表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
354/363

354 宰相は頭を悩ませる


 目の前に積み上げられた羊皮紙の束に、ディルガエア王国宰相マルコスは頭を抱えたい気分であった。


 ここのところは実に平和で、厄介な案件など数えるほどしかなかったのだ。それが、キッカ・ミヤマは神である! ということを教会が表明した結果、予想外の問題が引き起ったのである。


 それがこの積み上げられた羊皮紙の束だ。


 そして、これらすべてが【陽神教】に絡んでいたことでもある。教会が【陽神教】は【七神教】とは一切関係ないと表明したことにより、先日、キッカが武闘大会で云ったことが真実であると確定したのだ。


 その結果、どうなったのか。


 これも自浄作用とでもいうのだろうか、一気に【陽神教】の排除がはじまったのだ。


 とはいえ、誰彼構わず、【陽神教】の信者である者を私刑にしたりしなかった辺り、皆、理性的であったといえよう。だが、この世間の流れに最も危機感を覚えたのは、半ば騙されて【陽神教】に入信した一般信者である。


 彼らは本当に【陽神教】が母神アレカンドラ信仰であると信じていたのである。

 いや、実際の所、中核にいた元【勇神教】の者たち以外は、被害者といっていいような有様であった。信者となった者たちは、さまざまな理由をつけられ寄進を迫られたのだ。とくに出家信者となったものは全財産を寄進するのが基本となっていた。


 もちろん、それらの金銭は、すべて【陽神教】の重鎮たちの懐を肥やすだけであったわけだが。


 このような馬鹿げたことが問題なくまかり通っていたのは、それだけ母神アレカンドラに対する信仰が大きいからだった。なにより、そのようなことが行われていれば、神罰が降ると信じていたからだ。


 ここに、神々と人々との間における“信仰”に対する認識の違いがでている。


 神の名を利用して私腹を肥やそうものなら神罰が降る。そう人々は思っているが、実のところ、神罰が降ることはない。神々からしてみれば、人々がなにをどう信仰しようとどうでもよいのだ。神々が罰を降すのは、直接神々を侮辱した場合のみである。


 それにアレカンドラ信仰は、たとえ崇める対象の姿が本来の母神アレカンドラと違っていたとしても、信仰には変わりないのだ。その程度の事で神々は目くじらを立てたりはしない。


 だが、こういった宗教を騙るペテン師を、キッカは絶対的に嫌っている。自分に良くしてくれた数少ない人物のひとり、キッカに陶芸を教えてくれた“近所のじっちゃん”の家族事情を知っていただけに。故に、武闘大会優勝者である【陽神教】狂信者に指名された際、それらの事情を彼女はぶちまけたのだ。


 発言者は神子とされる人物。さらには大勢の観客の前でわかりやすい奇蹟を連続して見せたことも効いた。あれだけ派手にキッカに殴り倒され、血しぶきが散り、腕もあらぬ方向に向いたにも拘らず、その直後には無傷である優勝者。


 キッカはこのことに関してはなにも云わなかったが、観ている者たちは皆、奇蹟が当たり前のように起きていることを目撃し、それを理解していたのだ。少なくとも、有り得ないことが起きているという程度には。


 人が信仰に目覚めるきっかけなど些細なことだ。死にかけた時に神と邂逅する、なんてものは良く聞くことであるし、そして、目の前で奇蹟が起こることを目撃するとなればいわずもがなだ。


 かくして、【陽神教】排除すべしとなったのだ。


 そして巻き起こった混乱の結果が、この机の上に積まれた書類だ。


 マルコスはため息をついた。


「閣下、ため息をついている場合じゃありません。早く書類をチェックしてください」


 秘書であるアンセルマの声に、マルコスは疲れ果てた表情を浮かべた。アンセルマは今も次々と書類を生み出している。集められた報告から彼女が書類を起こしているわけだが、これでもかなりの数を減らしているのである。


 酒場の親父が【陽神教】に入っていると告白した息子を殴ったところ、殴り方をしくじって骨を折った。などというどうでもいい報告などは、もちろん書類にしたりはしない。親子喧嘩など好きにやってくれというものだ。


 アンセルマが書類に起こしている案件は、いずれも金銭の動きが発生しているものだ。その大半が、全財産を【陽神教】へとつぎ込み出家信者となった者たちの訴えだ。


 アンセルマなどは、自己責任、自分でどうにかしろと思ってはいるが、【陽神教】が詐欺団体と認定されたため、面倒なこととなってしまった。


 そもそも、犯罪絡みの書類はこっちに来るものではない。


 アンセルマは律義にも、それらを区分けしまとめ、正しい部署へと送るなどということをしているのだ。自身の仕事が増えるだけであるのに、まったくお人好しであることだ。


 そんなこんなで、【陽神教】によって引き起こされた余計な仕事を処理し始めて数時間が過ぎた頃、まるで幽霊が現れたかのように彼がやってきた。


「閣下、ご報告申し上げます」


 青髪痩身の男性の言葉に、マルコスは飛び上がった。いったいいつの間に来たのか、まったく気が付かなかったのだ。


「あなたですか。驚かせないでください。で、どうしました」


 促され、男は報告をする。


 その内容に、マルコスはついに頭を抱えた。


「冗談では……あるわけがありませんね。なんでこんなことに」


 男の報告。それは騎士団での【陽神教】問題である。


「白羊はさほど問題ありません。一般的な信者です。ですが、今回のことより、辞職願が出されると推測されます」

「人数は?」

「三名ほど。もう少し増えるやもしれません」


 マルコスは顔をしかめた。まさか王宮を守る騎士が【陽神教】に入信していようとは。


「問題は黒羊です。こちらは深刻です。立場を利用して、かなりの偽情報を流していました。黒羊のマヌエラがそのことで内偵していたようですが、まさか同僚がその発生源とは思ってもいなかったようです」

「……どれだけ情報が漏洩したと考えます?」

「それはなんとも。エスパルサ公爵が締めあげていますから、直に分かるでしょう」

「赤羊の方は?」

「赤羊はまったく問題ありません」


 男は断言した。


「昨年のこともあり、赤羊はディルルルナ様への信仰を強固にしています」

「昨年?」

「バッソルーナにて、女神様と共に戦ったことです」


 マルコスは合点がいった。


「赤羊の一部隊だけでしたが、それが浸透していましたか」

「外れ任務と嘆いていた者たちでしたが、一転して女神様と肩を並べることができたのです。まさに誉れ。そのことを王都に戻ってから自慢していましたからね」

「それも当然でしょう。出来うることなら、私も死ぬ前に女神様の御姿を目にしたいものです」


 男は羊皮紙を束ねたものを渡した。今しがたの報告を書面にしたものだ。


「次に、帝国に関しての情報です」

「なにかありましたか?」

「現体制が瓦解。今後は八家ではなく、一家による統治国家となります。この体制移行には【水神教】が深くかかわっており、各都市の軍犬隊が蜂起、八家は一家を除き滅亡しました」

「は?」

「え?」


 マルコスとアンセルマが、そろって間の抜けた声を上げた。


「いったい何があったのです!?」

「なにがあったもなにも、エルツベルガー家がキッカ様を誘拐したではありませんか。誘拐された先で派手に暴れたそうですが。その後、皇帝が王城内の聖堂を破壊。神罰が降りました。これを機に【水神教】が聖戦を発動。実質、帝国を支配下に置いたようです。我々が送り出した、抗議文を携えた使者は渡すべき相手を失いました」


 淡々と話す男を、呆然としたように見つめる。


「帝国はなにをやらかしているのですか……」

「神子様……いえ、工神様を誘拐したことで、粛清者が動いていたようですね。バッソルーナでディルルルナ様が落とした神罰と同じ雷を操っていたそうです」

「それは……粛清者ではなく、ディルルルナ様なのでは?」

「それを確認する術がありません。粛清者に関しては、【月神教】もその動向を把握しているわけではないようですし。

 帝国内の混乱はありません。【水神教】がしっかりと抑えているようです。まぁ、我が国にしろ、ナナトゥーラにしろ、帝国に攻め入ろうなどとは考えていませんがね。旨味の無い国ですし。詳しくはこちらに」


 新たに書類の束を差し出すと、男は数歩下がり、煙のように消えてしまった。


 アンセルマは目をぱちくりとさせたまま、男の消えた場所を見つめていた。


「閣下……」

「どうしました? アンセルマ」

「あれは……魔法などではないんですよね?」

「そう聞いています。純然たる技術、体術のようですが、詳しくはしりませんね。」


 暫し考え込むように顔をしかめていたが、ややあって首を振ると、あらためてマルコスに声を掛けた。


「ところで閣下」

「なんです?」

「私の後任はどうなったのでしょう? さすがにそろそろアルカラス家に戻りたいのですが。セシリオ様がアルカラス家を継ぐための準備もはじめなくてはなりませんし」

「……なんとか引き延ばせませんか?」

「無茶を云わないでください。私は元々、一年の約束でお手伝いに来て居るんですよ。それがもう三年です。忙しすぎて色恋沙汰もありません。このままでは行き遅れてしまいます」


 さらにアンセルマは言葉を続ける。


「それに私は市井の出ですからね。いろいろとやっかみもあるんですよ。貴族の令息令嬢なら私以上の教育も受けているのでしょう? はやく後釜を探してください」

「あなたは自身を過小評価し過ぎです。あなたほど要領よく仕事をこなせる者を私は知りませんよ。嫁ぎ先なら私がいくらでも探しますよ。下級貴族であれば、いくらか伝手もありますしね」

「ありがたいお言葉ですが、私はアルカラス家に大恩があるのです。それをお返しもせずに、他家に仕えるつもりはありません」

「そうやって、はっきりと意志を伝える者が少ないのですよ。不満を募らせて変なことをはじめられても困りますからね」


 再度マルコスはため息をついた。


 かくして、マルコスは先送りにしていた案件に頭を悩ませることになったのだ。


誤字報告ありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ