53 ディルガエア王の一喜一憂
髪に白いものが混じり始めた初老の男性が、バタバタと城内を走っていた。年齢的にはもう、こうして走るのは辛いものがある。だが、だからといって落ち着いて歩いていくわけにもいかない。
彼の名はマルコス。ここディルガエア王国の宰相である。
マルコスは国王陛下の執務室の扉を乱暴に叩くと、返事も待たずに中へと飛び込んだ。
「陛下、陛下! 大変にこざいます!」
「マルコス、どうしたのだ? そんなに血相を変えて。テスカセベルムの件はひとまず落ち着いたのだ。そこまで慌てるような案件はなにもあるまい」
国王陛下は目にしていたゴブリン征伐の報告書から目を離した。メリノ男爵にはなにかしら褒賞をやらねばなるまい。周辺の人里に一切の被害をだすことなく、征伐を成功させたのだから。
ただ、一部のゴブリンの逃走を許してしまったとのこと。これは仕方あるまい。ゴブリン同士の、おそらくは部族間抗争に横入りし、それを征伐したのだ。いったいどれだけの乱戦になったのか、想像に難くない。
なにより、それだけの数を抑えることのできる軍を男爵は持っていない。傭兵を掻き集めた寄せ集めの軍隊であったろうに。意気地なしと揶揄されていたようだが、評価は基本結果が全てだ。
さて、マルコスはいったいどうしたというのか。
国王は肩で息をしている宰相を見つめた。
ここまで彼が慌てる姿を見るのは、先だってのテスカセベルムの戦争準備の報の時以来だ。
「陛下、そんなのほほんとしている場合ではありません!」
「だから、いったいどうしたというのだ」
「災害です! 災害が発見されました!」
【災害】という言葉に、そして【発見】という表現に国王は慌てたように立ち上がった。
「場所はどこだ!? 現れた魔物はなんだ!? 被害は!? どこへ向かっている!?」
「陛下、現れたのはバジリスクです」
「バジリスクだと!?」
国王は眩暈を覚えた。
確か、百十年ほど前に襲来の記録があったはずだ。その時には騎士団がまるごとひとつ全滅したのだ。バジリスクのその特性を知らなかったがために。そしてそれを好機とみたテスカセベルムの王、スパルタコがディルガエアへと宣戦布告をしたのである。
もっともそのテスカセベルム軍は、民衆によって組織された民兵部隊に悉く壊滅させられたわけだが。
いや、逃避している場合ではない。
国王は頭を振り、かつて、いかにしてバジリスクを討伐したのか、その記録の内容を思い出す。
近距離での戦闘はただの自殺行為。近づくこと自体がもはや不可能。そのため遠距離からの弓による攻撃でしか対処できず、討伐までに非常に時間が掛かったこと。そしてバジリスクの通った跡は、その毒による影響で、家畜はもとより、農作物にまで多大な被害がでたと記録されている。
「陛下、落ち着いてください」
「これが落ち着いてなどいられるか。避難だ! 奴の進行ルートにある街や村の人々を避難させよ! 家畜もだ! 被害はなんとしても抑えなくてはならん!」
陛下が叫ぶ。
「ご安心ください。すでに討伐済みです」
マルコスの言葉に、指を振り回す陛下の動きがピタリと止まった。
「討伐済み……だと?」
「はい」
「誰が討伐したのだ? まさに英雄だぞ。褒賞を弾まなくてはならないな」
「褒賞は不要です、陛下」
なん……だと? まさか、相打ちとなったのか?
いや、だが、だからといって褒賞は不要とはなるまい。国を救ったのだぞ!
国王陛下のマルコスを見る目が細まる。
その視線を受け、マルコスは説明の言葉を吐き出した。
「陛下、まず、バジリスクを討伐したのは人ではありません」
「人ではない、だと? 待て、それはどういうことだ? まさか、バジリスクよりも凶悪な魔物が出現したとでもいうのか?」
「もしかしたら、そうなのかもしれません。ですが、運が良かったということかもしれません。それに加え、相性が良かったとも」
「回りくどいぞ、マルコス」
「兎です」
……は?
国王は目をぱちくりとさせた。
「陛下、そんなぽかんとした顔をしてもちっとも可愛くありませんぞ」
「放っておけ! それよりもマルコス。お前、本当に大丈夫なのか? ここ暫くは忙しかったからな、ちゃんと休んでいるか? そういえば暫く休暇をとっていないだろう。どうだ、ここでまとまった休みをとって、孫の顔を見にいくというのは」
マルコスの答えに、さすがに国王も心配になった。
災害級の魔物が兎に討伐されたなどと。なにを馬鹿なことを云っているのか。
「陛下、お気遣いは無用ですぞ。ダンジョン産の、疲労がポンと取れるポーションを飲みましたからな。
さて陛下、バジリスクを討伐したのは人間ではありません。【殺人兎】です」
マルコスの言葉に、途端に国王の視線が胡乱なものに変わった。
「マルコスよ、そんな実在するかも分からない兎の話を――」
「殺人兎は実在しますぞ。近く、懸賞金を懸けていたナバスクエス伯爵の元に剥製が届くことになっています。
あぁ、それと、バジリスクも近く届きます。組合がオークションに出品するとのことです」
まさに鳩が豆を投げつけられたかように、国王はポカンとなった。
「え、なに? 殺人兎、本当にいたの? その剥製も捏造品とかじゃなく? それにバジリスクがオークションに出されると?」
「組合が間に入っていますから、本物であることは保証されましょう。バジリスクに至っては、どうやったのかは不明ですが、氷漬けの状態で運ばれるそうです。剥製としてではなく、各種加工品素材としても利用できます」
マルコスの言葉に、国王の子供心がくすぐられる。
一目見てみたい、と。
これまでながらく噂にだけ届いた兎、さらにはかつて大災害を引き起こしたバジリスクだ。無理もないといえる。
そんな様子の国王を眺めながら、マルコスは表情を厳しく引き締めた。
「陛下、ここからは心してお聞きください。もしかしたら、テスカセベルムが戦争を思いとどまった原因は、ここにあるやもしれません」
国王がその言葉に、右目を細め、左眉をぐいと上げた。
そして宰相は話し始めた。
「四の月二十三日に、サンレアン教会にて女神ディルルルナ様が降臨なされました」
最初の言葉から衝撃的であった。
国王はぺたんと椅子に尻餅をつくように座り込むと、執務机に肘をついて手を組み、疲れ切ったように項垂れた。
女神の降臨。それは国が荒れること意味するといっても過言ではない。直近では、二百年前の大規模な魔物の集団暴走の際、我らに救いの手を差し伸べてくださったことは、ディルガエアの民なら誰でも知っている。
宰相は話を続ける。
女神の降臨は、とあるひとりの少女と話をするため。そしてその少女はテスカセベルムからたったひとりで徒歩で旅をし、途中、ゾンビの一群を焼き払ったという。
またその少女はサンレアンにて、女神アレカンドラの名の下に魔法の普及をすると宣言し、現在、組合と教会の協力の下、着々と準備を進めている。
さらには、先ごろ完全に存在が確認された【殺人兎】を狩猟したのもこの少女であり、バジリスクもまた、彼女が発見回収したものだ。
国王は顔を顰めたまま、眉間に寄った皺を伸ばすかのように、右手人差し指で揉んでいた。
理解に誤解が無ければ、少女はディルガエアに来てからひと月程度の期間で、それだけのことを成し遂げたということだ。それもひとりで。
ゾンビの一群の討伐。殺人兎の狩猟。バジリスクの発見。更には魔法の普及を女神様より仰せつかっているときた。ディルルルナ様が直接お話になっているというのだ、これに間違いはないのだろう。
「その少女は何者なのだ?」
「組合の鑑定では【アレカンドラの神子】と出ております。七神全てからの加護を受けているとも報告されています」
国王はもうどんな顔をしてよいか分からなかった。
「マルコスよ。それはもはや、我ら人類の導き手とでもいうお方ではないのか?」
「当人は神子ではないと否定しておるようです。また、なんと申しますか、目立つことを非常に嫌っているようですな」
「これだけのことをしでかしているのにか?」
呆れたように声を上げた。やっていることと望んでいることが、まるで真逆ではないか。
「【殺人兎】と【バジリスク】に関しては知らなかったらしく、たまたま狩猟した、そしてたまたま拾った、ということのようです。組合での鑑定に関しては、組合員登録する上で必要であったからでしょうし、魔法に関しては、女神様からの任務である以上、ある程度は覚悟はしていたのではないでしょうか」
「なんとも難儀な。だが、なぜ目立つのを嫌うのだ? 悪行ということであるならともかく、なにも悪いことはしていないではないか。ゾンビの討伐など、素晴らしい貢献だぞ」
「少女曰く、誘拐されるのだそうです」
は?
マルコスの言葉に、国王は目を瞬いた。
「マルコスよ、私の聞き違いか? 誘拐と――」
トントントントン。
ノックの音が響き、国王と宰相の会話を途切れさせた。
「入れ」
国王が声を掛ける。すると音もなく扉が開き、メイドのひとりが姿を現した。
「失礼します、陛下。ビシタシオン猊下がお見えになっておいでです」
メイドの言葉に国王はバタバタと立ち上がった。
「猊下が!? いったい何事だ!? すぐに行く。応接室にお通しするんだ。くれぐれも失礼のないようにな」
「その、陛下、そのことなのですが……」
「それには及びません、アダルベルト陛下。無作法、失礼します。今回の訪問は内密に、なかったこととして頂きたく」
メイドの背後から現れた小柄な女性。まるで村娘のような地味な恰好をしているが、流れるような金髪に青い瞳をした妙齢の女性。
たとえどんな格好をしていようとも、見間違えようがない。ビシタシオン教皇猊下その人だ。
「これはビシタシオン教皇猊下、ようこそおいでくださいました」
「ご機嫌麗しゅう、アダルベルト陛下。このような突然の訪問、申し訳ありません。ですが、情報を共有して置いた方がよい案件ができましてね」
「猊下、陛下、ここではまともに話もできないでしょう。場所を変えましょう」
執務室から応接室へと場所を変え、ディルガエア王国と地神教会との非公式会談がはじまった。
「まずは突然の訪問をお詫びいたします」
「とんでもありません。ですがなぜ突然に? それにその変装はいかな理由で?」
「こうでもしなければ抜け出せなかったのですよ。公式の訪問ということとするのは避けたかったのです。現状では、あるお方の存在を広く知らしめる訳にはいかないのですよ」
『あるお方』という言葉を聞き、国王は僅かに眉をひそめた。それは、ついいましがた宰相と話していた少女のことではないのか?
教会相手に腹芸などしても意味がない。
国王は単刀直入に教皇猊下に訊ねた。
「あぁ、ミヤマ様のことを既にご存知でしたか。いえ、いろいろと話題になることを成しておられますからね、当然と云えましょう」
教皇が微かに笑みを浮かべる。
「今後のことを考え、ミヤマ様に関しての情報を共有して置こうと思いまして。恐らくはミヤマ様を利用しようとする不埒者が現れるのではないかと、我々は懸念しているのですよ。バレンシアの話によると、ミヤマ様は目立つことを大変に嫌っているご様子ですしね」
バレンシア大主教。先月からサンレアン教会に常駐している教会の重鎮だ。
「それほどの人物ですか」
「なにしろ、七神全てからの加護をもつ方です。アレカンドラ様の加護を受けし者など、最初期に存在した神子以来ですよ。ミヤマ様を担ぎ上げて、絶神教やら陽神教などというものを起ち上げられても困りますからね」
「まさか、そのような勢力ができつつあるのですか?」
「いえ。ですが、勇神教はこれより荒れますからね。他五教の非難声明を受けた後、離脱した者たちがどんな行動にでるか想像つきませんから」
そう答えると、ビシタシオンはお茶に口を付けた。
酸味の強い、薫り高い液体で喉を潤し、ビシタシオンは共有すべき情報に関して淡々と述べ始めた。
それらは概ね、先ほど国王と宰相が話していたことと同様のものであった。
もっとも、情報の精度はそれよりもずっと高かったが。
「いくつかの事柄から、我々教会はひとつの推測を立てています。
まず、勇神教がとある特殊な道具を用い、異世界の神の子を攫ったのは事実。これに関しては、先日イリアルテ侯爵主導で行われた、教会と組合を介して行われる、魔法販売に関しての会議の場で判明しました。
勇神教のカッポーネ枢機卿が誇らしげに宣ったらしいです。まったく、神に反逆するような行為を誇るとは、神に仕える身でありながらなんと傲慢な。先にも云いましたが、これについては我々は近く共同で非難声明をだします」
そこまで云うと、ビシタシオンは口をへの字に曲げて不快感を露骨に示した。そしてひとつ息をつくと、さらに言葉を続けた。
「さて、ここで重要なのは召喚された英雄です。件の宝珠で召喚された英雄は、三人だけではなく、四人であると教会は考えています」
「四人? ですが、テスカセベルムで召喚された者が三人であることは確認されたのでは?」
「えぇ、証言を得ています。ですから、勇神教に件の宝珠が奉納される前に、ミヤマ様は召喚されたのではないのでしょうか。右も左も分からぬ地にいきなり着の身着のまま連れ去れられ、いったいどれだけの苦難であったことか。そして目の前には、自らを不明な方法で攫った人物がいるとなれば、もはや絶望しかないでしょう。
どのようにしてかは不明ですが、ミヤマ様はテスカセベルムを脱出し、その後、イリアルテ家令嬢の窮地を助け、現在ではサンレアンを拠点としています」
「よくぞそこまで調べましたな」
「月神教の諜報員は優秀ということでしょう。とくに我々は、百年前のこともあって、以来、密に連携していますからね」
教皇の言葉に、国王と宰相は顔を見合わせた。
この言葉は共闘するなら頼もしくもあるが、同時に、絶対に敵対してはならないと思わせるものでもあった。
「ミヤマ様は七神の神子であることは否定されましたが、神子であることは否定されていません。そして我らの知るものとはまったく異なる魔法を広める、それも誰でも簡単に身に付けることができるというもの。これはまさに【神からの授かりもの】と同じものです。これらのことを鑑みるに、ミヤマ様が神子であることは間違いないでしょう。ですが、我らが七神ではなく『ミヤマ様の故郷である異世界の神』の、ですが」
教会の出した結論に、国王と宰相は顔色を青くした。
「それは……大丈夫なのでしょうか? 彼の神より、子を攫った我々に神罰が落ちるなどということは?」
「それは心配することはないでしょう。なにせ、我らの神々からも加護を受けているのです。彼の神と我らが七神が良好な関係にあるのは間違いないでしょう。
勇神教により敵対した三柱の神の内、一柱とは既に和解済みとミヤマ様が証言しています。恐らくは、その神こそがミヤマ様の神なのでしょうね。
いずれにしろ、ミヤマ様とは今後、良好な関係を続けなくてはなりません。その為にも、馬鹿なことをやらかす輩がでないよう、目を光らせておかねばなりません」
教皇の言葉に、国王と宰相は深くうなずいた。そしてそこで、国王はふと先に途中で終わった話のことを思い出した。
【誘拐】などと、マルコスは随分と不穏なことを云ってはいなかったか?
国王はその話の続きをマルコスに促した。
「誘拐の話ですか。まず、テスカセベルムに攫われたこともそうですが、他にも誘拐されたことがあるようです」
「それについては初耳ですね。金銭目的でしょうか? それとも、いわゆる奴隷狩りとか?」
教皇が宰相に問う。
「いえ、なんと申しますか……」
「あぁ、そういうことか。ある意味奴隷だな。要は、攫い、犯し、売り飛ばす、もしくは殺すというところか?」
「えぇ、陛下。そのようです」
口籠る宰相の様子から察し、国王が代わりに答えた。
思い当たる事があり、教皇もまた酷く顔を顰めていた。
彼女も神より加護を授かり、教皇となる前は似たような目に遭ったことがあるのだ。幸いにも巡回中の騎士によって事なきを得たが。
「そのようなこともあってか、いまでは常に仮面を着けて生活しているそうです。仮面を着けた変な娘など攫わないだろうと。聞いたところによると、アンララー様に瓜二つであるとか」
「そういえば、テスカセベルムで、アンララー様に命を救われたメイドがいるという話もありましたね」
そんなことを呟いた途端、教皇の美しい顔が不意に引き攣れるように強張った。
その突然の様子に、国王と宰相は緊張し、背筋になにか冷たいものが走った。
いったい、今度はなにがあるというのか?
「あの、今、唐突に思ったのですが、ミヤマ様が【アンララー様の化身】であるという可能性もありますね。
なにしろアンララー様は諜報の女神でもありますし、なにより魔術はアンララー様の管轄ですから」
教皇のその言葉に、国王と宰相はただ、表情を強張らせることだけしかできなかった。
だが、方針だけは決定した。決して、少女を害することがあってはならないと。
◆ ◇ ◆
さて、その話題の少女はと云うと、自宅の鍛冶場で懸命に木を削っていた。
作っているのは怪しげな仮面のモックアップ。要は見本、原型であるが、これをもとに型を作る予定である。
本当は鍛冶修行をしようと思ったのだが、あまりの熱さ、そして暑さに断念したのだ。これについては対策は浮かんでいるが、それは技術的に先になるため、いまは木工に勤しんでいるのである。
もっとも、木工でも鍛冶技能は上がるのだが。どうやら物造りの際の、手先の器用さの実地訓練は、鍛冶技術の向上のひとつに分類されているようだ。
そして仮面の原型がほぼ出来上がったころ、少女はあることに気が付いた。
「あぁ、そっか。鎧。なにもゲームのデザインと同じにすることないんだっけ。
ふむ、それじゃ別ゲーでお気に入りだった鎧や剣とかも作れるね。さすがにどこぞの『それは正に鉄塊だった』な代物は、おっき過ぎて一般的実用性皆無だから造ったりしないけど」
そんなことをブツブツと云ったかと思うと、少女は不意にひとりニヘラとした笑みを浮かべた。どんなデザインの鎧を作ろうかと思いを巡らせながら。
遠い都で、自らの噂を国の重鎮たちがしているなどとは露とも知らずに。
誤字報告ありがとうございます。