318 涙が出て来た
※今回から『表』に戻ります。
天井が高い。
目を開け、真っ先に目に入ったのは、どこかで見たような天井。木目模様の天井。
えーっと……どこだっけ?
ぼんやりする頭で記憶をあちこちひっくり返して――
私は飛び起きた。
辺りをあらためて見回す。見覚えのある場所。やたらと大きな作りの和室。大きな布団。
ここは大木さんの家だ。
劇場のトイレで襲撃されて――どうなった?
思い出せない!?
あ、あれ? ちょっと待って。あれ?
『やぁやぁ、目が覚めたね。今日は八月の十八日。ただ今の時刻は朝の七時半だ。気分はロクでもなさそうだね。頭の中がぐっちゃぐちゃみたいだし。
とりあえず目を瞑ってなんにも考えずに深呼吸をしなさい。まずは気持ちを落ち着けよう。混乱した頭で幾ら考えても、答えには辿り着けないよ』
すぱぁん! と、軽快な音を立てて襖を開けて、大木さんが入って来た。人に変化した姿ではなく、竜の姿だ。
人間、パニックに陥ると誰かに命令されたがるものだ、なんてことを聞いたことがある。現状の私がまさにそれだよ!
云われた通りに目を瞑り、深呼吸をする。頭を空っぽにして――って!
『大木さん。私だって一応はレディですよ。いきなりはいって来るのはいかがなものかと!』
『あっはっはっ。少しは調子を取り戻したかな。朝食を持って来るから、そのままちょっと待っておいで』
部屋から出ていく大木さんを見送りつつ、私はなんとなしにお腹に手を当てる。
示し合わせたように、ぐぅぅ、と鳴るお腹。いまひとつ自覚がないけれど、空腹であるには違いない。
あの後、なにがあったのかは不明だけれど、きっと大木さんがおしえてくれるだろう。
えーっと、十四日の午前中から記憶がなくて、いまは十八日の朝って云ってたよね。ということは、十四、十五、十六、十七と、丸四日分の記憶が無いのか。
指折り数え、がくりと私は俯いた。
あぁ……不安しかない。この四日間、なにがあったんだろ?
ぐぅぅ。
うぅ、気楽に騒がないでよ、私のお腹。
『お待たせ。普通の朝食にしてみたよ。洋食寄りってことになるのかな?』
大木さんがお盆を手に戻って来た。
突然、私の目の前に座卓がポンと現れ……いや、座卓じゃないな。
畳敷きの床がいつのまにかフローリングになり、私もただの敷布団からベッド
の上に。そのベッドも介護ベッドというんだっけ? そんな感じのものとなって、私の背を支えるように傾いている。
そしてベッドをまたぐような感じのキャスター付きのテーブル。
病院かな?
『え、えーっと、なんだか病人みたいなんですけれど』
『現状は似たようなものだよ。とりあえず、冷めないうちに食べなさい』
『……いただきます』
微妙に釈然としないまま、私はお箸を手に取る。
自覚がないけれど、お腹が空いているのは確かなようだし。
朝食はトーストにベーコンエッグ。付け合わせは人参とジャガイモのバターソテー。そしてコーンスープというメニューだ。
普通の洋食寄りの朝ごはんだ。日本にいた頃は、こんな感じの食事を毎日作っていたっけ。ディルガエアに来てからは、手に入れやすい玉子の関係上、オムレツしか作っていなかったからね。鶏卵が手に入るようになっても、そのまま惰性で朝はオムレツが基本だったし。
それじゃ、いただこう。
いただ――
あ、あれ?
私は眉根を寄せ、目をそばめる。
な、なんでだ? 凄い……気持ち悪い?
目の前の朝食を見つめる。
なんでだろ? 食べることにもの凄く抵抗がある。何が悪い?
パンは……大丈夫。コーンスープも問題ない。ベーコンエッグがダメ? なんで?
付け合わせの野菜も大丈夫だよね。玉子が原因? ううん、違う。ベーコンがダメだ。
あれ? なんで?
うぅ……気持ち悪い……。
『うーん……ダメみたいだね』
パン、と大木さんが手を叩いた。たちまちテーブルの上の朝食が消えた。
『それじゃ、こっちはどうだい?』
再度、大木さんが手を叩く。すると今度は和食寄りの朝食がテーブルの上に現れた。
ご飯と味噌汁。白菜のお新香。焼き魚にほうれん草の御浸しという献立だ。
うん。これなら変な嫌悪感もない。さっきのアレはなんだったんだろ?
『ふむ。魚は大丈夫みたいだね。肉と魚は別物、って認識しているのか。まぁ、僕もきっと似たようなものだろうけれど』
『なにが原因かわかっているんですか? 凄い気持ちが悪くなったんですけれど』
『うん。覚えていないか。これは彼女の云った通り、悪化しているということかな?』
『えーっと……』
『これまでは離人症みたいな症状になった状態で、彼女がやらかすのを見ていたんだろう?』
私は頷いた。
『彼女がいうには、キッカちゃんだけがいきなり意識を失ったことで、表に強制的に出されたそうだよ。これまではキッカちゃんの意識とほぼ同期していたと云っていたよ。もっとも、大半は眠っていたような状態だったそうだけど』
私はじっと大木さんを見つめた。でも、竜の姿の大木さんの表情は読み取れない。
『今回は、キッカちゃんの意識が完全に落ちてしまった結果、彼女が代わりに活動していた訳だけれど、その間のことがちょっと酷かったんだよ。
誘拐の首謀者は君を攫ったものの、君を三日間放置せざるを得なくなったんだよ。その三日間、君は軟禁された訳だけれど、出された食事が酷かったのさ』
いや、食事が酷かったからって、こんなことにはならないと思うんだけれど。
『ありゃ? まだ気付いてない? キッカちゃん、足を切断されたんだよ。で、それを食材とした料理が君に出されてたそうだよ。彼女曰く、暫くお肉は食べられないと云っていたよ』
は?
え、足?
……あ、ダメだコレ、頭が思考することを拒否してる。
足、足が無い? 嘘だぁ。うわ、マジだ。足がないよ!? 膝上辺りで切断されてる!?
布団をめくり、その事実に愕然とする。
あれ? なんで治してないんだ? 一応、回復魔法は掛けてあるみたいだけれど。
『あぁ、足を治していないのは、その方が有用だろうから、って云ってたよ。教会と冒険者組合を回って、帝国に圧力を掛けるように云ってきたからね。「すぐに治せるなら問題ないだろう」なんて云われたりしないように、治すのを見合わせてたみたいだね。そのおかげかどうかは分からないけれど、教会と組合を焚きつけることは至極うまくいったよ。
キッカちゃんの状況を聞いて、教皇が卒倒したのは予想外だったけれど』
え、大丈夫だったの? お年寄りって聞いてるけれど、水神教の教皇って。
『あぁ、大丈夫だよ。激怒し過ぎて脳の血管が逝っちゃったわけだけれど、僕が治したから。ついでに弱ってる部分を適度に改善しておいたから、寿命が伸びたんじゃないかな』
あぁ、それならよかった。というか、棚ぼたで長生きできるようになったのか。こっちの人類って、地球人よりも長生きできるはずだからね。だいたい七十前後くらいかな。いわゆるギネス級となると、百五十近くまで生きる人もいるけれど。
中世レベルの文明で七十まで生きられるって考えると、凄いことだと思うよ。地球だと五十くらいだったらしいからね。日本だと、還暦を祝ったりしているわけだし。六十が長寿ってことだったわけだからね。
『話を戻すけれど、その切断された足を食材にしたものを出されていたそうだよ。もちろん、食べなかったと云っていたよ。
で、その場で三日様子を見た後にえげつない仕返しをして、帝都で教会と組合を焚きつけて、いまここにいるわけだ。
あ、キッカちゃんを誘拐したのは、八公家のひとつ、エルツベルガー家の次男坊だ。次男坊と云っても年寄りに足を突っ込んでいるけれどね。
あ、八公家っていうのは、分かりやすくいえば皇族だよ』
……なんでそんな人に目をつけられるのよ。というか、接点なんて全然ないよね?
『誘拐の動機はオートマトン。この男はオートマトンの研究者でね。ダンジョンの魔物として徘徊しているオートマトンの残骸を掻き集めてオートマトンを一体作り上げたんだけれど、重量問題から多足となったんだよ。で、その制御がまるでできていない』
私は顔を引き攣らせた。オートマトン、多足、というと、アウクシリアが真っ先に思い浮かぶ。
『キッカちゃんの多足オートマトンのことを知って、今回の凶行にでたみたいだよ。以前に忍び込んで盗み出すことに失敗したみたいだね。
あぁ、凶行に及ぶ後押しをしたのは、昨年、ナナトゥーラの学者が機械人形のことで先を行く研究発表を学会でしたからだよ。ちなみに、その発表自体は代理人がしたわけだけれど、その研究者っていうのが、ナナトゥーラで召喚された異世界人ね。召喚器は煩いからって、その異世界人が封印していたらしいよ。いまはもう、教会が回収してアレカンドラさんの手に渡ってるよ』
どういう原因よ……。これ、誰が一番ダメなの? いや、一番はそのエルツベルガーとかいう短絡過ぎる馬鹿だろうけれどさ。原因となると私? それとも研究を発表した学者? いや、どっちも悪くないよね。
あ、なんだろ、涙が出て来た。
『一応、帝国には牽制をして来たわけだけれど、面倒なことになるかもしれないね。その場合、彼女は別の大陸にでも渡って隠居するとか云ってたけれど』
『あー、それもいいかもしれませんねぇ。私としては、大物ダンジョンを頑張って制覇して、最下層で生活しようとか思いますけれど』
『そうするかい? そうするなら、ちゃんとした空間を作っておくよ』
『それは帝国が馬鹿なことを云ってきたらにしますよ。それに、引っ越すにしても、その前にやるだけのことはやってからにします』
私がそういうと、大木さんは首を傾げた。
『なにをするんだい?』
『決まっているじゃないですか』
深山の人間は基本的に過激なんだ。直接手を出すことが滅多にないだけで。
『帝国を亡ぼします』
皇族……公家の人間がみんないなくなれば、帝国は瓦解するよね。お家騒動と云うか、皇帝の座を求めて貴族連中が争うだろうし。内戦に発展してくれればいい。そこかしこでいろいろ焚きつけなくちゃならないなら、その手の事に手慣れていそうな人を雇えばいいさ。
アンラにはその手のプロがわんさといるし。
暗殺の方は、片っ端から皇族に【死の宣告】をして回れば、勝手にみんな死んでくれるよ。
そんなことを考えながら、私は朝食に手を付け始めたのでした。
……うん、お魚は食べられる。よかった。
感想、誤字報告ありがとうございます。