346 これでもう一度殴れる
なんでこう……なんでこうね、揉め事が勝手にやって来るのよ。
私がなにかやらかした結果の因果応報なら、自業自得と諦めるけれどさ、これはどうみても私がなにか悪いって訳じゃないでしょ。
もうすでに私の心の許容量はゼロだよ。寛容さなんてどこにもない。私に悪意を向けて来る者は全否定だ。
正直、この間の誘拐以降、私自身はかなり過激になっているような気がする。というか、基本的に私は受け身で、こんな攻撃的じゃ無かったんだけれど。
いや、こんなことを考えている時点で、あんまり変わっていないか。なんだか落ち着いてきたし。
あぁ……でもアレの相手をしないといけないのか。
やだなぁ……。
「キッカちゃん、別に無視してもいいのよ」
王妃殿下が心配そうに私に声を掛けてきた。
心配してくださっているんだろうけれど、ほろ酔いで妙に色っぽい雰囲気を出している状態だと、あまり心配されている気がしないよ。
私がお酒出したのが原因だけれどさ。
焼酎をお気に召したようで、クピクピ飲んでらしたから。
「いえ、面倒事はとっとと片付けるに限りますから。ちょっと行ってきます」
私は立ち上がると、眼下の試合場へと向かって歩き始めた。
観客席から直接向かって飛び降りてもいいけど、それだと準備が一切できないからね。ちゃんと競技場……闘技場だっけ? の中の通路を歩いて行こう。
観客席を後にして、てくてくと進む。すぐ後ろにはリビングアーマーに乗ったリリィと教会から派遣されているジェシカさんとラトカさん。
ジェシカさんとラトカさんはなんとも微妙に悔し気な表情を浮かべている。
今回は決闘ではないからね。代理が効かないんだよ。
できたなら代理を頼んだんだけれどね。多分アレ、【陽神教】関連の奴だろうし。それ以外に私を名指しするとは思えないんだよねぇ。
他に私にちょっかい掛けてくるようなところはあったかな? 軒並み逆恨みというかなんというか、あれだ「討ち取って名を上げよ!」の対象にされてる気がする。
マジでそんなんだったら、どっかに引き籠るよ、本気で。
あぁ、やだなぁ、もう。
本当に――あれ?
急に眩暈がして、私はふらついた。
★ ☆ ★
おっと。危うく転けるところだった。
まさかこのタイミングで入れ替わるとは思わなかった。どれだけ嫌だったんだ? ……あぁ、今回は起きているな。見えてはいるが、聞こえてはいないという感じだろう。以前と同じ状態というわけだ。悪化して完全に私とあれとは剥離したのかと思ったが、そうでもないようだ。
やはり前回の異常は“誘拐”というファクターが一番のストレスの原因だったということか。とはいえ、私と入れ替わるハードルはかなり低くなっていると見ていいだろう。モリスとやり合った時は、入れ替わることはなかったからな。
『ご主人!?』
「キッカ様、大丈夫ですか?」
リリィとジェシカさんのふたりが、壁に手を着いた私に駆け寄ってきた。
「大丈夫、なにも問題はないよ」
うん。こっちの言葉は日本語と違って、口調にほぼ男女差がないのはありがたいな。
軽く息をつき、心配気に私をみつめる三人に向けて笑顔をつくる。
さて、あれは普通に着替えてまともに相手をするつもりだったようだが、面倒だ。徹底的に馬鹿にしてやろう。
私はリビングアーマーに近づくと、持たせていた鞄を開けて手を突っ込んだ。
そして取り出したものは革手袋とミスリルボーンガントレット。ガントレットは重量的には軽装並になっているが、扱いは重装鎧の代物だ。武闘大会では魔法の武具は使用禁止されているため、もちろんこのガントレットは全力で強化はしてあるものの、付術はしていない。
現状、手持ちにある装備の中では、二番目にぶっ壊れ性能のガントレットだ。磨き上げられ、表面が鏡面仕様になっているガントレット。
一番目? それはオリハルコンスライムを使って造ったオリハルコンボーンガントレットだ。正直、非常に語呂が悪い。この微妙な云い難さは減点だ。
まぁ、致し方ないことだが。メタルボーンアーマーに合わせた名称となっているからな。
さて、武具には魔法の効果は付けてはいない。でも、いわゆる鎧下となる、鎧で体を傷つけることのない様に身に着ける厚手の服的なものに関しては話は別だ。
ちょっとしたルールの抜け道だな。そもそも、そんなものに魔法を付術する者はいないし、なによりダンジョンからも産出などされていない。故に、ルールそのものが完全に抜けている状態なのだ。
なので、その穴を突かせてもらう。
今回の場合は革手袋がそれにあたる。これには【拳打撃上昇】が付術されているだけのシンプルなモノだ。もっとも自重せずに付術してあるため、やろうと思えば岩を砕くことも可能な代物だ。
もっとも、実際にそんなことをしようものなら、確実にこっちの拳も砕けることになるが。体の耐久力は変わらないからな。それこそ吸血鬼の行う打撃戦のように、常時自己回復をし続けなければならないだろう。
だが今回はこの上にミスリルボーンガントレットを装着だ。恐らく思い切り殴っても、精々が骨折程度で済むだろう、その程度ならすぐに魔法で修復できる。【疾病退散】……いや、付術ではなく魔法の方は【病魔退散】だったか? まぁ、とにかく、それで骨折は修復できるし、消耗した体力は回復魔法で回復できる。
壊した相手も治してやれば、気の済むまで殴れるというものだ。
薄暗い通路を抜け、闘技場へと入る。コロッセオのような作りの闘技場中央に造られた試合場へと歩を進める。
意外なことに、思っていたような観客の反応はない。少々、戸惑ったようなざわめきがある程度だ。私を名指ししたステファンでさえも、どことなく困惑した様子だ。
どういうことだ?
「キッカ殿、構わないのかね?」
「えぇ、国王陛下。問題ありません。とっとと優勝者の望みを叶えて、会場の片付けもしないといけませんしね」
近衛に挟まれて立っている国王陛下に答え、私は護衛としてついてきた三人を残して試合場へと登った。
今年も審判をしている審神教のホンザさんに装備を確認してもらう。といっても、ガントレットだけだが。
「確認をお願いします。このガントレットだけですが」
「キッカ殿、まさかその恰好で試合を行うつもりですか!?」
「なにか問題でも?」
私は首を傾いだ。
私の服装は黒ゴスロリドレスに目隠し、そしてごついガントレットという出で立ちだ。
尚、黒ゴスロリドレスだが、さすがにいつも同じというわけにはいかないと、あれが追加で何着か微妙にデザインの違うものを作り上げている。
今回、着ているものは、フリルのふんだんにあしらわれた、ややスカート丈が短いものだ。短いといっても、その丈は膝下だ。ミニスカなどにしようものなら、こちらのモラルの関係上、大変なことになる。そんなしょうもないことでリスリ様よりお叱りの言葉を受けるわけにはいかない。そして今回のドレスは黒一色ではなく、ところどころにアクセントとして藍色の生地が入っている。これは髪色にあわせたといったところか。
なにも問題ないと思うが。そもそも攻撃を受けるつもりがないのだ。どうとでも出来る。なにせこの体、基本的に超人仕様になっているのだ。ドーピング装備は便利だが、なくとも一流のアスリート並の動きは可能だ。あれがまったくもって制御できていないだけで。
まぁ、私はズルをして魔法で身体強化をするつもりだが。
ホンザさんから返されたガントレットを装備し、試合場の中央、ステファンと対峙するように立った。
「それじゃ、はじめようか? ステファンとやら」
「……貴様は誰だ?」
「なにを云っている。お前が私を希望したのだろう?」
間の抜けたことを云いだしたステファンに、私は問うた。
「馬鹿を云うな。私が指名したのは、昨年、かつての武闘大会優勝者であるバルキンに勝ったという、神子を名のりし者だ」
「だから私だ。……あぁ、昨年と違い鎧を着ていないからか? 安心しろ、昨年、盾は殴るものと云った鎧の中身は私だ」
私がそう云った途端、観客席から歓声が沸いた。
なにごとだ? ここでの会話が魔道具によって聞こえているのは分かっているが、さっきの台詞のどこにこの歓声を呼び起こす要素があったんだ?
「貴様が……神子なのか?」
「なんだ? 知らずに指名したのか? それはまた随分と失礼な男だな。こうしてここまで来てやったんだ。さっさとはじめようじゃないか」
「なるほど、理解した。貴様が神子を騙るペテン師なのだな」
そういってステファンが私に剣を突き付けた。
「私は自らを神子と名乗ったことはないぞ」
「だが否定もしていないだろう。ならばそう騙ったも同然だ」
「あぁ、そういうことか。私は自身がアレカンドラ様や六神の神子ではないと、各教派の重鎮の前で宣言しているぞ。地神教大主教バレンシア様、審神教大主教ラドミール様、月神教大主教ガブリエル様、水神教枢機卿ヒルデブランド様、風神教大主教アンゼリカ様、そして勇神教枢機卿カッポーネ。この六名の前で、私はアレカンドラ様の神子ではないと明言している。と、勇神教枢機卿の人物に対し敬称がないのは、私が彼の御仁を徹底して嫌っているからだ。誰が誘拐犯に敬称などつけるものか」
ホンザさんもその辺りの事は聞いていたのか、私の言に対し苦笑している。
「なんだと? だが教会は貴様を神子と――」
「あぁ、何度否定してもそう云われるんだよ。七神の神子ではなくとも、神子なのでしょう? と」
するとステファンがニヤリと笑んだ。
「ならば、貴様は邪神の手先ということだな?」
「邪神?」
「邪神オーキナートのことだ」
私はため息をついた。
「オーキナート様は邪神などではないぞ。それと、私はオーキナート様の神子でもない」
「だが神子であることは否定できないのであろう? このアレカンドラ様の庇護下にあるアムルロスで、他の神に仕えし邪悪なる者よ、私がいまここで成敗してくれる」
はぁ……。
私はため息をついた。あれが逃避した理由がわかるな。この手の輩とは会話ができないんだ。奴らは自分の主張しかしないからな。
「……貴様、オーキナート様を邪神と断じることからして、【陽神教】の者だろう。こうして武闘大会で優勝するくらいの力量があることから察するに、元【勇神教】の軍犬か?」
お、どうやら図星のようだ。顔色が変わった。
「やれやれ、軍犬ともあろう者が簡単に宗旨替えをしたのか。貴様の信仰とやらも怪しいものだな」
「なんとでも云うが良い。我らが信仰を統一し、神を騙りしまがい者どもを排除するのだ!」
こいつらの信仰と云うか、教義はどうなっているんだ? こいつは六神を排除するといいだしたぞ? 統一されていないにもほどがあるだろ。
「貴様らがどれだけ私や神々を侮辱しようとも構わないさ。神々は寛容だ。肩をすくめて苦笑いするだけで済ませてくれるだろうよ。だが、信仰を騙り、神を騙り、人心を惑わすというのはどうだろうな?」
「我らを騙りだというのか!?」
ステファンが私に突き付けていた剣をブンと横殴りに振る。
「ならばひとつ問おうか。お前たちの崇めるアレカンドラ、或いはアレカンドラの神子とかいう、銀髪の娘は実在するのか?」
「貴様、どこまで我らを愚弄――」
「アレカンドラ様の髪色は、淡いピンク色なんだ」
ステファンが黙った。
「私は加護を頂いた時に、お会いしているからな。まぁ、それは今はどうでもいいさ。どうせ信じる気などないのだろ? それにここには手合わせをするために来たんだ。とっととはじめよう」
云いながら、私は各種身体強化の魔法を自身に掛ける。少なくとも反応速度くらいは上げておかないと、あっという間に私が死んで終わってしまうだろう。
「では本年度優勝者、ステファン殿。ディルガエア王国伯爵相当、キッカ・ミヤマ殿。双方、準備はよろしいですね。試合はじめ!」
ホンザさんが試合の開始を宣言する。
途端に、ステファンが剣を振り上げ突撃して来た。
これまでのように、チマチマとした戦い方ではなく、一気に終わらせると云わんばかりにステファンは剣を振り下ろして来る。
狙うは私の頭部。完全に殺す気だ。
が、打ち下ろされるよりも先に私は一歩踏み込み、剣を握るステファンの手を内側から外側へと向けて左手で叩く。半ば伸びきっていた右腕はそれで容易く弾かれ、ステファンの体は大きく泳いだ。
もちろん、そうやって作り上げた隙は逃さない。
ずどん、と、腹に右拳を打ちこむ。同時に腕を弾いた左手をステファンの右肩に掛け、無理矢理跪かせる。ボディへの一撃で半ば悶絶し、足の力が抜けているステファンを跪かせるのは実に簡単だ。
そして、非常にいい位置に顔面が降りて来る。まさに殴ってくれと云わんばかり。
もちろん、私は引き戻した右拳をステファンの顔面にぶち込み、そのまま試合場へと叩きつけた。
付術による【拳打撃強化】に加え、重装鎧技能のひとつである【鋼拳】とが相まって、私の拳の打撃力は馬鹿げたレベルになっている。多少加減はしたけれど、生きているかな?
うん。顔が潰れているが、かろうじて生きてはいるな。それでは魔法で治してやるとしよう。
魔法で治療し全快させ、ついでにちょこっと【電撃】をかまして意識を取り戻させた。意識が戻ったのを確認し、私は開始線にまで戻った。
これでもう一度殴れるというものだ。そう簡単には終わらせない。せいぜいストレス発散に付き合ってもらおう。
会場が静まり返る中、私はひとり口元に嫌らしい笑みをつくった。
感想、誤字報告ありがとうございます。