341 嵐の夜
皇城から逃げ出すことに成功したコリンナは、まっすぐ教会へと向かった。三年ぶりの城下町は、彼女が教会で修行していた時とほぼ変わらず、道に迷うことも無かった。
ただ、良く通っていた雑貨店が酒場に変わっていたのが悲しかったが。
教会本部は戻ってきたコリンナを、なんの咎めもなく受け入れた。深夜ともいえる時間であるというのに、応対してくれた主教のことばにコリンナは泣き出してしまった。
実質、配属先から勝手に戻ってきたわけであるのだから、なにかしらの罰があるであろうと、彼女は覚悟していたのだ。
だが出てきた言葉は咎めるものではなく、彼女を心配するものだった。
主教の話を聞き、コリンナはその事実に驚きのあまりに涙が止まってしまった。
皇城の礼拝堂、いわば教会支部ともいえる場所は完全に孤立していたというのだ。教会からの連絡は一切取ることはできず、そして皇城の礼拝堂からの連絡も一切ない。
それに加え、帝都以外の各都市の教会支部に出所不明の指示書が届いており、教会内部は若干の混乱が生じているそうだ。出所不明とは云うが、当然ながらその指示書は教会本部からのものと記されている。
「出所は皇城であるようなのですが、情けない話、我々ではそれを確認することはできなかったのですよ」
主教はため息をついた。そしてコリンナに、皇城付きとなっているアンスガー主教の様子について尋ねた。
コリンナは正直に答えた。アンスガー主教の放蕩ぶりを。表面にはおくびにも出していないが、彼が酒と女に溺れているのを彼女は良く知っていた。だが主教は確かに有能でもあったのだろう。表立ってはしっかりと問題なく職務を行い、あれこれ画策していたことも知っていた。ただ、その内容までは知らなかったが。
「なるほど。原因はアンスガーですか。問題は、教会に行われている工作を彼個人が行っているのか、それとも後ろに誰か、共犯者がいるのか知る必要がありますね。月神教の諜報員を借りることも考えなくてはなりませんね」
主教の呟きを聞き、コリンナは昨晩あったことを話した。【粛清者】については話しておいた方がいいだろう。もちろん【粛清者】【ゴースト】の正体が誰であるのかをいうつもりはない。それは女神様との約束なのだ。違える訳にはいかない。
「【粛清者】ですか? 皇城に現れたのですか? 一体誰が現れたのです?」
「【ゴースト】と名乗っていました。彼女がいろいろと工作というか、騒ぎを起こしてくれたおかげで、私は皇城から出ることができました」
「【ゴースト】……聞かぬ名前ですね。ところでコリンナ、あなたは【粛清者】のことを知っていたのですか?」
「はい。主教様が以前に云っていたのを聞いたことがありますし、形だけ祈りに来る騎士たちが、ディルガエアであった事を笑い飛ばしていたのを聞きましたから」
「ディルガエアでの?」
どういう内容かを尋ねられ、コリンナは、武闘大会優勝者が【粛清者】との対戦を望んだこと、そしてその優勝者が実は吸血鬼であった、ということだと答えた。
「なるほど。それは私たちも聞き及んでいます。そしてそれは与太話でもなく、純然たる事実であることも確認しています。それで【粛清者】は皇城で何をしていたのです?」
問われたものの、実際の所、彼女がなんのために来ていたのを彼女は知らなかった。そのことを伝え、そして彼女は、昨晩、皇城で何が起こっていたのか話した。
「そこら中で骸骨が暴れてて。あぁ、でも死人は誰もでていないと思います。どの骸骨も騒ぐだけで。どちらかというと、少しばかり質の悪い悪戯をして回っているという感じでした」
コリンナは厩の上で変なポーズをとっていた、ボロを纏った骸骨を思い出していた。今思い出しても、あの腰をクイッ! っとさせて天を指差すポーズは妙に滑稽だった。
「おかしいですね。【粛清者】が現れていながら悪戯だけですますなんて。彼らは死の女神に仕える者。文字通り粛清者なのですよ。月神教で起きた大粛清の話は他人事ではないと、我々も戦々恐々としているのです。先にも云ったように、何者かの専横を許してしまっている状態ですからね」
「明日の晩に決行するそうです。私には、巻き込まれてしまうから逃げろと」
「なるほど。その【ゴースト】という粛清者は、あなたの信仰を見抜いていたのですね」
主教はそういうと、胸元で聖印を切った。
そして一晩が過ぎ、コリンナは不安になっていた。
助祭が行うべき仕事をすべて終え、礼拝堂で祈りを捧げていたところ、続々と軍犬隊の面々が集まって来たのだ。
それこそ、帝都に常駐している軍犬隊だけでなく、各都市の教会の軍犬隊までもが。
いくら今、帝都では学会が行なわれている関係で、警備の数が不足しているとはいえ、各地から軍犬隊を掻き集める必要はないはずだ。であるならば、彼らがこうして集められた理由は別にあるということだ。
そして、不安な気持ちのまま夜を迎える。
【ゴースト】の、いや、女神様の言葉通りならば、今晩、皇城に神罰が落ちるのだ。
皇城は帝国の中心、象徴となる場所だ。そこが破壊されるということは、帝国が破壊されたといってもいいだろう。戦争の決着は、城を落とし、王の首を刎ねて終わるものだとコリンナは理解している。ならば、例え臣民に被害が一切なかったとしても、皇城が破壊され、皇帝陛下が討たれたとなれば、それは帝国の敗北を意味するだろう。
そうなるとかつてのように、帝国は八つに分裂し、そして支配者であるヴィンセント家を失ったヴィンハイムは、他家に侵略されることになるに違いない。
そんなことを考え、内戦となることを憂いたコリンナはただ神に祈っていた。自分がなにをすべきであるのか分からず、ただ祈っていた。
そして夜。
いつもならすでに就寝している時間に、コリンナは聖堂前の広場に立ち、皇城を見上げてた。
山の天辺を斬り落としたような場所に建つ皇城は、夜中であっても良く見えた。そこかしこに焚かれている灯りのため、それはいつもよりも遥かによく見えた。
それだけに、その光景は異様だった。確かに、暗く立ち込めた分厚い雲は月明かりを半ば遮断し、いまにも雨粒を落としてきそうではあった。
だが、いま見ている光景は不可思議でしかなかった。
皇城にだけ、激しい雨が降り注いでいる。
そしてなにより異常であると思わせたのは落雷。ただの雷であれば珍しくもない。ひとつやふたつ、地上に落ちもしよう。だが、それが激しく降り注ぐ雨と同様に、いくつもいくつも落ちるとなれば話は別だ。
ひっきりなしに続く落雷の音に、人々が様子を見ようと外へと出てきた。そして皆、一様に空を見上げ、見回し、皇城でその視線が止まるのだ。
さすがにこの異常な光景に、皆は目を見開いて見つめていた。
神罰だ。
誰かが呟いた。そして別の誰かがこういった。
俺は知ってるぞ。ディルガエアで起きた神罰の話を。教会を破壊して、神々を足蹴にした馬鹿な町の連中のことを。こんな風に、雷が降り注いで、背信者共を打ち倒したんだ。
その言葉は、たちまちの内に表に出ていた者たち皆に伝播し、多くの人々が教会へと詰めかけた。
夜中であるというのに、多くの人々が礼拝堂へと集まり、各々が信仰する神に祈りを捧げていた。
遂には礼拝堂から溢れだした人々を広場から眺めていると、見知った人物が礼拝堂から出て来たのが見えた。
それは、本来ならばこの場所にいるはずのない人物だった。
「侍女長様!? どうしてこちらに?」
「おや、コリンナさん。あなたも皇城を出られましたか」
「はい。【粛清者】様に、逃げるようにと云われましたので」
「【粛清者】……そうですか。私は陛下より暇を頂いたのです。神を打ち倒すなど……。私はもう、陛下にお仕えする気持ちにはなれませんでしたからね」
“神を打ち倒す”という侍女長の言葉に、コリンナは目を瞬いた。いったいどういうことであるのかと問うたところ、皇帝陛下は近衛に命じ、礼拝堂の神像とアレカンドラ様の象徴を破壊したのだそうだ。
「そんな……。陛下はご存じなかったのですか? ディルガエアでの神罰の話を」
「えぇ、ですが陛下は、暴動を騎士団が鎮圧しただけの話だろうと信じておりませんでした。土を耕すことしかできない、神秘主義者の馬鹿者どもを言いくるめるための工作だろうと」
あまりの発言にコリンナは目を瞬いた。
いくらなんでも傲慢が過ぎるのではないだろうか?
そんなことを思いながら、コリンナは再度、皇城を見上げた。
すでに雷は止んでおり、皇城は静けさを取り戻していた。
それから約十数分後。今度は火柱が皇城からあがった。
ついで遠くから響く破壊音。
集まっていた人々も、コリンナと同様に皇城を見上げていた。
ドゴン! という音が聴こえ、城壁の一部に穴が空いた。そしてそこを中心にして、ガラガラと城壁が崩れ壊れていく。
やがて、大きく開かれた城壁にそれが見えた。
「巨人……?」
遠目に見えるそれは、まさに巨人だった。破壊された城壁から姿を見せた金色の威容。城壁の高さと比較するに、その身の丈は四メートル近いと思われる。
「神子様?」
「ヒルデブランド様?」
いつのまにか隣で同様に皇城を見上げていた枢機卿に、
「お久しぶりにございます、ヒルデブランド様。あの巨人をご存じで?」
侍女長の問いに、ヒルデブランドは頷いた。
「あの金色の巨人は、神子様を護っている自動人形とのことなのです。エルツベルガーの次男坊が神子様を攫った先に現れ、屋敷を破壊したそうですよ」
「エルツベルガーの次男というと……あぁ、あの人形狂いですか。たしか、大学を破壊したとかで、大学から放逐された問題児……いえ、もうそんな歳でもありませんでしたか」
「えぇ、その人物ですよ神子様は三日ほど様子をみていたそうですが、誘拐されたものの放置されていたそうで、これ以上待っていられぬと、軟禁されていた帝都外れの屋敷を破壊してきたそうですよ。そのことを我々に報告し、帝国に圧力を掛けるよう要請して帰りましたよ。
どうやら、帝国が公家の一切の責任を取らないことを知って、直接報復に来たのかもしれませんね。もしかすると、【粛清者】がきたのもそれに関係しているのかもしれません」
侍女長は深くため息をついた。
「ぼっちゃまは、責任という言葉をまるで理解しておられなかったのですね。ただの一公家の当主であるのであったならともかく、八公家の代表、皇帝となった以上は、知らぬ存ぜぬで済ませられるわけもないでしょうに」
「侍女長の責任でもないでしょう。他者の声を無視し、己の意志をかたくなに貫いたのは皇帝陛下ですよ」
ガラガラと城壁の一画が完全に崩壊した。
「これは、予定を早めて良かったですな。軍犬隊を招集しておいてよかった」
「ヒルデブランド様、いったい何が起こるんです?」
「クーデター……のようなものですかね。一応、軍犬隊も軍のようなものですし、帝国臣民が大半を構成していますからね」
ヒルデブランドがらしくない笑みを浮かべた。
「ナルキジャ様は国家の崩壊は望ましくないと、我々教会が一時的にではありますが、帝国を支えるようにお命じになりました。我々はリンデマン家のご令嬢の後ろ盾となり、帝国を支えていくことを決定しています」
「あぁ、あの可哀想な娘が次の皇帝となるのですね」
痛ましそうに侍女長が首を振る。コリンナはどういうことか分からず、首を傾いだ。
「リンデマン家は先ごろ大きな事故に巻き込まれて、十二歳の娘を除いて皆が命を落としたのですよ。……まったく、皇帝陛下も酷なことをしますね」
ヒルデブランドの最後の呟きに、コリンナは顔を引き攣らせた。
暗殺。そうとれる発言を聞いたのだから、それも当然だろう。
「彼女には為政者として必要な、正しい教育を施します。ここ数十年は、ロクな皇帝がいませんでしたからね。市民の不満も高まっていますし、ここらで、まともな御仁に仕切ってもらうのがいいでしょう。つきましてはエルヴィラどの、御助力願えませんか?」
「私は失敗していますよ」
「こういってはなんですが、あれは素材が悪かったといえましょう。それに、一度失敗したというのなら、同じ失敗はもうしないでしょう?」
「……そこまで仰るのであれば、このエルヴィラ、今一度、働きましょう」
そういって侍女長は微笑み、一礼した。
ただ、コリンナには、侍女長の笑みが寂しそうに見えた。
こうして、騒がしい夜は終わりを迎え――
翌朝、隊列を組んだ軍犬隊が、皇城へと向けて進軍を開始したのである。
感想、誤字報告ありがとうございます。