41 敵対者は見ている
その光景に息を飲んだ。
いったい何が起きた。
苦労して喚びだしたゾンビ二十三体。そのすべてが黄色い光を纏わりつかせた青白い炎に包まれていた。
どんな炎だと突っ込まれそうだが、そうとしか表現できない。
炎上したゾンビ共は駆けずり回り、今の今まで襲い掛かっていた騎士共を殺すどころではない。
それもこれも、あの子供だ。灰色の服を着た、フードを目深に被った子供。
アレが現れた途端、この異常な事態が巻き起こったのだ。
そもそも、あの子供はどこから現れた?
街道にはイリアルテ家の馬車の隊列しかいなかったハズだ。
他に人影などひとつもなかった。それはしっかりと確かめたのだ。もし見つけていたら、即刻排除していた筈だ。
イレギュラーな要素など不要だからな。
計画を完璧に遂行するためにゾンビの能力の確認をし、同時にどれだけ戦え、また弱点となるものはあるのかも確かめたのだ。
結果、能力は自分の知っているゾンビと同様、弱点も同じ、特に聖剣にはまるで歯が立たないことが分かった。だがその戦闘能力は、自分の知るゾンビよりも遥かに高かった。
なにしろ、ゾンビであるのに生きている人間同様に素早く反応し、さらには全力で走ることもできるのだ。もっとも、そうさせるためには、しっかりと指示しなくてはならないが。
生憎、今回はかなり離れた場所にいるため指示などできはしない。
遠眼鏡を持つ手に無意識に力がはいる。
遠眼鏡を通して見える光景は、ゾンビが燃え尽き、灰となるところだった。
遠眼鏡から目を離し、ギシリと歯を軋ませる。
まずい。大幅に計画が狂った。このままだと赤い月までに間に合わなくなるかも知れない。最悪でも、赤い月の日のひと月前までには、任務を終わらせなくてはならない。俺の仕事が終わらないことには、次の準備ができないのだ。
オルボーン様の不興を買うわけにはいかない。なんとしても、どんな方法をもってしても、必ず期限までに計画を遂行しなくてはならない。
だが、あの子供はあまりにもイレギュラーだ。
そもそも、いったいどこから現れたというのか。あの炎はなんだったんだ? まさか、ゾンビだけを焼き尽くす炎などといわないだろうな。
もしそうだとするならば、そんなことを可能とするのは神の御業だけだ。
動揺する気持ちを抑え、ゆっくりと深呼吸をすると、再び遠眼鏡を目に当てた。ここは丘の上とはいえ十分に離れているし、なにより伏せているのだ。一面を覆う丈の高い雑草のおかげで、俺の姿が連中に見つかることはないだろう。
騎士共がゾンビたちの装備を回収している。
武器を持たせたままにしておけばよかったか? いや、奴らに武器を扱うという知恵はなかったからな。持たせるだけ無駄だ。何人かには、敢えて鞘だけ下げさせたが。
すべて回収し終わったのだろう、騎士たちは再び馬に乗り、隊列はコロナードへ向けて進み始めた。
連中が十分に離れるまで見送り、俺はゆっくりと起き上がった。どういう状況になったのか、確認だけはしておかなくては。
戦いのあった場所に辿り着く。辺りには灰が散らばっていた。それこそ、燃え残りもまったくない、完全な灰ばかりだ。
だが、周囲は一切燃えておらず、それどころか焦げてさえいない。
嘘だろ。冗談じゃなしにゾンビだけ燃えたっていうのか?
しかも短時間で完全に灰にするとか、おかしいだろ!?
目の前の灰の山を蹴り飛ばす。
固形物に触れる感触は何もなかった。
まずいな。もしあの子供が侯爵家に召し抱えられるようなら、ゾンビを使うことは悪手でしかない。
一応、次善の策は用意してはあるのだ。あるのだが、凄まじく大味な上、準備段階で俺が死にかねないものだ。更には、策を開始した時点でも俺が死にかねないのだ。
要は、俺が死にそうな目にしか遭わないという策だ。正直、こんな手は使いたくない。誰でも安全な手があるのなら、それを選ぶだろう。
だが……。
「やらなくちゃダメだよなぁ」
思わずため息がでる。
オルボーン様からは逃げられない。血の呪いとはそういうものだ。
もう他に手は用意していないのだ。これからゾンビをまた掻き集めたとしても、無駄になる公算が高い以上、使えないと判断するしかない。
ズレかけたフードを被り直し、ため息をつく。燦々と照っている太陽がまったくもって忌々しい。
まずは森に行って確かめるか。五年前の資料だ。同じ場所にいるかどうかもわからない。いなければ、奥地にまで探しにいかなくてはならない。
えぇい、くそっ!
再び灰を蹴り上げる。
八つ当たりをしていても仕方がない。
大きく息をつくと、俺は魔の森に向け走り始めた。
◆ ◇ ◆
ふぅ。
ひとつ息をつき、入都審査待ちの行商人の後ろに並ぶ。
サンレアンの街の東門。この間まではここまで厳しい検査はしていなかったと思うが、なにかあったのだろうか?
まぁ、自分には関係ない。なにも問題ないだろう。
さて、計画に関してだ。えらく時間は掛かったが、計画の要となるモノの確認はできた。運良く仕込みも済ませることができた。まったく問題はない。
近く、またあの場所まで行かなくてはならないと思うと、足が竦み、泣きたくなるが、そうも云っていられない。
もう五月に入ってしまった。赤い月が昇るのは八月の頭だ。計画の決行は六月の初めまでが限界だろう。それを過ぎれば、計画の遂行が不可能になる。
少なくとも五月半ばまでには情報を集めなくては。
あの子供に関しても調べておかなくてはなるまい。少なくとも、イリアルテ家に属したかどうかだけでも調べないとまずい。
お、行商人の審査が終わったな。
私は衛兵に荷物を渡した。
「あんた、随分と顔色が悪いが大丈夫か? まるで雪みたいに真っ白だぞ」
「あぁ、大丈夫。生まれつき肌が弱くてね、陽にあたると真っ赤になっちまうんだよ」
街門を護る衛兵に答えた。その後ろで、もうひとりが荷物検査をしている。
もう夕時ではあるが、俺にはまだ堪える時間帯だ。それに休みなしでここサンレアンまでやって来たのだ、早く宿をとって休みたい。
「よし、問題ない。ようこそ、サンレアンへ」
私に荷物を返しながら、衛兵が歓迎の言葉を口にする。これまで数えきれないほど云ってきたのだろう、その言葉はただぞんざいに吐き出されただけで、気持ちなぞ欠片もこもってはいない。
まぁ、衛兵などどこもこんなものだ。
「随分と厳重だけど、なにかあったのかい?」
「ん? あったというか、五年前のことがあるからな。この時期は特に厳しくしているんだ」
「あぁ、五年前の飛竜騒ぎ」
「そういうこった」
「あぁ、そうだ。どこかお薦めの宿はあるかい?」
「ん? あぁ、それなら――」
衛兵から宿の情報をもらい、俺はサンレアンへと入った。
教えてもらった宿は三軒。まず高級宿は却下だ。この薄汚れた身なりで入るような場所じゃない。かといって、底辺の安宿に泊まりたいとも思わない。寝床より酒に金を掛ける連中の溜り場など、うるさいだけだ。以前泊まって、もう懲りたからな。
必然的に、可もなく不可もなくな宿となる。まぁ、勧められた宿だ。悪い宿ではないだろう。
聞いたときには、なにかの聞き違えだと思っていたんだが……
【兎の反撃亭】
聞き違えじゃなかったのかよ。なんだこの宿屋の名前は。兎に殴られでもしたのか?
入り、部屋を借りる。素泊まりで銀貨二枚。朝晩の食事つきならプラス銅貨五枚と、相場を考えると若干安い。
食事付きで四日分先払いし、個室を借りる。
とにかく疲れた。今日はもう寝てしまおう。
◆ ◇ ◆
翌日、昼近くになって目が覚めた。思っていた以上に疲弊していたらしい。
宿屋で食事をし、外へ出る。
目指すのは洗濯場だ。洗わないことにはもう、まともに着られるものがない。それに洗濯場にいるおばちゃんたちから話も聞けるだろう。
あの子供がサンレアンに入っているのなら、なにかしら話題になっているはずだ。あれだけの力を持っているのだ。放っておいても目立つだろう。なにより、イリアルテ家が手放すとも思えない。
世間話なら酒場なんぞより、市場にいる露店の店主か井戸端会議のおばちゃんが一番だ。
少しばかり時間的には遅いが、まぁ、ひとりふたりはいるだろう。
想像以上に疲れた。なぜおばちゃんというのは、あんなにパワフルなんだ?
これなら三日前の、魔物から逃がれるべく、丸一日魔の森で追いかけっこしていた時のほうが楽なんじゃないのか?
少なくとも、森では何も考えずに逃げていればよかった。だがおばちゃんとの話は、なんのかんので気を使う。
基本的に話にとりとめもないのだ。あっちこっちに飛ぶ話題を、俺の知りたい情報の方向に軌道修正するのが大変だった。
まぁ、おかげで例の子供がいまどうなっているのかは知れた。
最近は仮面をつけ、狩人として働いているらしい。
なんで仮面を着けているのかは不明だが。
侯爵家お抱えにはなっていないようだが、かなり強い繋がりがあるらしく、よく侯爵邸に出入りしているとのことだ。
そして教会が抱え込もうと、頻繁に接触しているそうだ。
不浄の者の代名詞ともいえるゾンビを焼き払う子供だ。教会が欲しがるのも当然だろう。もしかしたら、冗談ではなしに、あの力は神からの授かりものなのかもしれない。
神の祝福を受けし者であるのなら、なおさら教会は欲しがるだろう。
子供と思っていたが、狩人として組合登録をしているとなると、一応は成人というわけだ。背丈はどうみても子供にしかみえないが。
ひとまずは、計画においてはさほど警戒しなくてもよさそうだ。イリアルテ家にべったり居ついているのであれば問題だが、そうでなければ気にすることもないだろう。
あとおばちゃんたちから聞いた話は、組合長の足が治ったとか、近く魔法が組合と教会から販売されるとか、教会の重鎮が集まって来たとか、殺人兎が飼いならされたとか色々だ。
魔法の販売? そんな馬鹿な。魔法なんて売れるような物ではないだろう。それと殺人兎の話はなんなんだ?
まぁ、そのあたりは気にすることもあるまい。
さて、洗濯物を乾かさねば。……宿に戻って、部屋に干しておくか。
サンレアンに入ってから三日目、俺はイリアルテ家の監視をしていた。監視、といっても、道端に留まって観察していたわけではない。
そんなことをしていたら目立つからな。いまは物見櫓の上から、遠眼鏡で侯爵家を観察している。
昨日一日かけて、侯爵家を監視できそうな場所を探していたのだ。
結果、サンレアンの数か所に建てられている物見櫓を監視場所にすることにした。
物見櫓は街壁に沿ってのみ建てられている訳ではなく、街中にも数か所建っている。これは五年前の飛竜襲来により受けた被害から、その対抗策のひとつとして建てられたものだ。
物見櫓などと云ってはいるが、実際は矢を射るための場所として造られたのだ。
なので、有事の時以外は、物見櫓に登るものなど誰もいない。そもそも子供が遊びで登ったりしないように、柵で囲われ、入り口は施錠されている。天辺は囲われているし、下から見つかることはまずないだろう。まさに絶好の場所だ。
俺は夜中に宿を出、誰にも見られずに物見櫓に登っていた。
降りるのは今夜半だ。それまではここで領主邸の監視、というよりは、令嬢の日常の確認だ。
まったく。あの場所で済んでいれば、ここまで面倒にならなかったものを。
ゴブリンを誘導して争わせたりと、異常に面倒であったのに、すべてが無駄になった。
いや、いまさらグチグチ云っていても仕方がない。
令嬢の一日の動きを調べなくては。
◆ ◇ ◆
そろそろ俺の方が限界だ。
この飢えにはどうしても抗いがたい。かといって、サンレアンでこれを満たそうものなら、大騒ぎになること請け合いだ。
飢えていた方が力が増すとオルボーン様は仰っていたが、この飢えからくる衝動を抑えるのは無理というものだ。このままだと正気を失うんじゃないかと思う。
それに期限のこともある。この一週間で令嬢の一日の行動に関しては十分につかめた。計画を決行してもいいだろう。
午前中はいわゆる習い事や、学習をしているらしく侯爵邸からでることはない。午後になると、侯爵邸をメイドと共に出、教会前の屋敷に通っている。例の狩人の娘の家だ。
教会の者も時折訪れているのを確認している。
あそこには近寄らない方がいいな。今の俺にとって、教会へいくことは自殺行為のようなものだ。あの屋敷は、それ以上に俺にとって危険な場所に違いない。
さて、アイツらももう変質しただろう。俺の云うことを聞くはずだ。問題は、そこまでの道のりが苦行でしかないということだ。
……いや、今の飢えた俺なら、あの辺りの魔物を始末することも難くないんじゃないか? このあいだみたいに、逃げ回る必要も……いや、危険は避けよう。
時間的に、もう失敗は許されない。
すっかり夜も更け、街中で騒いでいた酔っ払い連中も通りから消えた。
辺りはもう静かなものだ。
物見櫓の天辺から飛び降りる。
ドスッ!
少々鈍い音が響いた。だが俺の体にはなんら問題はない。これが、サンレアンに来たばかりの頃だったら、少なくとも骨折くらいしていただろう。
飢えにより、力が増大している。
笑みが浮かぶ。
とにかくサンレアンから離れよう。このままだと飢えの激情に駆られ、人を襲いかねない。いまこの飢えの状態を満たす訳にはいない。
見回りの衛兵に見つからないように路地を抜け、およそ十メートルの高さの壁を駆け上る。
跳び、壁の中央辺りを蹴り更に上へ。天辺に手を掛け、無理矢理登る。もちろん左右に視線を巡らせ、見張りの衛兵がいないかを確認することも忘れない。
壁の幅はわずか三メートル。俺は一気に駆け抜けると街の外へと飛び降りた。
着地と共に前転し、落下の衝撃をできるだけ殺す。うまくできたのかどうかは分からないが、少なくとも物見櫓から飛び降りた時よりは、音は小さかった。
さぁ、ここからは休みなしで魔の森へ行こう。
騒ぎを起こすのは一週間後だ。
今度はしくじるわけにはいかない。
一週間後、このペテルがお迎えに参りますよ、リスリお嬢様。
誤字報告ありがとうございます。助かります。
以下にここまでの時系列を簡単に記しておきます。
今回の最後は五月末日あたりになります。
03/01 (02/28深夜)召喚される:04話
03/04 神様と邂逅・修行開始:05~10話
03/16 宝珠回収:11話
03/17 王城にて悪戯:12話
03/18 王都テスミリア脱出:14話後
04/01 街道から西方へ:20、21話
04/15 南下開始:22話
04/18 ゾンビ戦:23話
04/23 サンレアン到着:25話
05/02 家完成:27話
05/03 組合員仮登録:31話
05/04 【アリリオ】にて蛙戦:36話
05/06 帰宅:37話
05/08 呪文書他販売に関する会議:次回?