331 何回ボクを斬り殺せば気が済むんだい?
「やぁ、目が覚めたかい? ちょっとお話をしようじゃないか、皇帝陛下」
陽気な調子で私は挨拶をした。だがいまだに皇帝は私を見つめたまま、きょとんとしている。
どうやら現状を事実と認識できていないようだ。こんな不審者がどうどうと座っているわけがないと。
やれやれ、現実主義者であるならば、目の前に見える物こそを盲信するべきだろうに。神を容易くないがしろにできるのだから、この事実ぐらいしっかりと認めるべきだろうに。
「どうした? もっとしっかりしなよ。そうやって呆けている様は馬鹿にしか見えないぞ」
私の言葉で、今見えているものが現実と理解したのか、皇帝は大きく息を――
おっと。【麻痺】の魔法を撃ち込み、叫ぼうとした皇帝を無理矢理止める。皇帝は彫像のように固まると、ぱたりと横に倒れた。
【魅了】も上に向けて追加で放っておく。
危ない危ない。今騒がれたら面倒だ。
数十秒後、麻痺の解けた皇帝が、ベッドの上に身を起こした。
「まぁ、落ち着きなよ。ボクは危害を加えに来たわけじゃない。少なくとも今日はね」
大人びた子供みたいな感じで喋る。多少の演技は必要だろう。なにせ、今日は変装らしい変装はしていない。無駄に主張している胸のせいで女だとは分かるだろうし、背丈の低さもそのままだ。
あぁ、いや。一応、胸はサラシを巻いてある程度押さえてはあるんだった。とりあえずは人並程度の見た目にはなっている筈だ。
「……何者だ?」
「【粛清者】。といえば分かるんじゃないかな? もし分からないというなら、諜報部門を一度解体して作り直すことをお薦めするよ」
そう答えると、皇帝は眉をひそめた。
そういえば、この御仁の名前をしらないな。まぁ、どうでもいいか。
「月神教の暗殺者か」
「あぁ、その程度の認識なのか。悪いことは云わない。諜報部門を作り直した方がいい。ちょっと教会に探りを入れればすぐにわかる情報を把握していないというのは、さすがに問題だと思うよ」
私は両手の平を上に向けつつ肩をすくめる。この動きに合わせ、再度【魅了】を上にいる影供共に向けて放っておく。
「暗殺者であることにはかわりあるまい」
はぁ……。
私はこれ見よがしにため息をついた。なにせ仮面を着けているからな。大袈裟に動いて感情表現をしなくては伝わらない。
「まぁ、それでいいならそれでいいよ。ボクのすることは変わらないからね。それでだ皇帝陛下。ひとつ質問……いや、確認だな、したいことがあるんだよ」
「なんだ?」
やや痩せぎすな皇帝は、鋭い眼光をこちらに向ける。
はは。ちっとも怖くないな。ケルベロスや牛頭人食い鬼と比べたら可愛いものだ。
そして私は確認のための問いをする。それは教会と冒険者組合の抗議に対する、帝国の答えだ。
そしてその答えは、事前に聞かされていたものと同じだった。
「つまり、エルツベルガー家の引き起こした案件であり、帝国は関係ないと?」
「そうだ」
「エルツベルガー家も皇族のようなものであるというのに?」
「現在のこの帝国を支配しているのは、わがヴィンセント家だ」
自信満々な皇帝に、私はまたも肩をすくめて見せる。
「なるほど。では、エルツベルム地方はもはや帝国ではないということだね?」
「なんだと?」
「だってそうだろう? エルツベルガー家は帝国とは一切関係ないのだろう? ならば帝国八公家は七公家となったわけだ。そしてエルツベルガー家の支配地域は、かつてのようにエルツベルムを中心とした都市国家ということだろう? であるならば、ボクたちの認識不足であったということだ。戦争はエルツベルムとすることにするよ。もちろん、君たちは手を出さないよね?」
「馬鹿を云うな!」
皇帝が怒鳴り声をあげた。
「どこが馬鹿なのかな?」
「貴様、教会は我が帝国と戦争をするというのだな!」
「は? なにをいっているんだい?」
これみよがしに首を傾げる。もちろん、頬に指を当てることも忘れない。
「エルツベルムは帝国と関係ないのだろう?」
「我が帝国の領土だ!」
「では、なぜ今回の事件の責任を取らないんだい?」
私は問う。当然ながら、皇帝は答えない。
「いいかい。一国の支配者階級の人間が問題を起こしたんだよ。そのことについて、七神教教会、冒険者組合、そしてディルガエア王国が貴国に対し非難声明を上げ、抗議しているんだよ」
「ディルガエアがだと!?」
「直に抗議文が届くよ。一応、彼女は貴族。それも当主だ。国家に対し大変な貢献をしている彼女を誘拐し、危害を加えたんだ。抗議文のひとつやふたつくるのは当然だろう。もちろん、それに加えて色々と報復するだろうね。なにせ君たちは、ディルガエアに対してもロクなことをしていないらしいじゃないか」
自業自得とはまさにこのことだと云いつつ、くすくすと笑い声を上げる。
皇帝は考え込むかのように口を噤んでしまった。
「そうそう、君たち秘蔵の転移の魔道具だけれど、すべてガラクタとなったことを伝えておくよ。神様方は今回のことに激怒していてね。転移の魔道具に関しては今後ダンジョンから産出されることはなく、すでに産出されているものも、その効力を失わせたとのことだよ。あとで確認してみるといい」
皇帝の顔には驚愕の色が張り付いたままだ。だが私は構わずに続ける。
「さて、ボクだけれど、神罰執行代行者としてここにきたんだ。一日の猶予をあげよう。悔い改めるか、それとも我らと戦うかを決めるといい」
「暗殺者如きが偉そうなことを」
皇帝が私を睨みつける。
またしても私は肩をすくめる。そろそろこの仕草が鼻持ちならなくなっていることだろう。
お、ついに動くか。機を狙っていたのか、単に覚悟を決めるのに時間が掛かったのか、どっちだろう?
「まだ正しく認識をしていないようだね、皇帝陛下。確かにボクは暗殺者さ。でもね、ボクの上司はアンララー様なのさ。だから今ここにいるボクは神の使いと同義だ。暗殺者などと侮らずに、ボクの言葉を真摯に受け止めるべきだと思うね」
大仰に腕を広げて私は云う。
それと同時に、皇帝の影から彼女は飛び出してきた。その手には剣。腰だめに構え、体ごと剣を突き込んで来る。さすがは皇帝を護る最後の盾にして剣といえよう。もちろん、それをわざわざ受けてやるつもりはない。【生命探知】の指輪は嵌めっぱなしであった私には、彼女の動きなど丸わかりだ。
彼女、皇妃が皇帝の背後から飛び出してくるのと同時に、私は椅子からおもむろに立ち上がり、ひょいと右へと退いた。そう、避けたのではなく、ただ退いた。置き土産をそこに残して。
私を貫くべく全力で飛び込んできた彼女は軌道を変えることをできず、そのまま椅子とテーブルを巻き込んで盛大に転倒した。もちろん、私が残した置き土産を全身に被って。
私がインベントリから出して置いたもの。それはこれまで狩って、インベントリ内で解体した獣の血液。だいたい五、六リットルくらいだろうか。
勇ましい彼女はいま、血塗れになって転倒している。
椅子とテーブルの倒れる音を聞きつけたのだろう、室外で待機していた警備の騎士たちがなだれ込んできた。
「曲者だ! 殺せ!」
皇帝が叫ぶ。
おや? 捕らえろ、ではなく殺せか。騎士たちは――あぁ、実に忠実だ。捕縛ではなく、殺しに来ているのがわかる。
『――――――――――――――――――』
騎士たちの振る剣が私の体をなんの抵抗もなく通過する。
言音魔法【幽体化】。あらゆる攻撃、それこそ物理攻撃だろうが魔法攻撃であろうが、まったく影響を受けなくなる魔法だ。時限ではあるが、効果中は絶対無敵となる。
とはいえだ。
剣が通過する感触はわずかながらに感じるため、攻撃されて気持ちの良いものではない。
おぉっと。上にいた影供共の魅了も切れたか。いきなり上から斬撃が降って来たからびっくりしたよ。
「やれやれ、何回ボクを斬り殺せば気が済むんだい? まったく、酷い人たちだ。ひとまずはこれを答えと受け取らせてもらうよ、皇帝陛下。とはいえ、ボクは言葉を違えることはしないよ。約束は守るとも。君たちと違ってね。今晩は誰一人として直接殺すことはしないさ。でも、いまこの時点でボクは既に十数回は殺されたからね。その報復はしていくよ。問題ないよね?」
幾ら斬っても平然としている私に警戒心を引き上げたのか、騎士たちは攻撃を止め、わずかながらに私から距離をとる。丁度いい、この隙にこの寝所から退散するとしよう。
「皇帝陛下、また明晩に。もし気が変わったのなら、それまでに謝罪をするといい。まぁ、ボクとしては、明晩、ボクを殺すべく素晴らしくも盛大な歓迎を期待しているよ。では、ごきげんよう」
ボウ・アンド・スクレープをしつつ、【透明変化】で姿を消す。
さぁ、ここからが本番だ。殺られたからにはやり返させてもらうとも。なに、云った通り、私が直接殺すことはしないさ。やりようは幾らでもあるからね。もっとも、今宵は出来うる限り人死にがでないように苦心するつもりだ。
騎士たちの間をすり抜け、扉から堂々と廊下へとでる。
おっと【不可視】の指輪に交換しておかないと。ちまちまと【透明変化】を掛けながらの移動は面倒だ。
それと、手形をべたりと張り付けた羊皮紙をだして、扉にナイフで繋ぎとめておこう。もちろん、記されている文言は“お前をみている”だ。
ナイフは即興で物質変換でつくる。どこにでもあるような鉄製のナイフ。但し、柄頭に掌を模したレリーフの入ったナイフ。
よし。それじゃ、控えめに悪戯と窃盗をしていくとしよう。今夜は嫌がらせと、不明な喧嘩、それと幽霊騒ぎをメインとする予定だ。
さて、今宵はこれからたっぷりと楽しませてもらうとしよう。
感想、誤字報告ありがとうございます。