表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
336/363

336 皇帝の決断


 ナルグアラルン帝国皇帝ルーペルト・ヴィンセントは、コツコツと執務机を指先で叩き続けていた。次々ともたらされる報告に渋面を浮かべ、苛立たしそうにギシギシと歯軋りを立てていた。


 まだ夜明けまで数刻はあるというのに、報告書をもちこむ侍従たちはそれこそ入れ代わり立ち代わりという言葉通りに執務室を出入りしている。扉の開け閉めの音にも不快感を覚え、皇帝はいっそ開け放ったままにしてしまえとも思うが、そうもいかない。


 それは、まったく有り得てはならない事だった。


 張り巡らされた警備のすべてを、誰一人気付かれることなく皇帝の寝所へと侵入し、まるで旧友にでもあうかの調子で、起こした皇帝と会話をした賊がいたのだ。

 あろうことか、寝所内に詰めている影共は認識を狂わされていたらしく、賊が悠然と椅子に座っているにもかかわらず、それがまったく問題ないと思い込んでいたのだ。いったい、いかなる技術であるのか。それとも魔法か?


 皇帝は苛々としたまま考えを巡らす。


 もはや持ち込まれる被害報告などどうでもいい。どれも大した報告ではない。


・骨に追いかけ回された。

・骨が厨房の大テーブルの上で踊っていた。

・ローブを纏った骨が厩の上でバチバチとしていた。

・東翼警備隊が骨により壊滅。全員軽傷。

・そこかしこから囁き声がする。

・城壁に幽霊が目撃された。


 どれもこれもこういったもので、重大な被害報告は一切ない。なかには、腰を抜かしたメイドが、骨に抱えられ、椅子にまで運んでくれたなんていう報告まであった。


 どうでもいい。本当にどうでもいい報告だ。だが、それらの報告の中でも、看過できないものもあった。


 第一皇子であるブルーノに関する報告である。まさか自慢の息子が男色家であるとは思いもしなかった。しかも大広間で近衛と乱交していたなどという、目を覆いたくなるような報告がされたのだ。


 いつまでたっても結婚もせず、剣一筋に生きるなどと嘯きつつも、騎士たちを見事にまとめ上げていた息子の興味が男にしかなかったなどとは、終ぞ思いもしていなかった。

 思い返せば女性騎士を近衛から排除し、彼女らを護衛騎士として妃や娘直属にしていたのはそういう理由だと分かる。


 自分はいったい何を間違ったのかと、皇帝は頭を抱えたい気分であった。


 こうして報告書として上がってきている以上、それを目撃した者が複数いるということだ。現状、今宵起きたことに関しては緘口令を敷いているが、それがどこまで効果があるかはわからない。いずれは漏れることだろう。


 先代皇帝が病に伏した時に合わせ、あらゆる手を使い、他家の力を削ぎ、こうして皇帝の座についた。暗殺に謀略、そして降って湧いた幸運。

 リンデマン家は不幸により当主を含め多数が事故により命を落とし、現在は生き残った十二歳の娘が当主となり、既に傀儡だ。マルシュナー家は先代の浪費癖が原因で破産しかけだ。わがヴィンセント家の援助が無ければ終わりとなる。ローゼンベルガー家は【ユルゲン】の引き起こした魔物暴走災害で壊滅状態。シュヴァイツァー家も同様。ヴィンセント家の援助なしでは復興もままならない状況だ。


 こうして四家を支配下に置いたことで残り三家を抑え、ヴィンセント家は帝国皇帝の座を掴むに至ったのだ。


 噂のエルツベルガーのバカ息子が誘拐騒ぎなど起こさなければ、順風満帆に進むことができたのだ。


 帝国を完全に掌握し、本当の意味でひとつの国家とした暁には、大陸制覇を目論んでいたのだ。それがこうもあっさり躓いた。


 平民の小娘など、放っておいても問題無かろうと考えていたのが間違いだった。まさか七神教と冒険者組合があからさまに抗議して来るとは思いもしなかった。


 まったく忌々しい……。


 寝所に侵入した、あの気味の悪い仮面の小娘のことを思い出し、皇帝は机を叩く指を止め、ぎゅっと拳を握り締めた。


 そういえば、アレは自らを【粛清者】と云っていたな。確か、月神教の組織だったはずだ。


 目をそばめ、口元を押さえ考え込む。このまま、やられっぱなしではいられない。あの小娘は一日の猶予をやると云っていた。だが、一日など不要だ。


 皇帝は口元に笑みを浮かべた。


★ ☆ ★


 コリンナが自室に戻り、まず始めたことは荷物をまとめることだ。まとめると云っても、さした量もない。着替えと経典、そして僅かばかりの身の回りの品だけだ。


 配属先が皇城だと決まった時には、飛び上がる程に喜んだものだ。そして三年が過ぎ、こうして逃げ出すことが許されたことの方が嬉しいと思えるのは複雑な思いがある。


 配属され、皇城の管理責任者である主教と会った数分後には、彼女は信仰心というものの存在に疑いを持つ羽目になったのだ。

 なにせ、直属の上司となったその主教は、破戒者であったのだから。


 歴代の皇帝に媚びを売り、金品を集め、女を漁っているロクでもない人物であった。まさか、最初の挨拶で夜の相手をしろと云われるなどと、誰が想像しよう。


 なんの聞き違いかと、コリンナは目をぱちくりとさせ呆けたくらいだ。


 もちろん、それを突っぱねた彼女は、ここで辛い生活を続けることとなった。教会本部へと報告できればよかったのだが、皇城を出る許可を得ることはこれまでまったくできなかったのだ。もちろん、それも主教が手を回したからにほかならない。


 だがいまは違う。


 女神様は仰ったのだ。逃げろと。巻き込まれるからと。


 そう。ついに神罰が落ちるのだ。


 それに今は女神様が引き起こした混乱で、城外へと逃げることもできるだろう。


 私物を詰め終わった背嚢を背負うと、コリンナは部屋を後にした。途中、スケルトンに助けられ運ばれているメイドとすれ違う。


 何故かスケルトンはコリンナに向けて小さく手を振っていた。


 あぁ、あれこそは女神様が呼び出した使徒だ。


 コリンナは走りながら思った。女神アンララーは死を司る女神でもあるのだ。あのスケルトンは明らかに不死の怪物であろうが、害をもたらすものではないのだろう。


 城壁沿いを走り、城門を目指す。城門は当然閉まっているだろうから、城門脇にある通用扉から外へとでるつもりだ。


 問題は、そこにも兵士が詰めているということだ。


 厩の所にまで到達し、コリンナはそれに気が付いて慌てて足を止めた。厩の屋根の上に立つスケルトンが、天を指差すようなポーズで立っていた。風にローブをなびかせ、天に向け伸ばした指先からは雷が撃ちだされていた。


 その光景をコリンナはぽかんと、口を開けて間の抜けた顔で眺めていた。


 足元にいくつも転がっている、失神した兵士たちに気が付きもせず。


 やがてローブ姿のスケルトンはコリンナに気付くと、そのスケルトンもまた小さく手を振った。それに対し、コリンナも思わず手を振り返す。


 するとスケルトンは天を指差すのを止め、別の方向を指差した。そこはコリンナが目指していた場所。通用扉だ。


 だが、そこには依然として兵士が詰めているのが見えた。


 脱出路を別に探さないと、とコリンナが思っていると、突然、スケルトンの指差していた人差指から、雷が撃ちだされた。


 雷は通用扉をたやすく打ち抜き、側にいた兵士はその衝撃で吹き飛ばされ失神してしまった。


 コリンナはあんぐりと口を開けてその光景を見ていた。


 目を瞬いたあと、慌てて厩の上に視線を戻すと、手を振っていたスケルトンが忽然と姿を消してしまった。


 コリンナは暫くなにもいなくなった厩の上を眺めていたが、やがてハッとしたように正気に戻ると、破壊され、護る者も失神した通用扉を抜けて城下へと逃げ出した。


 そして彼女は教会本部へと伝えることになる。明日、いや、本日夜、皇城に神罰が落ちるということを。


★ ☆ ★


「兵を集めろ!」


 皇帝は呼びつけた軍団長に命じた。


「少なくとも一個大隊の兵が必要だ。どれくらい掛かる」

「集めることは可能ですが、城下の警備が手薄となります。なにより、いまは学会が始まっておりますし」

「構わん。警備には最低数残しておけば良い。それでも兵は十分に集められるだろう?」

「分かりました。一日の猶予を。集め、編成し直します」

「任せたぞ」


 敬礼し、執務室を出ていく軍団長を見送ると、皇帝はどっかと椅子に腰を下ろした。


「役にも立たん七神教会め、思い知らせてくれる」

「思い知らせる……ですか」


 いつの間に来ていたのか、年配の女性が皇帝の前に淹れた茶を置く。彼女はヴィンセント家の侍女長であり、かつては皇帝の乳母をしていた者だ。


「あぁ、そうだ。我が帝国に神などと云う不確定な物など不要だ。排除する」

「左様でございますか」


 抑揚もなく侍女長は答えると、懐から書面をひとつとりだし、皇帝の前に置いた。


「なんだこれは?」

「暇願いにございます、陛下。いえ、坊ちゃま」


 皇帝は顔を引き攣らせながらも、侍女長へと振り返った。


「私は七神教信者にございます。それも月神教を信仰している者。坊ちゃまにとっては、側仕えに私のような者がいることは不快でありましょう」

「ま、待て、エルヴィラ」

「失礼いたします、坊ちゃま。どうかご壮健であられますよう。()()()()()おります」

「エルヴィラ!?」


 一礼し、優雅に退室する侍女長に皇帝が声を掛ける。だが彼女はそれを無視して執務室を出て云った。


 ガッ!


 皇帝は執務机に拳を叩きつけると、じっと暇願いの書面を睨みつけていた。




 そして夜が明け、一日が終え、夜がやってくる。


 幾つものかがり火が焚かれ、兵士たちが警備を固める中、皇城の前庭に彼女は忽然と姿を現わした。


 乾いた血のような色の装束に、紅い手形の張り付いた白い仮面を被った少女。


 粛清者【ゴースト】。


 その姿を確認し、兵士たちが槍を構え、遠巻きに彼女を取り囲んだ。


「やれやれ、結局、猶予をこんなことに使ったのか」


 彼女は肩を竦め、ため息をついた。


「ボクがこのことを想定していないとでも思ったのかな?」


 【ゴースト】がゆっくりと、曇り暗い夜空を指差した。


 かくして、神罰の夜は始まったのである。


感想、誤字報告ありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 神の実在する世界で神を信じぬと叫ぶ豚 その運命やいかにというか確定してますが
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ