340 ……同情されましたか
「えぇっと……どうしたんだい? 随分とうらぶれているけど」
転移して来た私を迎えてくださった大木様は、開口一番、そう尋ねられた。
いまは居間で、お茶を飲みながら大木様とお話し中だ。私としても、少しばかり混乱しているからな。すぐに帰らずに済むのはありがたい。
なにせ……うん。まぁ、我ながら馬鹿なことをしたからな。
まずはそのことを伝え、私はがっくりと項垂れた。
【ゴースト】からキッカへのバトンタッチは不要だったろう。なんでその気になったんだ私は。いや、そのほうが面白いとか思ったからなんだが、そもそもなぜそんな感情を持っているんだ私は。
まぁ、やってしまったものは仕方ない。連れていた供も違えば、【ゴースト】と私は背丈も体型も、もちろん声も違う。同一人物とは思われないだろう。すぐに私が現れたという点は怪しまれるかもしれないが……少なくとも皇帝はそんなことに気を回す余裕などない状態に陥っている筈だ。
妙なことにはなるまい。そもそも、私を目撃した人間はほぼいないハズだ。
「少しくらい遊んだところで問題ないと思うけれどね。余裕がないわけじゃなし」
「いえ、私が楽しむということをはじめたのが問題でして」
「また随分とストイックだねぇ」
「ストイックとかどうとかいう事ではなく」
どう説明したものか。
「まぁ、云わんとしていることは分かるよ。君がなんなのかは僕も知っているしね。ただ、僕の知っている知識からすると、君は少しばかりイレギュラーというか、歪な感じだけれどね」
「でしょうね」
「実のところ、常盤君はどうしたものかと、結構頭を抱えていてね。彼は君に関しては全面的に面倒を見る気ではいるらしいけれど、君の状態には憂えているんだよ」
大木様の言に、私は眉をひそめた。
常盤様にどうこうというのは、あれが執着から無意識的に云った戯言であって、常盤様が責任をとるとかどうとかいう必要はないと思うのだが。
「いっそのこと新しく体を作って、疑似魂魄に君を移して別の人間にしようかと云っていたしね。ただ、その場合どう影響がでるかわからないから、まぁ、冗談の類だろうけれど」
大木様は肩をすくめた。
それにしても、甚平を着た竜がそんな仕草をするというのは、どことなくユーモラスに思える。
「実際、君をこっちに送り込まずにどうにかする方法はあったらしいからね。リソースを惜しんだことと、彼自身が異世界に興味をもったこと、そしてそれ以上に、勝手に自身の管轄の人間を攫おうとしたことに激怒していたこともあって、君を送り込むことにしたようだよ。なにより、それなら生き返らせても問題ないしね」
「……同情されましたか」
「まぁ、そうだね。君の人生は酷かったからね。彼も思うところがあったんだろう。彼自身もブラック企業で使い潰された人間だし。くも膜下出血でぶっ倒れて緊急手術を受けて入院していたところに仕事が追って来た、なんて話を聞いた時は、さすがの僕も憐れに思ったからね」
「大木様も大概だとおもいますが」
「僕は鉄砲玉の撃った鉄砲玉に当たって死んだだけだよ。教師の仕事には絶望したけど、予備校で講師の仕事はできてたしね。まぁ、最初にこっちに送り込まれた時は、時間軸管理者に恨み言を云ったけれどね。なんで送られた先の目の前に、腹を空かせたティラノサウルスだかタルボサウルスだかがいるのさ。秒殺されたわ! ぱっくり食われたよ。一分経たずにまた時間軸管理者の元に戻った時に平謝りされたよ」
……銃殺はともかく、生きたまま食われるという死に方はさすがにしたくないな。
「ところで、君は自身がどういう状態か分かっているのかな? 常盤君がいうには、君は三人目で、ひとり足りないとかいっていたけれど」
大木様の言葉に、私は力なく笑みを浮かべた。
「あぁ……三枝菊花は、恐らくもう消えています」
私は答えた。
いわゆる虐待などが原因で生じる解離性同一性障害、多重人格というものは、三つの人格を持つようだ。いや、そういう例が一番多い、といった方がいいのだろうか。
まず、本人格。オリジナルの人格。そしてその人格が、自らの境遇から逃れるため、虐待を受けているのは自分ではなく他人だと現実逃避し、それらの虐待をすべて引き受ける役割の人格を生み出す場合がある。これにより、主人格は平穏を得る訳だ。
とはいえ、虐待された事実が消える訳ではない。ストレスはたまる一方だ。その結果、その状況全てをぶち壊す三人目が生まれる場合があるとのことだ。
それが私だ。
幼い三枝菊花はあれを作り出して、それから暫くして私が生まれた。もっとも、その頃はこうして思考することなどできもしなかったが。あったのはあの女を殺し、自身を殺すという目的だけだ。
ただ、あの女が再婚し、名が三枝から深山に変わってから状況が変わった。いまだに謎なのが、父がなぜあの女と結婚したのかがさっぱり不明だ。あの女は騙したつもりだったようだが、父は結婚直後から離婚のために動き出していたらしいからな。
いや、それはいまは関係のないことか。
五歳の時の誘拐事件が、私たちの変わるきっかけとなったのは間違いない。あの事件後、三枝菊花は完全に表に出てこなくなった。代わりにあれが出ずっぱりとなり、なぜか私が引き摺られて、一緒に起きているという状況になった。
私自身にも変化はあった。兄が私を助けた事実は、私にも影響を与えた。兄もまた私を助けようとしてあの車に接触し、大怪我をした。皮肉なことに、私を車に向け投げ捨てた誘拐犯は、私を撥ねて急ハンドルを切った車に引き殺された。この事件で一番不幸だったのは、間違いなく車の運転手だろう。そして、私は、自害を選択肢から排除した。兄に助けられたのだ。私の命を私の勝手にするわけにはいかない。私の命は兄のものだ。
まぁ、それも、エスカレーターで突き落とされて、あっさりと失ってしまったが。
あぁ、そうなると、私はどうしたらいいんだろうな。
「……大丈夫かい?」
「私も消えた方がいいんでしょうか?」
私の言葉に、大木様が目をぱちくりとさせた。
「なにをどう考えてそんな風に思ったのかは分からないけれど、そんなことは気にすることじゃないよ。所詮、人格なんて魂に張り付いたデータでしかないからね。君にしろ僕にしろ、それは一緒だ」
違うのは時間軸管理者や根源管理者くらいだ、といって大木様は笑った。
「さて、帝国の状況を説明しておこうか。正直なところ、ナルキジャ君がかなり君に無茶な依頼をしたわけだからね。
エルツベルガーを叩き潰すならともかく、現皇帝の始末を君にさせたわけだ。彼としてはそれで当然と思っているようだけれど……どうにも、人間関係というか、そういったところに無頓着なようだね、ナルキジャ君は」
帝国に関しては、かなり前から潰す、というよりは、教会をどっぷりとかませた形での支配体系にする予定だったそうだ。
その際の手間をできるかぎり省くために、あの皇帝が各公家を掌握、もしくは潰すのを待ってから教会に介入させるつもりだったらしい。
それが私の事件もあったことで、前倒しで行った結果が昨晩と今晩のアレということだ。
私がやることになったのは、私に対しナルキジャ様が気を回したからだというが……正直、要らぬ気遣いだったなぁ。
「彼はアレカンドラさんにお説教されることになるかな。科学の発展を抑えることにばかり注視して、他の事には無頓着だったようだから」
「科学の発展と云っても、ダンジョンからオートマトンとかも持ち出されていますが」
「あれは魔法の産物だからね。ガワだけはらしいものだけれど、結局のところはゴーレムだよ。人間がいくら研究をしたところで、成果はでないよ」
あぁ、そういえばゴーレムといっていたっけ。私の所のオートマトンとはまったく違う代物だ。
「とはいったものの、電球なんかは造れそうな雰囲気なんだよね。持ち出された魔道具をあれこれ魔改造している連中がいてねぇ。
その研究成果が、新動力装置を作り上げたりしそうではあるね。まぁ、その邪魔を自然なこととするために、ナルキジャ君があれこれやっているみたいだけれど」
「あぁ、そういえばあれが、蒸気機関を造ろうとして思い直していましたね」
蒸気機関自体はさして難しいものでもないからな。現状の技術でも、十分に作ることはできるだろう。量産となると、さすがに無理だろうが。
「キッカちゃん、そんなこと計画してたのか。まぁ、断念してくれてよかったよ。蒸気船でも造られたら大変なことになるからね。外洋は魔境だよ。古今東西の大型の化け物が揃ってるからね。外洋にでるなら、大戦時の戦艦級じゃないと無理」
「イージス艦とかは無理ですか?」
「昔の戦艦に比べると、装甲が紙」
大木様が断言した。
そういえば、ダンクルオステウスが普通に泳いでいるとか云ってらしたな。ということは、メガロドンだのもいるということだろう。
「まぁ、問題視しているのは飛行機関連だから、蒸気機関はできてもいいかな」
「蒸気機関で飛行機とかはできたりしませんか?」
「無理じゃないかな? 地球でも研究はされていたみたいだけれど、実用的なものは無理と判断されたのか、試験機だかなんだかが造られた程度で、研究はストップしたんじゃなかったっけ?」
確かに。燃料や温度管理が大変そうだ。少なくとも高空を飛ぶようなものは造れなさそうだ。
「話を戻すよ。帝国公家は、八家のうち一家を残して潰されることになっているよ。ナルキジャ君がそう決めて、教会を動かしたからね。今回、皇帝が礼拝堂の神像を破壊してくれたのは、本当にいい仕事だったよ。教会側としてはあらゆる蛮行を正当化できる出来事だからね。
なにより、彼らは自分たちを神に等しいなんていう風に嘯いてたからね。どこの末期のダメな王朝だよってかんじだよ。孫悟空もそれで山の下敷きにされたわけだしねぇ。甘んじてこれから起こる境遇を受け入れてもらうおう。なに、民草によい政治を行っていれば、市井に降っても問題なく生きられるってものだよ」
孫悟空って……あぁ、斉天大聖ってことか。というか、その感じだと一市民になったら私刑に遭うのでは?
「それでだ。残すことにした一家は、八家の中では唯一まともな方かな。現皇帝が命じて、ひとりを除いて暗殺されたリンデマン家。現当主となった、生き残った十二歳の娘に帝国を仕切ってもらうことにする。もちろん、教会が全面的に彼女を支援するよ」
「完全な傀儡にするんですか」
「傀儡というよりも、都合良く動いてくれるように再教育する感じかな。権力を振りかざして好き放題してきたこれまでの八家のありように比べたら、遥かに好ましい政治をしてくれるようになるよ。とにかく帝王学を徹底して仕込むからね」
「話だけ聞いていると、革命みたいですね」
「実質そうだよ。一家による支配にあわせて、一般的な君主制に移行するから」
それはそれで、厄介な国になりそうな気がするな。大丈夫なのだろうか?
「なんだか心配そうな顔をしているけれど、問題ないよ。七神教は、実質アレカンドラさんを中心とした一神教みたいなものだからね。
まぁ、私が心配することでもないか。
「では、帝国関連はこれで完了ですか」
「そうだね。もう、君を煩わせることはないよ。せいぜい、ナルキジャ君がお説教されるくらいだ。
あとの問題は【陽神教】の連中だけだね。七神教の一派と勘違いして入信した人もいるから、逃げ回っている厄介な連中を特定するのが難しいんだよ。概ね始末したけれど、まだ潜伏しているのがいるからね」
「わかりました。……といっても、私よりもあれが気をつけなくてはなりませんが」
私が答えると、大木様は顔に手を当て項垂れた。
「あー……。なんで彼女がああも無頓着と云うか、危機感が薄いのかが今日、やっとわかったよ。彼女、被害担当だったわけだよね。ということは……あれだ、サンドバッグであることが常態だったわけだ。戦略にしても、平気で体が壊れるようなことをするし、監視している側としては気が気じゃないよ」
「……助けとかは?」
「基本的にそれはしない。レストランのバウンサーみたいなことはともかくね。今の僕はなんの制約もないんだ。もしそれをすると、歯止めが効かなくなるのが目に見えるからね。ひとりの人間に神が肩入れなんかしたらどうなると思う?」
惑星管理のリソースが使えないだけで、神としての力は依然として変わらずにあるんだよ。
そういう大木様に、私は顔を引き攣らせた。正直、なにが起こるかなど、考えたくもない。
「こう云ってはなんだけれど、僕にも執着心ってものは残っているからね。まったくの同郷ではないけれど、もう会うことはおろか、話すこともできないと思っていた日本人だ。しかも色々と問題を抱えていると来てる。教師をやっていた僕にとって、それがどれだけの醍醐味であるのか、ってことだよ」
「意外と、あれにはそれが合ってるかもしれませんよ」
「攫って監禁してお世話することがかい?」
大木様の言葉に、思わず私は軽く笑い声をあげた。
あぁ……やっぱり私はおかしくなってきている。
「大木様はヤンデレにでもなるおつもりですか? ヤンデレはあれだけで十分ですよ」
そういうと、大木様は首を傾げた。
「……ヤンデレってなんだい?」
そういって首を傾ぐ大木様に、私は再度笑うのだった。
誤字報告ありがとうございます。