65 とっととくたばれ! こんちくしょう!
「飛竜だ!」
兵士のその言葉に、私は空を見上げた。
丁度、巨大な黒い影が空を横切った。
速い。思っていたよりもずっと速い。多分、遠目だと、その巨体故にゆっくりに見えるのだろうが、いま見た限りではかなりの速さだ。
あんなもん、矢を当てる自信なんてありませんよ。
ゲームでだってロクに当たらなかったんだから、リアルで当たるわけあるかい!
って、いかん、私の脳が現実逃避しようとしている気がする。
え、どうするのこれ? というかララー姉様、忙しくなるってこれですか?
「キッカ様、早く中に!」
ガブリエル様に腕を引かれた。バレンシア様は、広場にいる逃げ遅れている人々を、礼拝堂への避難を促している。
そして私は避難する? まさか、私は隠れ過ごそうなんて思いませんよ。いろいろ確認するには丁度いい相手だもの。
……あれ? なんだ、やること決まってんじゃん。
「私は自宅に戻ります。身を護るに適した装備も、向こうにありますので」
「キッカ様!?」
「私は大丈夫ですよー」
テテテと走って道路を渡る。広場で右往左往していた人たちは教会に避難し終えたみたいだ。
門を抜け、玄関前で立ち止まり、もう一度、空を見る。
え? あ、あれ? ちょっと待って、何匹いるの? え?
ひーふーみー……え、五匹もいるじゃないのさ! 五年前の襲来って、確か一匹だよね? ギルマスが無茶をやったおかげでどうにか倒せたって聞いたよ?
あれぇ? これってかなり厳しいんじゃって、なんか一匹こっち来た!
って、え? 火を吹いた? え、炎の息? 違う火の玉!
「うわぁっ!」
ボゥン!
「ぎゃああ! 塀が燃えた!」
慌てて燃えている場所へ駆け寄り。【氷結】の魔法を掛ける。素人級の氷魔法。
なんだこれ、なかなか消えない。あれか、ナパーム弾みたいに、粘着性の可燃脂? 的な感じ?
あ、消えた。ナパームほどでは無いね。多分、それだったら【氷結】じゃ消えないと思うし。
あぁ、でも、ゼッペルさんたち、いい仕事してるよ。塀はビクともしてないよ。だけど焦げたよ! くそぅ、あの蜥蜴、絶対に地面に這いつくばらせてぶちのめしてやる! あんなもん喰らったら、お家が燃える! ふざけんな!
つーか、飛竜如きが火を吹くんじゃない! お前らは尻尾に毒があるだけだろ!
そういや五年前のも火を吹いたって聞いたな。火竜との混血じゃないかって話だったけど。
あれ? 竜って普通、竜モドキの飛竜より強い種だよね? それとの混血ってことは、あれ、普通の飛竜よりも強い?
いや、強かろうが弱かろうがどうでもいい。墜として袋叩きにすれば終わりだ!
と、いけない! 忘れちゃダメだ!
「ボー! あんたもお家に避難すんのよ!」
私は角兎の城となっている小屋に入ると、兎を抱え出し、家の中へと入った。
「ただいま!」
ブーツを脱ぎ捨て、メインホールに飛び込み、バタバタと二階へと駆けあがる。
ララー姉様は外の騒ぎなどものともせず、優雅にお茶を飲んでいた。
付術台につく。まだ木製指輪はたくさん残っている。台の脇に置きっぱなしの箱からふたつとりだし、インベントリから極大サイズの魔石をふたつ。そして付術増幅装備を身に付け、付術を開始。
このふたつの指輪に付術するのはふたつ。【耐火】と【弓術技量上昇】だ。
ばぢん! ばぢん! っと一気に造り、装備の準備は完了。
指輪をインベントリにいれて階段を駆け下りる。
「いってらっしゃい」
のんびりした調子のララー姉様の言葉に、私は足を止めた。
「いってきます!」
玄関を出る直前に装備変更。先日作った私用の【刻削骨の鎧】一式と、クロスボウ。足甲と今作った指輪の魔法効果で、耐火能力は百パーセントを超えた。これで炎対策は万全! 弓の技量、というか打撃力が約二百パーセント上昇。どうやって打撃力を上げているのかは深く考えない。
キット、マソテキナ、ナニカ、ダ。
よし、準備完了!
「ボー、留守番は任せるわよ!」
理解したのかしないのか、手を振り振りして、玄関を飛び出す私を見送っていた。
ボー。家の番兎となった、恐らくはアルミラージとの混血の格闘兎だ。いつまでも角兎とか角付きなんて呼ぶのも可哀想だから、きちんと名前を付けた。
由来はどこぞの幼稚園児の友人ではなく、某漫画に登場した筋肉偏重主義の格闘家だ。途中で技術の重要さに目覚め、漫画知識から分身の術を身に付けた変態だ。
なぜその方向に突き進んだのかと激しく問い正したいが、その意気や由。その気概を持ってほしいという願い込めてボーと名付けましたよ。
決して、ボーパルからボーとしたわけじゃありませんよ。それだと怖すぎるわ!
この間暇だったから、漫画から得たつたないボクシング知識を教え込んだら、格闘能力が跳ね上がったからね。あの兎たちはまさに、とことん格闘家だ。今度は蹴り技を教え込もう。
ガッショ、ガッショと音を立てて、戦闘の行われている方向へと走る。
……変だな。なんでほぼ一ヵ所に留まってるんだろ?
時々外れて中央に来たりしてるけど、すぐに元の場所、というか、街の北東部あたりを戦場にしてる。
いや、違うな。外壁に沿った感じに、北門から東門の間辺りからロクに動いてない。
とはいえ、そこかしこに火の手が上がり、被害は広がっている。
これ火事被害が大きそうね。ゼッペルさんのとこ、大丈夫かなぁ。
あ、また一匹こっちに流れてきた。あ――
右斜め前方にある櫓。その天辺に陣取り弓を射る人。その人に火の玉が直撃し、櫓から転落した。
目的地変更。
私は櫓へと向きを変えた。
「生きてる!?」
櫓の袂、落ちたであろう人の所に集まっている三人の男性に声をかけた。
「あんたは?」
「組合員だよ。で、その人は生きてるの?」
正直、焼死体にしか見えない。焼け爛れ、真っ黒になっている。
「なんとか火は消したんだ」
「まだ息はあるが……」
「ダメだ。これじゃ助からねぇ」
炭化し、割れた皮膚から赤い色がそこかしこに見える。革鎧の下はそれなりに無事なのかもしれないけど。
仕方ない。バレンシア様とガブリエル様を巻き込もう。
こういっちゃなんだけど、周知するにはいい機会だ。
「ちょっと退いて、治す」
「え、あんた、治すって……」
「回復薬でもあるのか? だがそんな金、この嬢ちゃんは払えないぞ!」
あぁ、なんてこった、女の子か。これは治っても暫くは辛いかなぁ。後遺症とかなければいいけど。後遺症は万病薬で治るのか、まだ不安だからなぁ。
彼女に手を翳し【治療】の魔法を掛ける。
おぉう、軽減装備じゃないから、魔力の減りが早い。
視界の左下に青いバーが出現したかと思うと、徐々に短くなっていく。
このバーは一定で、魔力はパーセント表示になっているようなものだ。
大体二十秒ほどで魔法を止める。この魔法の回復速度は、一秒あたり十ポイント。命をポイント換算するのはアレだけど、一般的に、成人の生命力は百とちょっとくらいだ。歴戦の戦士でも、いいところ三百に届くか届かないというところだろう。
だから二十秒も掛ければ効果は十分だ。ちなみに、減った魔力は十五パーくらい。
私は炭化した皮膚に手を伸ばすと、それを剥がした。
「ちょ、あんたなにをやって――」
「大丈夫。もう治ったよ。でも櫓から落ちたんでしょう? さすがに骨折は治せないから、なるべく揺すらないように教会に運んであげて。あそこになら骨折を治せる薬もあるから。どっかから戸板とか持ってこれない?」
べりべりと炭化した部分を剥がしながら云うと、ひとりが駆けていった。
顔の部分の炭化した皮膚がほぼ剥がし、その顔をちゃんと見ることができるようになった。
うん。綺麗に治ってる。
あれ? 確かに嬢ちゃんっていってたけど、本当に女の子じゃないのさ。まだ成人したばっかりじゃないかな。てっきり手練れの弓使いと思ってたのに。
血気に逸って無茶したのかな?
「凄い。本当に治った……」
「神様の思し召しよ。誰か、怪我をしている人を見つけたら、教会に連れて行くように云ってあげて。癒しの奇跡が受けられるから」
「ベン、セサルが戻ってきたら、この嬢ちゃんを教会に連れて行け。俺は怪我人を教会に連れて行くように触れて回る」
「分かった、任せろ」
「姐さんはこれからどうするんだ?」
およ、姐さんになった。でもこれは都合がいいよ。私は子供と思われてるからね。
うん、ドワーフとでも思われたかな? この鎧を着てきたのは正解だったね。
「決まってるでしょ。あの目障りな蜥蜴を地面に叩き落とすのよ。
と、そうだ。この子がもし目が覚めたら、髪の毛は薬や奇跡でも治らないから、生えてくるまでは諦めろって云ってね」
いや、お兄さんたち、そんな絶望したような顔しないでよ。確かに女の子には云いにくいと思うけどさぁ。
髪の毛、完全に焼けちゃってるからね。頭皮もきちんと治ってるから生えてくるだろうけど、時間は掛かるからね。
私は立ち上がると、戦場に向かって再び走りはじめた。
◆ ◇ ◆
東門広場に到着。
大混乱? いや、この場合は大混戦? っていっても、地上には味方のみだから、この表現もおかしいか。
敵は上だからね。
でだ、ひとつ心配事ができてしまったんだよ。
うん、しくじった。
ふたりの注意が逸れている隙に【清浄】を掛けて、あの子の体を綺麗にしたのはいい。下手すると、焼けた肺組織が詰まって、窒息してたかもしれないからね。でもね……。
あの女の子、鎧と皮膚が癒着したりしてないよね? 本当は、服とか引っぺがしてから魔法を掛けた方がよかったんじゃないかな?
私だっていっぱいいっぱいだったんだよ。そんなところまで気が回らないよ。よく吐いたりしなかったなって、自分でも不思議に思ってるくらいだしさ。
きちんと治っていますように。
ったく、それもこれも、この飛竜共のせいだ! すぐに引きずり降ろしてやるから、覚悟しとけよ、こんちくしょう!
肩に引っ掛けていたクロスボウをおろす。このままだとベルトが邪魔になるから、調整してたるみを短くする。
ゲームだと不思議な力で背中に張り付いてたけど、実際にはそんなことあり得ないからね。
それにしても、広場は酷い有様だよ。チュートリアルの導入部分を思い出すな。駅馬車の発着場は燃え上がってるし。門の両脇に建っていた櫓も、右側のが炎上してる。
とにかく、ここだとまともに動けそうにないから、外に出てしまおう。飛竜も北側に少し移動してるみたいだし。
門を盾にへたりこんでいる兵士を尻目に、街の外へとでる。そしてそのまま壁沿いに北門へと移動を開始。
それなりに走れるようにはなったけれど、まだ全力で走ることはできないんだよね。なんだか知らないけど、走っているうちになんか混乱して、足がもつれるんだよ。なので、いまの速度はジョギングに毛が生えた程度の速度だ。
ほんの数百メートル先で、火の手がそこかしこに上がるのが見える。
ぽこすか火の玉吐きおって。
待ってろ、すぐに空から引きずり降ろして――
不意に周りが陰った。
上を見る。
街側から飛竜が飛んできた。
街壁でまったく気が付かなかった。
ほんの一瞬、狼狽えた私を飛竜はしかっかりと捉えると、その体躯を捻るようにして首をこちらに向けた。
あ、ヤバイ。
そんなことを思う間もあらばこそ、飛竜は私に向け、容赦なく火の玉を吐いた!
ばちゃっ!
そんな感じの衝撃を全身に感じ、炎に包まれた私は、その衝撃で転倒しごろごろと転がった。
耐火は百パーセントを超えている。だから燃えることはない。炎を吸っても肺が焼けることもない。断熱もできているから、熱さも問題にならない。蒸れる暑さはあるけれど、それは別の話だ。
だが、炎以上の問題があった。
酸欠。
走っていなければ、多少は耐えられたと思う。
思ったほど苦しくはなかった。呼吸をしているのに呼吸ができていないという、おかしな状況を認識しながらも、思考が鈍っていく。
自分でもなんでそんなことをしようと思ったのか分からない。分からないけど、私は【炎の霊気】の魔法を発動させた。
なぜ【氷の冷気】ではなく、【炎の霊気】を発動させたのかはさっぱりだけど、結果的にはそれが良かった。へばりついていた脂を、焼き尽くしたのか、それとも弾き飛ばしたのかは分からないけど、本物の炎は消え去った。
替わりに、いまは魔法の炎が私の体を包んでいる。
げほっ! げほっ! がっはっ……。
さ、酸素。酸素……。
咳き込み、嘔吐きながら、ぜぇぜぇと呼吸を整える。
どうやら飛竜は、ぶっ倒れた私を殺したと思っているようだ。
【解呪】。
【炎の霊気】を強引に消すと、焦げた草を踏みしめ、ゆっくりと立ち上がった。
ふ、ふふ。ありがとう、飛竜さん。おかげで炎の怖さを身をもって学んだよ。
でも、もうこれ以上のレクチャーは不要だよ。
だから――
「とっととくたばれ! こんちくしょう!」
喚き、今しがた私に火の玉を撃った飛竜を指差した。
誤字報告ありがとうございます。