299 黒羊の娘は苦悩する
だから、なんでこいつは俺の所に来るのかな。そういう面倒事はそっちでどうにかしてくれよ。俺はその手のことは専門外だ。俺にできるのは畑を耕すことと、後先考えずに魔物を殴りにいくことだけだぞ。
なんだかやたらと悲壮な顔をしているマヌエラを目の前に、俺はそんなことを考え、出そうになるため息をなんとか飲みこんだ。
「ハイメ、ここじゃなんだ、出てきていいぞ。もう半時もすれば交代の時間だろう?」
「ちょっ、隊長!?」
小隊長がポンと俺の肩を叩き、詰め所から追い出そうとする。確かに大した任務もなく、詰め所で待機しているだけだけれども。
ダンジョン調査の後と云うこともあって、ほとんど休暇みたいなものだけれども。
マメに相手をしておかないと、嫁にはできんぞ! などと云いやがった! そんな関係じゃねぇよ。つか、お貴族様の令嬢だぞ。しかも前教皇猊下のお孫様だ! 農民上がりの俺がどうこうできるかってんだ!
「ありがとうございます、隊長さん。それじゃハイメさん、行きますよ」
マヌエラが俺の腕をぐいぐいと引っ張って行く。
あぁ、もう。分かったよ。諦めるよ! くそぅ……。
私服に着替え、マヌエラに引き摺られるようにやって来たのは、冒険者組合に併設されている冒険者食堂の二階。個室のひとつだった。貴族家の者がお忍びで来店した場合に使われる部屋らしい。
冒険者食堂は大衆食堂ではあるが、二階部分は立派なレストランの様相をしていた。もっとも、階下の喧騒は良く聞こえるため、落ち着いて食事ができるかというと疑問だが。
注文した料理が来たところで、内緒話の始まりだ。
ちなみに、俺はとんかつ定食。マヌエラはハンバーグセットを注文した。
「ハイメさん、かなり厄介なことになりそうです」
「……だから、なんで俺なんだよ」
「ハイメさんなら、絶対に問題ないからです」
問題ない?
「ハイメさんは地神教信者ですよね? ディルルルナ様の信徒でしょう?」
「当然だろう。俺は農家の生まれだし、あのこともあったしな」
「はい。ですから、ハイメさんは無条件で信用できます。他には、教皇猊下とおばあさまくらいなんですよ。でも、まさかそのお二方に動いて貰うわけには立場上無理ですから」
おまっ……現教皇猊下と前教皇猊下を使おうとするな! ……って、俺になにをやらせる気だよ!?
悲壮な顔のまま、マヌエラはぽつぽつと話し始めた。
要約するとこんな感じか。
勇神教から分裂してできた【陽神教】が勢力を伸ばして、いろいろと画策している。どうやら六神を排除しようとしているようだ。
……陰謀論の類か?
「神子様を担ぎ上げて、宗教関連を支配しようとしているんですよ!」
「支配って……」
「実際、入って来る情報がノイズだらけで、精査に凄まじく時間が掛かってる状況です。私も偽情報に踊らされました」
真面目な顔のマヌエラに、俺は顔を引き攣らせた。
「その偽情報ってのはなんだ?」
つか、そんな悲壮な顔をしていながら、ハンバーグはぱくつくのか。……俺も食おう。揚げ物は揚げたてが一番だしな。このままだと冷める。
「神子様が、オーキナート様の神子である、という話です」
ん? それが問題になるのか? 真偽のほどはともかくとして。
「オーキナート様は一部で邪神とか魔王とされています」
「は?」
「七神教は神子様を庇護することを決定しています。ですから、神子様を人類の敵とすることで、七神教を邪教としようと連中は動いています」
「いや、無理だろ」
荒唐無稽もいいところだ。だいたい信仰を変えさせようって、そう簡単にいくもんかよ。そもそも神子様を人類の敵って、これまでの功績からして絶対誰も信じやしねーよ。
「レブロン男爵がやっていたことと、同じようなことをしはじめているんですよ」
「レブロン男爵って……確か、万病薬のレシピのオリジナルは自分だとか云ってたやつか?」
「ですです。神子様の功績は、アレカンドラ様のものを盗んだのだと」
「アレカンドラ様?」
「あー。本当は様なんてつけたくはないんですけれど、アレカンドラ様と同名なんですよ。呼び捨てなんてできるわけないでしょう!」
はぁっ!?
ダンッ! とテーブルを叩いたマヌエラを思わず凝視した。
「連中の象徴になっている神子的存在ですよ。連中、銀髪の娘の姿画を崇めてますからね。実在するのかどうか不明ですし、もしかしたら、本当にアレカンドラ様の姿と信じているのかも不明ですけど」
「アレカンドラ様の御姿は、去年の芸術祭の時に公開されたんだろう?」
俺はバッソルーナにいたから見れなかったんだよ。
「はい。私も見ましたよ。淡い赤毛というか、淡いピンク色の髪をした、キリっとした顔立ちの方でした。ディルルルナ様の柔和な雰囲気を取り払ったような感じでしたね」
今年も公開されないかな……いや、それよりもだ。
「アレカンドラ様と同名って、マジか?」
「はい。それは確定情報です」
「不遜もいいところだろう。名の一部を戴いたり、或いは似たような名前にするのならともかく」
実際、ディルルルナ様にあやかって、ディル、ルル、ルナといった名前の者は結構いるからな。確か、エスパルサ公爵家の令嬢は、アレカンドラ様にあやかった名前だったはずだ。確か、アレクサンドラだったか。
「とにかく、じわじわと神子様の悪評を広めている者がいますからね。なんとかしたいところなんですよ」
「なんとかしたいと云ってもな……流された噂はどうにもならんぞ。信じる信じないは聞いた者によるし」
「それに関しては放置でいいよ。彼女たちは気にしない」
突如として割り込んで来た声に、俺とマヌエラは喉を詰まらせたような音を出して、声のした方に視線を向けた。
そこ、個室の隅にはいつの間にやら小さなテーブルが置かれ、そこでオーキナート神が優雅にお茶を飲んでいた。
「やぁやぁ、半月ぶりくらいかな? 元気なようでなによりだね。特にハイメ君。無茶をして死にかけてたからねぇ。マヌエラ君にきちんと感謝しておくんだよ。彼女、かなり取り乱してたからね」
「わーっ! わーっ!」
聞くなと云わんばかりに、マヌエラが顔を真っ赤にして大声を上げた。
……いや、しっかり聞いちまったんだが。
「……うぅ、せっかくみんなに口止めをしていたのに」
マヌエラが消沈している。
まぁ、ご愁傷さまだ。俺としては、それなりに気に入られていたことが知れて嬉しくはあるがな。まぁ、多少は。
「そ、それでオーキナート様。放置で良いとは?」
「言葉通りだよ。信仰は個人の自由だからね。君たちが僕を排除したように、彼女たちを排除するのならそれで構わないと云うことさ」
カップをカチャリと置く。その音がやたらと良く聞こえた。
そしてオーキナート神がうっすらとした笑みを浮かべる。
「実際、僕たちの仕事はこのアムルロスの管理だからね。人類……人間、エルフ、ドワーフ、鬼人――などといったところに肩入れをするものでもないのさ。とある理由から大いに関わっているけれどね。とはいえ、本来あるべき形になったところで、一向に問題はないんだよ」
俺とマヌエラは真っ青になった。
「それは……人類を見捨てるということですか?」
俺はオーキナート神に問うた。
「うーん……そういうわけでもないな。そうだな。神というのはどういう存在であるのか、という問いをキッカちゃんにしてみるといい。あぁ、もちろん、彼女の故郷でのね。そうすれば分かるよ。多分、僕よりも良い答えをしてくれるはずだ。僕はかなり歪んでしまったからねぇ」
「それは……その……」
「教会はキッカちゃんを神子と認定しているけれど、それは、七神以外の神の神子、という風に認識しているよね」
は? どういうことだ?
「はい。教会はキッカ様が、異界から勇神教の手によって誘拐された者と認識しています。現状確認しているのは他三名。ですが、その三名とも既に死亡していることも把握しています」
「それは僕も知っているよ。連続強姦魔であったヨンサムは辺境伯令嬢に殺されたし、快楽殺人鬼であったモリスは、キッカちゃんがうまく誘導して【バンビーナ】の最下層ボスに殺させたからね」
オーキナート神が肩をすくめ、殺害不能だった男を、キッカちゃんはうまく始末したよと、などといいながらくすくすと笑う。
「さてと、マヌエラ君の疑問に答えてあげようか。キッカちゃんに質問していただろう?」
冷たい目をした神は笑みを絶やさずマヌエラに視線を向けた。
「実は僕もアレカンドラさん同様に元人間でね。ただし、ここアムルロスの人間ではないよ。キッカちゃんと近しい世界の出身だ」
「近しい世界……ですか」
マヌエラが首を傾いだ。
「世界って云うのは沢山あるのさ。それぞれに原初の神というのがいると思ってくれ。で、この世界はそのうちのひとつが幾つも枝分かれしたひとつだ」
は?
「世界というのはね、可能性で分岐するんだよ。このアムルロスと僕のいた世界は、元は同じなのさ。ただ、アムルロスが生まれる前に分岐したために、このアムルロスとは似つかない世界になっているけれどね」
どういうことだ?
「分かりやすくいうとだ。朝、仕事に出るとき、玄関から踏み出した最初の一歩が右足か、左足かで世界がふたつに分かれる。ということさ」
は?
「え、ええと、つまり、死にかけた人がいたとして、その人が生き延びた世界と、死亡した世界とふたつに分かれる、というようなことですか?」
「そういうこと。そして僕のいた世界と、キッカちゃんのいた世界はほぼ一緒。だから、文字も言葉も同じ。僕としては数千年振りに母国語を聞くことができて、涙が出そうになったくらいだ」
俺とマヌエラは顔を見合わせた。でてくる単位が桁外れで、想像もつかん。数千年も焦がれた故郷の言葉が、いかほどのものなのか。
「あぁ、いかんいかん。話がどうでもいい方向にそれたな。キッカちゃんと僕の関係は、近しい同郷の者ということだけだ。
そして、神としての僕たちは君たちの前から完全に姿を消す準備はいつでもできているよ。君たちと関わらずとも、世界の管理はできるわけだしね。恐らく、その際にはキッカちゃんを連れていくことになるだろうね。彼女はこちら側だからね」
「やはり私たちをお見捨てに……」
「いや、正しい形に戻るだけさ。ここアムルロスは人と神の距離が近すぎる。にも関わらず、この有様だ。僕たちを奴隷か、便利な道具扱いするのは君たちの自由だけれど、それに対し僕たちがどう行動しようとも自由だ。そうだろう?」
マヌエラが頭を抱えた。俺だって抱えたいよ。この神様はもう、人類に絶望していると思っていいだろう。そして、【陽神教】とやらの行動如何では、六神はもとより、アレカンドラ様まで姿をお隠しになるということだろう? さらには神子様まで。
それは、毎年、教皇猊下に降されていた神託は消え、このディルガエアに注がれているディルルルナ様の祝福も失せると云うことだろう。
たいへんなことじゃないか!
「六神たちは静観しているよ。決定するのは君たちだ。なに、どうせなるようにしかならないんだ。君らふたりも、そう深刻になることもないだろう? 少なくとも、彼女たちが敵対すると云うことはないんだから。
あぁ、もちろん僕もどうこうする気はないよ。いまさらだしね。
なにより、なにを信仰しようと、それは君たちの自由さ。
あぁ、でも、僕の名を利用している連中には罰を降す予定だよ」
オーキナート神はいうだけいうと手を振り、そして消えてしまった。
部屋の隅には、テーブルもなにもない状態へと戻り、そして突如として多くの音が溢れかえった。
階下の食堂の喧騒が酷く騒がしく聞こえる。それは、ここがいつの間にか静かな場所となっていたという証拠だ。
まさか……神託の類だったのか?
「【陽神教】はなんとしても叩き潰しましょう」
マヌエラがぼそりと呟いた。
「神々に去られたら、絶対にロクなことになりません。連中が台頭したところで、神に成り代われるわけもないんです。どうせなにも出来やしない欲に塗れたゴミは、とっとと掃き捨てるべきです!」
ハンバーグを口に放り込み、マヌエラが鼻息荒く云う。
しかし、そうは云ってもだなぁ……。心変わりした者はどうこうできんし、無理矢理云うことを聞かせるわけにもいかないだろう。
俺がそういうと、マヌエラはフォークを咥えたまま「ぬがぁっ!」と呻いた。
また器用だな。
俺もとんかつにフォークを突き入れ、口に運ぶ。
あぁ……すっかり冷めちまったよ。
誤字報告ありがとうございます。