337 これから雨は降る
目が覚め、ぱちりと目を開く。となりではリスリ様が静かに寝息を立てている。自分の存在が彼女に取って良いことであるのか否か、少しばかり悩むところだ。
このところイネス様は来てはいない。王家の方の跡取に関する諸々の問題が解決したらしい。下世話な云い方をすれば、子作りが解禁されたということだ。
やはり王家ともなると、継承権の問題もあっていろいろとあるのだろう。
私は起き上がると、トイレへと向かう。別に用を足しに行くわけじゃない。トイレに入ると、そこにはもうひとりの私が待っていた。
「身代わりは任せてねー」
「お願いします、ディルルルナ様」
「ナルキジャが来ているから、状況だけ聞いておいてねー」
私の姿をしたディルルルナ様がパチンと指を鳴らす。途端に景色が変わる。
そこは二十畳くらいの広い石造りの部屋。壁にはタペストリーなどが掛けてはあるものの、家具の類は中央にぽつんとあるテーブルと椅子だけで、がらんとした部屋だ。そして灯りは天井部分が発光しているみたいだ。
「お久しぶりです、キッカさん。この度はご迷惑をおかけしました」
「いえ、お気になさらず。それで、大木様はなぜここに?」
上座に座っている大木様に訪ねる。今日は人の姿だ。着ているのは相変わらずの甚平だ。
「時間的に、キッカちゃんが八公家全てを潰して回るわけにもいかないだろう? だから、明日以降は僕がやることにしたよ。竜が気まぐれで飛んできて街をちょっと破壊したところで問題ないしね。神の使いだと喧伝しつつ脅しつけて、人々が混乱したところを教会にまとめてもらう予定だよ。ナルキジャ君は竜神ってことになっているらしいから、効果は抜群になるんじゃないかな?」
「蛇なんですけれどねぇ……」
ナルキジャ様が苦笑する。
教会主導での茶番でもやるのだろうか?
「それと国家の体を失くすと面倒なことになるから、一家は残すことにしたよ。丁度、いい具合になってるところがあるからね。十二歳と若いけれど、新生した帝国の女帝として頑張ってもらおう。なに、教会がバックアップするから、問題ないよ」
そして今の帝国の状況を教えていただいた。今更だし、聞いたところで私の知ったことではないが、まぁ、知らないよりはいいだろう。
帝国の国家体制はかなり特殊だ。八つの国が便宜上ひとつになって、その内の一国の王を代表、皇帝としている。そして帝国には貴族というものは存在しない。あるのは公家と臣民、という区切りだけだ。各国の王の下に大臣(王族の分家)がいるだけだ。
野心に燃えた現皇帝はこのことを良しとせず、一家による支配を望んだ。そのために前皇帝を病死させ、他家を暗殺や破産させ、ヴィンセント家の配下とすることで、皇帝の座を掴み取ったのだ。そうして目指すものは――
「世界征服をしたいみたいだよ」
「世界征服って……」
私は呆れた。あぁ、いや。時代的なことを考えれば、その手の事を目指すのは普通であるのか? 現代では――あぁ、世界征服を目論んでる国、あったな。
「そんな人物が皇帝になりましたからね。彼が一家支配を成したところで潰す予定だったのですよ。ですがキッカさんを誘拐するなどという想定外のことが起きてしまいましてね……。丁度いい機会ですから、潰してしまいましょう。なにより、七神教を駆逐することにしたようですし。帝都の水神教会を潰すために、軍の編成をはじめましたから」
私は盛大にため息をついた。
「猶予を与えたのは、そんなことの為ではなかったんですがね」
「僕も適度に神罰を降すべきだったんですかねぇ。ですが姉上のように、神罰の度に家を爆発させたりするわけにも行きませんしねぇ」
は?
ナルキジャ様の言葉に、私は目を瞬いた。詳しく聞いてみると、ディルルルナ様の神罰は、その度に爆発騒ぎが起こるようだ。てっきり、室内だろうとどこだろうと落雷が落ちるくらいだろうと私は考えていたのだが、それ以上に威力があるようだ。もちろん、神罰を受けた人間は良くて消し炭。大抵は飛び散ることになっているとか。
……そういえば、神様方、微細な威力の制御が苦手だと聞いたが、そういうことか。なぜ私が駆り出されたのか、不思議に思っていたんだよ。国を潰すなんて、小娘にやらせることではないしな。
大陸を吹き飛ばすからといって、アレカンドラ様がディルルルナ様を止めたのは、大袈裟じゃなかったのかもしれない。
★ ☆ ★
空を見上げる。雲に覆われ、星はひとつも見えない。本当に真っ暗だ。だが、これは丁度いいかもしれない。誤魔化す、というわけでもないが。
私があの場所(教会の地下に作られた隠し部屋だそうだ)から送り出された場所は、皇城の建っている土地の、城門近くの端っこだ。この城は山の頭を平らに削ったような場所に建っている城だ。
この城を攻め落とすとなると、なかなかに厄介なことになるだろう。なにせ軍を急斜面に展開しなくてはならなくなるだろうから。
まぁ、私のように個体戦力がおかしなことになっている者にとっては、なにひとつ問題ないことだが。
城門と城壁に視線を向ける。かがり火の焚かれている城門には多数の兵士。明らかに門番だけではない。そして城壁には、松明の灯りがゆらゆらといくつも移動している。巡回しているのだろう。もしかすると、松明を持たずに見張りをしている者もいるかもしれない。
さすがに昨日予告したこともあって、警備が厳重だ。いや、これはもう警備というレベルじゃないな。いったい何人動員したんだ? もしかすると、ナルキジャ様が云っていた、教会を潰すために集めた兵がここに集まっているのかもしれない。
まずは城壁に登ろう。隙間なく兵士が立っているわけでもないしな。通り抜ける場所はいくらでもある。そもそも透明になって跳び上がって来る輩など、想定していまい。
【夜目】と【不可視】指輪、そしてドーピング指輪各種を装備し、次いで自身に【軽量化】の魔法を掛ける。全力で掛けたこともあって、まさに文字通り羽のように軽くなる。いや、羽は云い過ぎか。だが今の私の体重は一桁にまで落ちたはずだ。
せーの!
軽く腰を落とし、ぐっと膝に力を入れて跳ぶ。私の体は容易く十メートル近い高さの城壁の上へと到達する。だいたい二メートルくらいだろうか? 落下し、城壁に降り立つ。
いまは透明だから誰にも見られることはないが、たとえ透明でなくとも、この暗さであれば、【ゴースト】装備の私を視認するのは難しいだろう。
さて、今度は内側に降りる訳だが、さすがに体重を魔法で軽くして降りたところで、衝撃が無くなるわけではない。死ぬことはないかもしれないが、足を挫いたり骨折したりはしそうだ。
『――――――――――――――――――』
【幽体化】を使い、飛び降り、問題なく着地する。あらゆる物理、魔法ダメージを透過させるこの魔法は、戦闘や、こういった移動にも非常に役立つ。実際、ゲームでは戦闘よりも飛び降りる際に使うことの方が多かった。
ここでドーピング指輪を魔法補助指輪に付け替える。
【夜目】、【不可視】ふたつ、そして攻撃魔法と召喚魔法の【消費魔力軽減】。指輪五つと、少しばかりゴテゴテするが仕方あるまい。
姿が見えないのをいいことに、私は隠形もせずに堂々と前庭の中央へと進む。こらからやることを考えると庭の中央……いや、もっと城よりにまで進んだ方がいいだろう。
城の前庭はそこかしこにかがり火が焚かれ、小隊単位で部隊が野営している。
この兵士たちは、明日、水神教教会を襲撃する部隊だろう。急遽、兵をかき集めて編成した部隊とのことだが、ついでに私を始末するためにここに配置したのか?
それとも、兵士など青天井で雑魚寝させておけば良いとでも思っているのか? あの皇帝は。雨でも降ったらどうするつもりだ?
……あぁ、いや、これから雨は降るのか。
いまいちど空を見上げる。さすがに星ひとつ見えない空は面白みに欠ける。
のんびりと散歩するように歩き、やがて目的とした場所にまで到達した。途中、何度か兵士たちのすぐ側を通ったが、気付かれることはなかった。待機している各隊の様子も見てみたが、士気は妙に高いものの、練度は残念と云えるような兵士ばかりだ。
彼らがどういった“考え”の者であるかは知らないが、本日この時この場所にいる不幸を嘆いて貰おう。本当に運が良ければ、生き残ることもできるだろう。
それじゃ、ここはひとつ、とことん目立つとしようか。なにせ、行うのは神罰代行だ。存分に、派手に行こう。
【不可視】を外し、足元に【灯光】の魔法を放つ。
たちまち、かがり火以上の明るさの光源が現れる。そしてその光に照らし出されるは、昨夜、城内に騒ぎをもたらした元凶だ。そうでないにしても、いまの私の恰好は怪しいにも程があるのだ。
――のだが、随分と反応が遅いな。
できるだけ首を動かさずに、周囲を見やる。
おいおい、冗談だろう? 見る限り士気は高かった。それは間違いない。だというのにこの有様はなんなんだ? ぽかんと眺める以外にやることがあるだろうに。
新兵の集まりか? いや、新兵なら血気はやるか?
まぁ、いい。はじめるか。
私は右腕をゆっくりと上げ、空を指差した。
私が動いたことで呆けていた状態から脱したのか、慌てて得物を手に兵士たちが慌ただしく動き始め、私を取り囲み始めた。
随分と離れた距離からだが。でも、もう遅い。
【天の目】で範囲の確認もできた。まったく問題もない。
私は叫ぶ。
『吹けよ風! 呼べよ嵐! 【雷嵐招来】!!』
槍を手に進みだしていた兵士たちの足が止まった。
私の声に驚いたのだろう。だが、槍が何本か飛んできた。
予め発動準備しておいた【黒檀鋼の皮膚】と【風の霊気】を展開する。飛んできた槍は私の周囲を渦巻く風で微妙に逸れ、【黒檀鋼の皮膚】で弾かれる。
これだけだと微妙に心配だな。【召喚盾】も出しておこう。
そうこうしているうちに、雨が降り出した。ポツリ、ポツリと落ちて来たかと思うと、あっという間に土砂降りとなった。そして降り注ぎはじめる雷。
雷は容赦なく周囲の兵士たちに落ちていく。なにしろ、術者以外の者に無差別に、そして外れなく落ちる雷だ。
ひとりふたりと、雷に撃たれ倒れていく。それを見て怖気づいた兵士たちは、その場に頭を抱えてしゃがみ込んでいる。中には、金属製の兜や剣を放り投げている者もいる。
さて、【雷嵐招来】はいいところ三分くらいだ。さすがにここにいる兵士全員を打ち倒すことはできないだろう。
【雷鎖】!
適当に兵士に向けて魔法を放つ。【雷鎖】は、目標の近くに別の者がいれば、そちらへ雷撃が伝播していく魔法だ。基本、単体に対して放つ魔法ではあるが、周囲にまとまった人間がいればそちらも巻き込む範囲魔法になる。
欠点は、伝播した雷は、これもまた敵味方関係なしなところだ。
つくづく私は集団戦に向かない戦力であると思う。
そうして適当に雷撃を放ち過ぎた三分後、前庭に集結していた部隊は壊滅した。
幾人かは本当に運が良かったのだろう。無傷で生きている。もしここで私に攻撃を仕掛けて来るなら、容赦なく殺すところだが、蹲って手を組み、泣きながら神に祈っている者を殺すこともないだろう。
さぁ、それじゃ今度は、城内へといこうか。
そして私は【スケルトンチーム】を二チーム、永続召喚で呼び出した。
感想、誤字報告ありがとうございます。