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74 なにかをして気を紛らわせるのがいい


 オーブンから焼き上がったスポンジを取り出す。使った型はパウンドケーキのものだ。丸い型なんてないからね。作ろうかとも思ったんだけれど、多分、きっと、絶対に歪むと思うからその考えは却下。


 焼いたスポンジは全部でみっつ。型ごと一度インベントリに入れて、そこで型を外す。このインベントリの分別機能が地味に便利だ。


 シートなんてないからね。一応バターを塗ったけれど、型から外すときに崩れたら泣くに泣けないよ。


 型から外したスポンジをインベントリから出して並べて、天辺と中央に包丁を水平に入れる。あとは手ぬぐいをかぶせて冷ましましょ。


 削ぎ落した天辺の部分は、あとで生クリームをつけてつまみ食い予定。


 ふふふ、それにしてもいい香りだよ。バニラエッセンスはやっぱりケーキには必須だと思うのよ。


 さて、生クリームをつくろう。


 山羊乳を溶かしたバターに投入。分量比は三:一。こいつを攪拌していきますよ。


 ケーキを作ってて思うことは、確実に私の体は元の体とは違うということだ。ケーキ作りで一番面倒なのは泡立て。生前は――って、この表現はいいのか? まぁいいや。前は機械を使って泡立ててたからね。人力でやればそれなりにかったるくなったのに、まるで平気なんだよ。


 たいして体を鍛えたわけでもないんだから、この体は以前に比べると格段に強化されてるってことなんだろう。


 とはいえ殴られれば痛いし、斬られれば血も出るからね。チートって程でもないだろう。鈍臭さは相変わらずだし。

 そういえば、暗殺者装備の布地部分をやたらと斬り付けられたわけだけど、破けてはいなかったよ。いなかったけれど、突き攻撃を受けると、布の上からでも体に穴を開けられるみたいだ。


 出血をしていたのは確かだからね。もうちょっとこう、防御というか、鎧の扱い方を習熟すれば、こういうことも減るのだろうか?


 あとでステータスをよく見ておこう。軽装鎧の技能上昇を狙って、わざわざガチで戦ったんだから。


 そういえば、私は別に人型だから攻撃するのをためらう、というわけでもなさそうだ。ゾンビは普通に始末できてたしね。まぁ、始末しよう、という意気込みでいったら微妙に抵抗はあったけれど。


 リスリお嬢様とはじめて会った際のゾンビ戦の時は、ゾンビだなんて思っていなかったし、それ以前に『殺す』ではなく『無力化する』の気持ちでいったから、割と平気だったけれど。


 ゾンビって分かったら普通に処分しようって気持ちにシフトしたしね。要は『意思』があるかないかが私にとっては重要みたいだね。それがあると、なんというか、気持ち的に手が竦む。


 『ぶん殴る』と『殺す』の間にある壁は、なかなかに高いみたいだ。少なくとも私には。いや、もう過去形かな?


 少なくとも、あのメイドゾンビを始末するときには、もうなにも思わなくなってたし、あの吸血鬼を殺した後も、なんの呵責もなかったからね。こう考えると、なんだか人間を辞めていってるみたいで嫌だな。


 慈悲の気持ちが消え失せたりしないよね?


 私はただでさえそのあたりの気持ちが薄いんだから、それが無くなったら普通に殺人鬼とかになりそうだよ。まぁ、思い悩んでも仕方ないか。このことを忘れずにいればなんとかなるでしょう。


 なんというか、今回の騒動は、いろいろと思うところがあったよ。


 しゃこしゃこと攪拌しているボールの中身をみる。


 うん。いい塩梅に角が立ってきましたよ。あ、バニラエッセンスをこっちにも入れないと。


 バニラエッセンスを加えて、少しばかり攪拌してホイップクリーム完成。


 とっとと仕上げをしよう。すでにベリーの準備はできているしね。


 スポンジにクリームを塗って、ベリーを置いて、クリームを塗って、スポンジを置いて、全体にクリームを塗って、ベリーでデコレート。


 あぁ、クリームを絞る袋というか、口金っていうの? がないから、クリームのデコレートはなし。見た目が凄いシンプルだけど、まあいいや。


 赤ベリーのケーキがひとつ。黒ベリーのケーキがひとつ。赤と黒のベリーを合わせたケーキがひとつ。計三種類ができましたよ。


 ふふふ。これをあとで女神様たちに振る舞いましょう。できたケーキはインベントリに収納と。


 ……。


 これからなにしよう?


 まずいなこれ、すごい不安になってる。


 こういう時は、とにかくなにかをして気を紛らわせるのがいい。


 あ、そうだ!


 昨日の騒動だ。きっと組合に卸した薬はなくなってるよね? 教会の方は昨日追加でもっていったけど。

 そういや、おかげでほとんど在庫がないんだった。


 薬を作って組合に持って行こう。いまから調剤するとして……四時頃になるかな? 怪我の方は教会が治してくれるっていうのは知れてるだろうから、万病薬を作ってもっていこう。


 ゾンビ病の感染はいろいろと問題しかないからね。幸い、まだ素材の蟹と鷹の羽は残ってるからね。改めて注文もしてあるから、近いうちに亀蟹が大量に来るだろうし。


 よし、それじゃ薬をつくるとしましょう。


 ◆ ◇ ◆


 からんころんからん。


 聞き慣れたと思えるくらいになった鳴子の音に、なんだか安心したような気持ちになりつつ、私は冒険者組合へと入った。


 待合所にはまばらに人がいるね。見たところ狩人さんかな? 探索者の人たちは、帰ってくるとしたら最後の駅馬車だろうから、夜八時くらいになるだろうし。


 あ、買取り窓口が空いた。それじゃ納品しちゃいましょう。


「こんにちは」

「キッカ様!? よかった、無事だった!」

「……はい?」


 シルビアさんの言葉に私は首を傾げた。


 無事って、どういうこと?


 とりあえず聞いてみた。


「今日は報酬金を配布していたんですよ。キッカ様も昨日の飛竜退治には参戦していましたよね? なのに何時まで経っても受け取りにこないじゃないですか。てっきり大怪我でもしたのかと」

「いや、怪我とかは自力で治せるんで。両手が無くなるとかないかぎり。まぁ、頭が取れちゃったら、さすがに死んじゃいますけど」

「ちょっ、怖いこと云わないでくださいよ!」


 ありゃ、シルビアさん本気で怖気づいてるな。真っ青。

 あれぇ? ただの冗談のつもりだったんだけどな。

 それよりもだ。


「報酬金なんてあったんですか?」


 訊いてみた。


「え、知らなかったんですか?」

「ぜんぜん。まったく。さっぱり」

「えー、魔物の襲来があった場合、街にいる組合員はその討伐に参加する義務があります。例外は病気、怪我などで戦えない場合のみですね。

 で、昨日の飛竜襲来では街にいた組合員が総出で討伐に当たったわけです。その報酬の支払いを今日はしていたんですけど、一向にキッカ様が見えないので」


 あぶねぇ! 防衛義務だっけ? そういやそういうの聞いたっけ。すっかり忘れてたよ。危うく規約違反するところだった。


「報酬は一律なんですけれどね。今回は飛竜が五頭ということもあって、上限の金貨一枚です。

 組合としては大赤字ですけど。あの飛竜が全部ゾンビとかないですよ! というか、なんでゾンビ化した飛竜がピンポイントでここを襲うんですか!」


 バシバシとカウンターを叩く。


 それはどこぞのロリコン伯爵のせいです。

 しかし赤字か。まぁ、ゾンビ化してたから素材も肉も使えないからねぇ。汚染されたものなんて使えないし、なによりみんな灰にしちゃったし。


 私は「あはは」と抑揚のない笑い声を上げつつ、金貨を受け取った。


 あれ? 報酬受け渡しはここの窓口でいいのか? あ、ナタリアさんなにか? 受け取りのサイン? 分かりました。


 渡された書類をざっと読み、サインをして返す。


 さて、本来の目的を果たさないとね。


「えーと、シルビアさん、薬を持ってきました。昨日のことで使い切っちゃったんじゃないかと思いまして」

「薬ですか?」

「ゾンビ病ですけど、感染した人が出たんじゃありませんか?」


 そういうとシルビアさんはなんとも困ったような笑顔を浮かべた。


「あぁ、なんとか間に合いました。確か、残りが一本だけになっちゃいましたけど」

「追加です。十五本持ってきましたよ」


 私はカウンターに薬を並べた。

 そういやこれ、まだ値段が付けられてないんだよね。だからまだ代金は未払い状態だ。まぁ寄付扱いでもいいかって思ってはいるんだけど。


 なにしろレシピを公開していないからね、これ。現状、する気もないし。


 そしておそらくは、錬金台がここに運ばれても、絶対にそのレシピを見つけられることはないんじゃないかと思ってる。だってきっと、薬を作るのに薬草……というか、植物だけを使って作ろうとするだろうからね。


 まぁ、こっちの植物でできる可能性はあるけれど。


 で、シルビアさん、硬直してないで再起動してくださいよ。


「ていっ!」

「あだっ!」


 いつの間にかやってきたタマラさんがシルビアさんの頭にチョップを落とした。


「キッカさん、ありがとうございます。こちらの納品書を確認の上、サインを」


 タマラさんが書類を渡してきた。


 うん。確認してサインっと。


 金額の部分未記入だけど、いいのかな。いや、問題にすべきは私なんだろうけど、私が『まぁ、いいや』なんて思ってるから問題になってないのか。


 ……あぁ、こういうところをリスリお嬢様が叱ってるのか。いまいちわかってなかったよ、私。というか、私の中であの薬の価値が低いからなぁ。主に素材のせいで。


「キッカさん、ちょっとよろしいですか?」


 サインを書き終えた書類をタマラさんに渡している時、奥からでてきたサミュエルさんに声をかけられた。


 挨拶もそこそこに、執務室へと移動。革張りのソファーに座ると、すかさずペトロナさんがお茶をだしてくれた。


 おぉ、なんと素早い対応。というか、なんの用だろう?


「サミュエルさん、それでなんのご用でしょう?」

「はい。ですが、まずは昨日の飛竜討伐、ご協力ありがとうございます」


「いえ。義務ですから。危うく忘れるところでしたけど」


 ガブリエル様に避難を促されたしね。


「ですが、教会の方で怪我人の世話をして回っていたと聞いています。戦闘に関わらずとも、そういった活動でも義務を果たしていることになりますから」


 おぉ、そうなんだ。まぁ、今回みたいなことだと、弓使いがメインで、近接専門の人は役に立たないからなぁ。実際、墜ちた飛竜に接近戦挑むのは、危なかったからねぇ。


 いや、ジタバタ暴れるから、下手すると潰されかねないんだよ。飛竜、なんのかんのでおっきいから。十メートル近くあったかな。翼幅はもっと大きいんじゃないかな?


「で、キッカさん。キッカさんは昨日、奇妙な武器を使っていたと聞いています。なんでも、こう、弓を横にくっつけた棒を持っていたとか。それに興味がありましてね」

「あれ? こっちにはないんですか?」

「聞いた形状が確かなら、ないですね」


 おぉう? クロスボウないんかい。地球じゃ紀元前にはもう開発されてたんじゃなかったっけ?


「えーっと、あれはですね――」


 うん。なんていえばいいんだ? 英語で云うのもなんだよね。

 クロスボウ……和訳だと弩だけど、むりやり直訳すると十字弓? うん。十字弓でいいや。


「十字弓っていう武器ですよ。技術が無くても弓みたいに矢を放てる武器です。まぁ、別の射撃技術は必要になりますし、回転もわるいですけどね」


 クロスボウ、実は武器としてはかなり微妙なんだよね。DPSが低いのは言わずもがな。弦の引き戻しに手間がかかるからね。で、高威力長射程っていっているけれど、実のところあまり意味はない。いやだって、精密射撃は実質無理だからね。

 余程精度の高いクロスボウなら……いや、ボルトのセットする際のブレだけで、ボルトの飛んでいく位置が微妙にずれそうだよ。というか、実際ズレるんじゃなかろうか? ある程度の距離にいる大物相手なら、適当に撃っても当たるだろうけど、人間サイズを相手だとすると、百メートル程度の距離でも当てるの難しそうだよ。


 そういや、弓道とかアーチェリー競技の的までの距離どのくらいだっけ? さすがに百メートルはなかったよね?


 結局のところ、射出する矢の速度もあるから、有効射程の限界あたりの動く目標に当たるかというと、まず当たらないだろう。ライフルなんかと違って、撃った矢の速度が違い過ぎるもの。


 使うならあれだ、織田信長の三段撃ち。ああいった弾幕を張る運用の仕方が一番なんじゃないかな。


 クロスボウの利点は素人でも扱えるっていう点だけだからね。戦争の際に徴兵で掻き集めた一般人に持たせて撃たせていれば、牽制にはなるし、運が良ければ敵兵を負傷させることだってできる。正直、速成の兵に剣なり槍を持たせて前線に立たせるよりはるかに役立つからね。


 だいたい、クロスボウが超優秀な武器なら、弓が廃れて消えてるよ。


「それじゃ、これから一度戻って、持ってきますよ。言葉で説明するより、見た方が早いでしょう」


 ◆ ◇ ◆


 そんなわけで、家に一度もどって、再び組合にまで来ましたよ。


 ん? インベントリに入れてなかったのかって? うん、入ってたよ。でもその場で出す訳にはいかないでしょ。クロスボウはそれなりに大きいし。


 でもそれなら、わざわざ帰る必要もない。どっかその辺で時間をちょこっと潰せばいいんだからね。


 で、帰った理由はなぜかというと――


「ふふふふふふふふ」


 ご機嫌で、ちょっぴり怖い笑い声をあげているタマラさん。

 そのタマラさんの被っているペスト医師の仮面だ。玻璃を目の部分にはめ込んだ自信作だ。刻削骨の鎧の素材で作ったから、色はちょっと黄色っぽいけれど。

 尚、付術として錬金技能上昇をつけてある。


 素の状態での付術だから、そこまで高くはないけれどね。


 これ、仕上げて鍛冶場に置きっぱなしにしてたんだよ。だからこれを取りにいってたのさ。ついでに付術もしてきたけど。


「それは差し上げます。ただ、薬を作る時には必ず被ってくださいね。薬が上手に作れますから」

「ふふ――え?」


 あ、笑い声が止まった。


「それじゃ、私はサミュエルさんのところに行きますので」


 うろたえているタマラさんを尻目に、私は再び執務室へ。組合二階にあがると、ペトロナさんが先導してくれた。


「これが現物になります」


 ゴトリとクロスボウをテーブルの上に置いた。それとボルトをひとまず二本。

 サミュエルさんはクロスボウを手に持ち、いろいろと確かめている。


 そういや、サミュエルさんって元狩人組合の組合長さんだったよね? 確か、三組合併合で、現組合の副組合長になったんだよ。


 となると元狩人なのかな? それなら弓に類するクロスボウに興味を持つのもわかるな。


「試し撃ちしてみます?」

「よろしいので?」

「構いませんよ」


 かくして、クロスボウをひとつ受注しましたよ。

 弓の修練場で試し撃ちをしたところ、サミュエルさんがいたく気に入ったようだ。とりあえず、現状の形のクロスボウを作って納品するとしよう。


 いや、引き金を引くことで撃てるようにしようと思ってるんだよね。ライフルっぽい感じになるかな? 現状だと、本体の下部に引き金的な……レバー? を握りこんで撃つんだけれど、構えて撃つ際にちょっぴり窮屈な感じがするんだよ。


 なので、思いっきり形状を変えてみようかと。


 うん。ちょっと作ってみようか。基本部分は木製だしね。きっとライフル的な形状のほうが、構えが安定すると思うし。




 そんなことを考えながら、私は帰路についたのでした。







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