78 ディルガエア王の受難?
五ノ月二十五日。バジリスクが王都へと到着した。
荷台から水を垂らしながら進む馬車は否応にも衆目を集めたが、多数の護衛に囲まれた大型の荷馬車に近づく者はいない。
荷馬車は大通りを進み、そのままオークション会場に併設されている倉庫へと向かって行った。
バジリスク到着の報は、すぐに王宮に届けられた。
バジリスクの到着を待ちわびていた国王陛下と宰相は、執務そっちのけで見物に行き、その後、王妃にこっぴどく叱られるという事件があったが、それは王宮の極一部の者のみが知ることだ。
そして六ノ月一日。オークション開催。
急遽出品の決まったバジリスクにより少々の混乱が起きたが、大きな問題もなく終了した。
混乱の原因はオークション参加者の懐事情だ。予定外の大物商品。それを競り落とすだけの予算がすぐには準備できなかった者たちが騒いだのだ。
いや、問題行動を起こしたのではなく、会場で嘆きの声を上げただけなのだが。
狙った逸品を競り落とせず嘆く声が上がるのは常であったが、会場全体から上がったのは今回が初めてだった。
結局、バジリスクはナバスクエス伯爵が落札した。格闘兎に懸賞金を懸けていた人物だ。余程珍獣、奇獣の類が好きなのだろう。落札額は金貨千二百二十枚。
尚、余談ではあるが、オークション後に水神教の者が伯爵と接触、バジリスクの解体に立ち会わせて欲しいと願い出ている。伯爵はこれを了承。バジリスクを競り落とすのにはたいた金子を、いくばくかではあるが取り戻したようだ。
「予想通り、バジリスクはアーロン卿が落札しましたね、陛下」
「伯爵の所は商売が順調のようだな。良いことだ」
宰相の言葉に、国王は満面の笑顔で答えた。
「陛下は競りに参加しませんでしたが、よろしかったので?」
「王家はサンクトゥスに賞金を懸けておるからな。余程欲しいものでもない限りは参加せんよ。
それに、バジリスクの素材がどのように使えるかも不明であったしな」
国王は答えつつ、茶菓子に手を伸ばした。
「陛下、フォークを使いませんと、また王妃様に叱られますぞ」
「もう書類仕事も終わったし、問題無かろう。それに手づかみで食べるのに最適な形ではないか」
にやにやとした笑みを浮かべながら菓子を口に運ぶ。
美味い。
「ほぅ、これは美味いな。どこの菓子だ?」
「あぁ、それはバレリオ卿が近く販売を開始する予定のものだそうです。昨日届きました。どうもミストラル商会と組んで、飲食店を始める計画のようですな」
宰相の言葉に、国王は眉を顰めた。
「ミストラル商会……たしか、新興の商会だったな。問題はないのか? アンラを拠点としていると聞いたが」
「月神教とつながりがある商会ですから、問題はないかと」
のんびりと答えながら、宰相はお茶を口に含んだ。
「まて、それは問題しかないのではないか?」
「えぇ、ですから問題は無いかと。月神教の諜報部に跳梁されるよりはマシでしょう。恐らくは、巷の噂話を集めるのが目的ではないかと」
「世論調査のようなものか?」
「でしょうな。あぁ、調査内容は、我々にも提供してくれるそうですよ」
国王はむせた。
「どういうことだ?」
「例の魔法具の探索の一環のようです。どうやら他にも多数あるらしく、教会では持ち込まれても、決して使用せぬよう末端まで通達されています」
宰相の言葉に国王は納得した。
あの魔法具の引き起こす被害を考えれば当然のことだろう。それも、人の見ることのできぬところで巻き起こり、それにより世界が滅びかねないのだから。
それがまだほかにあるとか。まったくもって、厄介な事態である。
「そうそう、陛下。その菓子ですが、キッカ殿がイリアルテ家に滞在している時に作って皆にふるまったものだそうですよ」
今度は国王はむせて咳き込んだ。
「陛下、落ち着いてください」
「こ、これは、キッカ殿が造ったのか?」
「正確には、キッカ殿がレシピを伝授したようですな」
宰相の言葉を聞き、国王はじっと手の菓子を見つめた。
「いったいどのような御仁なのだろうな?」
「欲が無さ過ぎて心配になるような娘だそうですよ」
一緒に茶の席についていた少年を、国王と宰相は見つめた。
そしてしばしの間。
「? どうしました? 父上」
「……なんだアレクス、いたのか」
「ずっといましたよ! ここで朝から仕事をしてましたよ!
今朝方『おぉ、帰って来てたのか。よし、手伝え!』といって、仕事を押し付けて、出掛けて行ったのは父上ですよ!」
あんまりな父の言葉に、アレクスは声を上げた。
「はっはっは、冗談だ。だがお前は妙に影が薄いからなぁ。もっと目立たんとダメだぞ!」
陽気に笑う父親を、息子は目を半開きして見つめていた。
「息子よ、そんな顔をするな。お前もこっちに来て茶にするといい」
「わかりました。では、なぜかここに回ってきている城下の娼館からの請求書は、母上に回すとします」
「ちょまっ――」
アレクスの宣言に国王は慌てた。そして――
「あっ……」
「マルコス『あっ……』ってなんだ? 『あっ……』って、あ……」
どことなく気の抜けた声を上げた宰相に、国王は視線を向けた。宰相は執務室の出入り口を見つめたまま、強張った表情を浮かべていた。
国王のこめかみに冷汗が流れる。ゆっくりと宰相の視線を追い、扉へと向ける。
そこには、王妃殿下であるオクタビアが立っていた。それはそれは素晴らしい笑顔で。
「お、オクタビア、誤解なんだよ?」
「まぁ、誤解なのですか? アレクス、詳しく教えて頂戴。それとも請求書だけかしら?」
とてもご機嫌に聞こえる王妃殿下の声。
アレクスは渋面を浮かべつつ、バリバリと赤茶けた色の髪を掻きむしると、脇に退けて置いた羊皮紙を手に取った。
「嘆願書じみたものが添えられてありましたよ。認知は求めないので、生まれて来る子供の命だけはお助けくださいとあります。まぁ、私の弟、もしくは妹であるのかは、限りなく怪しいようですけど。あぁ、その旨も書かれていますよ。
とはいえ、きちんと調べないと、父上の足元が掬われそうですね」
「へぇ……」
オクタビアの笑みが急に冷え込んだ。
「それでアレクス、その娼婦に関しては――」
「娼婦に罪はないので仕置きとかは止めてくださいよ、母上。彼女らは仕事をこなしただけですからね。
王都の娼館を片っ端から潰そうっていうのもダメですよ。必要なものですからね。もし失くしたら、性犯罪者が激増しますよ」
「そんなことしないわよ。ただ、陛下と寝た娼婦はきちんと調べておきなさい。該当する者は半年ほど隔離しておきなさい。妊娠していなければ由。していれば、出産まで――」
「母上、面倒ですから教会で診てもらったらどうです? 彼女たちの生活費も馬鹿になりませんよ。なにせ貴族相手の高級娼婦ですからね」
アレクスの言葉に、オクタビアの顔が引き攣れた。
「あ、アレクス、さすがにそれは――」
「教会は陛下の女遊びを承知ですよ。なにせ『その年で女を知らんだと? いったい何をやっておったんだ。女を知らんで研究なぞしても成果は出んぞ!』とかいって、水神教の研究者……先日来た司祭を引きずって娼館に行きましたから」
「え? え? それって、まさか、セレステの……」
「えぇ、教師だった方です。就任したばかりなのに、急に辞めたのは多分これが原因です。
父上、かなりマニアックな店に連れて行ったらしくて、彼、女性不信になってましたからね。そのせいで十歳のセレステともまともに話せない有様になってましたよ。というか、なんでまだ十四の私が相談相手になってるんでしょうね?」
オクタビアは額に手を当て項垂れた。
いったい我が夫はなにをしているのか。
「陛下、ちょっとお話をいたしましょうか?」
「ま、待て、待つのだオクタビア」
「待 ち ま せ ん。いったいなにをやっているのですか、あなたは。大体ですね――」
むんずと国王の襟首を引っ掴むと、オクタビアは国王を引きずるように執務室から出ていった。
「まったく。母上だけで満足できないのなら、側室でもとればいいのに」
執務室を出ていく両親を見送りながら、アレクスはついついぼやいた。
「殿下、それはお家騒動の素となります。側室は世継ぎができなかった場合の最終手段ですよ」
「最終手段もなにも、ディルガエアはディルルルナ様の祝福を得ている国だよ。世継ぎが生まれない訳がないじゃないか」
「いえ、男児が生まれないことには」
宰相の言葉に、アレクスはごまかすように笑い声をあげた。
「あぁ、確かにそうか。男児が生まれない可能性があるのか。すっかり失念してたよ」
バツが悪そうに中指で鼻筋をこする。
「ところで殿下、キッカ嬢のことは、どこから聞いてきたのです?」
「うん? バジリスクの護衛をしてきた傭兵の中に、そのバジリスクを輸送……あぁ、発見場所から組合まで運んだ傭兵がいたんだよ。組合がここルルヴァルまでの護衛を依頼したみたいだね。
で、そのキッカ嬢だけど、その内、誰かに利用されるんじゃないかと気が気じゃないといっていたよ。なんというか、心配する話しか聞かなかったな」
アレクスの答えを聞くや、宰相は考え込むように眉根を寄せ首を捻っていた。
「どうしたんだい? マルコス」
「いえ、先日ビシタシオン猊下が云っていたことが現実になりそうだなと。確か、今日の正午に声明が各教会で一斉に発せられるはずですから」
「へ? 声明? すべての教会で? いったい何事さ」
問われ、宰相は勇神教がしでかした、一連の出来事を説明した。特に、女神アレカンドラをないがしろにしたことを強調して。
「うわぁ。そんなの聞いてないよ。確かに荒れるね。というか、他五教すべてからの非難声明って、勇神教、分裂するんじゃないの? なんだか最近おかしな分派ができたとも聞くし」
「筋肉派ですな。なんでも『己を最後まで裏切らないのは筋肉だけだ』とかなんとか云って、四六時中自らの肉体を鍛えまくっているようですぞ」
アレクスの書類整理の手が止まった。
「いや、四六時中って、大丈夫なの? 説法だのなんだのやることは沢山あるでしょうに」
「それが、鍛錬に集中することで、余計なことを考えることがなくなるとか」
「……権力争いが激減したっていうのは聞いたけれど、まさかそれが原因?」
真面目な顔でふたりが見つめ合う。
「正直、そんな宗教は願い下げですな」
「いや、地神教も似たようなものでしょ」
「意義が違いますよ」
「そうなの?」
アレクスが首を傾いだ。
「勇神教の筋肉派とやらは、とにかく体を鍛えて他の事は考えるなということです。
地神教もかなり無茶な鍛錬をしておりますが、それは魔物から護りおおせるようにするためです」
宰相の説明を聞き、アレクスは目をぱちくりとさせていた。
「え? なに? 目的というか、意義がないの?」
「ありません」
「……理解に苦しむんだけれど」
「鏡に己の肉体を映し、悦に入っていると聞きます」
「勇神教はもうダメなんじゃないかな」
アレクスは笑顔で云った。
「また随分と良い笑顔で云い切りましたな」
「僕が信奉しているのはディルルルナ様だからね」
宰相に答えつつ、書類の分類を進める。緊急の案件に関しては自分で処理し、宰相に確認してもらう。
「殿下は王位に興味はおありで?」
「んー? ないよ。僕には向かない。裏方の方が向いてるよ。僕には他人をあれこれ動かせるだけの度量がないんだよ。
さすがに軍団の方に入るのは反対されるだろうから、農研のほうで働けたらと思ってるよ」
まぁ、その為には、農業に関してもっと学ばないとダメだけど、と、アレクスは笑った。
◆ ◇ ◆
六ノ月五日。
ディルガエア王国宰相、マルコスが王宮内を走っていた。凶報がもたらされたのだ。
「陛下、一大事にございまする!」
「マルコス、落ち着け。最近、一大事が多すぎるぞ」
のほほんとお茶を楽しみながら、国王は執務室に飛び込んできたマルコスにやんわりといった。
ここ数日、国王は書類に向かっているよりも、ティーカップを傾けている時間の方が長いように思える。
だがその顔には疲れが刻み込まれていた。
「で、今度はいったい何事なのだ?」
「サンレアンが五匹の飛竜に襲われました!」
国王は噴き出しかけたお茶を無理矢理こらえ、結果、鼻に流れ込んだお茶による痛みに、じたばたともがいた。
「陛下! なにをはしゃいでおられるのですか! 一大事ですぞ!」
「さ、サンレアンは無事なのか?」
鼻の奥の痛みに耐えながら、国王は宰相に問うた。
「幸い、死者はなかったとのことです。ですが飛竜の吐く火球によって、火災が発生。十七件の工房が被害を受けたそうです」
「……そうか。飛竜はどうなったのだ?」
「それが――」
宰相が詳細を説明する。
「ゾンビだと!?」
「はい。どうやら、イリアルテ家に対する攻撃のようです」
「ほう、単なる噂だと思っていたが、あのバレリオ卿に喧嘩をうる阿呆がいるのか。とはいえゾンビ、それも飛竜のゾンビを操るとは、いかな方法をとったのだろうな? 十中八九、ダンジョン産の魔道具を使ったのだと思うが」
「それなのですが――」
神妙な面持ちで宰相が説明を続ける。
「はぁっ!? オルボーン伯が犯人だというのか!? あの老人が? 確かにやり手で、若いころは苛烈な性格だったと聞いているが」
「それだけではありません、陛下。失礼ながら、耳を拝借いたします」
マルコスはそういうと、国王の耳元にボソボソと今回の事件の中核部分を話す。
そこの話を聞くにつれ、国王の顔がどんどんと険しいものになっていく。
「……それは、どう対処しろというのだ? 前例がないぞ」
オルボーン伯爵が吸血鬼であることを聞き、文字通り国王は頭を抱えた。
これまでに『吸血鬼を退治した』という話は幾度か聞いたことがある。真偽のほどは別にして。
吸血鬼など単なる絵空事だと思っていたのだ。無理もない。
「教会に立ち合いを願うのが無難でしょう。神の御力にすがるしかないかと」
「だが、神々が人世の揉め事に介入することはないぞ」
「だとしてもです。陛下」
力強く云うマルコスに、国王は折れた。
真新しい羊皮紙に協力を願う親書をしたため、宰相に確認の確認を取ってから蝋で封印をする。
「よろしく頼むぞ。そういえばマルコス、ここ二、三日、アレクスの姿を見ないが」
「あぁ、殿下ならサンレアンへと向かいましたよ」
国王が目を瞬いた。
「サンレアンに?」
「えぇ、キッカ殿のひととなりを、実際に会って確かめて来るそうです」
マルコスが答えると、国王はまたしても頭を抱えた。
「アレクスめ、父を見捨てて逃げおったな」
「見捨てたとは、また不穏ですな、陛下」
トントントン。
鳴り響くノックに、国王が震え上がった。
その様子に、宰相の顔が驚いたまま固まった。
「あなた、時間ですよ」
返事も待たず、扉を開けて入って来たのは王妃殿下だった。満面に笑みを浮かべている王妃殿下は、実に健康そうで、つやつやとしていた。
「なっ!? ま、待て、オクタビア、まだ陽が高いじゃないか」
「あら、いつも娼館には今時分から入り浸っていたのでしょう?」
王妃殿下が国王の腕をつかんだ。
たすけて。
言葉には出さず、国王は必死な目でマルコスに助けを求めた。
だがマルコスは――
無理です。
と、にこやかな目で答えた。
かくして宰相は、終始笑顔の王妃殿下に引き摺られていく国王陛下を、優しい目で見送ったのでした。
誤字報告ありがとうございます。




