89 かかってこいやぁっ!
「俺と手合わせしてをくれないか?」
突然そんなことを請われ、私は目を瞬いた。
私と手合わせ? 勝負? え、なんで?
ほんの一呼吸の間、私は考えこう確認した。
「あの、それはベッドの上でとかいう話ですか? さすがにそういうのはお断りなのですが」
あ、なんかこの人、凍り付いたように固まったぞ。
「いや、違う、そうじゃない! 普通に模擬戦だ」
「そのー、あなたは見たところ近接系の軽戦士っていう感じですよね? いわゆる機動性運動性重視の傭兵さんスタイル。私は見ての通り、弓を使っての遠距離からピスピス矢を放つのが主体です。模擬戦となると、私が一方的にのめされて終わる未来しか見えないんですが。
いじめですか?」
あれ? なんか周囲のざわめきが消えたぞ。
「なにやってんだよルスラン。こんな嬢ちゃ……ん、に……」
「なぜ私の胸を見て止まりますかね」
脇から茶髪の兄ーちゃんを注意しにきた、くすんだ金髪……灰色っていったほうが近いかな、髪を短く刈り込んだ大柄な男の人が、自嘲めいた笑みを浮かべた。
「あぁ、すまない。だが、なんというか、いろいろアンバランスな嬢ちゃんだな」
「また率直ですねぇ。えぇ、背丈を伸ばそうと努力したら、なぜかみんな胸にいったんですよ。
えぇと、それで、ルスランさん? なんで私と手合わせをしたいと?」
「いや、あんた、殺人兎を狩った人だろ? それなら相当に強いハズだろう?」
それが答えだとばかりに、彼はそこで言葉を切った。
いや、私の背にある弓が見えませんかね。まぁ、この【狩人弓】は、動物に対する特攻がついているユニーク武器だけどさ。実際のところは、ダミーで背負ってるだけだけど。矢がもったいないから、基本【召喚弓】しか使わないからね。
というか、一気にざわめきが復活したよ。いや、私みたいなのが殺人兎を狩ったとか信じられないだろうけどさ。実際、酷い狩り方をしたわけだけども。
「強いもなにも、私の主武器は弓ですよ。殴り合いなんて、家で護身用にちょっと訓練している程度でしかないですよ。本職の人の相手になるわけないじゃないですか。あれですか? こいつならいくらでも殴れるとか、そういうのですか?」
「なんだそりゃ。どんなクズだよ。ちげーよ! ……って、まさかあんた、そういうのに遭ったことがあるのか?」
「えぇ、まぁ、似たようなのには。昔はちょっと足が不自由だったので、与し易いと思われたんでしょうね。あはは」
……あいつら今ものうのうと生きてんだろうな。
「ところでラモナさん、どうしました?」
いつの間にか私の側に立っているラモナさんに声を掛けた。
「いえ、場合によっては懲罰案件になるかと思いまして」
「え? いやいやいや、俺はただ、殺人兎を狩猟した奴と勝負したかっただけで……」
「あー、すまん。俺たちは傭兵稼業の傍ら、賞金の掛かった獲物を狩ることをやっててだな。それを成功させた嬢ちゃんに、なんだ、要はこいつが嫉妬したんだよ」
「嫉妬って、ギャリソン、お前な」
「あぁ、まだ一度も狩猟出来ていませんでしたね」
あ、ふたりとも項垂れた。
ラモナさん、容赦ありませんね。まぁ、そんな簡単に狩猟出来たらUMA扱いになってませんか。
……ちょっと今確認しよう。
ペラペラとさっき貰った紙束をめくる。
あぁ、やっぱりヴォルパーティンガーも賞金が掛かってるよ。どうしよう。インベントリに二羽入ってるんだけど。
少し情報を流してあげるか。
「やっぱり遭遇できませんか?」
「見ないな。まぁ、安全第一で、危険なところには入ったりしていないのもあるだろうが」
「ヴォルパーティンガーなら、森で何度か見かけましたけどね」
「ヴォル……なんだって?」
「ヴォルパーティンガーですよ。これです」
賞金首の手配書みたいになっている、ヴォルパーティンガーの書面を見せた。ちなみに懸賞金は白金貨十枚だ。日本円だと……一億円くらい?
「悪魔兎……だと。マジか」
「教えてくれ、どこで見たんだ!?」
「【アリリオ】の先。湖の周辺、奥寄りですね。【アリリオ】からだと二、三時間くらいですね」
教えたらふたりともなにか相談をし始めた。
大丈夫なのかな。あのあたり、普通に危険地帯だからなぁ。私は魔法で索敵しているから、危険回避は簡単だったけれど。
「行くなら自己責任でお願いしますよ。あそこ、格闘兎やバジリスクとかが普通にウロウロしてますから」
あ、顔を引き攣らせた。
そりゃそうか、バジリスク、災害に認定されてる魔物っていってたしね。
「そういえば、バジリスクもキッカ様が……」
「私はたまたま死骸を拾っただけですけどね。あ、ラモナさん、ここって欠陥品を納めた倉庫ってあります? サンレアンにはあったんですけど」
「ありますけど、どんな御用で?」
「重装の全身鎧ってありませんか? できたらお借りしたいんですけど。普通の重装鎧の貸し出しなんてしていないでしょう?」
私がそんなことを訊ねたら、ラモナさんは目をぱちくりとさせていた。
「え、えぇ。練習用に武器の貸し出しはありますが、鎧の貸し出しはしていませんのでありませんね。ですが、確か欠陥扱いの鎧は何領かあったはずです」
「それじゃ一領貸してください。もし壊したら買い取りますので」
「それは構いませんが――」
「ルスランさん、勝負するならとっととしましょう。鎧を借りられたので、お相手しますよ」
「えっ」
なぜそこで顔を引き攣らせますかね。ルスランさんが望んだことですよ。
◆ ◇ ◆
そんなわけで、私は今、修練場に立っていますよ。
装備はガッチガチの全身金属鎧。かなりずんぐりした鎧だ。
この鎧は、倉庫に幾つかあった中で、唯一私の琴線に触れたものだ。どうも私は、こう、スマートな鎧か、もしくは対照的にどっしりした鎧か、とにかく極端なものが好みみたいだ。あんまり自覚はなかったんだけど。ただこの鎧、よくわからない部分があったのでラモナさんに訊いてみたよ。
「このジャラジャラしてる鎖の意味は?」
「浪漫です」
……即答されるとは思わなかったよ。
いや、この鎧、そこかしこにフックがあって、そこに鎖が留めてあるんだよ。それこそ全身に絡むような感じに。なんか腰の所はジャラジャラと垂れてるし。無意味に重量を増やしているだけの代物だよ。
あれだ、某ゲームの【岩の騎士】の鎧みたいだよ。あれも鎖がじゃらじゃらしてて馬鹿みたいに重かったけれど。まぁ、これはあんな風に表面がごつごつしてないけど。
これを装備して、普通に歩いてたらラモナさん驚いてたな。
そういやこの鎧、重さどのくらいなんだろ? 着る時に結構大変だったけれど。
さて、修練場に立って待っているんだけれど、ルスランさんがまだ来ない。というか、女の人ふたりにお説教されてる。多分、組んでいる隊の仲間だろう。
まぁ、経緯が経緯だから、なに大人げないことやってんだってことだろう。私が子供みたいな容姿ってこともあるだろうけど。
あ、やっとルスランさんが解放された。
「待たせた」
「それじゃ、始めましょうか。ラモナさん、審判お願いしますね」
「いや、武器もなにも持ってないだろ」
「あってもなくても一緒なので、このままでいいですよ」
そう、私はいま丸腰だ。正直、現状だと近接戦は無手のほうが強い状態なんだ。ボーと遊んでただけなのに、どうしてこんなことになったのか疑問だけど。
そういや、なんでラモナさんがこんなことに付き合ってるんだろう? 受付業務は別の人に引き継いでたのは知ってるけど。
まぁ、いいか。職員立ち合いなら、おかしなことにもならないだろう。
「はじめ!」
ラモナさんの合図で模擬戦が開始された。
ルスランさんはバックラーを着けた左腕を胸元に構え、刃引きした練習用の剣を持った右腕を後ろに下げた。
うん。これあれだ、居合いと一緒の感じかな。間合いを相手にわからせない構え方。
まぁ、剣持ちの相手なんて、あの吸血鬼としかやったことがないから、私にはさっぱりなんだけれどね。
それじゃ、ちょっとやってみたかったことをやってみよう。
左側面を前に斜に構える。そして左掌を上に向けた状態でルスランさんに差し伸べる。
ちょい、ちょい。
人差し指から小指まで、招くように動かす。
要は、『かかってこいやぁっ!』というジェスチャーだ。
あ、ルスランさんの顔つきが変わった。さすがにカチンと来たみたい。
一気に踏み込み、剣を横薙ぎに払ってくる。それを後ろへと退がり、躱し、すぐに間を詰める。
そうしないと、修練場の端に追い詰められてしまう。
さすがに剣を振れない間合いを嫌い、今度はルスランさんが退がる。
見るのは剣ではなく、剣を持つ手。剣先なんて、速すぎて目で追えない。それなら手元を見て、勘で避ける方がマシだ。というよりも、それが正解だ。
さすがに剣先の速さは、ボーの拳よりも速いな。でも手先を見て、間合いさえ分かっていれば、避けることはできる。
あ、体の動かし方だけど、ボーとの訓練で十二分に改善されたよ。ひとりでちまちまやるより、痛い思いをしながらふたりでやる方が結果がでるね。まぁ、ひとりだと簡単に訓練を終わりにできるけど、ふたりだとそうもいかないからね。
おかげで、多分、人並みにはボディコントロールができるようにはなったと思うのよ。そろそろ全力で走れるようになったかな?
剣が振られる。それを躱す。
うん。間合いもしっかり把握できたかな。よし、それじゃ、やってみようか。
好機を待つ。そして、分かりやすい一撃が繰り出された。
振り下ろされた剣の腹を左手で払いいなす。そして腕を剣にあわせ滑らせ、ぐいとルスランさんの腕を上にかちあげると同時に、一歩左足を踏み込んだ。次いでぐるんと、しっかりと地面を踏みしめ腰を回転させ、右の拳を彼の腹に叩き込む。
がちゃん! と、拳がルスランさんの腹を叩く音より、私の着ている鎧の立てる音が大きく響く。ルスランさんの体が私の打撃によりズレるように下がる。それに合わせ、今度は右足を踏み込み、打ち込んだ右腕を懐に畳み込みつつ、再びぐるんと腰を回転させて左拳をルスランさんの右わき腹に突き刺した。
今度は右へとルスランさんの体がズレた。ほんの少し浮いていた足が地に着くと、ルスランさんはそのまま蹲って悶絶し始めた。
あ、あれ?
「止め! 勝者、キッカ様!」
ラモナさんが宣言した。途端、喚声があがる。
いつの間にか、始めた時よりも人が増えてるな。娯楽が少ないのかしら? あ、あそこでお金が行き来してる。賭けも始まってたのか……。
さて、この模擬戦を受けたのは、確かめたかった技術があった為だ。
私のこの体のモデルになっているゲームではなく、別の某アクションRPGの【いなし】だ。
以前、重装鎧の修行をしていたときに、ちょっと練習したんだよ。
熊にただ延々と殴られてた訳じゃないんだよ。二十時間以上もやってると、途中で変わったことをやろうとか思うんだよ。飽きてくるのと、痛みでだんだん機嫌が悪くなってくるのもあって。
そういや、この間技能の確認したら、防御ツリーに存在していなかった【いなし】が追加されてた。なんか、物理攻撃だけじゃなく、魔法も弾けるらしい。
まぁ、魔法を撃ってくる奴はお目に掛かっていないから、現状は無用の長物になってるけど。
それに加え、実は私はちょっとズルをした。いや、いま手に【拳闘士の革手袋】を鎧の下に装備してるんだよ。これ、素手の打撃力を一定値上昇させるから、普通に武器で殴ったのと同じくらいの打撃力があるんだよね。あ、そういや重装鎧の技能に、拳の打撃上昇もあったんだ。
やべぇ、思ってた以上に打撃力があがってる!?
悪いことしちゃったかな?
ルスランさん、まだ悶絶してるね。大丈夫だよね?
「あの、大丈夫ですか? 肋骨が折れたとか、ありませんよね?」
不安になって訊いてみた。
なにかジェスチャーっぽいことしているけど、なんだ?
「あぁ、大丈夫みたいだ。大した力がないだろうと思って油断してた結果だ」
側に跪き、様子を見ていたギャリソンさんが答えた。
ふむ。とはいえ、この痛がり様はちょっと心配だな。
「これ差し上げるんで、もし痛みが引かなかったら飲んでください」
そういって私は下級回復薬をギャリソンさんに渡した。
「それでですね、少し厳しいことを云っていいですか?」
「あー、なんだ? さすがに追い打ち的な言葉は勘弁してくれ」
「いえ、そうではなく。格闘兎を相手にするのは止めましょう、って話です。あいつら私より速いですし、一撃はもっと重いですよ」
「殴り合ったのか?」
「いや、家で番犬代わりに飼ってるんで。殴り合いの訓練相手にしてるんですよ。あの子たち頭がいいですから、ちゃんと加減もしてくれますしね」
「『たち』って、何匹も飼ってるのか?」
「私のところは一羽だけですよ。イリアルテ家には番でいますけど」
そういうと、ギャリソンさんは驚いたような顔で私を見つめた。
「あの、キッカ様? 生け捕りにしたのですか?」
「はい。頑張って生け捕りにしました。こう、盾で延々と攻撃を受け流して、力尽きさせました。あいつら自分より強い相手には服従するみたいで、家の格闘兎は私の舎弟みたいになってますよ」
結構必死だったんだけどね、ボーと初遭遇してやり合った時は。途中で慣れて舐めプみたいなことしてたけど。
……連れてくればよかったかな。いや、なんかトラブルの元になりそうだ。
「その、無茶すぎませんか?」
「いや、そうでもしないと生き延びられませんでしたし。相手のが速いので、逃げるのは無理でしたし」
「スタミナ切れって、どのくらいやり合ってたんだ?」
「三時間くらいですかね。生きた心地はしませんでしたね」
「なにをやってるんですか、キッカ様」
「そこは格闘兎に遭遇した私の運の悪さを哀れんでくださいよ」
本当、なんでこんなに巡り合わせが悪いのか。
考えてみたら、テスカセベルムからディルガエアに来るまでにも似たようなことはあったしね。魔法が無かったら普通に死んでたと思うし。
アルミラージにしろ、ヴォルパーティンガーにしろ、怪獣猪にしろ、もちろん、格闘兎にしろ。
……よく無事にディルガエア、というかサンレアンに辿り着けたな、私。
あのゾンビ戦でも、下手したら死んでたし。魔法がなかったら、叩かれた頭が痛いで済んでなかっただろうからね。
いや、ボーの時はもう途中から、修行に切り替えて『逃げる』から『逃がさない』に気持ちが変わってたけどさ。
こうしてみると、運が悪かったのは私ではなくボーか。
まぁ、いいや。
◆ ◇ ◆
そんなこんなで冒険者組合を後にして、今度は教会へ。
特に用があるわけじゃないんだけれど、一応、お祈りくらいはしておこうと。
教会ともなんのかんので付き合いがあるしね。面倒事が起きないように足を運んでおこうと思ったのさ。別に誰かに会わずとも、このなりなら覚えられるだろう。
さすがに、仮面を着けて歩いている人なんて私以外見かけないからね。
そして到着しましたよ。地神教の総本山。うん。でかい。まさに大聖堂という雰囲気の建物だ。七支刀みたいなシンボルが天を突きさすように天辺に据えられている。
今度、七支刀を打ってみようかな。剣としての実用性は無いけど。いや、打ってどうするんだって感じだけれど……教会に寄付でもすればいいかな。
あの特殊な形はちょっと打ってみたくもあるんだよね。
テクテクと聖堂のなかへと入る。
おー。凄いな。装飾が豪奢だ。
正面にディルルルナ様の大きな立像。その奥にアレカンドラ様を示す、太陽を模したっぽい巨大なレリーフ。
礼拝堂の右側には、他五神の立像が並び、左側には懺悔室(?)とかがある。
そういやあの小さな個室、なんなのかいまだに知らないんだよね。サンレアンに戻ったら訊いてみようかな。
立像の前の跪き台でお祈りを済ませ、私は逃げるように教会を後にした。
なんでアレカンドラ様のレリーフが光るの!?
騒ぎになる前に逃げて来たよ。窓からのお日様の光で、あんまり目立たなかったのが幸いしたよ。あとでアレカンドラ様に連絡して訊かないと。面白半分であんなことしないと思うし。
いやいやいや、だからってなんで光る。普通に連絡手段があるよね?
これ確認しないとダメだよね。
かといって、道端で立ち止まってやるのもなんだよね。
とりあえず、侯爵邸にまで行こう。
時刻は正午前。私は足早に王都にある侯爵邸へと向かったのです。
誤字報告ありがとうございます。