72 この世の何処にも作れはしない
「貴様の求める理想の世界は、この世の何処にも作れはしない」
私は宣言した。そういや、ゲームでも四作目には領主の吸血鬼がいたけれど、このじいさんはそれとはまったく違うな。
いや、当然のことだけどさ。
「芝居がかった口調で、随分なことをいうじゃないか、小僧」
「なに、性分でね。それに、この方が雰囲気がでるだろう?」
やや首を傾げ、仰け反るように顎をあげる。それこそ尊大に見えるように。
伯爵が歯を剥きだすように表情を変える。
怒っているのか、それとも愉しんでいるのか、判断がつかない。
「愉快な小僧だ。だが僕に欲しいとは思わんな。丁度腹も空いてきたところだ。食事とさせてもらおうか」
「あぁ、最初に謝罪しておこう。申し訳ない」
伯爵の言葉を無視したいきなりの謝罪の言葉に、さすがの伯爵も面を喰らったようだ。ほんの一瞬だけど、その動きが止まった。
あまりにも予想を外れた行動をすると、判断がつかずに動きを止めるのは練磨の領主であっても同様のようだ。
まぁ、あまりにも傲慢で『私の進むところに道ができるのだ!』とでもいうような人には通用しない手だけれど。もっとも、その手の輩は基本的に話を聞きやしないから、とっとと殴ればいいだけだけれどね。
領都の発展ぶりから考えて、多分、この人は立派な人物であったのだろう。吸血鬼化し、完全に道を踏み外したみたいだけれど。なにがあってそうなったのか、そんなことは知らないし、興味もない。
「なんのつもりだ? 小僧」
私にとってこの目の前の人物は、この私が珍しく好意を持ったリスリお嬢様を、身勝手な私欲の為にサンレアンを混乱に陥れた上、攫ったという事実があるだけだ。
「誤解をしないで欲しいのだが、私は貴様とは争うつもりはないのだよ」
だから――
「我ここに、汝を凍てつく棺に封ず」
言音魔法【氷の棺】を発動。先ほど、あえてこっちの言葉で設定しておいたものだ。こっちの言葉で使うのはこれが最初で最後。であることを願おう。
さっき日本語で使ったけれど、リスリお嬢様には魔法を使ったとは認識できていないだろう。……いろいろやらかしてるな、私。やっぱり演出重視にすると問題しかないかなぁ。
たちまち伯爵は全身を氷に包まれ、その場に転倒した。これは正確には氷ではなく、氷の様をしたなにかだ。封じられた者は一切の身動きを取ることはできず、それどころか思考の類も停止する。いうなれば、時間停止と同様の状況に陥る。
ちなみに、封じられている間は無敵。どんな高いところから落ちたとしても、一切のダメージは受けない。まぁ【氷の棺】そのものからの冷気ダメージは少しばかり受けるけれど。
この氷は一定時間経過か、他者が攻撃をすることで痕跡を残さずに消滅する。いうなれば、強者相手から逃走する際に使うのが一般的な言音魔法といえる。
だが私は基本的に、攻撃補助に使う。封じた後、麻痺毒を塗った武器で殴りつけるのだ。これにより即座に麻痺状態に移行させることができ、あとは死ぬまで一方的に殴ればそれで終了する。麻痺の効果時間が足りなければ、切れる直前にまた武器に麻痺毒を塗ればいいだけのことだしね。
唯一の欠点は、毒の効かない相手には使えない手だということだ。
そして恐らくはゲーム同様、リアルにおいても吸血鬼に毒物は効かないだろう。なにしろ不死の怪物だ。そもそも生命活動をしていないのだから。
なので、封じるための道具を持ってきているのだ。というより、インベントリに入れっぱなし。
以前作った【麻痺の首輪】だけれど、あれは恐らくは常盤お兄さんのうっかりミスで作ることができた代物だと思われる。本来【麻痺】の類の防具や装身具を作ることは不可能なはずなのだ。いや、ゲームでだとそれで詰むからね。多分、いまはもう作れないんじゃないかな? あれから作っていないからわからないけれど。
なので、その代替品として【スタミナ吸収】の首輪を作っておいたのだ。これを装着してしまえば、完全な疲弊状態になって身動きができなくなるからね。とてつもなく頑張れば外せるだろうけど。
私は倒れた伯爵に素早く駆け寄る。なんだかとなりで「はえっ!?」とか、妙な声が聞こえた気がしたが気にしない。
机を回り込み、倒れた伯爵をロープで適当にグルグル巻きにしたうえで、思い切り殴りつける。
氷が消滅し、状況を理解できずにいる伯爵の背後から、首輪をまるで絞殺具のように首に巻き、締め上げ、そしてしっかりと装着する。
起き上がろうともがいた伯爵の背を蹴飛ばし、再び転倒させた。
うん、氷の厚さの分、ロープがゆるゆるだったからね。グルグルにしたから解けてはいないけれど、身動きを封じるほどじゃない。
さて、体力切れで倒れるまで、こっからはなんとかあしらわないとね。……試しに【静穏】を使ってみようか?
眩惑魔法・達人級の【静穏】。一切の戦闘行動を終了させる魔法。範囲内の者を惑わし、敵を敵と認識できないようにしたうえ、それまでの敵対行動状態の記憶を一時的に封じる効果まである。
簡単にいうと、周囲にいた敵だろうがなんだろうが『覚えはないけど、友好的な誰か』と認識させる魔法だ。
ただこれ、ゲームだと高レベルのモンスター、上位級の吸血鬼とかには効かないんだよね。実際、達人級魔法は眩惑魔法最強じゃないし。
例 達人級【狂乱化】 < 玄人級【狂暴化】二重発動
だからね。
達人級魔法はそもそも両手を使うから、二重発動はできない。熟練以下は二重発動することで、その効力を上昇させることが可能。ただ、消費魔力が確か三倍近くかかるけど。
でも、玄人級が達人級以上の効果を発揮するんだから、それを考えるとやらない理由はない。
なにより両手首を合わせて腰だめにしてから撃つ、どこぞのゲームやアニメの気功波みたいな恰好には浪漫を感じますよ!
【静穏】を発動させると、バタバタともがいていた伯爵は大人しくなった。ついでにリスリお嬢様にも掛かってきょとんとしている。
なんで私が伯爵を縛り直しているのか分からないようだ。伯爵も自分がなぜ縛られているが理解できていない。
「なぜ私は縛られているのだ?」
「気にするな。そういうプレイだ」
どういうプレイだ! 私!
「ふむ。そういうものか」
納得するのかい!
……リアルの眩惑魔法、恐ろしいな。効果がえげつないぞ、これ。
ギュッと縛り、さらに目かくしをしたうえで、口元も手ぬぐいで封じる。猿轡みたいにするのではなく、覆面みたいに覆って首の後ろあたりでギュッと縛る。
これでいいだろう。
ややあって――
「はっ!?」
正気に戻ったのか、リスリお嬢様が目をぱちくりとさせてキョロキョロとし始めた。伯爵も効果が切れている筈だが、首輪の影響でぐったりとしたままだ。
よし。ミッションコンプリート。
ね? 身も蓋もなかったでしょ。
あとは帰るだけですよ。
「あ、あの……」
「なんだい? お嬢さん」
「その、さきほど、争うつもりはないと仰っていましたが」
リスリお嬢様の視線が伯爵に向いている。
あぁ、そのことか。
「あぁ、争いは苦手でね。好みではないのだよ。私の好みは、一方的に相手を殴りつけることだからな」
うん。ついさっきボコボコにされてた奴がいうことじゃないけどね。
あ、リスリお嬢様、口元を引き攣らせてドン引きしてる。
でも喧嘩においては大事なことですよ。だって殴られると痛いじゃないですか。痛い思いをするくらいなら、しないように手を回して一方的にどつき回すのが正しい方法ですよ。
その手の手管はお兄ちゃんが得意だったんだけど、よく聞いておけばよかったかな。いろいろ助けてもらったんだよ。
【軽量化】を伯爵に掛け担ぎ上げると、私はリスリお嬢様と一緒に執務室を後にした。これから帰るわけだけど、どうしよう?
あ、飛竜の始末をしないとね。そういや馬がいたな。ゾンビ化していなかったら、その馬を拝借しよう。
……いや、ちょっとまて、それ以前にどうやって街から出よう。どうみてもいまの私は誘拐犯。さすがにリスリお嬢様の前で【透明変化】とかは使いたくないし。
……また【静穏】を使いまくって、事実誤認を周囲にさせつつ街を出るしかないかなぁ。
うん、それが無難か。
あぁ、面倒臭い。
屋敷を出て、ぐるりと庭を回って屋敷の裏手へと向かう。そこに飛竜ゾンビがいるはずだ。
裏庭にでると、飛竜ゾンビが身じろぎひとつせずに待機していた。【死者探知】で確認する。
うん。間違いなく不死の怪物化している。
これだけ大きい上に空も飛びかねない訳だから、まずは飛べないようにする必要があるね。どうしよう?
考えた結果、使うまいと封印した魔法を使うことにする。
【聖王水】!
飛竜の左翼の付け根に、まるで血を水で溶かしたような赤っぽい水の塊が直撃する。効果は覿面。左翼の付け根から翼膜まで溶け落ち、青白く燃え上がりだした。
これで飛ぶことは出来まい。……多分、翼で飛んでるわけじゃないんだろうけど、重要な部位ではあるはずだし。
ただバタバタと暴れだしたので慌てて距離をとり、今度は普通の【聖水】を撃ち込む。ほぼ全身を濡らすのに十数発……いや、それ以上撃っただろうか。
飛竜は少々時間が掛かったものの、完全に燃え落ち、灰へと変わった。
これでよし。
あとはお馬さんの確認をしないとね。一頭に三人はさすがにあれだよね。二頭いればいいんだけれど。
……あ、リスリお嬢様スカートだよ。あぁ、またしても問題が。
どうしましょ?
「あの、ひとつお聞きしてもよろしいですか?」
「なにかね、お嬢さん」
伯爵を担ぎ直しつつ、厩へと向かう。
「お名前を教えてください」
名前!? え、考えてないよ?
思わずスティンガーとでも名乗ってやろうかと思ったけど、やめとこう。確かに私も、某ゲームに登場した彼と同様に面倒は嫌いだけど、彼は私の好みではないのだ。
えーっと、えーっと、どうしよ?
「レイヴンだ」
よりによってこれかよ!
くっそ、くっそ、スティンガーなんて頭に浮かんでたから、他になんにも浮かばなかったよ。
厩に到着。魔法で確認。うん、問題ない。ちゃんと生きてる。
一応、【疾病退散】をかけておこう。……この魔法、ちゃんと名前つけないとなぁ。他者の病気を治せるように、【治療】と合成して創った魔法だからなぁ。
本来の【疾病退散】は自身にしか掛けられないんだし。同じ名前は紛らわしい。
あ、リスリお嬢様にも一応かけておこう。心配だしね。
結局、徒歩で帰ることになりましたよ。とほほ。
……いや、駄洒落じゃないよ。
リスリお嬢様がスカートの関係でひとりでの騎乗に問題アリ。
私と一緒に乗ったとすると、伯爵の運搬に問題が。
なので、馬に伯爵を積んで、私とリスリお嬢様は徒歩で移動と。
……リスリお嬢様、徒歩での旅は大丈夫なんだろうか?
馬車でも使えればよかったんだけど、どれも使える状態じゃなかったんだよね。
長いこと整備されていないみたいで、いずれもどこかしら故障している。走れなくはないものもあったけれど、恐らく途中でダメになるだろう。
不安しかないけれど、徒歩でいくしかないか。
なぜリスリお嬢様が楽しそうなのかは、さっぱりわからないけど。
私が伯爵を積んだ馬を引きながら進む。
おや? 門の所に誰かいるね? あれ? 【霊気視】に反応しないんだけど?
ん? は? え、アンララー様!?
「我が粛清者よ、よくぞ任務を果たしました」
粛清者って……あぁ、そういえば、粛清する者とかなんといった覚えが。
「恐縮です。アンララー様」
アンララー様の前に跪き、短く答える。
リスリお嬢様も慌てたように私の隣に跪いた。
なんでこっちに来たんだろ?
「さぁ、この光の門を進みなさい。さすれば、あなた方の居るべき場所へと帰り着くでしょう」
アンララー様が右手を門に向けて差し伸ばすと、門の場所がまるで水面のように揺らめき、淡く輝いた。
私はゆっくりたちあがり、そして跪いたままのリスリお嬢様を促し立ち上がらせると、その揺らめく門へと足を踏み入れた。
クラリと軽い眩暈覚えたかと思うと、次の瞬間には、私は自宅の玄関にひとり立っていた。
……え?
「はぁい、おかえりなさ~い」
メインホールの扉が開き、ララー姉様がにこやかな笑顔で顔を出した。
仮面を外す。すると再び眩暈のような感覚がした後、視点がいつもの見慣れた位置にもどっていた。
真下を見る。
先ほどまでは見えていた足元が見えない。……胸が邪魔だ。
「なにしてるのかしらぁ?」
「いえ、ちょっと確認を。
その、ありがとうございます。おかげで帰りが助かりました」
「あのままだと途中で仮面の効果が切れそうだったからねぇ」
え、そんな理由ですか?
服を着替え、メインホールへと入る。
「リスリ様はお屋敷ですか?」
「ちゃんと送り届けたから安心してねぇ。今頃は大騒ぎでしょうけどねぇ」
楽しそうですね、ララー姉様。
「それでどうする? なにも食べていないでしょう? なにか食べる?」
「いえ、今日はもう寝ます」
とてもじゃないけど、今は食欲も湧かないよ。
あの変な骨のことがあるけれど、確保してあるのだから明日でも問題ないだろう。
私はのろのろと階段を登ると、倒れ込むようにベッドへと横たわった。
気が抜けたのか、急に疲労感が全身を襲っている。体が重い。
今日は本当に大変だった。いったいどんだけ動き回ったのよ、私。
たちまち睡魔が襲ってくる。瞼がおちる。
あぁ……おやすみなさい。