40 侯爵令息は苦労する
組合出張所に戻って来たのは、もう空が茜色から紫色に変わり始めた頃だった。事務所内では数人の探索者が本日の成果の査定を受けるために、行儀よく並んでいた。
大抵は横入りをする輩が出てくるのだが、本日は珍しくもいないようだ。
マティアスが忙しく持ち込まれた物品を捌いていくのを横目に、私とルイスは受付横の扉を潜り、二階の所長室へと向かう。
【アリリオ】出張所は現在僅か五名で運営されている。人手不足もいいところだが、仕事を任せることのできる、信用できる人材がいないというのが現状だ。
いや、信用できても、異常なレベルで規則に固執する輩は問題しかないが。何事にも例外というものはあるのだ。
いまだに父上は三組合合併の大騒動を苦々しく思っているのだ。特にかの受付嬢女史が引き起こした混乱は、組織に関わる者に一種の人間不信を植え付けた上、組合の信用をガタ落ちさせたのだから。
実のところ、再就職した王都犯罪者管理局でも色々とやらかしているらしい。だが今のところは、きちんとクビが繋がっていることから、うまく立ち回っているのだろう。
それこそ、いろいろな意味で。
所長室で待っていたのは、出張所所長であるネリッサと、我が父バレリオのふたりだ。
「ダリオ、ご苦労だった。で、どうだったんだ?」
「湖は静かなものでしたよ。件の化け物の姿は見当たりませんでした」
そう報告すると、所長がルイスに目を向けた。ネリッサ女史は父上よりも年上の筈だが、その姿はまだ二十代、下手すると十代で通る程に若々しい。エルフは長命だと聞くが、その年の取り方は人間とは大分違うようだ。
「まぁ、今日はたまたま、という可能性もありますが、恐らくあの蛙の化け物はもういないでしょう」
「根拠は?」
「……異様な跡がありました」
ルイス副隊長の答えに、ネリッサ所長の目が細まった。
「異様な跡?」
「湖の水際あたりを中心に、半径五十メートルほどの円形に草が枯れていました」
ルイス副隊長が答えた。だがそれだけでは不完全だ。補足しなくては。
「まるで、冷害にやられた作物のような感じでしたね。黒く変色し、萎びたように枯れていましたよ」
ネリッサ所長が眉を顰める。
「他所からそういった冷気を扱う魔物が来た、というわけではないんだな?」
「もしそうなら、その場所だけ、ということはないでしょう」
父の言葉に答える。
おかしな状況となっていたのは、その場所だけだ。
ほかには、普通の戦闘跡だけしかなかった。
足跡になにかを引きずった跡。そういったものだけだ。
「それだけでは詳しいことはわからないわね。やはり、報告をもたらした新人から話を訊くしかないようね」
「そうなるな。サンレアンに居を構えているとのことだからな。組合本部で訊けばいいだろう。懸賞金の連絡が入れば、すぐに来るだろう」
「殺人兎か。まさかうちに運び込まれるとは思わなかったな。ナムリンで狩猟されるとばかり思っていたからね」
ナムリン。エルフたちの国、ナナトゥーラ王国のダンジョン【ダミアン】の管理都市だ。確か、森をダンジョンごと魔の森から切り出し、都市とした場所だ。街の北半分が森となっており、ダンジョンだけでなく、森の恵みも多く享受していると聞く。
魔の森から森を切り取り、その切り取った森に巣食う魔物を掃討することにより、安全な場所となっているようだ。
どのような街なのか、一度見てみたいものだ。今後【アリリオ】の周囲を発展させることを考えるのならば、大いに参考になるだろう。
現状では、【アリリオ】は集団暴走の際には捨てることを前提にしているのだ。できうることなら、そこをなんとか改善したいものだ。
少なくとも【アリリオ】と湖の間の森を開拓できれば、イリアルテ領をより発展させることができるはずだ。あれだけの水産資源を放置するのはあまりにももったいない。
まぁ、問題は、その開拓ででるであろう被害の予測がつかないということだが。魔の森の開拓は、それこそ命がけでしかない。
「ネリッサ、懸賞金と報奨金の書類はできているかい? サンレアンにはこれから戻るからな。私が組合に持っていこう」
「これから? もう夜になるわよ?」
「こんな面白そうなことを放置して置けるか」
父上。その何事も『面白い』か『面白くない』で行動を決めるのはお止めください。セシリオは楽しんでいましたが、王都から【アリリオ】までの旅路は、なかなか厳しいものでしたよ? 食糧は現地調達とか、ゴードンとロクスと一緒に草猪を追いかけ回すのは不毛でしたよ。あいつらは弓でもないと、まず狩れませんからね? 普通の牙猪と違って、一目散に逃げるんですから。
「ダリオ、サンレアンに帰るぞ。セシリオを連れて厩で待っていてくれ。私もすぐに行く」
「わかりました、父上」
見る人が見れば、父上のこの行動力は『機を見るに敏』と評するのだろうが、実際はせっかちなだけだ。……まさかと思うが、夜中に例の狩人の家に押しかけやしないだろうな?
さすがにそれは阻止せねば、イリアルテ家の常識が疑われる。
ため息をつきたくなるのを押さえつつ、私は所長室を後にした。セシリオはペペ殿の所にいるはずだ。
階段を降り、解体場へと入る。
ここには狩人や探索者たちの手によって、多くの獲物が持ち込まれているが、血の匂いが立ち込めているようなことはない。
ここに持ち込まれる動物や魔物は、血抜きをされた状態で持ち込まれるのが大半だ。
食用の獲物の場合、血抜き済みか否かで買取り料に差をつけている結果だろう。何年前から始めたのかは知らないが、非常に良いことだ。手間が省けるし、なにより鮮度の保持が楽になる。
血抜きせず時間のたった肉がどれほど酷いものか。誰かが云っていたが、人は一度贅沢を知ると忘れることができないと云っていたが、食に関してはそれが顕著にでるといえるだろう。
……誰も生臭い肉を食いたいとは思わん。それが良いという極少数派でもない限り。
血が珍重されるのは、竜種と一部の蛇ぐらいだ。とはいえ、血の場合は鮮度が命であるため、やはりそのまま持ち込まれることは少ない。時折、瓶詰にして持ち込む狩人がいるが、彼らはしっかりとした解体知識と、必要な道具をも取りそろえた一種の職人ともいえる特殊な狩人であり、例外と云えよう。
解体場に入ると、セシリオは魔銀製の水槽を覗き込んでいた。
水槽は澄んだ液体で満たされており、中には縞模様の兎が漬けられていた。
この液体は危険極まりない代物ではあるが、しっかりと腐食玻璃の蓋がしてあるため、セシリオが覗き込んでいても危険はない。
その蓋を開けようとしなければ。そして我が弟はそこまで向こう見ずではない。
この液体は腐食液を濾過し、まるで血で濁ったような色のものを透明にしたものだ。腐食液などと呼ばれているが、なにかを腐らせるような液体ではない。
腐食液の濾過には、ダンジョンから採取してきた土と砕いた木炭を用いる。腐食液本来の効力は失われるが、防腐処理溶液としては非常に優れた薬剤となる。ただ有毒性はそのままであるが。とはいえ、大昔に使われていた防腐剤に比べれば遥かに扱いやすく、毒性も弱い。
この縞模様の兎、殺人兎は剥製にするのだろう。
さて、原液状態の腐食液だが、これは武器の加工……というよりは仕上げにも使われている。いわゆる人工の魔法武器を作るための最終工程に使われるものだ。
最終工程などと大層なことを云っているが、実際のところは仕上がった普通の武器を腐食液に漬け込むだけだ。
これだけで魔法の武器を制作できるわけだが、欠点もある。
まず漬け込む武器は金属製であり、さほど厚みのないものであること。これは、厚みがあると十分に腐食液が浸透せずムラができてしまい、結果、耐久度が激減するからだ。
そのため、おのずと剣や斧のみとなる。
ムラなく腐食液の浸透した武器は非常に優れた耐久力を持ち、魔剣、聖剣でなくては倒せない魔物にも対抗できるようになる。
だが欠点もある。腐食液により表層が“腐食”するため、いわゆる切れ味は酷く落ちてしまうのだ。どんな名工の鍛えた武器であっても、単なるなまくらとなる。
これらのことから、現状ではもっぱら槍の穂の部分の加工に使われている。
刺突であるなら、剣や斧ほど酷い影響はでないからだ。
それ以外では金属盾にも使われることもあるが、見栄えが非常に悪くなるため、好んで作る者はいない。
他にはガラスの耐久度上昇にも使われている。街中で見かける硝子が軒並み曇り硝子で、やや赤い色味なのはそのせいだ。
あと身近にある加工品となると、硬貨全般が加工されている。腐食液の耐久度の異常さを見るには、硬貨をみれば一目瞭然だろう。なにしろ百年前の金貨が、それこそ今年造り出されたものと変わりなく見えるのだから。
ただ、特に金貨は、まるで血を塗ったかのような光沢になるのがアレではあるが。
「セシリオ、出発だ。サンレアンに帰るぞ」
私が声を掛けると、セシリオは驚いたように私の顔を見つめた。
「え? いまから?」
「そう、いまからだ」
「今度はどんな面白いことを見つけたの?」
セシリオが目をキラキラと輝かせた。
あぁ、我が弟は父上の血を強く引き過ぎだ。何事も面白いか面白くないかで決めるのは止めてくれ。
「若様?」
「あぁ、ロクス、云った通りだ。例の魔物の報告をした狩人に、父上が興味を持った」
「あぁ……」
さすがロクスだ。これだけでどれだけ振り回されるか、理解したらしい。
実際、私とゴードンは湖までいきなり行かされたからな。
「そういえば、その殺人兎もその狩人がひとりで狩ったらしいな」
「僕も聞いたよ。リスリ姉様と同じくらいの年頃の女性だって!」
は?
セシリオの言葉に、私の口元が引き攣れたのが分かった。
リスリと同じ年頃? リスリは十三になったばかりだぞ。組合員登録は成人でなくてはできん。ということは、いいところ成人したばかりの十五か、私と同じ十六くらいだろう。
そんな年頃の娘がひとりで殺人兎を狩ったというのか?
殺人兎に遭遇したと思われる狩人の遺体状況は私も読んで知っている。頭部粉砕だの、胸部に拳大の穿孔だの、遺体損傷の酷さが目に付いたのを覚えている。だいたいこれも、十数年前に目撃証言があったからこそ、殺人兎の話が広まったわけだが。
そうでなければ、この遺体を作り出したのが兎だなどと、誰も思いはしないだろう。事実、この証言をした狩人は誰にも信じてもらえず、狩人を辞めたらしい。
そのため、これらの狩人の殺害はゴブリンかオークの仕業とされ、殺人兎は単なる戯言、未確認生物とされたのだ。
そんなイカれた兎を少女がひとりで狩ったと? それも無傷で?
「そう驚くこともあるまい。どうやらその嬢ちゃんは、例の化け物も狩ったようだしな。ただ者じゃあるめぇよ」
「ペペ殿、それはどういう根拠から?」
刻削甲虫の解体を終わらせたらしい、ペペ殿に訊ねた。
「外傷がないんだよ」
「はい?」
意味が分からず、思わず私は間抜けな受け答えをしてしまった。
「云った通りさ。殺人兎に外傷がない。血抜きの傷すら見当たらん。ほかにもスクヴェイダーを二羽持ってきていたが、こっちは血抜きの傷しかなかったな。
こんなおかしなことをやってのける狩人だ。
ひとりで湖の化け物と遭遇して帰って来ている時点で、討伐したと考えるのが普通だろうよ」
二十人からなる一次討伐隊を簡単に退けた化け物を、ひとりで討伐したと? リスリと同じような年頃にしか見えない娘が?
「いったいどんな人物なんだ? その娘は」
「いい子らしいぞ。物腰も丁寧だとマティアスが云ってたな。なにしろ狩人ひとりが一晩帰ってこないだけで、マティアスとエルナンが心配して騒いだくらいだからな。まぁ、見た目が子供だってこともあるだろうが」
普通、狩人が一晩帰って来なったからといって、騒ぐことはまずあり得ない。だが、魔の森に入ったとなれば別か?
どうにも不可解な気がするが、やはり子供に見えたと云うことが大きいのだろう。
……まずいな。この狩人に俄然興味がでてきてはいるが、『面白そうだ』というこの気分はよろしくない。
これに流されるとロクなことにならないのだ。主に周囲が。
「まぁ、その辺は自分で確かめてみるよ。これから会うことになりそうだし」
「あー、バレリオか?」
「えぇ。なんとかその狩人の家に押しかけることだけは止めないと」
「……奴ならやり兼ねんな。相手は女の子なんだ。夜な夜な押しかけるもんじゃないからな。まぁ、頑張れ」
まったくもって処置無しだと云わんばかりのペペ殿に、私はただ苦笑するばかりだ。
さて、さっさと出発するための準備をしないと。
◆ ◇ ◆
【アリリオ】からサンレアンまでは、さして時間は掛からない。徒歩でも三、四時間あれば移動できる距離だ。馬で急いで進むとなれば、一時間もあればサンレアンに到着できるだろう。
とはいえ夜間の移動だ。いくら街道が安全だといっても、夜行性の獣や魔物が活発になる時間だ。気を引き締めていかねばならない。
幸い今夜は雲も殆どなく、月明かりが十分に辺りを照らしている。よほど運が悪くもなければ、問題なくサンレアンに着けるだろう。
【アリリオ】を出て一刻程も進んだ頃だろうか。突然先頭を行くゴードンが速度を落とした。
「どうした? ゴードン」
私がゴードンに問うと、彼は正面を指差した。
その方向に目を向け、注意深くみつめる。
星空の下、真っ黒く見えるのはサンレアンの外壁のシルエットだ。だが――
「あの白い光はなんだ?」
「わかりません。ですが、衛兵たちは気にしていないようです」
ゴードンの目は良い。その彼が云うのだ、私には確認できないが、そうなのだろう。
「ほぅ。今日はまた興味深いことが多いな」
「なんだろうね?」
父上とセシリオはいつもと変わらぬ調子だ。勘弁してくれ。
私はロクスを見つめた。
頼むぞロクス。ふたりが変なことをしようとしたら、なんとしても止めてくれ。
アレの確認は私とゴードンでやるから。
どこまで通じたかは分からないが、殿のロクスがしっかりと頷いた。
そこからは常歩ですすみ、約半時ほどでサンレアンの外壁がしっかりと見えるところにまで来た。
あの白い光は、街門の右側、街道から十数メートル離れたところに突き立てられた棒……いや、杖か? その先端から発せられていた。
「随分と明るいですね」
「魔法の杖か? ダンジョンから新たに発見されたのだろうか?」
魔法の杖。世に出回っている、ダンジョンを舞台にした冒険活劇系の書物には必ずでてくるアイテムだ。もっとも、実際にはそんなものが出たという報告はないが。
ダンジョンを生みだしたという古代神は、ダンジョンの攻略に関しては肉弾戦を望んでいたのではないだろうか?
これまでダンジョンから発見された武器、防具の類は、ほぼすべてが近接戦闘用だ。たまに長柄武器や弓も見つかることもあるが、いわゆる魔法を放つ杖のようなものは見つかっていない。
そういえばダンジョンに関しては、その古代神なのか、それともアレカンドラ様なのか、なにかしらの意思が働いているように思える。というのも、これまでに発見された聖なる武具の存在だ。
ダンジョンのある各々の国に、それぞれ一種類ずつ集まっているのだ。
例えば、テスカセベルムなら【キリエ】、我がディルガエアなら【サンクトゥス】、確かアンラでも海中から【イテ・ミサ・エスト】が発見されたと聞いている。このことからも、どうやら海中にもダンジョンがあると推測される。
そして帝国に【クレド】、エルフ国には【ベネディクトゥス】がある。
さすがにどこも一揃えすべては集まってはいないが、帝国には剣と兜、そして足甲の三種類が発見されている。我がディルガエアでは鎧と兜のふたつだけだ。
と、着いたな。
あの灯りの場所では、女性がひとりで野営をしているようだ。
また物騒だな。門の近くであるから、なにかあった時には衛兵が助けにはいるとは思うが、とはいえ女性ひとりと云うのは問題だろう。
ゴードンに目くばせをすると、私は馬を降りた。そして彼女の所へと向かう。
是非ともあの杖に関して話を訊かなくては。
「こんばんは、お嬢さん。ここで野営かい?」
「はい。門限に遅れてしまいまして。それで、どういったご用でしょう?」
声を掛けると少女はすぐに立ち上がり、こちらへと振り向いた。
その彼女の姿に、私は危うく声を上げるところだった。
青髪の小柄な少女。その半面は仮面に覆われている。大きな目を模してありながら、まるで閉じているかのように横一文字に亀裂の如く切れ込みの入っただけの仮面。その異様さにたじろいだのだ。
だが声を掛けておきながら、その姿に驚き絶句したなどとあっては、あまりにも失礼だ。
それにこの仮面、話に聞いた例の狩人の少女ではないか。
私は半ばうろたえつつも、右手で光る杖を指差した。
「それがどういったものか気になってね。随分と明るい。魔法の杖かな?」
「いえ、これは【灯光】の魔法ですよ。杖の先に掛けてあるんですよ。近く、組合から売り出される予定ですよ」
魔法だと!?
すぐ後ろで、ゴードンが息を飲む音が聞こえた。
「売る? 魔法を?」
「はい。ところで、身分有る方々とお見受けしますが、領都へは入られないのですか?」
「規則は守るべきものだからな。我々とて例外ではないよ」
父上!?
ロクス、なぜ……あぁ、ロクスはセシリオを押さえるので手一杯なのか。
少女は父上をじっと見つめている。いや、見つめているのだと思う。仮面のせいで、その視線がどこにあるのか判別がつかない。
だが、父上を見て気後れしている様子はない。
肝が据わっているのだろうか?
父上と初対面の者は、大抵気後れし、しどろもどろになるのだが……。
「それでお嬢さん、その魔法は組合だけで販売されるのかな?」
「魔法の販売は、組合と教会の二か所で行う予定です。魔法の系統に合わせ、それぞれで別の魔法を扱うことになっていますね。
細かい部分は後日、イリアルテ家、組合、教会を交え決定する予定です。詳しくはエメリナ様がご存じでいらっしゃいますよ」
「母上が!?」
はっきりとした少女の言葉に、思わず私は声を上げた。
母上が知って――いや、絡んでいるのであれば、もう大分話は進んでいる筈だ。我々が王都に行っている間に、一体どれだけのことが起こったというのか?
「あの、侯爵様? 本当に領都に入らなくて大丈夫なのですか? 侯爵様の留守中、なにが起きたのかを早急に確認した方がよいのではないのでしょうか? リスリ様がゾンビの大群に襲撃されたりしていましたし」
「ふむ、確かに。だが、お嬢さんの様子から察するに、リスリは無事なのだろう? ならば、そうも急ぐこともあるまい」
ゾンビだと!? 一体どこに現れたのだ!?
それと父上、彼女の様子から察するに、確かに父上の云う通りでしょうが、だからといって得意げな顔でふんぞり返るような場合ではありませんよ。
信じていると云えば聞こえはいいでしょうが、その一切心配をしていない様子をリスリに知られたら、白い目で見られ――
むっ? この音は、門が開いた? この時間に?
耳に届く軋むような音に、私は振り向いた。
既に父は門に向かって進んでおり、衛兵に説教をしようと指を振り上げていた。
だが説教を始める前に、逆に父上が説教を受けることとなった。
何故リスリがここにいるんだ!?
あぁ、父上、いくらリスリに怒られたからといって、そこまで落ち込むことはないでしょう。
あぁ、ロクスはセシリオを連れて街に入ったか。
リスリは父上を置いて真っすぐこっちに来ると、私を素通りして少女の目の前に立った。
「お帰りなさいませ、キッカお姉様」
「はい。予定では明日の朝にもどるはずだったのですが」
「門のことですね。ご安心ください。今後はキッカお姉様は時間外でも通すようにしましたから」
「なんでそんな特別扱いに!?」
「キッカお姉様は重要人物ですよ? 当たり前じゃないですか」
「えぇ……。私は隅っこで地味に暮らせたらそれで満足なんですけど」
「無理です」
随分と生き生きしているな。こんなリスリを見るのは久しぶりだ。
とはいえ、こんな時間に何故ここにいるのかを訊かなくては。
「あー、リスリ? どうしてここに?」
「あ、お兄様、いたんですか」
「え、酷くないか?」
さすがにショックなんだが、妹よ。
「お兄様がいて、なんでこの時間にわざわざ戻ってくる旅程にしたのですか。【アリリオ】を回ったのなら、一晩泊まってくればよいでしょう?」
「いや、ちょっと急いで確認しなくちゃならないことができてな」
「なんなんですかそれは!」
ちょ、待て、落ち着けリスリ。
あれ、こんなに厳しかったか?
とにかく、もうひとつのことを確認しなくては。
「お嬢さん、確認したいんだが、今日、兎を組合に納入したかい?」
「私が格闘兎って呼んでる兎なら納めましたよ」
格闘兎? なるほど、殺人兎の被害者はすべて撲殺されているからな。
「あぁ、それだ! それのことだよ! 報告にはあったんだが、確認がとれていなかったんだ。君が狩ったあの兎だけど、殴りかかってはこなかったかい?」
「えぇ、格闘術に長けた兎ですよね? ですから私は格闘兎と呼んでるんですけど。見た目は縦縞の普通の兎にしか見えないんですよね」
なんでこんなあっさりとしているんだ? かなり厄介な相手の筈だぞ?
あぁ、リスリが驚いて目を見開いているな。
いや、私も驚いていないで、伝えるべきことを伝えなくては。
「実は、君の狩猟した兎は、これまで存在が噂されているだけで、確認されたことのない兎なんだよ。君が納めた後にそれが分かって、組合じゃ大騒ぎになってる。
それで報酬のことで問題になってね。とにかく、君には追加で報酬がだされる筈だ。近く、君の所に連絡がいくだろうから、その後、組合から報酬を貰ってくれ」
「……生け捕りにしたほうがよかったですかね?」
生け捕りって、また無茶なことを云うな!? え、可能なのか? 嘘だろう?
「さすがにそこまでは求めないよ。で、強かったかい?」
「普通の兎と思って近づくと、確実に不意打ちを喰らいます。私は運がよかっただけですよ。直撃を喰らうと、頭がなくなるんじゃないですかね」
いやいや、なんでそんな簡単に恐ろしいことを云っているんだ。
だがリスリは平然と彼女と話をしているな。
え、これ、俺……いや、私がおかしいのか?
その後、彼女に促され、私たちは全員が街へと入った。
街に入り、門が閉まるやリスリが外泊を宣言し、父上が消沈した。
父上、母上が許可を出しているのです。それは彼女が十分に信用の置ける人物だという証拠でしょう。心配することはありません。リリアナもいますし、なにより男の元に行くわけでもないのですから。
あ、父上、なにも頭を抱えて蹲ることもないでしょう。
さて、この時間だと、組合に行っても閉まっているだろう。ならばこのまま真っすぐ帰るとしよう。
ほら、父上、帰りますよ。そんな情けない有様だと、本当にリスリに失望されてしまいますよ。
まったく。本当に父上はリスリには弱いな。
どうにか父上をなだめすかし、帰りついた私たちを待ち受けていたのは、頭上に光の球を浮かべ、不敵な笑みを浮かべた母上だった。
ひと月ぶりに会った母は、魔法使いになっていたのだ。
すまない、誰か教えてくれ。
こんな時、俺はどんな顔をすればいいんだ?
誤字報告ありがとうございます。
19/08/17
190行目の『女っ子』の部分を誤字指摘を受けました。
調べてみたところ、この言い回しは方言みたいですね。
ただ、漢字ではなく、ひらがな表記が基本のようなので、ひらがなに変更します。