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85 王都で跳梁するモノ


 その事件が発覚したのは、しとしとと降り続いた雨の止んだ五日のことだった。七ノ月とは思えないほどの蒸し蒸しとした陽気に、道行く人々は陰鬱な表情を浮かべていた。


 そんな中、とある酒場の裏手で異様なものが見つかった。


 野良犬が集まり、騒いでいるのを不審に思った巡回中の兵士がそれを見つけたのだ。


 野良犬を追い払い、何頭かを始末した後に、兵士はその遺体を見つけた。野良犬に喰われたのか、酷く損壊はしていたが、その遺体の異常さは一目でわかった。


 血が、一切流れていなかったのである。


 その遺体には血がまさに一滴たりとも残されてはいなかった。だが、木乃伊のように干乾びていたわけではない。


 そう、それはまるで、血抜きをされた食肉用の動物のようであった。


 それが七ノ月五日早朝の事。


 その後も数日おきにそういった遺体が発見された。


 遺体となって見つかった者は、いずれも物乞いや立君といった者ばかりであり、遺体の発見現場も貧民街ということもあり、遺体が異常な状態であっても、さほど問題視されていなかった。


 貧民街で人死にが多いことなど、それこそごく当たり前のことなのだ。


 唯一の例外が、最初に発見された被害者の女だった。貧民街ではなく、繁華街で発見された被害者。ハロン葡萄酒醸造所の女主人であるイメルダである。


 ハロン葡萄酒醸造所をディルガエア一番の醸造所にのし上げた女傑だ。だが、ハロン葡萄酒醸造所がディルガエア一となった背景は、決して葡萄酒の出来によるものではない。イメルダは謀略により、同業者を蹴落としてきたのだ。そのために、イメルダは方々から恨みを買っていた。


 もっとも、そういった者たちは、恨みを持つに至った時点でもはやなにもできない状態となっていたが。


 犯罪の冤罪を着せられ、投獄される。

 醸造所が全焼し、経営者が焼死する。

 輸送中の商品が賊に襲われ失われ、多額の借金を抱える。

 酷いのになると、酔っ払いの喧嘩に巻き込まれて死亡するなんていうのもある。


 とにかく、イメルダは手段を選ばなかった。自身の醸造所を王国一にするのであらば、同業者を排除すればいい。

 彼女はそれを実行し、そして王国一の醸造所の経営者となった。

 当然、彼女を疑う者は多数いたが、そういった者たちの目をかいくぐれるほどに彼女は巧妙で、用心深くもあった。


 始末に悪いのは、潰した同業者の醸造所を買い上げていくことで、葡萄酒の質も上げていったということだ。同業者たちが苦心して作り上げて来た物をかすめ取り、彼女は名ばかりか、実までも王国一の醸造所を作り上げたのだ。


 悪因悪果。


 王国一の醸造所の経営者となったのに、彼女はあまりにも無残に死んでしまった。

 血を失い、(はらわた)をぶちまけ、その肉を野良犬に食い散らかされるという有様で。


 彼女に対し恨みを持っていた者たちがその最期の姿をみたのなら、溜飲のひとつも下がったのではないだろうか。


 なにしろ、その遺体がイメルダであると分からせたのは、堅く握りしめられたその手の指に嵌められた、趣味の悪い指輪であったのだから。


 そして更にここから興味深いことが起こる。


 イメルダの死後に広がるハロン葡萄酒醸造所の悪い噂話。悪評。そしてそれに合わせたかのように出回る粗悪品。結果、噂話に信憑性ができてしまった。


 これまでイメルダがやってきた手口をそっくり返され、ハロン葡萄酒醸造所はたちまちのうちに信用を失った。噂話だけならまだいい、妬み嫉みはついてまわるものだ。だが、商品が問題を起こせば信用は失墜する。


 なにしろ、食品であるのだ。問題が起これば誰も買うことはしない。そして、残された者たちは今後どうなるのか、容易に予測出来て絶望していた。


 これまでの所業が、すべて返って来るのだ。


 ハロン葡萄酒醸造所は売れぬ在庫を抱えたまま潰れることになるだろう。いや、なるはずだった。


 レブロン男爵。ハロン葡萄酒醸造所のある地域の領主である彼が、ハロン葡萄酒醸造所の経営権を買い取ったのだ。もちろん、適正価格よりもはるかに安い値段ではあったが、それでも残された者たちが何処かで再起するには十分な額であった。


 イメルダが死亡してより十日余り。ハロン葡萄酒醸造所は経営者を変え、レブロン葡萄酒醸造所と名を変え、運営を再開した。


 新たに経営者となったのは、先ごろレブロン男爵と婚約した、クラリスという美しい金髪の女性だった。その顔に、無機質な白い仮面を着けた。


 ◆ ◇ ◆


「アレクス、意見を聞かせてくれ、俺はどうすればいい」


 切実な表情で訊いてくる兄、アキレスに、アレクスは苦虫を噛み潰したように顔を顰めた。


「兄上、それだと求めているのは意見ではなく、指示ですよ」

「そうはいうが、殺人事件の犯人探しなど、俺にはさっぱりだぞ」


 アレクスは久しぶりに顔を合わせた兄の様子に、思わずため息をつきたくなった。


 なぜにこうも兄上は偏っているのか。普通に王としての仕事をやらせれば、非常に優秀なのだ。だが、なぜかそれ以外のことはからっきしなのである。

 まぁ、兄上は天才肌のお人だからなぁ。興味のないことにはとことん興味がない。


 犯罪者の捜査など、まったく考えたこともなかったのだろう。

 だが何故いきなり犯罪捜査の指揮を執ろうとなど思ったのだろう? まぁ、軍の指揮とはまったく勝手が違うのだから、僕の所に訊きにきたんだろうけど。


「さすがにそんなことを僕に訊かれたってわかりませんよ」

「無理か?」

「財務関連ならわかりますけど。だいたい、なんで突然そんなことを? 治安維持隊の仕事でしょうに。バスケス子爵になにか問題でもありましたか?」


 バスケス子爵。ファリノス伯爵の次男であり、治安維持隊の指揮を執っている人物だ。『隊』扱いではあるが、その規模は旅団級である。


「あー、子爵には問題はない。だが、こちらが問題としていることを、問題のないこととして処理されている状態だ」

「どういうことです?」

「貧民街で不可解な死体が見つかっているのは知っているか?」


 アキレスの言葉を訊いて、先日レオナルドから聞かされた話をアレクスは思い出した。


 干乾びた死体が見つかった、という噂話だ。いまでは尾鰭がついて、吸血鬼がでたなどとなっているようだ。


「吸血鬼の噂でしょう?」


 吸血鬼の存在は知っている。そしてその詳細もイリアルテ家に滞在していた際、聞かされたのだ。


 あのオルボーン老伯爵が吸血鬼となっていたと。


 そのオルボーン伯爵は現在、王城の地下牢に捕らえてある。


「そうだ。そのことで昨日、ベリンダ主教がビシタシオン猊下の使いとして来たんだ」


 教会から、それも教皇猊下からの使いと聞き、アレクスは少しばかり口元が引き攣れた。

 冷汗が流れる。嫌な予感しかしない。


「危険な吸血鬼がひとり野放しになっているらしい」

「情報の出どころは?」

「神託だ」


 アレクスは頭を抱えて机に突っ伏した。


「アレクス!?」

「そんなの僕たちにどうしろっていうんですか。無理ですよ。オダリス卿を捕らえた方法だって謎なんですよ。なにより当人が、いつ捕らえられたのか不明だといってたくらいですからね」

「お、落ち着け、アレクス。眼の焦点がおかしくなってるから!」




「すいません、取り乱しました」

「お、おう」

「それで兄上、その吸血鬼を僕たちが捕らえるのですか?」

「せめて居場所だけでも突き止めたい。そうすれば、専門の人物を送ってくれるそうだ」


 アキレスの言葉にアレクスは目を瞬いた。


 専門の人物? 吸血鬼狩人(ヴァンパイアハンター)なんて、物語の中だけの存在でしょう!?


「そんな人がいるんですか? 胡散臭いんですけど」

「月神教から借りるらしい。オルボーン伯を捕らえた人物だよ」

「あぁ」


 なるほど、それなら納得だ。だが――


「その前に、件の吸血鬼を捜さないといけないわけですね」

「そうだ」


 話は開始地点にまで戻って来た。


「正直、捜すのは難しいと思いますよ。それをするくらいなら、待ち伏せでもしたほうがまだ可能性がありますよ」

「待ち伏せ?」


 アキレスが首を傾げた。


「貧民街に被害が集中しているのでしょう? なら、そこを重点的に警邏の数を増やして……」

「連中、夜中に貧民街をうろつくと思うか?」


 アレクスは額に指を当てた。


「無理ですね。貧民街って云うだけでも危ないのに、わざわざ夜中に行くのは……」

「だが現状、それくらいしか思いつかん。そもそも、見つけることができたとして、月神教のその御仁は始末をできるのか?」

「教会が名を懸けて送り込むのですから、大丈夫なのでしょう。ダメなら……」


 アレクスはサンレアンで会った少女を思い出していた。たちまちの内にゾンビの一団を焼き殺したというと少女を。


「キッカ殿に助力を請うしかないでしょうね」

「うん? 噂の神子殿か? そういえばアレクスは会って来たんだろう? どんな御仁だったんだ?」


 問われ、アレクスは暫く考えた後こう答えた。


「胸が大きかった」


 アキレスは額に指をあてた。


「アレクス、悪いことは云わない。休め。父上の仕事は父上がやるべきだ」


 ◆ ◇ ◆


「どうしても合わない」


 クラリスは自分の右手を見つめながらぼそりと呟いた。


 ぎゅっと手を握り、そしてゆっくりと伸ばす。ところどころ引き攣れる。腱の動きに合わせ痛みが走る。ぶちぶちと傷んだ筋肉の千切れる音が聞こえる。


 治りが尋常ではないほどに遅い。それどころかあまりに力を込めると、治った部分が千切れる有様だ。

 できうる限り安静にしていなくてはならないのだろう。だが、それでは治せるものも治せない。


 体を修復するためには、喰らわねばならないのだ。


 だが、それが合わない。


 いつもなら復活して余りあるほどに喰らったのだ。だが、その回復量は微々たるものだ。


 自分が変質してしまったことは自覚している。できている。この世界に半ば適応したといえば聞こえはいいが、再生力がここまで落ちてしまっては劣化でしかない。


 いや……適応しきれていない体であるからこそ、再生に時間が掛かっているのだろうか。


 あぁ、まったく忌々しい。面白半分に、奴に希望を持たせてやろうなどと思うべきではなかった。

 まさか、本当に命を失うとは思いもしなかった。

 とはいえ問題はない。ストックを大量に失いはしたが、総量からみれば微々たるものだ。問題は、この肉体の再生速度の遅さだ。


 あれからもう暫く経つというのに、いまだに体はボロボロだ。骨格を修復した後は、最低限見た目を取り繕うために外面の修復に費やしているというのに、いまだに修復が終わらずにいる。


 体の中は空ろで、腸がまるで再生できていない有様だ。


 だが、良いこともあった。


 あの男の元から逃れることができた。強制力は消えてはいないが、私が死んだと思っているのなら、強制されることはない。

 あの男の欲を増幅しておいたからな。遠からず自滅するだろう。そうなれば、私は完全に自由だ。


 私が感謝をするのはそれからだ。あの終わった世界から連れ出してくれたのだからな。


 とてつもなく効率は悪いが、失われたストックの蒐集もはじめることができた。

 あとは、ここを拠点にじっくりと体を治していけばいい。


 あぁ、そういえばどこの教会にも属していない『神子』とやらがいると聞いた。


 唇に舌を這わせる。


 居もしない神に仕えし愚か者。教会に属しているのなら面倒でしかないが、ただひとりで活動しているのなら、私にとっては都合のいい最上の獲物だ。


 純潔を貫き、己が信仰にしがみつきし純粋無垢な無知なる者。


 私にとっては、本当にとてもとても都合がいい。


 其奴を喰らえば、このイカレタ躰も修復できることだろう。


 クラリスは、クラリーヌは皮膚が引き攣れるのも構わずに笑みを浮かべ、再びギュッと拳を握った。




誤字報告ありがとうございます。

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