300 天罰覿面待ったなし
八月の六日となりました。
いろいろと不穏な話もあるものの、少なくとも現状、私の周囲は平穏ですよ。
……まさに【嵐の前の静けさ】なんじゃね? とか思うけれど。
いや、リリィにちょこちょこ『不運』って云われてねぇ。不運なのは私のデフォルトだから、いつものことと気にしていなかったんだけれど、さすがにああも云われると思うところがあって、こっちに来てからの事を思い返したのよ。
……自業自得で私が酷い目にあったのって、一回だけしかなかったよ。多分。やらかしたのは、リンクスの恰好でうっかりクラリスに喧嘩を売っちゃったことだけ。
ん? 他にもやらかしてるだろうって? いや、他は逃げようと思えば逃げることのできる算段はあったんだよ。大木さんから貰った転移指環もあるし。いや、あれほんとチートだよ。逃げるという点では。神様謹製だから、あの術式を阻害する方法なんて巷には存在しないし。
他は本当に巻き込まれ的なものだよ。アンラの暗殺者が送り込まれた動機だって、私が存在しているからだ、みたいなもんだし。そんなもんどうにかできるかってんだ。
ん? 急に己を顧みてなにごとだよって?
いや、お昼前に来客があってね。
大木さんが、あののほほんとした調子の金髪青年の姿でやって来てさ、こんなことをいいだしたんだよ。
『ちょっと魔王をやることにしたから』
いやぁ、目が点になるって、こういうことをいうんだろうね。絶句と云い換えてもいいか。
おまけに日本語だし。これは盗み聞き対策だろうなぁ。こっちの人は日本語を理解できないのは元より、はっきり聞き取れないと云うか、きちんと聞き取れていないみたいなんだよね。
大木直人→オーキナートってなっているみたいに。ちなみに、私の姓の深山だけれど、こっちの発音だとミャーマって感じになるしね。
私はちゃんとミヤマって云ってるんだけれどなぁ。不思議だ。
で、大木さんのその言を聞いて、まぁ、ちょっとばかり慌てたよ。
『え、なにごとです?』
『【陽神教】を名乗ってる連中の一派閥が、僕を利用しようとしていてね。ならば、それに乗ってあげようということさ。どうやら僕は魔王らしいよ。
なに、自分たちで勝手に担ぎ出したんだ。だが、なにかしらを利用するには正当な対価が必要なものだろう。しかも今回のこれは僕に全くの無断で、僕の命を付け狙おう、狙わせようって算段さ。ならば、全力でお相手してあげるのが礼儀ってものだろう? 曰く、魔王は非常に残忍らしいから、徹底するつもりだよ。あ、大丈夫。命は取らないから』
うわぁ……。連中、なにをしてやがりますかね。
『で、今日来たのは、忠告と云うか、警告と云うかね。連中、キッカちゃんが僕の神子だって吹聴しているんだよ』
『は?』
『だから、君を暗殺しようとする輩が出てくる可能性がある。もっとも、暗殺者が行うようなものではなく、通り魔的なものだろうとは思うけれど。注意してね』
ふ……ふふ……。
私は顔を右掌でべたりと覆い微かに俯いた。
フラグか、リリィが不運不運と云っていたのがフラグか!?
もう、皆殺しにしちゃってもいいんじゃないかな? そんな連中。そうしたらきっと安全になるしね。
……我ながら物騒な思考が浮かぶ。
いや、向こうで虐げられた時からこんな感じの思考はあったけれど、あの時は絶対に不可能だから、夢物語的な気分だったんだよ。でもいまだと実現は容易いんだよね。魔法も使えるし、スケさんたちもいるし。もちろん、ビーやボーも。おかげで、この考えがもの凄く身近で、現実感を持ったものに感じるよ。
多分、これまでに何人か人を殺したせいで、倫理観の枷だか箍だかが緩んだか外れたかしたんだろうね。もともと緩めてあったみたいだし。
あぁ、もうひとりというか、あっちがやらかしてたのも見てたしなぁ。
なんだろう。もの凄くいい案に思えてきたよ。【道標】さんで、連中の居場所なんてすぐに知れるし、順繰りに回って暗殺して、ひとり残らず始末すれば、私は平穏無事に暮らせるんじゃないかな?
『キッカちゃん、帰っておいで。なんだか物騒なことを考えてそうな顔だけれど、汚れ仕事は僕がやるよ』
へ?
目を瞬く。ぼんやりとしていた視界がしっかりと焦点を結び、大木さんの顔をみつめる。
『前に云ったろう? 『僕も君の保護者枠に入ろう』って。僕は教師に絶望した出来損ないの教師だったけれど、君ひとりを庇護するくらいの甲斐性は持ち合わせているつもりだよ。なに、連中は魔王を御所望なんだ。僕が乗り込んで行って暴れたところで、本望だろうさ』
ちょ、凄く怖いんですけど! 神様は怒らせてはいけないというのが如実にわかるね。連中はなにを考えているのか。……考えてないんだろうなぁ。根拠のない自信……いや、違うな。単に傲慢なだけだ。
私を勧誘してきた宗教狂いの同級生を思い出す。あのあと、お兄ちゃんが介入したらしいけれど、すごい激怒してたしね。詳細を教えてもらえなかったけれど、あまりに気になったからコソコソとお兄ちゃんのもってた資料と云うか、メモ書きを集めて推測したところ、なんというか、私、性欲処理の道具として勧誘されたみたいなんだよね。
教団のお偉方の慰み者要員。殺害可、みたいな。
ん? そっちはどうなったのかって? 私を勧誘してたその同級生が私にやらせようとしていたことをやることになって、その教団も、しばらくして某組に吸収されて、資金稼ぎのための組織に成り下がったらしいよ。さすがにお兄ちゃんも宗教団体を潰すのは難しかったみたいだ。いや、実質潰してるけれど。
今にして思うと、お兄ちゃんはどんなコネを持っていたんだ? 我が兄ながら恐ろしいな。
『どうしたんだい? 急にニヤニヤしはじめて』
『いえ、私の想いは間違っていなかったと再認識しまして』
『とてつもなく不穏な気がするのは気のせいかな?』
『ある意味あっていると思います』
『……やっぱり君はひとりにしちゃダメだ』
えぇ……。いや、女神さま方や、リスリお嬢様と一緒にいるのは楽しいけれどさ。
『とにかくだ。狂信者が来るかも知れないから気を付けてね』
『自衛だけでいいですか?』
『僕もひさしぶりに保護者の真似事をしてみたいからね』
うわぁお。【陽神教】の連中はご愁傷さまだよ。大木さんの名前を利用しようとするから……。
うん。同情の余地は一切ないね。
『あぁ、それと、知り合いのふたりに、僕がやらかすと云っておいたよ。もしかしたらひとりは、キッカちゃんの所へ来るかもしれないね。お願い助けてって。知り合いのようだし』
はい?
『え、誰です?』
『マヌエラちゃん。現状、この事態を最も憂えているひとりだね。もうひとりはほら、キッカちゃんが骨折した足を治した赤羊の騎士だよ』
『あれ? 知り合いなんですか?』
『ダンジョン調査のついでに、僕の所に来たんだよね、このふたり。神が居る、っていう事の事実を確認をしたかったみたいだよ。ついでだから、ちょっとばかり世界の秘密を教えておいたよ。やー、彼女は真面目だねぇ。頭を抱えて苦悩してたよ』
『……いったい何を話したんですか』
『魔素によって派生した人類についてとダンジョンの真実』
あちゃー……。
そりゃ、敬虔な七神教信者からしたら地雷もいいところなのでは。ダンジョンはともかく、人類の派生云々は……。
基本的に宗教は人殺しを禁止、禁忌としているからね。それがさ、ゴブリンが人類の一種となった日にはねぇ。確か、ゴブリンは殺せ! っていうのが、教会だと絶対の案件として伝えられているし。
多分、大木さんの後任の、ジョンさんが伝えた事だろうけれど。それがなかったら、現状の人類の勢力図は大きく変わっていたんじゃないかな。ゴブリンは完全に数の暴力だからね。戦闘能力的には最底辺に近いし、お頭の出来もワンコ程度で、道具だのは扱えても作れないから、現状、覇権を握れていないだけで。
そんなのと人間が一緒って知らされたらねぇ。まぁ、交配可能って時点で、分かる人には分かるだろうけれど。
『そこまでショックを受けることかねぇ。殺人なんて日常的にそこらで起きているだろうに』
『文明レベルを鑑みても、そういった事件は少ないと思いますよ。そうそうありませんね』
答えたところ、大木さんがじっと私を見つめる。
『なんです?』
『キッカちゃんは何回死んだっけ?』
私は目を逸らした。
い、いや、言い訳をさせておくれよ。
『わ、私は向こうにいた時からこんな感じでしたから。そもそも誘拐騒ぎなんて、普通は一生に一回もあるようなものじゃないですよ。私はみんな未遂でしたけれど、四、五回ありましたし』
『あぁ……君の不運は筋金入りだったね……。まぁ、人絡みだから、実際には不運と云い切れないんだろうけれど。アレカンドラさんが愚痴ってたし。人ひとり幸せにできないのかと……』
いやぁ、私の運はねぇ……。
『まぁ、とにかく気を付けてね。治安がいいとは云っても、キッカちゃんだし』
『云われるまでもありませんよ。出来る対処はしてます。一日一回までは死ねますし』
『前提からして駄目だからね。本当、気を付けるんだよ。それじゃ、僕はこれから追いかけ回してくるから』
イリアルテ家の玄関先で、ほんの少し立ち話をして、大木さんは帰って行った。お茶を、とも云ったんだけれどね。
それがついさっきのことだ。
で、私はいま、エメリナ様に詰問されている最中なのですよ。
私に来客、それも金髪ののほほんとした様子の青年。エメリナ様とも面識は一度あるものの、何者かは不明の男性である。
で、まぁ、以前にヒントを出してもいたわけで。エメリナ様としては胸中が大変なことになっているんじゃないかと。
なにせ、顔にでてるし。普通、動揺なんて貴族の人は顔にださないからね。
仕方ないので、正直に答えました。
「察しの通りの方ですよ。少々見過ごせない案件がでてきたので、いろいろとやらかすそうです」
あ……。
「お、お母様!?」
一緒にいたリスリお嬢様が、倒れそうになったエメリナ様を支えた。側で控えていたリリアナさんたちが、慌ててリスリお嬢様に代わってエメリナ様を支える。
「お、お姉様、あの方はなんなのです? お母様がこんなことになるなんて、ただ事ではありませんよ!?」
「神様ですよ」
私は事実を正直に答えた。
「……は?」
「神様です。アレカンドラ様の先々代の神様ですよ」
答えた途端、今度はリスリお嬢様がへなへなと崩れ落ちた。
そんなに衝撃的なのかなぁ。
「リスリ様は二度目でしょう? そこまで衝撃的なことでもないでしょう?」
「慣れるものではありませんよ!?」
「さっきまでは平気だったじゃないですか」
「いえ……お姉様にもお付き合いする方が――」
「あ、それは絶対ないです」
皆まで云わせず、私は答えた。
「私に注意をしに来てくれたんですよ」
目をそばめて測るように私を見つめているリスリお嬢様に説明する。
勇神教から離れた連中が作り出した新興宗教の連中がやらかしていると。
「やー。困りますよねぇ。また私を殺したい連中がでてきましたよ」
「なんでそんなのほほんとしてるんですか、お姉様! 大変じゃないですか!」
「そうですかねぇ? だってたかが人間相手ですよ。去年みたいに吸血鬼に付け狙われることに比べたら、子供の遊びみたいなものですよ」
「えぇ……」
「だって、吸血鬼の方が人間より何倍も強いですからね。アンラの暗殺者にも狙われたりしたおかげで、身を護る方法をいろいろ考えましたし。それに加えて、今は護衛もできましたから」
「護衛、ですか?」
「はい。あの人形ですよ。それでですね、神様ですが、連中に魔王呼ばわりされたから、お望み通り魔王として連中を始末して来ると、息まいていましたよ」
そういうと、今度はぽかんとした顔で、リスリお嬢様は私を見つめた。
「か、神様が……その……」
「はい。神罰の椀飯振舞ですね。きっと【陽神教】などと云い張っている連中も、泣いて喜ぶんじゃないですかね。そもそも大木さんは昔、人間に魔王扱いされてブチ切れて、人間を見限って神様を辞めた経歴のある方です。きっと愉快な神罰を連中に落としてくれることでしょう!」
「なんでそんなに楽しそうなんですか!」
「当然じゃないですか。あいつらアレカンドラ様の偽物まで用意して、善良な方々を誑かしている連中ですよ。天罰覿面待ったなしです。あ、これ、国王陛下に報せたら、きっとあの演出家の人を呼んで、演劇のネタとしてくれるんじゃないですかね!
というかですね、イルダさん。なんでさっきから拝んでいるんですか。やめてくださいよ」
なんでリスリお嬢様のとなりで跪いて祈ってるんですか?
「め、女神様にあられましては、どうか――」
「私は神様じゃありませんよ!?」
いや、確かに不愉快極まりない話で、ちょっとばかりやけっぱちな気分になっているけれど。なんで女神様!?
って、なんで泣きそうな顔をしてるんですかイルダさん。
「ちょ、イルダさん、どうしたんです? 大丈夫ですよ。お約束したプチトマトはちゃんとサンレアンのほうで面倒を見てもらってますからね?」
「ありがとうございます。キッカ様……」
どうしよう、イルダさんがおかしなことになった!?
「みんな、落ち着きましょう。玄関で騒ぐものではないわ。イルダもしっかりなさい。
キッカちゃん、きちんとした説明をお願いできるかしら」
立ち直ったエメリナ様が場を取り仕切り、ひとまず収拾がついた。表向きは。
その後、お茶をしながら事情を説明。
うん。エメリナ様、顔を引き攣らせていたよ。
かくして、国と教会へと報せることとなったのです。
そして私は、プチトマトをイルダさんに一鉢渡したのでした。
感想、誤字報告ありがとうございます。