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310 封印された薬壜


 目の前に座る男を見つめる。


 歳の程は三十くらいであろうか。精悍な顔つきの、灰色の瞳の男。瞳の色同様、灰色の髪を短く切り揃えたこの男を、私は知っている。話に聞いたことがある。


 【冷徹なるファウスト】などと呼ばれている、地神教軍犬隊隊長その人だ。


 軍犬隊隊長直々の尋問とは、また私もえらくなったものだ。


 軍犬隊。【母神アレカンドラと属する六神に仕えし軍犬隊】は、位階こそ修道士という扱いではあるが、その隊長の権限は大主教に匹敵する。実務面、こと荒事に関しては最上位といえよう。


 小さく、狭い部屋。


 この部屋で、粗末なテーブルを挟んで差し向いに座り、既に数分。


 彼は一言もしゃべらず、無表情のまま身じろぎもせず、私をじっと見つめている。


 いったい、なにを考えているのか。


 彼の後ろ。出入り口のところに立っている軍犬隊のふたりも、無表情で、なにを考えているのかなど伺い知る事はできない。


 やがてテーブルの上で組んでいた手を解き、彼はおもむろに口を開いた。


「ふむ。どうやら問題はないようだ。洗脳されている、ということもなさそうだし、昨年出回り、消費されたとして回収不能になった例のワインの影響もないように思える」


 私は眉をひそめた。


「どういうことかな?」

「なに。これはあなたに対する最後の敬意のようなものだ。元勇神教主教チリアーコ殿。我々は【陽神教】などという教団を【七神教】のひとつとは認めてはいない。母神アレカンドラ様に我々が直接仕えるなど、不敬でしかない。我々は六神に並びし者ではないのだ。単なる矮小な、一生物でしかない。もちろんそのことは、主教であった貴方も理解している筈だ」


 私は口元を引き攣らせた。


 蛇に睨まれた蛙は、まさにいまの私のような気持ちなのだろう。


 勇神教の軍犬隊は堕落していたが、ここ地神教はまったくの別物だ。女神ディルルルナはことあるごとに神罰を降していると聞くが、事実、そうなのであろう。でなければ、軍犬隊がここまで仕事熱心であるハズが無い。


 彼らを買収しようとした、恐らくは【恵みの光】に所属しているだろう若者が殴り倒されていた。その上で、汚物でも見るような目で見られていた。


「さて、我々は貴方の属する組織に関し、多くの情報を集めて来た。だが、ここに来てこちらの想像以上に酷い有様であることが知れた。単なる烏合の衆であることは分かっていたが、まさかそのことを認識できていない程とは思いもしなかった。というのが正直な感想だ」


 まったく表情を変えず、さした抑揚も無い淡々とした口調で彼が話す。


「我々の訊きたいことはひとつだ。あなた方が殺害しようとしている人物。その全てと、それを実現するための計画の全てだ」


 私はたじろいだ。


 殺害? まさか、そんな物騒なことをなぜ我々が――


 ハッ!


 そういえば、あの娘が云っていた。我々が、神を亡ぼそうとしていると。


「ま、待て、待ってくれ。私たちは知らない! 少なくとも、私の属する【女神の盾】では、そんな物騒なことは計画などされていない!」

「神子様より知らされた情報だ。彼女は嘘をつかない。隠し事はするが、嘘は絶対にね。神子様曰く『嘘は絶対に露見する』のだそうだ。そして事実、神子様の云うように【神】があなた方に対し、わざわざ出向いて神罰を降して回った。

 こうしてここに逃げ込んできたのは、それが原因だからだろう?」

「な……あの男が、あんなひょろりとした男が神だというのか!?」

「そんなもの、仮の姿に決まっているだろう。神々が降臨できる場所など限られているのだ。いま地上を闊歩しているのは【神】の化身であろう」


 言葉を切り、彼がその冷たい目で私を見つめる。


「さて、お聞かせ願いましょうか、チリアーコ殿。彼の神は、自らと、神子様に仇なす者を排除すべく活動なされている。当然、我々には止められない。止めようがない。神子様であれば、止めてくれるよう進言してくれるやもしれん。だが、それはないだろう。なぜならあなた方は、神子様をも殺そうとしているのだし」

「だから、そのようなことは計画などしていない!」


 私はテーブルを叩いて立ち上がった。


 神を殺す? そんな恐ろしいことができてたまるものか!


「ふむ。だがあなたは神など信じてはいなかったのではないかね? そして、居心地の良かった勇神教を分裂せしめた神子様を疎ましく思った。

 我々七神教は彼女を神子認定している。彼女に対しては申し訳ないが、それが教会の決定だ。彼女自身は、自らを神子であると云ったことはないのだがね」


 なん……だと?


「神子ではないだと?」

「彼女はそう云っている。少なくとも、七神いずれの神子ではないとね。七神のすべてより加護を戴いているというのにだ」


 私は呆然と彼、ファウストを見つめていた。これだけ私が声を荒げようとも、眉ひとつ動かさず、静かに座り、私を見据えている彼の姿を。


「座り給え、チリアーコ殿。人の話は静かに黙って聞くものだ。そうだろう? 自身の説法を聞かずに騒ぐ輩に対し、貴方はそう諭してきたはずだ。違うかね?」


 まったくもって返す言葉もない。まさにその通りだ。人の話を聞かずに騒ぐ若造に対し、拳を用いて諭してきたのは事実だ。勇神教ではそれがまかり通っていた。

 故に、この地神教の説法の現場を見て驚いたものだ。


「彼女は七神教の神子ではないと自称している。だが、教会は彼女を神子認定している。貴方方はそこに目をつけた」

「どういうことかね?」


 私は問い返した。


「どこの者とも知れぬ者を神子とし優遇する愚か者共。神子を詐称するペテン師。そのようなことを吹聴し、教会と彼女の名声を貶めた。特に彼女に関しては、まさか近衛の鎧の本当の制作者として、ホルガー・グスキの名を持ち出してくるとは、まったくもってお笑い草だ。国王陛下の立会いの下、あの男こそがペテン師であると判明しているのだがな」

「なんの話を――」

「世を乱すものとして、彼女を排除するのだろう? 彼女を魔王の尖兵に仕立て上げ、それを殺すことで名声を得ようとしているのではないのかね? そしてそのために、古代神であるオーキナート神を魔王であるなどと吹聴しているのではないのかね?」

「なにを馬鹿な!」

「ほう。ならばなぜオーキナート神が御自ら化身を顕現させ、神罰を降して回ったのだろうな?」


 ファウストの言葉に私は愕然とした。


 なんだと? あのふざけた男が神だと云うのか?


「金髪痩躯の飄々とした、白を基調とした服装の優男」


 なぜ知っている!?


 我々の本拠に現れ、瞬く間に魔法で全てを破壊し、我々に恐怖を植え付けた男。教会でも、冒険者組合でも販売されてはいない、だが、神子と呼ばれる少女であれば扱えるという魔法を駆使して暴れた男。あれが神だと云うのか!?


 そういえば、あの男は云っていた。


『やぁやぁ。君たちの期待に応えるべく、力を振るいに来たよ! 存分に堪能してくれ給え。でなければ、僕を殺しに来る理由がないだろうからね。もっとも、どれだけそれだけの気概のある者がいるのか、疑問だねぇ』


 身が震える。


 あれを殺す? あれと戦う? 冗談じゃない。あんなモノに勝てるわけがないだろう。アレはケタケタと嗤い、ただふざけて遊んでいただけだった。


「ふむ。神子様より聞いていた通りのようだ。あなた方が恥知らずにも助けを求めて教会へとなだれ込む原因は、オーキナート神のようだ。

 彼の神はこう仰ったそうだぞ。『連中は魔王を所望だ。ならば魔王をやってあげようじゃないか』と。一言一句間違いないのかどうかは分からないが、概ね、こんなことを神子様に宣言したとのことだ」


 私はファウストから目を逸らした。


「我々が掴んでいることを云おうか。貴方の属する【女神の盾】は【陽神教】教団の実働部隊だ。もっとも、貴方の様子をみるに、構成員全てが暗殺要員、破壊工作員というわけでもないようだが。【女神の剣】が教団のために金を集め、名声を高める活動を行い、【恵みの光】が信者を集めつつ流言を広め、虚偽を真実とすり替える」


 私は顔を引き攣らせた。


 【女神の盾】のメンバーの全てを私は知らない。私が代表者であると云うのにだ。全てを把握しているのは【陽神教】の教祖、そう、教皇ではなく教祖であるオリンピオとその側近たちくらいだろう。

 集めた信者の組織への振り分けは、彼らが行っているのだ。私の知らぬうちに、構成員が増えることは茶飯事だった。組織としては本当に酷い有様といえる。


「実を云うと、我々も困っていたのだよ。貴方たちが崇めるアレカンドラ様は、我々の崇めるアレカンドラ様とはまったくの別の神だ。だが、同名である以上、我々はそれを排除できない。貴方たちは七神教の信者ではないが“アレカンドラ様の信者である”と云っている以上、排除できない、するわけにはいかないのだよ。不遜にして、実に上手いやり方だよ」

「馬鹿な。そんなことであれば、我々全てにアレカンドラ様より神罰が落ちているだろう。礼拝堂にすら入ること叶わなかったはずだ」


 私が反論すると、ファウストがジロリと私を睨んだ。ここにきて初めて見せる彼の感情に、私は怖じ気づいた。


「そのことについては神子様より確認を取っている。最悪の話を聞かされたよ。神々はこのことにまったくの無関心なのだそうだ。そして、方針も既に決まっているとのことだ」


 声色に怒気が滲み出している。私は口元をぴくぴくと引き攣らせながら、ただ彼の言葉を聞いているしかできない。


「オーキナート神がなぜ適当な人物を神へと昇神させ姿を消したのか、貴方は知っているかね?」


 私は首を振った。


 そもそも、古代神などというものが存在していたことさえ、私は知らなかったのだ。オリンピオに聞かされるまで。もっともオリンピオは、彼の神を邪神と罵り、アレカンドラ様の御力を以て亡ぼすのだと息まいていたが。


「我らの祖先が愚かな真似をしたのだよ。簡単にいうと『我らの願いを叶えぬ神など、神に非ず』と決めつけ、敵対したのだ」


 は?


「オーキナート神は呆れ果て、ならば、その通りにしてやろうと、祖先の望みどおりに邪神として暫し振る舞い、姿を消したのだ。神としての責務を当時の人間の指導者のひとりに押し付けてな。

 今代の神々、アレカンドラ様もそれに倣うと決めているのだそうだ。我々が望むのであれば、喜んで姿を消すだろうと、神子様は仰っておられたよ。

 さて、【陽神教】は【女神の盾】のチリアーコ殿。貴方たちは何をしたいのかね? 【勇神教】内で気にくわないことがあったというだけで教会を離れた。テスカカカ神への信仰はどうしたのかね? よくもあっさりと神への信仰を棄てることができたものだ。私には本当に理解し兼ねる」


 ファウストはひとつ大きく息をつくと、あらためて私を睨めつけた。


「チリアーコ殿、私としては自主的に話してもらいたいのだよ。神々を排除するために、どんな手段を準備しているのかを。誰を貶め、誰を殺し、誰を台頭させようとしているのかを」


 私は慌てた。


「ま、待て。待ってくれ。知らない! 私は本当に知らないんだ!」

「それを信じるとでも?」


 手を組んだまま、さらりと彼が云う。


「信じてくれ!」


 ファウストは笑みを浮かべた。


「チリアーコ殿、それは無理だ」


 そういい、懐から取り出した小瓶をテーブルの真ん中に置いた。


「これは貴重な物でね。できれば使いたくなかったのだが、まぁ、致し方ない」

「な、なんだそれは……」


 いつの間にか扉の両脇で番をしていたふたりが私の両隣に移動していた。そしておもむろに私の腕を掴み、拘束する。


「ま、待て、止めろ。私は本当に知らないんだ!」

「確かに、そうかもしれない。でも、知らないと思い込んでいるだけかもしれないだろう? 耳にしていながらも、取るに足らないことだと思い込んでいるかもしれない」


 鉛の封印を解き、硝子栓を抜く。


「それはなんだ!? やめ――」

「なに、心配は要らない。少しばかり、舌を滑らかにしてくれる薬だ」


 壜が口に押し込まれ、私の意識はそこで途切れた。


 ★ ☆ ★


 ファウストは部屋から出るとため息をついた。烏合の衆とは聞いていたが、よくも組織として成り立っていると感心するレベルだ。


 指導者であるオリンピオは、勇神教の大主教であった人物だ。その位階にまでなった人物が、あっさりと信仰を捨てているという事実が、ファウストにはまったくもって理解しがたいことであった。


 芸術祭初日。連中はこの王都に集まるようだ。ただの集会であるのならば、さほど問題はないだろう。だが――


「ただの集会であるわけがないな」

「隊長、チリアーコはどうしますか?」

「部屋に戻しておけ。後程、ベリンダ殿がじっくりと説法をなさるそうだ。信仰を取り戻させてみせると、はりきっていたよ」


 微かに笑みを見せるファウストとは裏腹に、部下の軍犬隊隊員は顔を引き攣らせていた。


 教会の催眠術師などという、残念な異名を持つベリンダ主教。彼女の非常にゆったりとした独特のペースの説法は、やたらと眠気を誘うのだ。だが下手に居眠りをしようものなら、引き起こされて、説法はまた最初からとなるのだ。


 下手をすると、ベリンダ主教の時間の許す限り延々とそれが続くことになるのである。


「隊長、あの薬にはなにも問題はないのですか?飲んだ途端、我々が何者であるのかも認識できていなかったようですが」

「あれはそういう薬だ。だからぺらぺらと話してくれただろう? おかげで、連中が芸術祭の最中になにかをしでかす計画していることは知れた。重点的に気を付ける場所は、ここ地神教会と王宮になるだろう」

「王宮もですか?」

「あぁ、そうだ」


 ファウストは答えると、手の中の空になった壜を見つめた。


「なにせ、今年もアレカンドラ様の肖像画が公開されるからな。連中、確実に燃やしに来るだろうよ。なに、背信者共の好きにはさせんよ」

「えぇ、もちろんですとも」


 部下の力強い答えに、ファウストはニヤリとした笑みを浮かべた。


感想、誤字報告ありがとうございます。


※使われた薬は、大分前にキッカが提供した自白剤です。軍犬隊の隊員さんはその効果にドン引きした模様。

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[気になる点] 虚実はその一語で 「虚構と事実」を意味します
[良い点] 更新してくれたこと [気になる点] なんか、聞き分けが良すぎますね、この人 狂信者集団のトップなら、まったく話が通じないのかと 噛み合わない話を期待していたので
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