311 かくして、私は誘拐された
※キッカ(裏?)視点となります。
油断をしているつもりはなかった。だが、現状のこの有様では、私は油断をしていたのだろう。正確には『あっち』が油断をしていたわけだが、どちらも私だ。
そもそも危険とみなしていたものを、【陽神教】という烏合の衆だけだと考えていたのが間違いだったのだ。
……私だぞ。これまでも散々な目にあって来たのだ。なぜ自分の不運を侮ったのか。
まぁ、いまさら悔やんだところで意味はない。
しかし、こうも直接的な方法を用いられて、こんなあっさりと誘拐されるとは。大概のことは回避できるだろうと踏んでいたのだが、まだまだ甘さ……いや、認識の足りなさがあったということか。
今回の失態の原因は、自身の不運を侮ったことというよりも、この世界の科学力を侮っていたところが大きいと云える。そしてそれとは別だが、ダンジョン産のアイテムのことも。
まさか、催涙ガスと云えるものを実用レベルで使われるとは思ってもいなかった。ガスを作ることはできるだろう。でも、それを即時に噴出させると云うような技術はないと思っていたんだよ。
霧吹き? そんなものなら問題なく回避できる。今回は、工夫に負けたというところか。まったくもって、我ながら間抜けなものだ。
まぁ、いまさらか。
それにしても、催涙ガスによる対象の無力化というのは、体験して初めて思い知ったところだ。本当に酷い。魔法をつかうとか、そういう行動を即時起こせる状況ではなくなる。軽い混乱状態に強制的に陥らされたようなものだ。
そこを押さえつけられ、この有様というわけだ。
はぁ……やれやれ。
今日は――恐らくは十八日。芸術祭では参加しなくてはならないイベントもあることだし、そろそろ戻らなくては。
さて、どうしてくれよう。
私の“脚”は高くつくぞ。
☆ ★ ☆
八月の十四日。芸術祭まで間近となったこの日、私はアレクサンドラ様よりお誘いを受けた。
イリアルテ家は久々に招待を受けているパーティも無かったわけだが、各々やるべきこともあって、私はひとり。なので、アレクサンドラ様と出掛けることにした。
尚、侯爵家の方々だが、バレリオ様は王宮にて、ダンジョン周りの開拓事業の人事の検討。
エメリナ様は冒険者食堂と甘味処の方を回っている。特に甘味処【エマのお菓子屋さん】のほうの、祭り中のイベントを決める会議を行うのだそうだ。リスリお嬢様もエメリナ様に同行している。いずれイリアルテ家の飲食業を取り仕切ることになるとのことだから、その勉強の一環だろう。
ダリオ様は王宮よりの呼び出しで出掛けている。アキレス王太子の補佐をしているようだ。昨年、アキレス王太子は吸血鬼騒動の対処をしていたが、今年もなにか問題が起きているのだろうか? 現状、私の知るところの問題は【陽神教】関連だが、それは国というよりは教会の領分だろう。
最後にセシリオ様だが、セシリオ様はエステラ様と一緒にアルカラス家の宝飾品店へと行っている。職人たちと仲良くなることが目的だそうだ。職人は癖のある者が多いからな。彼らを扱う立場となるわけだから、早めに慣れておいた方がいいのは確かだ。
イネス様? イネス様は頻繁に王都邸に滞在しているが、王弟殿下に嫁いだ身だ。ここ数日はイリアルテ家では姿を見ていない。
あれはすっかり失念しているようだが、王弟殿下が公爵家を興し、例のダンジョン含めた地域を領地とする。というのが、現状では一番現実的な案なのでないか? 問題があるとすれば、クリストバル様が了承するか否かではあるが、農業関連に関しては農研でなくとも研究はできるだろうし、なによりダンジョン管理に関しては、イネス様が熟知しているだろう。なんのかんので、あの方はイリアルテ家の人間なのだから。
さて、せっかくのアレクサンドラ様からのお誘いだ。もちろん受ける。私が誘導せずとも、あれはきちんと誘いを受けた。まぁ、受けない理由がないな。
向かう先は劇場だ。
なんでも、芸術祭直前に駆け込み気味で上演される舞台の中には、まさに傑作といえるようなものが高確率で紛れ込むのだそうだ。
ディルガエアでは文化振興のために、芸術祭において【英雄たちの物語】の上演権を賭けて競わせている。上演権を得た劇団は、向こう一年、王都での上演権を手に入れることができる。これは、王家所有の劇場を一年間無料で使用できる権利である。当然、国内外から集った劇団が鎬を削るわけだ。
もっとも、実利ではなく、本当の意味で芸術の高みを目指している劇団はアンラ王都での上演を目指すわけだが。とはいえ、芸術性を求めた劇団の演目は、残念なことに大抵は面白味に欠けるため、批評家たちの評価は高くとも、大衆にはまったく受けないというジレンマを抱えているのが大半だ。
ここディルガエア王都で年間上演権を手に入れることのできる劇団はひとつのみ、落選した劇団は涙をのむことになるわけだが、だからといってすごすごと王都を後にするわけではない。
この芸術祭直前の数日は、ぽっかりと劇場のスケジュールがよく空く。劇団と劇場との契約は、一定期間まとめての契約が基本である。そしてどこの劇場も、芸術祭の一日目から新規演目を上演する。
こういったスケジュールを組むのは、素人の私でも気持ちがわかるというものだ。
その結果、芸術祭直前はどこの劇場もぽっかりと演目のスケジュールが空くところが多い。その空いた期間に劇場内の徹底した整備、清掃を行ったとしても、それでも空いた期間は数日できる。
そんな数日を狙って、落選した劇団が超短期での上演を行うのだ。
一流どころの劇団が上演する、いわば期間限定の突発舞台。
アレクサンドラ様曰く、これが非常に面白いのだそうだ。演目もそうだが、当たり外れの激しさも楽しみのひとつとなのだとか。
「即席の舞台ですから、舞台上の演出など一切ない、演者の演技、話者の技量のみの舞台です。劇団の実力というものがはっきりとわかります。よいものを演じた劇団には、支援をしてもよいですしね」
アレクサンドラ様は実に楽しそうだ。
こっちの世界の舞台は、弾き語りに演技がついたような感じのモノが主流だ。だから、私が演劇と聞いて思い浮かべるものとは少し違う。なんといえばいいのだろう。大人しいオペラ、ミュージカル? いや、昔の映画、といったほうがいいか。活弁士付きの無声映画といった方が近いだろう。
アレクサンドラ様の云った話者というのが、活弁士との認識で問題ない。
そしてこちらの舞台にはもうひとつ特徴がある。
簡単にいうとゴシップだ。
基本的に舞台は事実、史実に基づいたものが演じられている。故に、歴史的な大きな出来事が舞台として演じられているのだ。
そしてそれとは別に、小さな出来事。有名人などの“やらかし”、いわゆるスキャンダルなども舞台化されたりしている。
いうなれば、一種の情報伝達手段となっているのだ。もっとも貴族を題材にしたものとなると、不敬罪だのなんだのと面倒なことになるので、立場や名前をちょこっとだけ変更したものが演じられることになるが。
本日アレクサンドラ様に誘われて見に行く舞台も、そういった類のものだ。
アレクサンドラ様の話によると、どこぞの貴族の令息がやらかした話とのこと。
「真実の愛を見つけたとかなんとか宣って、婚約を破棄した馬鹿な子爵令息がいたんです」
馬車で劇場へと向かう途中、アレクサンドラ様は楽しそうに話している。しっかりと煉瓦で整えられた王都の街路は、馬車の揺れを大分抑えてくれる。まぁ、それでもガタゴトと、慣れなくてはお尻が痛くなるのだが。
「こともあろうに婚約破棄を言い渡した相手が伯爵令嬢でして」
その令息は馬鹿じゃないだろうか。きっと、それの父親である子爵は頭を抱えるどころか、破滅を覚悟したはずだ。
「さらには、婚約破棄を宣言したのが、その伯爵令嬢との婚約パーティで、婚約発表をした直後なんです」
その令息は命がいらないのだろうか?
下級貴族が上級貴族を殴りつけるレベルでの侮辱をしてただで済むはずがない。それに多くの人の面前での婚約破棄などすれば、令嬢は完全に瑕もの扱いとなり、嫁の行く先がまずなくなる。そんな事態を引き起こされ、伯爵が黙っているわけがない。
大事といっていい出来事だ。当然、その手の話はパーティでの話題などにも上るだろうから、アレクサンドラ様も詳細を知っていたのだろう。
で、それが舞台化されたので、観に行こう、というわけだ。
件の子爵令息はこの事態をどう思っているのか? 想像するだけでもニヤリとしたくなるというものだ。
もちろん舞台化に伴い、多少の脚色が成されているとのこと。その事件をそのままに再現すると――いろいろと洒落にならないことがあったらしい。
「この出来事がどう演出されているのか気になるんですよ。まったく同じにすると、さすがに笑えない話になりますからね」
「どういうことです?」
「婚約破棄を宣言すると云うことは、原因となる浮気相手がいるわけです」
「そうですね」
「浮気相手、いませんでした」
「……は!?」
「その令息の思い込みだったんですよ。自分たちは愛し合っている! と、勝手に思い込んでいたという」
「えーっと、その浮気相手とされた女性はとばっちりだったんじゃ?」
ただじゃ済まない事態だと思うのだが?
「その辺りはしっかりと調査されて、単なる被害者と判明したと聞いています」
「……その子爵令息は心の病にでも罹っていたんですか?」
さすがに貴族としての自覚云々以前の問題だ。
アレクサンドラ様は俯き顔を背け、小刻みに肩を振るわせている。
「や……病……た、確かに……病気ですね……」
笑いが堪え切れていない。その令息はなにをやらかしたのか。
まさか、公衆の面前で、いわゆるロミオメールと称されるような内容の事を宣ったりしたのか?
いまだ肩を震わせているアレクサンドラ様を見る。
深紅のドレスに、私……いや、あれが作った例の大きなリボンのバレッタを身に着けた彼女は、非常に華やかだ。
ふむ。この様子から察っするに、似たようなことをやらかしたのだろう。なるほど、とすると、アレクサンドラ様が楽しみにしているのも頷ける。
恐らくは、オリジナルの方の言葉をアレクサンドラ様は知っているに違いない。それが舞台でどう味付けされているのか、俄然、興味が湧くというものだ。
こちらの舞台では、いわゆるコメディーと云えるような話はまずないが、恐らくはそれに近いものに仕上がっているのかもしれない。
うん。観るのが楽しみだ。
そう。楽しみだったのだ。珍しく。まやかしの感情に振り回されているあれも、私も。だが私はその舞台を観ることは叶わなかった。
誘拐されてしまったからな。
生まれて初めて、完全に成功した形で誘拐された。いや、この世界に召喚されたことを誘拐とするならば、これは二度目となるのか。
いや、そんなことはどうでもいい。
連中の手口は鮮やかとはとても云い難かった。だが、周到ではあった。魔道具頼りの誘拐劇ではあったが。
現状、私が孤立する状況というのは、用を足すときだけだ。
トイレの間取りは、こちらの世界ももといた世界とさほど変わらない。個室がいくつも並んでいる、というほどではないが。また、その個室が無闇に広くも感じられはするが。
これは貴族の服装事情からきた作りなのだろうか?
私の護衛はリリィ。もちろんリビングメイルも一緒だが、さすがにトイレにまで一緒には入ってこない。リリィはともかくも、リビングメイルが入ろうものなら騒ぎになると云うものだ。
用を足し終え、個室から出たところで異変に気が付いた。
急激にたちこめる蒸気、そして異常な刺激臭。簡単に云うと、ワサビの鼻に来るあの刺激を数十倍にしたような感じだ。
目はゴーグルで守られていたが、さすがに鼻はそうではない。一呼吸しただけでむせ返り、咳き込み、涙が溢れ、鼻水が流れ出すと云う酷い有様だ。
そんなことをしても無駄だと分かっていても、口元を押さえて、なかば蹲るのはなぜだろうか?
被害状況が私にまで届いていない以上、私は呑気なものだ。だが、周囲を確認することができない。
こんな形のテロじみたことを出来るとは、この世界の科学も侮れないといえる。少なくとも、魔法ではないハズだ。こちらの魔法使いは、いかにして破壊力をあげるかに心血を注いでおり、基本的に役に立たない連中だ。
故に、国は連中を雇う形で、周囲に被害をもたらさないように隔離しているのだから。
咳き込み、えずいていると急に何者かに取り押さえられた。逃れようとしても、周囲をまともに知覚できない以上、まともな抵抗などできやしない。
魔法? それこそ集中できない以上、発動させることなんでできやしない。
逃れようともがいている中、不意にくらりとした眩暈を覚えた。
前のめりに倒れそうになる。
目の前、即ち足元にピンク色に淡く光る紋様の羅列が見えたような気がし、直後、全てが暗転した。
その時、私が思っていたことはただひとつだけだった。
畜生、どさくさに紛れて人の胸を鷲掴みしやがって! ――と。
かくして、私は誘拐された。
感想、誤字報告ありがとうございます。
※冒頭の“脚”に関するところまで進まなかったよ。
※前回登場したチリアーコですが、教団のトップではありません。【女神の盾】の表向きの代表者となります。勇神教時代は金で主教の位を買った小物。オーキナートの神罰の結果、彼の中のいろいろなモノが完膚なきまでに破壊され、神に縋りつくレベルで、無信心であった彼に信仰心が生まれています。一度死にかけた人物が突然宗教に目覚めたような状態が現在の彼の状態です。




