みたいになっていたけど、どうして りお なのだろう。今考えてみると謎に包まれている。



「ついたよ」



そう言って彼は車を止めた。深く考えることもやめにして、車を降りるとそこに広がる景色は予想をはるかに超えるものだった。



「なに、これ、お城?」


「家だよ。ほら入るよ」



彼はいたって当たり前かのように私の腕を引っ張って行く。いや、本当にお城のように大きくて綺麗で白い。おとぎ話の世界に入り込んでしまったのか と疑ってしまう程だ。彼がドアを開けると、光が入ってきて意味がわからないほど広い玄関とその先に大理石が見える。



『キッド様、おかえりなさいませ。』


「ああ、ただいま」



おまけに執事まで。嗚呼、これは誰が見ても"金持ち"だ。いや分かってはいた。年収8億なんだから たいそうご立派な家に住んでいるんだろうな とは思っていた。だけど、ここまでとは。ここまでくると逆に怖い。



「お邪魔します、」

「緊張してる?」

「だって、こんなに大きな家なんて聞いてなかったから」

「そんな特別なところじゃないよ。いたって普通の家だよ」

「普通?これが?」



普通なわけがない。廊下だけで何メートルあるのかわからないぐらいだ。ところどころに飾られている絵画には金色の額縁が付いていて、置いてある全てのものが高価なものだと思わせるようなものばかり。これが、普通だって?




「まぁ、普通ではないのかも」


「それは確実よ」




彼は はは と笑ってやっとの事で現れた廊下の突き当たりのドアに手をかけた。この時の私は彼が言う「普通ではないのかも」の本当の意味なんて知らない。


そして、彼がノアノブをクルリと回しドアが開いた瞬間 私は驚きすぎて言葉なんて出なかった。もはや私が夢を見ているのだろうか これは幻なのか、と思ってしまった。




「まって、これ本当に家?」


「まだ言うの?家だよ、家。」




そんなの信じられない。それぐらいに驚いた。映画なんかに出てくるような、本当に 豪邸 と言う言葉がぴったりな家だ。ピカピカと光るグランドピアノが置いてあって、いかにも高そうな大きな白いソファーがこれまた大きなテレビの前に置いてある。




「ねえ、本当に私ここに住むの?」


「どうして?嫌だ?」


「違う、そうじゃなくて。私なんかがこんな豪邸にいていいの?」


「いて欲しいから、連れてきたんだよ」




彼は少し照れ臭そうに笑ってそう言った。その姿にほんの少しだけドキッとしてしまったことは今はまだ秘密にしておこう。




「、ありがとう」












「ねぇ、キッド。この家に1人住んでるの?」



あまりにも広い家に流石に気になってしまってそう聞いた。この家は完璧だ。見た目も性能も だけど、どこか寂しく感じたんだ。真っ白で 静かで 規則正しいこの家が。




「僕と、あと執事」

「あ、そっか」


「それと、今日からは君もだ」



その言葉でやっと実感が湧いた。私はこの大きすぎる家で仮面をとって彼と過ごすんだ。彼と、愛を知るために お互いがお互いを愛すために。本当の名前も年齢も、何も知らない。共通点は"仮面"それだけ。


いつだって その仮面は私を苦しめた。だけど、これからその仮面によって私の人生は大きく変化するのかもしれない。




「よろしく、りお」



彼は手を差し出して、私はそれに応える。


まだ彼と出会って1時間も経っていない。私だって私が馬鹿だと思う。でも今は、彼といてみたいんだ。だったら この際変えてみようじゃないか、私達の人生を。




「よろしく、キッド」




元キャバ嬢の私と、年商8億の謎の男。


愛を求めて 同棲を始めます。













こうして同棲が始まり、なんだかんだで1ヶ月が経った。その間に、この家に来て私が気づいたことがいくつかあった。ということで少し巻き戻してみることにする。




_____ 1 彼は天才だった。



これはここに来てすぐのお話。



「執事さん!キッドってなんの仕事してるんですか?」



あまりにも部屋にこもって出てこない彼が何をしているのかが気になって私は執事さんに問いてみることにした。



『詳しくはいえませんが キッド様は、IT系の会社の社長取締役を務められてらおられます。』


「社長、、」


『といっても、社員はキッド様以外人間ではないのですがね』


「どういうことですか?!」



執事さんはティーカップに紅茶をいれて私の目の前に置くと、『どうぞ』とニコリを笑って私が ありがとうございます と返し紅茶に口をつけると 『それはですね』と話を続けた。




『キッド様は社員を自らの手で作ったんです』


「はい?」


『まぁ言ってしまえばAIロボットですかね。キッド様はそれら全てをプログラミングし、AIと自身の体と脳だけで会社を動かしてるんです。』


「……何者?」



思わずそう呟いてしまった。そんなことができるのはほんのわずかな人間だけだろう。それは神に才能を恵まれたようなものだ。その脳で年商8億も稼いでいると考えると、本当に私と脳みそを交換してほしい とさえ思った。ふと前を見ると執事さんはまた ふふ と笑って紅茶の入ったカップを持ち上げると、しっかりと私の目を見て言った。




『本物の天才ですよ、キッド様は』








_____ 2 執事さんとキッドの関係。




これは同棲が始まり二週間ぐらいが経った時、夕食の時に知った。




「ルイ」


『なんでしょう、キッド様』



キッドは執事さんを ルイ と呼び、執事さんは整った顔をキッドに向けて返事をする。その時、私は初めて知ったのだ。執事さんの名前を。




「え、ルイさんっていうんですか?」


『ええ、ルイ と申します』


「あ、りお 知らなかった?」




キッドはアスパラをフォークに刺したまま、あまりにも軽くそう言った。いや 私からしたら結構事件だ。まず二週間一緒にいて、名前を気づかないことなんてあるんだ と自分の馬鹿さに笑えてきてしまった。



『りお様、気軽にルイとお呼びください』


「あ、了解です」



お手本のようなお辞儀をする「ルイ」に若干慌てて返事をしてキッドに目を向けるとこれまたお手本のように優雅にローストビーフを口に運んでいる。それをニコニコしながら見ているルイの姿に、ふと気になった。



「ルイはどうして、この家で執事をしてるの?」


『ふふ。それはいい質問ですね』



ルイはカラになったキッドのグラスに赤ワインを注ぐと そうですねぇ と呟いた。




『何年も前、キッド様が私を選んでくれたのです。多くの執事の中から。』


「選ぶ?」


『ええ。そのまま連れてこられたのがここでした。最初こそただの仕事だと思いながらやっていましたが、私はいつしかキッド様に堕とされていたのかもしれません』



ルイは冗談まじりにそう言うとキッドの動きはピタリと止まった。どう言うことか未だに把握できない私は「と、いうと?」とルイに聞き返した。



『何もできなかったその頃のルイを全て受け入れてくれて、それどころか教えてくれて。そして、全て私に話してくれたんです。キッド様は私にとって、1番大切な存在なんです』


「…キッド、照れてる?」


「誰だって照れくさいだろ、こんな話」



ルイは嬉しそうにそのことを話して、キッドはかすかに耳を赤く染めていた。それに気づいているのか気づいていないのかどうなのか、きっと後者だろう。キッドはグラスに入った赤ワインを柄でもなく飲み干すと ふんわりと頬を赤く染めた。




「まあ、ルイは執事ではあるけど、僕の親友だよ。僕は誰の言葉より、ルイを信じるよ」


「素敵ね」


『そんなこと言っていただけるなんて、私は幸せ者ですね。』



そう言って笑い合う彼らがどこか微笑ましくて私も自然と笑みがこぼれた。



「じゃあ、2人は主人と執事 兼 親友なんだ」



その言葉にルイはふにゃりと笑って頷いて、キッドは次のお肉をロックオンしてから私を見て言った。





「ああ、ルイは最高の執事であり親友だよ」






_____ 3 やっぱりこの家は普通じゃない。



このことは最初から気づいてはいた。でもこの1ヶ月、想像を超えるこの家に私は驚かされてばかりだ。



「なにこれ」


『君の部屋だよ』


「いや、それはわかってるんだけど。なに、これ、、」



この家に来た日の翌日、自分の部屋だと言われて連れてこられた部屋の扉を開けると私の語彙力というものは一気に低下していった。だってこれはあまりにも、豪華すぎる。



『1日で用意した割には悪くないだろ?』



キッドは自慢げにそう言った。いやいや、これをどうやって1日で用意したって言うんだよ。大きすぎるテレビにふかふかのソファー、1人には充分すぎる程のベッドに冷蔵庫もトイレもお風呂もついてる。それもジャグジー付きで。女の子の夢が全部詰まってるような この部屋が私のものになると考えただけでどこか不思議な気分になった。




『気に入らなかった?』


「なわけないじゃん!!なにこれ!最高!」


『よかった、喜んでくれて』




興奮しながら答えた私にキッドは微笑みながらそう言った。私には本当に夢のようなこの部屋だけど、彼はそれを1日で用意するのだ。だけど、私は知らない こんなのまだまだ序の口だってことを。



そう。


ある日は


「プール?!」


『ええ、25メートルほどのプールと温水プール サウナもございますよ』



またある日は


「地下?!」


「そう。シアタールームもあって好きな映画とかも見れるしあと、ジムとかクライミングとかもあるけど行く?」



またある日も


「なにこれ?!」


『キッド様が作ったロボットです。この家の掃除は全てこのロボットが行ってくれるんです。他にも家事は基本的にロボットが行います。』



またまたある日も


「え?!」


「こいつのこと多分、りおも知ってるだろうけど。えーと、まぁ、僕の友達」


「え、芸能人ですよね?」


「うん、まぁそうだね」




と、プールやら地下やらがあったり、何体ものロボットが動き回ってたり 家に有名人や海外セレブが突然来たり。ここにきて初めて彼が以前に「普通ではないのかも」と認めたのはこういうことだったのかと身に染みて分かった。



「ねぇキッド、この家 画期的で衝撃的で少しだけ変な家ね」



彼は私が放ったその言葉に吹き出すと ははは と笑った。彼は可笑しそうに笑って、隣にいたルイもクスクスと肩を震わせて笑う。なに?私そんな変なこと言った?なんて思いながらキッドを見ると彼は楽しそうに微笑んで私に言った。





「確かに、変かもしれない。だけど その変な家 僕は気に入ってるんだ。」







_____ 4 キッドの仮面と本当の姿





「ルイ、キッド大丈夫なの?」


『毎回のことですが 新作発表の前はいつもあんな感じですかね』


「そうなんだ」



機械音痴な私にはよくわからない、なんとかソフト?みたいなものの新作発表をもう直ぐにキッドは控えているらしい。今まではかろうじてちょくちょく部屋から出てきたものの、最近は本当に出てこなくなり流石に心配になりルイに聞いてしまった。



『それ程までに心配ならば、行ってみたらどうですか?キッド様の部屋に。』


「まじ?」



まさか。こうなるとは、たしかに心配だし気になってはいたけどまさか 突入するとは思ってもみなかった。恐る恐る目の前のドアをノックするといつもより低い声で『どうぞ』と言う声が聞こえた。ドアを開けると彼はパソコンとにらめっこ状態のまま カチカチとキーボードを打っていた。



「キッド」


「ん?」


「あの、えっと心配、で」


「別に大丈夫」


「そっ、か、ごめん」



あからさまにピリピリとした雰囲気と彼のそっけなさに急いで部屋を出てしまった。10秒。本当に10秒だった。もう少し気の利いたこと言ってあげればよかった、なんて後悔を残しつつ彼の部屋を離れた。彼は仮面が取れると自分をさらけ出してくれる。だからあのピリピリとした空気も心を開いてくれていると思うと なら、いいか とおもってしまっていた。そもそも彼の性格は まぁ俗に言う ツンデレ だろう。この事件のことも。彼はこの事件の翌日、私に言ったのだ。



「昨日はごめん。疲れてて りおにあたっちゃった、本当にごめんね?」



と。手を合わせて申し訳なさそうに私に言った。別に私自身あまり気にしていなかったこともあってか、上目遣いで謝ってくるキッドが可愛く見えてきて彼の頭を撫でて「大丈夫。気にしてないから」と言うと彼はニコニコと笑う。背が高くて大人っぽい服に大人っぽい髪の毛に大人っぽい顔つき。なのに犬や子供ような彼の反応が愛らしくて、その日からついつい彼を見てしまっていた。


でも、仮面をつけたら。そんな面影はなくなるんだ。完璧 その文字が当てはまるような、そんな人になるんだ。


私は仮面がはずれた彼がいい。


彼はツンツンしてるかと思えば、急に甘えてくるし よく笑ってよく喋る。大型犬みたいで、だけどたまにすごく男らしくて。どこか抜けていてすぐこけそうになったり、よく飲み物をこぼしそうになる。それでいて寂しがりやで繊細で、優しい。


嗚呼、きっと私はそんな彼に 思っていたよりも好感を抱いているらしい。


あ、また転びそうになってる。



「キッドは、キッドじゃなきゃね」













いつのまにか かれこれ1ヶ月が過ぎて、かなりここでの生活も慣れてきた。ルイともかなり仲良くなったし、キッドは部屋にこもりきりだけどたまに出てくるときは普通に過ごしている。ここまで平和だと、なんのためにここにきたのは忘れそうになる。



「そっか、愛 だ」


『りお様、恋してるんですか?』


「は?!」



ルイはいつものように私に紅茶をいれてくれながら、隣にいた私にそう問いた。"恋"なんてワード久しぶりに聞いた。思わず吹き出しそうになってしまったのを堪えて、ルイを見るといつものように ニコニコと笑う彼がいた。



「そんなわけ ないじゃない」


『そうなんですか』


「そういう貴方は?どうなのよ」


『私の恋の話なんか聞いても何にもなりませんよ?』



ルイは ふふ と笑いながら冗談交じりにそう言った。でも、やっぱり気になるものは気になる。だって常にキッドの横にいてニコニコと笑っているルイの恋事情なんて滅多に聞くことのできないことだろうから。今はちょうどキッドも取引先のところに行ってるから聞かれることもない。ルイが話してくれることを期待して視線を送ると、整った顔は困ったように笑って紅茶を静かに飲み込んだ。



「ルイ?」


『恋、してますよ。今も。』



彼から出てきた言葉は予想外のものだった。彼はしっかりと「恋をしている」そう言ったのだ。正直、こうなるとは思っていなかった。いないですよ〜 なんて言われてはぐらかされるのだろう そう思っていたのに。彼は、ルイは恋をしているらしい。



「まってまってまって、誰に?」


『 秘密 、です』



ルイは自分の唇に人差し指を当ててそう言うとふわりと笑った。まるで絵画にありそうなその姿に何故か思考停止してしまい、一瞬目の前が真っ白になるとまた色のある世界に戻る。ルイは何事もなかったように紅茶に砂糖を溶かしていた。



「ルイってさ、」


『なんですか?』


「めっちゃモテそうだよね」



私がそう言うとルイは予想外の言葉だったのか大きな目をさらに大きくして、紅茶をかき混ぜていた手を止めて そうですか? と返した。でも、これは私が保証する。絶対モテる。性格は完璧だしなんでもできるし、顔は少しハーフっぽくてイケメンだし身長だってキッドよりは少し小さいものの180以上はあるだろう。これほどまでに完璧な人なかなかいない。



「でも、モテたでしょ?学生時代とか」


『そうでもなかったですよ』


「嘘だよ。じゃあバレンタインのチョコ最高何個もらった?」



バレンタイン。それは公開処刑の場だ。私の場合はもちろん1つももらえなかった。まあ女の子があげるイベントだけれど。モテてる人はエグいほど貰えるけど人気のない人はエグいほど貰えないそんなイベントだ。



『そうですね、50個ぐらいでしょうか』


「50?!」



50個でモテていないなら0個の人はどうなるの!?とでも聞きたくなった。ほんの少しでも そうでもない の言葉を信じてしまいそうになった私がバカみたいだ。完全にモテてるじゃないか。優雅に紅茶をいれているルイにモテない女の嫉妬を込めて頰を抓る。



「それで どうやったらモテてないなんて結論に至るのかしら〜〜??」


『りお様、痛いです』



顔が歪んでいてもイケメンなのがなんとも羨ましい。ルイの頰から手を離して、彼がいれてくれた紅茶を飲んだ。ルイは少し赤くなった頰をさすると またふわりと微笑んでいた。


私達の間に微かな風が入り込んで髪の毛を揺らす。ここから見えるこの家の庭に咲く花達はあまりにも綺麗で鮮やかで儚くて、どこか寂しそうだった。でも、それら全てを含めて 美しかった 。







「ねえ ルイ。教えてくれない?キッドの過去のこと」


『、りお様、それは』


「お願い。私、知りたいの 彼を。」



特に何もない、平日の15時。私も自分がとことん馬鹿だと思う。優雅な楽しいティータイムに突然 言いだすのだから。でも、知りたいんだ キッドもルイも、過去を話そうとしないから。彼らが好きだから、聞きたかった。



『私の口から言うべきことじゃないのですが、キッド様のお父様はお母様にDVをしていたのです。』


「DV、」



覚悟していたつもりだった。何を言われても動じないように泣いてしまわないように。なのに、その1つの単語だけで涙が出そうになった。




『それがしばらく経つと、お二人はキッド様に暴力を振るうようになってしまったのです。』


「、え」


『キッド様はいつしか泣くことも怒ることも笑うことも、なくなってしまいました。』




彼は 私が思うよりずっと、強くて 弱いんだ。




『キッド様が6歳のときDVがバレてご両親は逮捕されました。それからキッド様はお爺様の家で暮らすことになったのですが、お爺様はとても厳しい方でした。その家で暮らすのはとてつもなく大変なものでした。』


『毎日叱られ続けて、やりたくないことばかりをやらされる そんな生活をしていたのです。毎日感情を失いながら、キッド様は生きていたのです』




キッドは、彼は愛されなければいけない人なのに。




『そしてお爺様はキッド様が16歳の時に亡くなりました。そしてキッド様は高校に通いながら会社を立ち上げ、たった1人で生きることを選択しました』




キッドはいつだって、1人だった。誰と居ても どんなに多く人と関わっても。


彼はたった1人で、戦っていた。




「ルイ、私 彼の仮面を取れるかな。」



『ええ。りお様なら、きっと。』




ルイはいつものように微笑んだ。きっと想像以上に彼は 1人 なんだ。そんなの、ダメだ。彼は1人じゃダメなんだ。彼と私で、1人を2人にしよう。私は彼のそばにいる。そばにいたい。彼と一緒に居たいから。


私は目の前に咲く無数の花達を見ながら ふう と一つ息を吐き出して ルイに ありがとう と告げた。






『ちなみにですが、キッド様がこの家に女の人を連れてきたの りお様が初めてです』



「、そういうのいいから!!」




ルイは私にウインクをしてそう言った。よくそんな漫画みたいなことできるな なんて心の中でツッコミをいれながらも この家に入った女の人は私が初めてだと思うと 正直どこか嬉しくて、心の中で喜んでしまったのは事実だ。ルイはそれを見透かすようにニヤリと笑った。



「なによ」


『りお様にとってキッド様は、少し特別なようですね』



ルイにそう言われて初めて気づいた。私が他の人には向けない感情を彼に向けているということを。それに気づいた瞬間、恥ずかしさからか なんなのか、体がぶわぁぁと熱くなった。



『当たり、みたいですね』



ルイは面白そうにそういうと、いつものニコニコした表情を浮かべてから、ティーカップにわずかに残っていた紅茶を飲み干した。



『さぁ、休憩は終わりにさせていただきます。ありがとうございました。楽しかったです りお様。』



ルイは綺麗にお辞儀をしてティーポットやカップを片付け始めた。ルイに こちらこそありがとう と告げ長い階段を駆け上がって自分の部屋に飛び込んだ。1人分にしては大きすぎるベッドに横たわると明るい太陽の日差しが当たり突然に睡魔が襲ってくる。ほんの少しならいいか と目を閉じるとその数秒後私は意識を離した。









再び目を覚ますと時計は17時を指していた。あれから2時間くらい寝ていたようで 寝すぎたかな なんて思いながら重たい瞼を開けて髪を整える。そういえば、キッドは帰ってきたのだろうか。ルイに聞いてみればいいか。部屋を出て階段を降りるとキッチンにルイの姿があった。



「ルイ、キッド 帰ってきてる?」


『ええ、部屋にいらっしゃると思いますよ』


「そうなんだ、ありがとう」



もう一度階段をのぼることが少しめんどくさい と思いながらもゆっくり歩き出そうとすると「まった」と響くルイの声。その声に振り向くとルイは二通の手紙を私に差し出した。



『キッド様に渡しといてもらえませんか?』


「あ、うん」


『、キッド様 相当お疲れのようなので、りお様が 仮面 を取ってあげてください。』




ルイは私の手を握ってそういうと ふふ と笑って料理を再開した。ルイの後ろ姿に ありがとう と告げて長い長い階段をのぼる。私の出番が 初めてきた気がする。私が彼の仮面を取るんだ。それがここに来た理由の1つなのだから。彼の部屋のドアの前に来ると なんだか緊張してきて ふぅ と深呼吸をしてから、ドアをノックした。



『どうぞ』



彼のその声が聞こえると私は恐る恐るドアを開けた。彼はパコソンの目の前でキーボードを打ち続けている。でもルイの言っていた通り、かなり疲れているみたいだ。



「キッド」


「りお?」



私が彼の名前を呼ぶと初めて彼は振り向いて私の名前を呼んだ。あぁ、やっぱり 今の彼には仮面が付いている。



「少しぐらい、休まなきゃだよ?」


「そうだね」



そうだね なんて言いながらキーボードを打つ手の動きは止まらない。結局、休む気なんてないのだろう。無理をしてでも彼はきっと 止めないのだろう。だったら私が 彼を止めるしかないんだ。正直、なにをすればいいのかなんて私には分からない。それでも今 私ができることは彼を抱きしめることぐらいだから、私はキッドを強く抱きしめるんだ。



「りお?大丈夫?」


「人の心配するぐらいなら、自分の心配してよ」



私がそう言うと彼はなにかを察したように ごめん と呟く。抱きしめていた腕を離すと彼は座っていた椅子をくるりと回して私と目を合わせた。私は隣に置いてあった椅子に座り彼を見ると、彼は困ったように笑った。



「お疲れ様、大変だったでしょ」


「いいや、そんなことないよ」



彼は笑った。仮面をつけて。



「嘘、つかないていいのに」


「ついてないよ」



バレバレだ。彼の嘘は、少し分かりやすいから。今 仮面がついていることも少しだけイライラしてることも 作られた笑顔が一瞬歪んだことも、わかっているから。








「今は、仮面なんていらないでしょ?」




彼の頰を包んで、彼に キッドに 口づけを落とす。いつか彼は言ったから「愛して」と。慣れていないキスだけど、彼の仮面が取れると信じて。だってそうでしょ?いつだっておとぎの世界では悪い魔法は全て キス で解けるじゃないか。




「下手くそ」


「うるさい」




"仮面のはずれた彼"は悪戯っぽくそう言って笑う。下手くそだってことぐらいわかってる。でも今はそんなことより、彼の仮面を取ることができたのが嬉しいんだ。



「ありがとう、りお」



彼はそう言って私の頭をわしゃわしゃの撫でた。いつかと同じように。やっぱり、私は彼の笑顔が好き 無邪気に歯を見せて 目がなくなるぐらい思いっきり笑う 彼の笑顔が好きだ。きっと私は、もうあなたが____



「行こう、りお。夕食の時間だ」


「うん」



今はまだ いいや。


今はただ あなたと一緒にいたい。



この幸せが消えないように、


私は今 願い続ける。






side change_






「ねぇキッド」


「キッド、これなに?」


「見て!キッド!」


「キッドキッド!これ欲しい!!」


「キッド、はやくー」




君は何度も何度も、僕の名前を呼ぶ。ニコニコと笑って嬉しそうに。そもそも君は好奇心の塊のような人だ。なにをしててもなにも見てても「これなに?」と目を輝かせて聞いてくる。僕が全てを知ってるとでも思ってる?僕はAIじゃない。知らないものは知らないさ。だけど、君の質問に全て答えられるようにしたいんだ。君の気になるものは全て僕が教えてあげたい。ああ、そんなことを思ってる僕はきっと 自分が思うよりも 君を想ってるみたいだ。



「おーい、キッド?」


「あ、ごめん。どうした?」


「いや、上の空だったから。考え事?なに考えてたの?」



そんなことでさえ君は気になるみたいだ。キラキラと輝かせた目で僕を見つめてくる。僕、君のその顔に弱いんだよなぁ。君は知っててやってるのか、それとも知らないでやってるのか。どっちにしても、罪な女だということは変わりないだろう。



「りおのこと、考えてた」


「…どこで習ってくるわけ?そんなの」



君は何ともないふりしてるけど、耳が真っ赤に染まってる。照れてることバレバレだ、でも可愛いから今は黙っておこう。それと、これは習ったわけじゃない 本当のことを言ったまでだよ。まあそれもまだ、君は知らなくていい。それよりも君に伝えなきゃいけないことがあるんだ。



「りお。僕、君に出会えてよかった。」


「え、どうしたの?突然」



君は驚いた顔をして、僕を見るけど これは突然なんかじゃない。いつも思っていた。ただ、今伝えただけであって。でも本当に、君に出会えて良かったよ。



「伝えたかったんだよ。りおに。」


「そっか。ありがとう。」



君はふわりと笑う。


日曜日の夕方。空はオレンジ色に光っていて 僕の隣には君がいる。君と出会って初めて、幸せ と言うのがなんなのか知れた気がした。



「でもね、私 怖くなる」


「どうして?」


「この幸せが、いつか壊れてしまうんじゃないかって。」



やっぱり僕達は、同じだ。

僕達は初めて経験する 幸せ に恐怖を感じている。いつか、それが消えて無くなってしまうんじゃないかって。いつか、




「キッドがいなくなっちゃうんじゃないかって。」


りお がいなくなってしまうんじゃないかって。



あぁ、やっぱり僕達は 同じだ。






"ピーンポーン"



神様はいつだって、タイミングを良くはしてくれない。君は鳴り響くインターホンを見てから僕を見てどこか気まずそうに笑った。僕もきっと気まずそうだったであろう笑顔を返して、ソファを立った。



「出てくるね」


「私も行こうか?」


「ふはっ、それぐらい1人で大丈夫だよ」



君が真剣に言うからつい笑ってしまった。まぁいいや。とりあえず、はやくドアを開けよう。僕は廊下を早足で歩いて ドアを開けた。だけどそこにいたのは見知らぬ男性だった。



「えっと、どちら様ですか?」



僕のその質問は、案外すぐに答えられた。



「おにい、ちゃん?」



後ろから飛んできたりおの声。いつのまについてきていたのだろうか。いやいや、それよりも今は彼女が この男性を お兄ちゃん と呼んだことの方がよっぽど問題だ。



『久しぶり』


「なんで、ここに」


『お前がこんなにいい家住んでるなんて知らなかったよ』


「やめて。帰って。」



突然に始まったこの状況。なんだ、これ。まってまって、理解が追いつかない。目の前にいる彼は彼女の兄で 彼女は兄を見た途端 "仮面"をつけた。いや、ついてしまったのかも知れない。



『父さん、アル中でおかしくなってるし。母さんは何人も男作ってどっか行っちゃった』


「やめて、」


『お前が出ていかなければ、こんなことにはならなかったのにな』


「やめてってば!!」



初めて聞いた、君のそんなに怒った声も 君のそんなに悲しそうな顔も。ねえ りお、君のこと聞いてもいいかな?今、泣きそうな君を抱きしめてもいいかな?ごめん。君の答えはまだ出ていないけど、今は君を抱きしめていたい。



「おいで、りお」



細くて脆い君の手を引いて涙で頰を濡らす君を抱きしめる。りおってこんなに、小さかったっけ。ああ、りおはきっと すごく強くて 弱いんだ。



『おい、お前、』


「出て行ってくれ。」


『は?』


「出て行けって行ってんだろ!」



初めて会った人に怒鳴ってしまったのは僕も自分でどうかと思う。だけど、もう りおを傷つけたくない。君は強くて弱いから、僕が守らなきゃ。僕だって、あまり強くはないけど 一応 男だから 大切な人を守りたいと思うんだよ。



「ごめん、ごめんキッド」


「なんで りおが謝るの?」


「迷惑、かけてばっかりだから」



あーもう。君は本当に馬鹿だ。僕が君を迷惑に思っていると思う?そんなわけない。僕は自分の意思で、君をこの家に連れてきて 君を抱きしめているんだ。君はきっと気づいていないだろうけど、僕は君が思ってるより君を大切に思ってるんだよ。



「迷惑だなんて思ってたら、君を抱きしめたりしないよ。」


「ふふ、ありがとう」



よかった。君にはやっぱり笑顔が似合う。君が笑うと僕まで嬉しくなるんだ。まるで、太陽のように僕を照らすその笑顔が僕は好きだ。


けど、たまに君から笑顔が消える時がある。それは僕が君のプリンを食べて怒っているときとか、動物の映画をみて泣いている時とかそういうのじゃなくて。君はいつも1人でいると、悲しそうな顔をする。それはきっと僕の知らない君の人生の中で起こった何かがあるからだろう。さっきのお兄さんのことも。君は、1人で抱えているんだろう?



ねぇ、りお。りおのことすごく大事に思ってる。だからこそ ものすごく大切だからこそ、君のこと知りたいんだ。








「僕に、話してくれない?りおの過去を」





side change____





隠したかった。言いたくなかった。キッドのことが大切に思っているからこそ、あなただけには知られたくなかった。でも彼は言った。



「僕に、話してくれない?りおの過去を」



ついに来てしまった。この時が。いつかは来るのだとそうわかっていたから、いつだって覚悟はしていたつもりだった。だけど、いざこの時が来ると逃げたくなるものなんだな。でも伝えなきゃ。言わなきゃ、キッドには。



「分かった。」



私達はいつものソファに いつものように隣同士で並んだ。いつもと同じ、だけど私にとっては違う。少しだけ、まだ少しだけあなたに話すことを恐れてる。でもね、やっぱりあなたには知っていてほしいの。



「私は、」


「ゆっくりでいい。僕はいつまでも、待ってるから」



彼は私の手を取って、そう言った。仮面なんかついていない本当の笑顔で。



「私ね、実の親に捨てられたの。それでしばらくしたら義理の両親と兄ができたんだけどね、親は仮面夫婦で私のことなんてほったらかしで兄はストレス発散に私を殴った。」



自分で話しながら、クソみたいな人生だなって改めて実感した。でも私の人生はキッドのおかげで変わりかけてる。



「学校でもいじめられて、あー私生きてる意味あるのかなって思って、誰かに愛されたくて、水商売してたの。馬鹿でしょ?」



彼は今、どんな顔をしてるだろう。



「今は?」


「今、?」


「今は、りおが生きてる意味あるなって思えてる?」



久しぶりに見た。その顔。あなたが真剣に人に聞くときにする顔。眉間にしわを寄せて、少し悲しそうな顔をする。キッド、私生きてる意味見つけたよ。



「キッドを、1人にしないこと」


「え?」


「今はそれが私の生きる意味」



もう、貴方を1人にはさせたくないの。


彼は黙って私を抱きしめてくれた。優しくて、暖かくて少しだけまだぎごちないけど、そんなハグが彼らしくて私は好きだ。



「ずっと、1人だったんでしょ?」


「どうして、」


「ルイに無理言って教えてもらったの。ごめん、勝手に」


「…そっか。」



いつのまにか夕焼けから夜に変わった空。今日は少し風が強くて肌寒いけど、彼といるから私はもう寒さなんてどうでもいい。繋がれた手はじんわりと熱を持って私達の体温を上げる。







「ねぇキッド。私達、もう秘密ないよね?」


「うーん、1つだけ。秘密っていうか言わなきゃいけないことがある」


「なに?」



私達に秘密があるのなら、


これからはきっと




「君が好きだ」




幸せな秘密ばかりだろう。




「私も好き」




彼はおもむろに立ち上がると私の腕を引いてまるでおとぎの国の王子様のように手の甲に小さなキスを落とす。



いつか彼は私に「愛して」と言った。


今なら心から言える。



「愛してる」



彼は私の唇に優しいキスを落とすと私の腰を引き寄せて悪戯に笑った。







「仮面なんて、君には必要ないよ」








______今夜、仮面をとって 君と2人。




- 仮面をとって-

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