79 目立つのは嫌なんだけど
口をへの字に曲げ、私は目の前にあるそれを睨みつけていた。
目の前にあるもの。それは開かれた奥義書の上にホログラムのように映し出されている私のステータス画面。
普通に奥義書の紙面に表記することもできるのだけど、そうすると情報量が多すぎて頁をまたぐため、こうした表示方法をとっている。
今いる場所は二階の寝室。ベッドに腰かけ、奥義書はサイドテーブルに載せてある。もし誰かがこの家に突撃してきたとしても、ついうっかりで見られることはない。
まぁ、可能性があるのはリスリお嬢様くらいだけど、侯爵令嬢らしく礼儀はしっかりしているから、まずないかな。
で、いまは軽装鎧と片手剣の技量がどうなったかを確認しているんだけれど……。
思ったほど上がってないなぁ。軽装鎧はレベル二十二。片手剣に至っては十八だ。元のレベルが双方十五であったのだから、それなりには伸びてはいる。
とはいえだ――
あれだけ痛い思いをして七しか上がらなかったのか。となると、熊さんの一撃は相当重かったんだなぁ。効率を考えるとまた熊に殴られるのがいいのかなぁ。
いや、でも、当たり前だけど軽装鎧は重装鎧より防御力が低いからね。ダメージコントロールが難しいですよ。
……竜鱗の鎧をひっぱりだす? ただあれ、デザイン的にとんでもなく目立つからなぁ。どこぞの狩りゲーほどじゃないけど、まさにゲーム的なデザインだもの。異質過ぎて目立つんだよね。水晶鎧よりはマシだけどさ。
ちょっと着てみようか。
インベントリを使って着替え、クロゼットを開け、そこに隠すように置いてある姿見で自身の姿を確認する。
うーん……微妙にイメージが悪いんだよねぇ、このデザイン。有体に云えば、悪役っぽい? まぁ、魔人の鎧ほどじゃないけど。あ、でも、魔人の鎧の兜は格好いいんだよね。
まぁ、魔人の鎧は、黒地に赤い紋様が表面にあるんだけど、その紋様が微妙に脈打つように明滅してるからね。まぁ、はっきりと点滅してるようには見えないけれど、明滅しているのには変わりない。
デザインだけでもいかにも悪役っぽいのに、そこにおどろおどろしさが追加されてるもの。
いや、魔人の鎧はおくとして、重装だし。今は軽装の竜鱗の鎧だ。軽装鎧としては破格の防御力ではあるんだよ。軽装の癖に、鋼の鎧以上の防御力があるから。
誰にも見られない場所で修行しようか? 見つかったら、モンスターと思われて攻撃されそうな気がするけど。
……そういや、吸血鬼の鎧っていうのもあったな。革鎧……柔革鎧っていえばいいのかな。動きやすそうな鎧。色が三種あるんだよね。赤、白、黒と。
ベースが黒地だから、そこまで派手では……いや、派手というか問題があったよ。
ちょっと着てみよう。
そんなわけで、吸血鬼の鎧(赤)を装備。
……うわぁ。
うん。ダメだこれ、いろいろと問題しかなさそう。いや、この鎧、えーっと、童貞を殺すセーター……だっけ? それみたいに胸の所が開いてるんだよ。
あっはっは、はみ出してる。
……Oh.
まぁ、作りがしっかりしてるからポロリはないけれど、これどう見ても周囲の視線誘導しかしてないよ? 普段出歩いても胸に視線が集中しないのは、仮面に半分くらい来てるからだよ。
それをわざわざ胸に集中させるっていうのは……。
男の人の視線はともかく、たまに女性から怨嗟の籠った視線が来るのが怖いんだよ。
なんで私は着ようなんて思ったんだ? 好奇心は怖いな!
っていうか、そもそも私はステータスの確認をしてたんだよ。なんで着替えるまでに脱線してるのよ。
で、おかしなことに話術があがってるんだよね。なにかやったっけ?
お買い物の時だって、値切り交渉とかはしてないようなものだし。まさかと思うけど、一昨日のあの男と伯爵とのやりとりでUPしたってわけじゃないよね?
あの時の会話を思い出してみる。……どう見ても、駆け引きなんて感じはしないんだけれど。
でも他に思い当たるものがないんだよねぇ。というか、この話術の技能はどうなってるんだろ? ゲームだと取引価格が得になったんだけど。具体的に一割、二割って数値で。でもこっちは“有利になる”とだけしか書いてないんだよね。
まぁ、あんまり気にしなくてもいいか。
それよりも問題というか、想定外のことがひとつ。
技能が生えた。
ゲームではなかった技能が増えましたよ。スキルツリーまでしっかりあるよ。
なんだこれ?
いや、常盤お兄さんの仕込みなんだろうけど。
増えた技能は【徒手】。要は無手での戦闘技術だね。ツリーは握りこぶしを模してあって、拳術、蹴術、組打ち術、合気術の四つの技術がある。手を模したツリーだから、あと一本あるんだけど、これはスタミナ回復術とか身体強化系の技術みたいだ。
あ、魔法じみた気功破みたいなのはないよ。ガチな格闘術というか、異常にレベルの高い喧嘩になってるよ。
ん? なんで喧嘩なのかって? いや、これ、格闘術じゃなくて戦闘術だからさ。相手の頭を引っ掴んで、テーブルに叩きつけるとか、そういうのなんだよ。地形や周囲を利用して、いかに相手に打撃を与えるかを追求するみたいな?
我ながら酷い例えだけどさ。
多分これ、ボーと遊んでたから発現したんだろうなぁ。
ゆうべ、ボーにアッパーを教え込んでたからね。蹴り技は諦めたよ。骨格的に、人間のやる蹴り技は兎さんにはちょっと厳しそうだよ。ドロップキックとかはできるけどね。
ごんごんごんごん。
お? お客さんだ。
ノッカーを扉につけたんだよ。だけど音がかなり鈍いんだよね。
なにかこう、いい音のする素材がないものか。
ゼッペルさんのところに聞きに行こうかな。いや、それなら依頼した方が早いか。
玄関の扉を開ける。
そこにいたのは、予想通りリスリお嬢様とリリアナさんだった。
……あれ? なんだか表情がひどく強張ってるけど、どうしたんだろ?
「お、おおおお姉様、なんて破廉恥な恰好をしてるんですか!?」
ほへ?
あ、吸血鬼の鎧のまんまだ。
「ちょっと軽装鎧の試着をしてたんですよ」
そういってふたりを招き入れる。スリッパを出してと。あと早く着替えないと。さすがにインベントリを介して着替えるわけにはいかないから、二階に上がって部屋着を出さないと。
部屋着、というかほとんど寝間着としてつかっている熟練ローブに慌てて着替える。
ローブというよりは短衣っぽいんだけれど。熟練級魔術師用のローブだけあって、性能も結構良いのだけど、デザインがシンプル過ぎて格好悪いんだよね。素人、見習、玄人の三種類はすべてデザインが一緒で色違い。私は灰色っぽい見習ローブが一番のお気に入り。
素人はくすんだ青、玄人は赤茶色をしているんだけど、微妙に私の好みとはずれるんだよね。
着替えを終え、一階へと降りる。
リリアナさんは勝手知ったるもので、お茶の準備を始めていた。お茶っ葉はいつの間にか台所の棚に置かれてたし。
さすがにお客さんにすべて任せる訳にはいかないので、私も台所へ。リスリお嬢様にはいましばらくお待ちいただきましょう。
そうだ、お茶菓子にケーキをだそう。感想も聞きたいしね。出すのは……赤と黒をミックスしたほうでいいか。
奥の棚から出す振りをして、インベントリからお皿へと。これをダガーで切り分けて……。
うん、見た目的にアレだな。今度包丁を作ろう。耐火装備作っちゃったし。
「あの、キッカ様?」
「はい? なんですかリリアナさん」
「この褐色の液体の入った壜はなんですか? 金属で封印してあるみたいですけれど」
あ、やっば。出しっぱなしだった。ま、まぁ、開けない限りはオーパーツまがいの物とは分からないか。
「香料ですよ。これに使ってあります」
そういってベリーのケーキをトレイに載せた。
おぉう、リリアナさんの目の色が変わった。
「こ、このレシピは戴けますか?」
「あー、ちょっと無理です。いや、レシピ自体は問題ないんですけど、この香料が現状は手に入りません。ミストラル商会が材料の豆を栽培するそうですから、市場に出回るのは結構先になるかと」
「なぜ農産物関連を他所に!?」
「気候的に、この辺りだと育たないんですよ。残念なことに」
この辺りは過ごしやすい気候だけれど、多分、バニラビーンズにとっては気温が低いと思う。
「まぁ、香料はほかの物で工夫すればなんとかなるでしょうから、レシピは明日にでも持っていきますよ」
「ありがとうございます」
うーん、やっぱり新しい味に飢えてるのかなぁ。調理法が煮ると焼くばっかりだからなぁ。油がそれなりに貴重だから、揚げ物なんてないし。蒸し料理なんてのもなさそうだったな。少なくとも、イリアルテ家ではやってなかった。
蒸し料理か。昆布が来たら茶わん蒸しを作ろう。あー、銀杏がないけど、まぁ、いいか。タケノコは……なんとかしよう。
私とリリアナさんがメインホールに戻ると、リスリお嬢様はテーブルについて、難しい顔をしていた。
手元にあるのは……本?
「あ、キッカお姉様。この本はなんですか?」
リスリお嬢様が私たちに見えるように本を手に取った。
「お嬢様、勝手に家探しのようなことをしてはいけません」
「ちょ、ちょっと一周してみただけですよ」
「お嬢様」
「ご、ごめんなさい、キッカお姉様」
謝るお嬢様の手にある本を確認する。
あ、奥義書。そういや出しっぱなしだった。
「この表紙の文字は見たことがありませんけど。どこの文字なのでしょう?」
「あぁ、それは私の故郷の文字ですよ」
そう答えると、なんだかリスリお嬢様は感慨深そうな顔で奥義書を見つめた。
「私にお姉様の故郷の言葉を教えてもらえませんか?」
へ?
「いや、覚えてもなんの役にもたたないですから、必要ないと思いますよ」
「なんでですかー」
「なんでですかって云われても」
こっちじゃ日本語なんて覚えてもねぇ。
そもそも日本語はかなり面倒だぞ。表音文字と表意文字のハイブリッドって感じだしね。
「むー。これをちゃんと読んでみたかったのに」
「あぁ、それは私に合わせて作っていただいたようなものなので、日本語で書かれているんですよ」
そういうとふたりは揃って首を傾げた。
「作っていただいた?」
「はい。それ、ナルキジャ様から頂いた神器ですから」
あ、リスリお嬢様むせた。
「じ、神器なのですか!?」
「えぇ。私が見聞きしたものが記載されていくみたいです」
「お、おおお畏れ多い。私、触っちゃいましたけど、罰とかありませんよね?」
えぇ、そんな怖がるようなことはないと思うんだけど。
「罰なんて落ちませんよ。ご安心ください」
「き、キッカ様、神器をそんな無造作に置きっ放しにしてはいけません!」
「あー。それもそうですね」
奥義書を引っ込める。急に手元から消え失せた奥義書に、リスリお嬢様とリリアナさんは、なんだか泣き出しそうな顔になっていた。
これ説明しといた方が良さそうだな。
「ナルキジャ様から【加護】という形で頂いた神器なので、私と一体となっているのですよ。なので、絶対に盗まれるようなことはありません。というか、盗んでも、ほら、この通り私の手元に戻ってきます」
私が再び奥義書を出すと、ふたりは安心したようだ。
「あぁ、美味しい……。パウンドケーキも美味しかったですけれど、これはそれ以上です」
「お口にあったようでなによりです」
うん。我ながら上出来な仕上がりですよ。
と、そうだ。すっかり忘れてた。
「リスリ様、ご無事でなによりでした。さすがイリアルテ家ですね。リリアナさん、そこまで心配することもなかったじゃないですか」
ちょっとしらじらしいかな?
リスリお嬢様がリリアナさんに視線を向けると、リリアナさんは露骨に視線から逃れるように顔を逸らした。
「あの、なんでキッカお姉様が知ってるんですか?」
「リリアナさんに救出のお願いをされましたから。でも居場所が分からなくてはなにもできませんからね。力になれないと、お断りしましたけど」
お嬢様の顔が強張った。
あぁ、うん、そりゃ『断った』って聞かされたらそうもなるか。
「その、すいません」
「いえ、確かに探しようがなかったと思います。飛竜で連れていかれましたからね。それと、私を助けてくださったのは、月神教の信徒の方でした」
それから何があったのかを、リスリお嬢様は事細かに話してくれた。
余程腹に据えかねていたのか、大半が伯爵に対する恨み言だったけど。
「お嬢様。もうそれくらいにしましょう。同じことを繰り返し始めましたよ」
「むぅ、それくらい不快だったんですよ! 食事だってしてませんでしたし。なんだか赤いのが出てきたんですよ。赤いのが。それに持ってきたのがゾンビなんですもの。そんなものを食べられますか!」
なんだろう。話が食べ物に集約し始めたよ。お腹空いてるのかな?
「あ……。失礼しました、キッカお姉様。せっかくこんなに美味しいお菓子を頂いているのに」
「いえ、思うところもあるでしょうし」
私がそう答えると、お嬢様は安心したような笑みを浮かべた。
そしてリリアナさんも同じように安堵した顔。
うん。誘拐されてたわけだしね。いくら助かったとはいっても、まだ精神的に落ち着いていないんだろうな。
経験者である私はよくわかるよ。なんというか、ちょっとおかしくなるからね。
これもPTSDってことなのかな?
「そういえばキッカお姉様。お父様が話していたんですけれど、恐らくキッカお姉様に王家からの召喚が掛かると思います。まだ先の事になるとは思いますけれど」
はい?
リスリお嬢様の言葉に、私は目を瞬いた。
「え? なんで私が王家に召喚されるのでしょうか?」
「魔法の普及もそうですけど、ゾンビ病を治せる薬の件の方が大きいですね。それらの貢献に対し、褒賞がでることになると思います」
えぇ……。目立つのは嫌なんだけど。
「辞退は……できませんよね、さすがに。王家からの召喚だと……」
「えぇ、余程のことがないかぎりは」
余程のことって、大怪我したりとかって意味だよねぇ。
「あの、明日にでも侯爵様のところへお伺いしてもよろしいですか? このことで相談したいことがあるんですけど」
「はい。問題ありません。伝えておきます。お待ちしていますね」
とりあえず、侯爵様に作法とかを教えてもらおう。やらかすことだけは避けないと。
はぁ、王家からの召喚か。面倒なことにならなければいいけど。