93 貴族の頭髪事情
死にました。
あの賊、逃げ回った挙句に窓から飛び降りて落下死したそうな。
三階くらいの高さからでも、固い石畳の上に落ちたらねぇ。それも窓を乗り越えるときに、窓枠に足を引っ掛けたらしく、頭から落下したみたいだし。
今回のこの騒動による被害者は一名。運悪く通りがかったメイドの目の前に賊が落下。頭が割れ、大変なことになった賊をまともに目撃。また飛び散った血だのなんだのも掛かった結果、卒倒して寝込んだ模様。
こっちの人は大抵、動物の解体に関わったことがあるから、多少のスプラッタな状況を見ても平気だけれど、やはりそれが人間のモノとなると別のようだ。
可哀想に。きっと暫くは赤いものが食べられないよ。
所持品はなにひとつなく、この男が何を目的として王宮に侵入したのかは不明。現在、男の身元と、王宮への侵入経路の特定を急いでいる状況だ。
うん。大変な騒ぎだし、いろいろと急いでやらなくちゃいけない事があるだろうに、何故に――
「ふむ、ではこの魔法は、各ランクごとに存在するわけだな」
「はい。【堅木の皮膚】【硬石の皮膚】【鋼鉄の皮膚】【黒檀鋼の皮膚】と、熟練級までの四種があります」
何故に私は呑気に魔法のレクチャーをしているのだろう?
魔法の鎧系の話になったのは、有事の際、身を護るための方策云々という話になって、侯爵様が『私も自衛用に魔法を覚えましたぞ』と、【堅木の皮膚】を実演したからだけど。
ジャキン!
という魔法の鎧特有の発動音が、王様の心を思いっきり掴んだらしい。いや、王様だけではなく、王子様に宰相様までも。
あぁ、うん、気持ちは凄いわかるんだよ。なんだろう、どういうわけだか気分が高揚するんだよ、この発動音。体もほんのりと光るというか、セロハンっぽい感じの被膜が全身を覆っているのが視覚化するし。
実際、この魔法、かなり有用だしね。素人級でも硬革鎧くらいの防御力があるからね。私が常用してる【黒檀鋼の皮膚】は、冗談じゃなしに装甲車級に固くなるし。おかげで私も命が助かってるからね。
「熟練級が最上位となるのかね? その上に達人級があるのだろう?」
「達人級は別物になるんですよね。効果が変わるので、扱いにくいんですよ。発動にも時間が掛かりますし、動きながらの発動もできませんからね。【竜鱗】というんですけど、ダメージを八割無効化する魔法です」
「八割無効?」
王様たち、それは凄いとかなんとか云ってるけど、私は微妙な評価なんだよねぇ。というのもだ――
「ですが、云い換えれば、確実に二割のダメージを受けます」
ついでに、発動の為には足を止めないといけない上に、ちょっと時間も掛かる。
故に私の評価は微妙だ。
「それはなんというか……」
「痛し痒しなんですよねぇ。ただこれは、鎧を着ていても問題ない魔法なので、剣で殴られても無傷でいられると思います。ですが大型の魔物に殴られると、それなりにダメージが入るのではないかと」
王様が顎に手を当て、首を傾げる。
「熟練級の魔法と比べると、どうなのかね?」
「熟練級の方が取り回しがいいので、私はもっぱらそっちですね。防御魔法を使うために、戦闘中に足を止めるというのは致命的でしょう?」
「「「「「……」」」」」
あれ? なんかみんな黙っちゃったよ。いや、執事さんは存在感を消してたのに、いきなり驚いた顔で私を凝視しているよ。
どういうこと?
「キッカ殿は、戦うのかね?」
「えぇ。飛竜討伐にも参加しましたし、自衛の手段くらいは持っていないと。でなければ狩りで殺されちゃいますよ」
それにダンジョン観光もしたいしね。
現状だと、この容姿のせいでソロだと絶対に止められるから、入る方法をふたつ考えたんだよ。
ひとつは、透明になって侵入。もちろん、入場者名簿にはきちんと署名するよ。
もうひとつは【アリリオ】ではなく、森の奥地にある未発見ダンジョンにまで行く。
以上のふたつ。どっちにしろ、両方行くつもりだから、まずは【アリリオ】に入ろうと思っているよ。
近衛隊の注文を終わらせれば、鍛冶の技量も十分に上がりそうだからね。自前の装備をしっかりと作ったら、ダンジョンに突撃する予定だ。
「陛下、実際、キッカ殿は飛竜撃退戦で活躍をした猛者ですぞ」
急に侯爵様がそんなことを云いだした。いや、飛竜撃退戦で活躍って、猛者って。侯爵様、あの時は侯爵邸でゾンビを切り伏せてたんですよね? なんで知ってるんですか?
その辺りを聞いてみたところ、こんな答えが返って来た。
「ダリオが街壁から見ていたからな。なんでも変わった形の弓を使っていたのだろう?」
ぎゃー、見られてた! え、大丈夫だよね?
【竜墜】を使いまくってたけど、あれがなにかだなんてバレてないよね?
さすがに私が飛竜を地上に引き摺り下ろしてたとか知られると、いろいろとマズい気がするんだけど。
だ、大丈夫だよね?
かくして、私は戦々恐々とした気分のまま、魔法のレクチャーを続けたのでした。
◆ ◇ ◆
王宮を後にし、侯爵邸へと帰り着いた時には、もうすっかり陽が暮れ、空にはお月さま。
こっちも月はひとつで、空で銀色に輝いている。
丸い綺麗な月。空だけ見てると、ここが別世界とは思えないな。
侯爵邸に入ると、またしてもイネス様に抱き着かれた。
これは、なんだろう? 気に入られたということなのかな? リスリお嬢様の場合は、一応、私が命の恩人みたいなものだから、懐かれてるんだとは思うんだけれど。
初対面でここまでスキンシップが激しい人はさすがに初めてだよ。いや、悪意とかはさっぱり感じられないから、悪い気分ではないんだけれどさ。
そういえば、ある程度の圧迫感で、人は安心感? を得られるなんていう研究結果があるんだっけ? ちょっと強めに抱きしめられると安心するのはそのせいとかなんとか? ……逆だっけ? 圧迫感が抱きしめられていると錯覚するから安心感がある、だっけ? ……まぁ、いいや。
……うん、悪い気分ではないんだよ。なんなんだろうね?
というかですね、リスリお嬢様が凄い不機嫌そうなんですが、これは私のせいなんでしょうかね? それともイネス様?
あとでなんとかご機嫌をとっておこう。
そして少々遅くなりましたが食事です。
あぁ、そうそう、貴族の食事だからって、豪勢というわけじゃないよ。確かに料理人が腕によりをかけて美味しく作っているけれど、『貴族の食事』と云って想像するような料理じゃない。
普通に肉を焼いたものとシチュー。それに芋餅といったところだ。主食である芋餅は、見た目的にはナンに近い感じだね。凝った家庭料理みたいな感じ?
豪勢な料理とかは、パーティとかでのみ作られるだけだよ。まぁ、それもあまり種類は多くないみたいだけれどね。
やっぱり調味料の類が乏しいのが、料理関連の幅を狭めてるいるよ。
……ルナ姉様が異様にやる気になってたけど、大丈夫なのかな。
食事中の会話は、王宮でのできごとについての報告会みたいになったよ。
まぁ、いきなり私が連れていかれたからね。
献上品についての話になった際に、なにを献上したのかとエメリナ様に訊かれたから、素直に『神様から下賜された魔剣ですよ』と答えたよ。そうしたら、侯爵様以外みんな絶句してたけど。
献上品と云えば、【吸血の大斧】と【吸魔の長弓】、それと【生命探知】【堅木の皮膚】【硬石の皮膚】の呪文書を献上することにしたよ。【生命探知】は魔力量増加の修行にも使えるしね。
いや、勲章伝達式を欠席することになったからね。いろいろとご迷惑をかける訳だし、そのお詫びも兼ねてね。大斧と長弓は面白半分で送り付けるって感じだけれど。セットであったほうがいいだろうし。
うん、一日の勲章伝達式だけど、私は欠席という形となったんだよ。残念ながら辞退はできなかったよ。なんでも勲章がもうできているのだそうな。裏面に名前が彫られるため、いま辞退すると勲章が無駄になるのだとか。
さすがにそれは……ねぇ。名前が彫られている以上、別の人に授与なんてできないしね。
さて、式に出席しなくてよくなったので、私はもう王都でやることはなくなりましたよ。適当に観光をして、帰るとしましょう。
ただ、サンレアンへは侯爵様と一緒に帰ることになったから、そこそこ長い期間王都に滞在することになりそうだけど。ひと月くらいかな?
あ、そうだ。
「侯爵様。一応、国王陛下への献上品として万病薬を十本持ってきているんですけれど、どうしたらよいでしょう? 一日にお渡しするつもりだったのですが」
「あぁ、それなら私からお渡ししておこう」
「すいません。お手数を掛けます。ありがとうございます」
うん。助かる。私がひとりで王宮になんて行けないからね。
「それでですね、侯爵様、新しい種類の薬が開発できたんですよ」
「ほう?」
「養毛剤兼育毛剤兼発毛剤です。簡単にいうと、毛生え薬なんですけど、需要はありますかね?」
あ、あれ? みんな止まった。
「……キッカ殿、それは販売する予定なのかね?」
「えぇ、需要があるようでしたら。ただ、販売窓口をどうしようか悩んではいますけど」
「販売をイリアルテ家に任せてはもらえないかね?」
ずい、と、侯爵様が身を乗り出した。なんだか顔が怖いですよ、侯爵様。
なんだろうね、この食いつき。ちょっと迫力があって怖いんだけれど。
「そ、それは構いませんけど。薬が薬ですから、組合を介して販売するのもおかしいですしね。私としては凄く助かります」
「おぉ、感謝する、キッカ殿。ふふふ、これで飛竜騒動の損失を――」
お、おぉぅ。なんか侯爵様がブツブツと。
「あなた、落ち着きなさいな。キッカちゃんが驚いているじゃありませんか」
「お、おぉ、これは失礼をした」
「い、いえ。その、そんなに需要があるのですか?」
訊いてみた。
するとエメリナ様がなんとも困ったような顔。
「頭髪に悩む貴族は多いのよ……」
そういって、エメリナ様が話してくださいました。貴族の頭髪事情。
貴族にとって、鬘はほぼ必須のアイテムとなっているのだそうな。
貴族である以上、儀礼やパーティに出席することは非常に多い。当然、そういった場では皆、着飾るものだ。服装、装飾品、化粧、そしてもちろん髪型。
この中で、一番問題となるのが髪型だ。当然のことながら、こっちの髪の手入れ事情は、現代日本と比べるべくもない状況だ。シャンプーっぽいものは帝国が開発してあるけれど、リンスだのコンディショナーだのなんてないしね。髪の手入れに関しては、正直、残念と云わざるを得ない。
だから私、ララー姉様に椿油の開発を依頼したわけだし。
【清浄】で汚れは落とせるけれど、髪の手入れができなかったからね。正直、回復魔法で無理矢理傷んだ髪を修復するのは、なにか違うと思うのよ。
枝毛とかは治るけど、艶がなくなっちゃってさ……。
と、脱線した。
手入れの行き届いていない髪を、思いの通りの髪型にするのは難しい。それどころか、行事の日程によっては、一日に数度髪型を変えるなんてこともある。
同じドレスで続いてパーティには出られない、というのと同じ理由だ。
それを解消するために、基本的に男女とも鬘を使うのだそうな。
でも、鬘は非常に蒸れるわけで。当然それは、髪、というか頭皮に良いはずがあろうこともなく、髪が薄くなる人が多いとのことだ。
殿方よりも女性のほうに、切実である方が多いらしい。殿方は潔く剃髪して、鬘で過ごすことを選ぶ人が殆どとのことだけど、女性が剃髪するというのは……ねぇ。
……購買層が思い切り予想と外れたんだけど、まぁ、いいか。
「なるほど。大変ですね。でも一時の見栄よりも、自身の髪の方が大切だと思うのですけど、私などは」
「私も同意見よ。でも私のように鬘を使わずにいる者は、少数派なのよ。
それでキッカちゃん、その薬はどのくらい効果があるのかしら?」
「まだ試験はしていないのですよ。被験者が見つからなくて。ですが錬金薬、魔法の薬ですからね。回復薬と同様に、かなりおかしな効果を持っている筈です」
そこで一度言葉を切り、私が予想していることを話すことにした。
「ただ、恐らくですが、注意しなくてはならない点があります。間違えると、大変なことになると思うんですよ」
「どういうことかしら?」
エメリナ様が首を傾いだ。
「基本的に、私が作る薬はすべて飲み薬です。回復薬とかは傷に掛けても効きますけれど。
なので、この発毛剤も飲み薬の体を成しています。ですから、服用することで効果を得ることはできるのですが、それをした場合――」
「した場合、どうなるの?」
エメリナ様の問いに、私は答えた。
「歩く毛玉になると思われます」
がたっ!
椅子を引いたような音がし、その方向を見つめると、イネス様が半ばテーブルに突っ伏すように肩を震わせていた。
その隣ではリスリ様が顔を顰めていた。
……説明を続けよう。
「服用すると全身の体毛に効果が及ぶと思うのですよ。ですから使用の際は、いくらか手に出していただいて、それを頭皮に、揉みこむようになじませるのがよいかと。回復薬も、傷に掛けるだけで効果を発揮するので、この薬も同様でしょう」
「なるほど。それは注意しないといけないわね」
「えぇ、朝、目が覚めて、毛むくじゃらになっていたら、とんでもなく混乱すると思いますよ。
それと、これを毒の代わりに、ワイン樽にでも流し込んだら、飲んだ人たちは大変な事になりますからね。
それこそ、赤、茶、金、青等の毛玉が、そこらじゅうを駆け回ることになります」
「――!」
今度は声にならない笑い声を上げて、イネス様は完全にテーブルの上に突っ伏した。
どうやら相当壺にはまったらしい。
あ、リスリお嬢様も顔を真っ赤にして、口をぎゅっと引き締めながらカタカタ震えてる。
そんなに面白いことを云ったわけじゃないんだけれどなぁ。
◆ ◇ ◆
おはようございます。キッカです。
昨日はよく眠れました。キングサイズの天蓋付きのベッドなんて、初めてですよ。
そして、目が覚めたら両手に花の状態になってましたよ。
なんでイネス様とリスリお嬢様が両サイドで眠ってるんですかね?
昨日寝た時にはひとりだったよ。いつの間に忍び込んだんだろう?
本当、どれだけ気に入られたんだ、私。
思わず遠い目をしちゃうよ。
ララー姉様にペンダントを貰ってよかったよ。
バレッタと同じ効果のあるペンダント。これを付けている限り、髪の色が青色になる。しかも、身に付けている当人以外には外すどころか触ることもできないという優れものだ。……デザインがこれまた遮光器土偶の目の部分というのがなんだけど。
私はふたりを起こさないようにそっとベッドからでると、手早く着替え、部屋を出た。
階段を降り、ダイニングルームへと入ると、そこでは侯爵様が羊皮紙を睨みつけていた。
「おはようございます、侯爵様。お早いですね」
「あぁ、キッカ殿、おはよう。ついさっき配達人が来てな、少々おかしな事が起こったようだ」
ふむ、どうやらあの羊皮紙は手紙のようだ。
「どうしました?」
私は訊ねた。
「昨日の賊の遺体が消えたそうだ」
……はい?
侯爵様の言葉に、私は思わず首を傾けたのです。
誤字報告ありがとうございます。
感想ありがとうございます。指摘されました当該部分を削除しました。
月の自転~:幼少期に間違った知識を教えられ、それをそのまま確認せず放置したダメな例です。
当初、長々と当時聞いた話を記したのですが、さすがにトンデモ理論過ぎる上に長すぎると削除。当該部分を削除し忘れた感じです。
ちなみに、そのトンデモ理論話は、第五惑星が~から始まる話なので、もしかしたら知っている人もいるかもしれませんね。
……確か、この話をしたは、小学校の時の教師。ネタで云ったのか、ガチだったのかは不明だけれど、立場を考えて子供には蘊蓄を騙って……違う、語ってほしいものです。