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70 死に損なった男


 なんでこうなった?


 俺はなにを間違えた?


 目の前にいる、異様な仮面の黒づくめの男。この男はいったいどこから現れた?


 なぜイリアルテの令嬢がここにいることを知っている?


 飛竜でここまで移動してきたんだぞ。追っ手だとして、どうやってここまで来たんだ?


 わからないことだらけだ。


 だが、俺がすべきことはひとつだけだ。この男を始末する。


「お前、いったいなんだ?」


 目の前の男に訊く。

 薄ぼんやりと、異様に揺らめく仮面に意識が無闇に向く。

 気味の悪い仮面だ。


不死の怪物(アンデッド)を粛清する者だ。もちろんそこに囚われているお嬢さんも連れ帰る」


 男が云う。


 粛清する? 俺たちを? いや、ゾンビたちが灰になっていたんだ、本当にできるのかも知れない。


「そんなことができると思うのか?」

「できるできないではない。やる。それだけだ」


 この男は始末しなくてはならない。オルボーン様の所へ行かせてはならない。




 オルボーン様。ただひとり、俺を見捨てず、救ってくださった方だ。この御恩には絶対に報いなければならない。


 ゾンビ病に罹った俺を、あの方は救ってくださったのだ。


 村のみんなは、俺に石を投げつけて追い出したというのに。取り決めの通り、殺して焼いてくれればよかっただけなのに。


 連中は、村で生きる上でのルールを破ったんだ。


 ゾンビ病に罹った者が助かる術はない。だから、ゾンビになる前に殺し、遺体を焼くか、もしくはゾンビになった直後にバラバラに切り刻み、焼くかだ。


 どっちが面倒なのかは、やってみるまでもない。


 連中は自分の手を汚すことを嫌い、処置に掛かる手間を惜しんだんだ。


 感染者を追放する。これは絶対にしてはならないと定められているにも関わらずだ。


 本来なら、主教様が止めるべきだろうに、率先して俺を追い出せと喚いていたからな。


 あんたは真っ先に、俺に死ねと説得すべき人間だろうが。こっちは覚悟できていたんだ。無闇な場所で死ぬわけにはいかないから、待っていたのに。


 まぁ、いい。あいつらは全員、ひとり残らず鉱山送りになったからな。俺が伯爵様に拾われたことで、連中の行いが露見したからな。


 ちゃんと知っているさ。


 あの鉱山で罪を清算できる罪人が、数えるほどしかいないってな。なにしろ時折魔物が出現するんだ。生き延びるのも大変だろうよ。


 追放された俺は途方に暮れたさ。


 このままどこにいけというんだ。


 あと数日もすれば、高熱をだしてぶっ倒れることは分かり切っている。

 いっそのこと、夜中にでも村に舞い戻って、どこぞに隠れ、そこで死んでやろうかとも考えた。


 だが、そんなことをして、他所の村や町に病を広げるわけにもいかない。


 少なくとも、取引先の醸造所の連中は、俺に親切だったからな。


 本質的なところはどうなのか知らないが、少なくとも親切にはしてくれたんだ。迷惑をかけるようなことはしたくない。


 だから、あきらめて森に向かうことにしたんだ。


 発症するまでに辿り着けるかわからないが、それが最善に思えた。


 魔の森でもゾンビがいることは確認されている。だが、森の中でゾンビ病が蔓延するようなことは起きていない。少なくとも、森ではゾンビ病は広がらないのだろう。


 まさか、死んでまでも迷惑をかける訳にはいかないからな。




 二日間。昼夜問わずただひたすらに北へと歩いた。オルボーン領から魔の森へ徒歩で向かうとなると、とてもじゃないが一週間かけても間に合う距離じゃない。

 そんなことは分かってはいるが、他に選択肢がない。


 人里を避け、できるだけ人気のない場所を選び歩く。


 なぜこんな時ばかり運が良いのか。肉食獣や、やたらと好戦的な牙猪とも遭遇せぬまま、ふらふらと歩いていく。


 時折、意識が飛ぶ。どうやら熱がでてきたらしい。思っていたよりも早い。無茶な行動による疲労のせいだろうか。


 そして俺は出会った。月明かりの下、たったひとりでオークの一群を殲滅している男に。

 彼は素手で、オーク共を引き裂き、貫き、叩き潰していた。


 その恐ろしき姿に、俺は思ったのだ。この人なら、俺を適切に処理してくれるだろうと。


 だから懇願したのだ。ゾンビになりかけている自分を、適切に殺し、燃やしてくれと。


 結果からいうと、俺は(ながら)えた。命は失ったが、こうして生きて……いや、なんといえばいいんだろうな。


 俺はその人物から、血を授けられた。自らの手首をナイフで切り裂き、滴り落ちる血を、飲め、と。

 ゾンビになることもなく、存えたければ飲めと。


 俺だって死ぬのは嫌だ。殊勝に、他人を巻き込んで死にたくないと考えてはいたが、死ぬのが怖いのは俺だって皆と同じだ。


 だから、俺はその血を啜った。


 俺に血を授けた人物。それは俺が住んでいた村、トラシのあるオルボーン伯爵領領主、オダリス卿その人だった。


 オルボーン様曰く、俺を助けたのは一種の実験であったそうだ。


 本来なら、眷属とするためには血を飲ませるのではなく、血を吸うのだそうだ。


 そう、伯爵様は吸血鬼であったのだ。


 一昨年、帝国のダンジョンに潜った際に手に入れた魔道具のせいで、吸血鬼となってしまったのだという。


 そしてその血を貰い受けた俺も、吸血鬼となるだろう。不死の怪物としては、ゾンビよりもはるかに上級の存在である吸血鬼であるならば、ゾンビ化せずに済むだろう。


 オルボーン様を吸血鬼たらしめたのは、クラリーヌという金髪の美しい女だ。オルボーン様が、なにか文字のようなものが刻みこまれた骨を用い、召喚をおこなったところ、クラリーヌが現れたとのことだ。


 そして彼女に血を吸われ、オルボーン様は吸血鬼となった。


「ペテルよ。頼みがある。クラリーヌを殺してくれ」


 俺が吸血鬼として完全に馴染んだ頃、オルボーン様がそう頼んできた。

 頼まずとも、命じて戴ければ迷わず実行するというのに。


 理由は分かっている。


 血を吸われた者は、吸った者の僕となるからだ。


 オルボーン様は召喚具がクラリーヌを隷属化しているおかげで、完全な僕とはなってはいないが、それでもクラリーヌを疎ましく思っていた。


 なにしろ、領民をつまみ食いするのだ。


 そう、文字通り、その言葉のままの意味で。


 クラリーヌは人喰いでもあったのだ。血だけではなく、人の肉をも喰らうのだ。


 オルボーン様は吸血鬼とはなったが、領主として立派にその勤めを果たしていた。領地をよりよく発展させようと腐心していた。


 クラリーヌの行動は、それを完全に阻害しているのである。


 だが、血の呪いにより、オルボーン様はクラリーヌに直接手を下すことはできなかったのだ。


 だから俺が手を下した。


 吸血鬼もゾンビと同じ処理をすれば死ぬだろう。とはいえ、四肢を斬り落とすなど、そのような隙をあの女がつくるわけもない。


 出来たとしても、せいぜい手足の一本を切断できればいいところだ。


 そしてそれができたところで、反撃されて終わる。落とした部位は、簡単に元通りにくっつくだろう。


 だから俺は、クラリーヌが寝ている際に、身動きできぬように鉄の杭を胸に打ち込み磔にし、油をぶっかけて火を点けたのだ。


 それこそ、確実に亡ぼせるように錬金術師に造らせた、火竜の炎を再現させた油を用いて。


 クラリーヌが使用していた別邸は燃え尽きてしまったが、一緒にクラリーヌも灰と消えた。


 この結果にオルボーン様は大いに満足された。


 そして昨年。オルボーン様はひとりの少女に心を奪われた。


 それからオルボーン様は少しばかり常軌を逸したと思う。

 なにしろ我々は不死の怪物となってしまっているのだ。婚姻など、そううまくいくはずがない。誤魔化しきれるものではない。


 ならばどうするか。イリアルテ家を眷属化してしまえばいい。もしくは、令嬢を手に入れた後、不幸な事故を起こせばいい。


 そんなことをオルボーン様が云いだしたのだ。


 以前のオルボーン様なら、絶対に云わないようなことだ。


 これも、クラリーヌの血の影響なのだろうか? あの女なら、喜んでやるようなことだ。いや、あの女ならもっと酷いことになっていただろう。主に食欲的な意味で。


 だが、俺はオルボーン様に逆らうことはできない。逆らう気もない。


 例の召喚具を貸与され、俺は令嬢を攫う計画を立てた。


 オルボーン様が俺に召喚具を渡したのには理由がある。オルボーン様が使用した際には、クラリーヌなどという化け物を呼び出してしまったが、俺が使うとゾンビしか呼び出せなかったのだ。


 云うことを聞かぬゾンビであれば問題しかないが、少なくとも召喚具で呼び出したゾンビは、ある程度は制御できた。


 もっとも、ゾンビを用いた計画は失敗したが。結局、飛竜を見つけ出し、僕として用いる無茶な計画を実行することになった。


 ひとつ問題なのは、俺は吸血鬼であると同時に、出来損ないのゾンビでもあるということだ。

 俺の僕となるものは、ゾンビとしての面が強くでてしまうのだ。まぁ、それは些細な問題だ。余程のことが無い限り、俺は僕を手元に置こうとは思わん。


 そうしてサンレアンを襲撃し、俺は令嬢を連れ去った。


 あぁ、まったくもって酷い手際だったと後悔するばかりだ。


 ここまで苦労したというのに、連れ去られてたまるモノか。




「貴様に連れ去られるくらいなら、俺はあの小娘を殺すぞ」


 さすがに殺すことなどしないが、この男は判断がつくまい。


「どうぞご自由に」


 なんだと!? なんと答えたこいつは!?


 俺は驚きを隠しきれなかった。殺しても構わないだと!? リスリ嬢を助けに来たのではないのか!?


「貴様、あの小娘を助けに来たんだろう!」

「運がなかったな」

「なんだと?」

「間に合わず、救うこと叶わなかった。それだけのことだ。むしろこちらが訊きたい。お嬢さんを殺すと云ったところで、私がどう行動すると思ったのかね?」


 男が短刀を俺に突き付ける。


「お前がすべきことは、私を殺して存えるか、私に滅ぼされるかのいずれかだ。さぁ、選ぶといい」


 かくして、戦いが始まった。


 いや、これは戦いと呼べるものではないな。俺が一方的に斬り付けるだけなのだから。


 男はあまりにも弱かった。俺の振るう剣は簡単に男の防御をすり抜け、鎧に覆われていない部分を斬り付け、刺していった。

 あれだけの事を云っておきながら、なんだこの様は。


 この男は脅威足り得ない。


 そう思い、とっとと始末できるはずだった。


 一時間も経っただろうか?


 男はまだ生きていた。いや、まるで疲弊した様子もない。

 それどころか、まったくの素人以下であった短刀の扱いが、もはやいっぱしのものになっている。いくらなんでも上達が早すぎる。


 いや、あれだけ斬り付け、刺しているのだ。だのになぜまだ生きている。


 血臭は先ほどから鼻についている。間違いなくダメージはあるはずだ。


 なぜまだピンピンとしている?


「どうした? 俺を殺すんだろ? 一発も当たらないじゃないか!」


 挑発してみる。


 なんでもいい。情報が欲しい。この状況は異常だ。


「ははは、それはそうだろう。なにしろ、こうして刃物を手に戦うのは、これが初めてだからな」


 なんだと!?


「嘘をいうな!」

「嘘ではないさ。私は魔法使いだからな。気が付かなかったのか? 貴様の斬り付けた傷は、すべて魔法で治療済みだ。

 あれだけ斬り付けたのだ。普通ならもうとっくに失血して動けなくなっていないとおかしいだろう?」


 魔法使いだと!? それも傷を治す!?


 馬鹿な! 南方にいる魔法使い共は、相手を傷つける魔法ばかりで、癒す魔法など使えないハズだ!


 驚愕し、動きを止めた。止めてしまった。


 ドスッ!


 胸に生まれた衝撃に我に返る。


 男の短刀が、見事に俺の胸を刺し貫いていた。直後、男は俺を押し退けるように蹴り、無理矢理短刀を引き抜いた。


 その勢いで転倒する。視界に天井だけが映る。


 そうだ。なぜ俺は失念していた。この男は、ゾンビたちを容易く灰にしたのだ。恐らくは、やろうと思えば俺も簡単に灰にしてしまえるのだろう。


 そしてもちろん、オルボーン様も。


 それは許されない。許す訳にはいかない。


 俺は立ち上がると、剣を捨てた。そのことに、男は少し驚いたようだった。仮面で表情を見て取ることはできないが。


 男が何事かいっているが、どうでもいい。すべきことが分った。


 俺は一気に間合いを詰め、ただ我武者羅に男に掴みかかった。

 掴みかかり、押し倒し、そして――


 その首筋に噛みついた。


 眷属にする方法。それは、血を与えるか、もしくは血を吸うこと。

 いや、ゾンビ病と同じく、感染させることだ。


 ははは、そうだ。初めからこうすればよかったんだ。




 さぁ、魔法使いよ、俺の僕となるがいい。





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