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51 勇神教司祭の絶望


 急な呼び出しに、チリーノはひどく緊張していた。

 控室で他教の司祭たちと親睦を深めていたところ、カッポーニ枢機卿の代理として、会議に出席するよう要請されたのだ。


 チリーノはそのことに驚きながらも、迎えに来た執事について控室を後にした。


 だが、一介の司祭に過ぎぬ若造が、代理で会議に出席することになるというのは異常事態だ。そもそもカッポーニ枢機卿はどうなったのか? そしてプロテイン師はどうしたのか?


 プロテイン師。カッポーニにより偽の召喚宝珠によって召喚された男性。半裸で現れ、カッポーニを襲った人物である。本名は不明。高笑いしているのが殆どのため、意思疎通が非常に困難であり、笑う以外で発した『プロテイン』『テストステロン』の言葉からプロテインと呼ばれるようになる。


 その後、どういう方法を以てかは不明だが『筋肉は己の勇気を裏付け、絶対に裏切らない』という教義を打ち立て、瞬く間に勇神教筋肉派なるものを作り上げた。

 この筋肉派の存在により、腐敗していた教会内の浄化が急速に行われたため、まっとうな教会関係者は皆彼を歓迎し、彼をプロテイン師と呼ぶようになったのだ。


 プロテイン師に懺悔室で骨抜きにされたカッポーニ枢機卿はもとより、チリーノも筋肉派に名を連ねている。


 彼のこのところの楽しみは、岩を担ぎ上げてのスクワットだ。


「あの人物はアレカンドラ様の遣わした、枢機卿の監視であったそうです。その役を終えたのか、光となり、姿を消されてしまいました」


 執事のその言葉に、チリーノの顔が強張り、一瞬思考が止まった。


 監視? プロテイン師が? カッポーニ様を?


 思考がまとまらない。


「神子様であらせられるキッカ様を、思うがままにしようなどと、傲慢にもほどがありましょう。他の皆様のいる目の前で、テスカカカ様が神罰を下されましたよ。

 枢機卿は別室の隅で、膝を抱えてガタガタと震え続けておりますな」


 執事のその言葉に、チリーノはなぜか深く納得していた。


 カッポーニ枢機卿は神を信じていなかった。いや、信じていたのかもしれないが、彼は神を利用し続けてきた人物だった。


 稀代のペテン師と云ってもいいだろう。なによりも恐ろしいのは、そのことを枢機卿は一切自覚していなかったということだ。

 自らの生み出した大嘘の類は、その口から吐き出された瞬間に、枢機卿にとってはすべて事実となっていたからだ。


 妄想と野心に精神を支配されている。


 チリーノがそのことを知ったのは、例の召喚儀式の時だ。だが相手は枢機卿。たかが司祭如きが糾弾できるわけもなく、同期のアルマンド、ジョコンドと共に嘆いていたのだ。


 その枢機卿に神罰が下った。それもよりによって他教の重鎮がいる目の前で。


 チリーノはいますぐ回れ右をして逃げ出したい気分になった。


 会議の場は、まさに針の筵とでもいうべき状態になるのが目に見えている。

 だが、ここから逃げ帰るなどできるわけもない。


 単なる付き人として同行したとはいえ、勇神教の代表者のひとりであるのだ。


 枢機卿は会議の場で、いったいなにをやらかしたのか。


 チリーノにはもはや、ただ憤ることだけしかできなかった。


 やがて立派な扉の部屋の前に辿り着いた。控室からやたらと離れていたのは、先に使っていた会議室が、使えなくなった為だ。


 それを聞き、チリーノはますます青くなった。恐らくは、神罰によるためだろうと、簡単に想像がついたからだ。


 確かにそれは事実ではあるが、実際は枢機卿が恐怖のあまりに垂れ流してしまったからである。


 床の掃除はすぐにできても、臭いはそう簡単に消すことはできない。あのままあの部屋で会議をし、出席者にその悪臭が移ることは、とてもじゃないがよろしいことではない。


 執事が扉を開き、チリーノに入室を促した。


 処刑台に登る者の気持ちは、きっとこういうものなのだろうな。


 そんなことを思いながら、チリーノは入室した。


「突然の招集、すまなかったな。座ってくれ。大幅に時間が遅れている。さっそく会議を始めよう」


 上座に座っているイリアルテ侯爵の言葉に、すっかり委縮しながらも簡単に挨拶をし、チリーノは縮こまるように席についた。


 そしてゆっくりと会議に参加している面々を見回す。


 各教会の重鎮が並ぶ中に、ひとり一際異彩を放っている者がひとり。

 奇妙な仮面をつけた少女。付き人を連れていないのか、かわりの侯爵家のメイドが彼女の後ろに控えている。


 あの少女は何者なのか?


 そんなことをチリーノが考えていると、その少女がちらりと彼を一瞥し、口を開いた。


「あぁ、彼はまともみたいですね。少なくとも無信心者ではないようです。どうやら腐り切ってはいないようですよ。上はともかく、下はちゃんとした人が残っているみたいですし、救いはあるんじゃないですか?」

「本来、我々が神の手を煩わせるなど、あってはならないこと。今回のことでポンピリオ様も思い知ることでしょうね。まったく、嘆かわしい」

「なに、非難は後でまとめてすればいい。今回の主題は神より授かりし魔法に関してだ」

「えぇ、その通りです。既にキッカ様は不浄の者の一群を、他に一切の被害を及ぼすことなく灰塵に帰しておられます」

「素晴らしい。神の理を奪われし、哀れなる者に平穏を与えることができるのですね。従来の四肢を切断してからの焼却というのは、彼らの尊厳を踏みにじっていましたからね」


 本当にあの親父はなにやらかしたんだよ!


 チリーノは頭を抱えたくなった。覚悟はしていたつもりだが、足りなかったようだ。


 そして初めて聞く、魔法に関しての情報。これが事実であるのなら、なんと素晴らしいことであるか。不死の怪物の対処方法は、人類にとっての一番の問題であったのだ。


 現状、ダンジョンで稀に発見される聖なる武器、魔法の武器、そして生産に非常な危険が伴う人造魔剣、いわゆる腐食魔剣のみが、不死の怪物にまともに対抗できる代物なのだ。


 ゾンビならば、四肢を切断し焼却すればいい。だがスケルトンや、視線そのもに魅了の力を持つワイト、それらの対処となると、普通の武器ではもう対処はほぼ不可能なのだ。


 そこへ、魔法という新たな対処方法。事前に訊いた話が事実であるならば、それを誰でも身に着けることができるというのだ。


「あー、見た目的にはそんな感じにはなりませんけどね。まるで火を点けられた人間みたいになりますから。

 それと、ゾンビの一群を倒した魔法の販売は、現状では考えてはいません」

「それはどういった理由からでしょう?」


 月神教の代表が少女に問う。


「単純です。魔力量の関係で、覚えてもすぐにはまず使えません。一番簡単な対不死の怪物用の神聖魔法、見習級の【太陽弾】といいますが、これに使用する魔力が約二十五ポイントです。

 あ、これは一般的な人の保有する魔力量を百とし、数値化したものです。

 そしてゾンビを滅ぼすのに使った魔法は達人級の【神の息吹】という魔法ですが、こちらに必要な魔力量は約千ポイントになります」

「なんと……そんなにも差があるのですね。それでは勇んで覚えても確かに無駄でしかありませんね」


 半ば失望したように、月神教代表者が息をつく。魔術の女神の信徒としては、思うところがあるのだろう。


「保持魔力量を増やす方法はありますが、なかなか大変ですよ。二百程度までなら問題なく増やせますが、そこから先が苦行なようです。

 と、なし崩しに説明を始めてしまいましたが、これではいけませんね」


 少女は立ち上がると、その奇妙な仮面を外した。

 チリーノは少女のその顔を見、息を飲んだ。

 少女の顔、それは、つい先ごろまでよく見ていた顔に瓜二つであったのだ。

 いまでは消えてしまった、女神像の顔。女神アンララー像の顔にそっくりであったのだ。

 いや、もし少女に角が生えていたのなら、女神ディルルルナの像の顔そのものと云ってもいいかもしれない。


 どうやら他の教会関係者もそう思ったらしく、少女の顔を凝視していた。

 だが少女はその様子を気にも留めず、淡々と口を開いた。


「あらためまして、私、キッカと申します。アレカンドラ様より、魔法普及の任を受けた者です。

 では、お手元の資料をご覧ください。これより魔法に関しての説明と、頒布予定の魔法についてお話いたします」


 こうして魔法頒布に関しての会議が始まった。


 会議は実に濃い内容のものとなった。侯爵による魔法の会得。侯爵令息による魔法の杖の使用。そして問題となった保有魔力量を増加するための修行法。頒布をしないと決めた魔法の、その理由。とさまざまな説明がされた。

 そして更にそこに、ダンジョン産回復薬と同等でありながら、量産可能な薬の話も出たのである。


 まさに、社会が変容するレベルの内容の会議となった。




 魔法と薬に関してのすべての説明が終わり、その販売価格もひとまず決定したことで会議は終了となった。


 帰り支度を終え、会議室をでようとした少女を呼び止め、チリーノはひとつ質問をした。


 それは、呪いの指輪を外す方法。


 アレカンドラ様の神子であるこの少女であるならば、国王陛下の指輪を外す方法も分かるのではないかと、一縷の望みをかけたのだ。


「呪いの指輪ですか?」

「はい。どうしても外れないのです」

「えーと、石鹸を使うとか、最終手段として体重を落とすとかはやったんですよね?」

「えぇ。体重に関しては、呪いのせいで見る影もなくやつれてしまいましたし」


 チリーノは答えた。あのどっしりとした国王陛下は大分痩せてしまった。だが、それでも指輪は外れないのだ。


 陛下はいまだに、背後を恐れ、びくびくとしながら生活しているのだ。事あるごとに、「私の後ろには、誰もいないよな?」と誰彼かまわず質問しながら。


「それじゃもう、本当の最後の手段しかないじゃないですか。ダンジョン産の欠損をも修復する回復薬はあるんですよね? なら、指を斬り落としたらいいんじゃないですか?」


 にべもなく答える少女に、チリーノは口元を引き攣らせた。


 少女が侯爵様と侯爵令息と一緒に退室したあとも、チリーノは立ち尽くしていた。

 確かに、少女の云う通りにすれば指輪からは解放されるだろう。

 だが、そのことを云うだけの勇気など、チリーノはどこにも持ち合わせてなどいなかった。


 今回のこの会議の参加は、神子様より呪いを解く方法を聞き出すことも任務のひとつであったのだ。


「さて、チリーノ君。席に着きなさい」


 不意に名前を呼ばれ、チリーノは慌てて顔を上げた。

 室内にはもう、教会関係者だけしか残っていなかった。組合の者も、取次役の執事も、メイドもひとりもいない。


「これから、我ら七神教で話し合わなければなりません。君も、上司たるカッポーニ枢機卿がここでなにをやったのか、知りたいでしょう?

 それと、もしかしたら数か月前、彼がいったい何をしたのか、君は知っているのではありませんか?」


 水神教のヒルデブラント枢機卿が上座に座り、ひとり立っていたチリーノをじっと見つめていた。


 チリーノはあまりのことに、変な笑い声がでそうになるのを必死にこらえた。


「さぁ、はやく座りなさい。我々は確認せねばならないのですよ。君たち勇神教が人攫いをし、審神教を世界を滅ぼす悪神の手先などと云ったという疑惑をね」


 あぁ、なぜそのことを知っているのか。


 それにそれはモリス殿に対し、カッポーニ枢機卿が答えた出まかせではないか。


「そしてなによりも、君たちは攫った異世界の神の子を殺したそうではありませんか。現在、アレカンドラ様はその後始末の為に、異世界の神への対処に追われているそうですよ。この世界が破壊されないようにするために」


 ヒルデブラント枢機卿の言葉は、チリーノを絶望のどん底に落とすのに十分なものであった。


 実に簡単な図式だ。


 馬鹿をやった子供の後始末を、母親が方々を回って頭を下げる。要はそういうことだ。

 カッポーニ枢機卿は、自らの引き起こした問題のツケを、すべてアレカンドラ様に押し付けたということだ。


 しかも、それは殺人の後始末だ。


 まったくもって、聖職者のやることではない。いや、それを黙って見過ごした自分も同罪と云えよう。


 神々から見放されるのも道理だ。


 力なく座り、呆然としながらも、各教からの審問に知る限り答えていく。


 なかば虚ろな意識の中、機械的に淡々と質問に答えながらも、チリーノはひとつのことだけをずっと考えていた。


 もう、どうなっても構わない、これが終わったら、全力であの髭親父を殴ってやる。


 ◆ ◇ ◆


 永遠とも思われる審問がおわり、チリーノは執事にカッポーニ枢機卿の元へと案内された。

 これからチリーノは、半ば錯乱しているカッポーニを連れて国へと帰らなくてはならない。


 勇神教は大変なことになる。他五教が勇神教を非難する共同声明を発することは確実だ。それを知った一般信者は、確実に教会に対し不信感をもつだろう。勇神教から離脱する信者が増えることは確実だ。だがそれ以上に、教職者からもでるであろう改宗者のほうが問題だろう。


 組織として弱体化は免れない。


 せっかく、腐敗を除去しはじめていたというのに。


 それもこれも、この目の前で蹲って震えている髭のせいで、すべては台無しとなったのだ。

 そもそも『神を買収するなど容易い』などと宣っていた人物なのだ。いくら権力を持っているからといって、従うべきではなかったのだ。


 糾弾する勇気を持てず、なにが勇神教信者か! 


 チリーノは自らの情けなさを恥じ入るしかなかった。


 今一度、チリーノは足元の、情けなくも震えている男を睨みつけた。


 つい先ほどまでは殴りつけたくてたまらなかった人物ではあるが、殴るのは止めることにした。

 もしここでこの男を殴ったのなら、自らもこの男と同等のクズになり下がるような気がしたのだ。


 ただでさえ、自らを勇神教の司祭として不適格であると断じたのだ。さらに自らを貶めたくはなかった。


「枢機卿、立ってください。帰りますよ」


 自分でも驚くほどの冷たい声にたじろぎつつも、チリーノは枢機卿の腕を掴み、無理矢理立ち上がらせた。


 このところの日課としていた訓練の賜物か、枢機卿くらいの体重の人物であれば、簡単に持ち上げるだけの力はついていた。


 かくして、チリーノは今後、起こるであろうことに絶望しながらも、枢機卿を連れてテスカセベルムへと帰っていったのである。




 尚、余談ではあるが、スパルタコ二世は呪いの指輪を外すために、指を切断することは強硬に拒否したため、今後も自らの背後に怯える日々を送ることになる。


 サヴィーノ王太子の苦労は、今しばらく続くことになりそうだ。





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