290 正式名称ってどれだろ?
サンレアン出発まで、あと三日。……の予定。
やらなくちゃいけない事は順調に消化中。
……おかしいな。なんでこんなあくせくしてるんだ? いや、あくせくという程でもないか。とはいえ、のんびりとしても居られないんだけれど。
とりあえずメタスラ鎧は四領仕上がった。あと二領仕上げる予定だけれど、それはいま焼き上がって、窯で放置してあるパーツが冷めてからだ。いきなり出して急激に冷やすと割れかねないからね。
さて、かねてから作ろうと思って先送りにしていたものを作ろうと思うよ。
それはなにかというと、ジッパー、ファスナー、チャック……正式名称ってどれだろ? 奥義書に詳細が載ってるかな? こっちの世界の詳細は私が見聞きしたもの以外は載っていないけれど、私が元いた世界のことは網羅されてるみたいなんだよね。だから、多分、載っているとは思うんだけれど……。
うん。載ってた。なんか、国ごとに呼び方が違うのが原因みたいだ。えっと、ファスナーが正式名称? 考案者がつけた名称なのかな?
あ、チャックは日本語起源なのね。巾着から来てるのか。
それはさておき、このファスナーを作るよ。構造自体は結構、単純なんだよね。子供の頃は、これが不思議でならなかったんだけれど。とはいえ、これを手作りしようとすると、地味に大変そうだから先送りにしていたんだよ。
とりあえず、歯……爪? あぁ、務歯っていうのか。その部分は型を作って量産すればいいとして、要の部分が問題。
ん? なにを問題にしているのかって? いや、どうせ作るなら量産したいからさ。上下部分を別個に鋳造でもして、くっつけるのが無難なんだろうけれど、問題としているのはサイズ。
さすがに見知ったサイズのものを作るのは骨が折れるよ。ちっさい。シンプルな作りだけれど、きちんと作らないと仕上がりが失敗する未来しか見えない気がする。
なので、少しばかり大きなサイズで試作して、それから小さいのを作ってみようと思うよ。
尚、量産の際には、骨鎧の素材で作っていく予定だ。十二分に頑丈な素材だからね、あれ。骨と普通のスライムなんだけれどさ。
型を作ることを考えて、あれやこれやと工夫しつつ、試作品……というか、モックアップが完成。
務歯はまだモックアップのものだけで、数なんてないから、ちゃんと出来てるか確認ができないんだけれど。
……よし、ズルをしよう。うまくこれで機能するか確認したいだけだからね。私の作った務歯のついた革をふたつ、物質変換で作り出す。それをいま作ったファスナー本体で、上手く噛み合うかを確かめるとするよ。
ということで、手元には木製の務歯がついた革と私の作ったファスナー本体。
こいつをセットしてっと。
ZIP!
お、なんとか上手く行った。スムーズにはいかなかったけれど、十分だ。そのあたりはすぐに調整できるだろう。
ただ、サイズがでかいけれどね。本体部分が親指の頭くらいあるよ。
よし。それじゃ、今度は小さいサイズで作ろう。
午後となり、丁度作業も一区切りついたところに来客があった。
商業組合のエリカさん。以前、ネズミ捕りのことで、いろいろと契約だのなんだのを結んだ時にお世話になった人だ。
……なんの用だろ?
「本日はネズミ捕りの件で報告に参りました」
私がこのところ留守がちで捕まらないから、確実にいると分かった今日、慌てて来たんだそうな。
なんか悪いことをしちゃったな。
「なにか問題がありましたか?」
「いえ。販売は順調、評判も上々です。本日はネズミ捕りの売上より、ミヤマ様の収入のご報告です」
あぁ、あの特許料みたいなものか。そういやもう、全然気にしていなかったよ。近衛の鎧の料金だけで、残りの人生安泰な収入を得ちゃったからね。まぁ、お金がなくてもどうとでもできるようにもなっちゃったから、なんというか、すごい呑気なものなんだよ。お金に関しては。
で、私の取り分なんだけれど、現時点で白金貨を超えてた。
思わず訊き返しちゃったよ。
いや、おかしいでしょ。ネズミ捕りだよ。一個売れたら幾ら入る、って契約だけれど、あのネズミ捕りひとつの値段って安いものだよ。
確か、銀貨で十枚くらいのものかな? 一応、金属製だから若干原価が掛かっているけれど。生活費で云えば、三、四日分程度だよ。どれだけ売れたの!?
「場所も取らず、手軽に仕掛けられ、確かな結果を出す商品ですからね。ただ、頻繁に買い替えるものでもありませんから、継続的な需要はあるものの、今後は現状のような売り上げにはならないでしょう」
あぁ、最初だからか。それもそうか。
「そういえば、捕まえたネズミってどうしてるんです?」
「清掃組合が回収して、焼却処分しています」
清掃組合。いわゆる公共事業のひとつかな。ほぼ各大都市ごとの独自組織になっているけれど、そこの領主が運営している組織だ。ゾンビ対策のひとつだろうから、どこの都市でもやってるんだよね。
そうそう、ゾンビ病。あれ、カビが原因なんだけれど、生物の神経に取りついて繁殖して、その生物の脳を……乗っ取る? ようなことをするんだそうだよ。正確には、カビが脳神経組織に添って繁殖して、脳組織と同様のネットワークを作り出すんだそうな。
それにしても、結構、ネズミはいるみたいだね。ネズミの天敵って……ヘビとかキツネ? あと猛禽類か。いずれも都市部にはいないから増えやすいのかな。下水とかには掃除屋スライムがいるから、適度に間引きしてくれるみたいだけれど、あれ、絶滅にまで追い込まないように作られてるらしいから、抑止にしかならないんだよね。
やっぱり、毒餌を撒くのがいいと思うんだけれどなぁ。提案すると全力で止められるんだよなぁ。錬金毒ならそこまで酷いことにならないと思うんだけれど。
「商業組合からの報告は以上ですね。それでミヤマ様。さきほどから気になっているのですが、そちらのテーブルの上に載っているのはなんですか?」
「あれですか? ファスナーの試作品ですよ」
目敏く見つけるなぁ。
「見せて戴いてもよろしいですか?」
「構いませんよ。ただ、それは確認の為に大きめに作ってある奴なので、実際の実用的なサイズより大きいものですよ」
エリカさんが手に取って、いろいろと確認している。開いて、閉じるだけの事で歓声をあげているよ。
まぁ、初めて見ればそうもなるかな。こっちじゃボタンとか紐で閉じるだけだから。
「ミヤマ様、これの商品化の予定は?」
「まだなにも決めていませんよ。とりあえず、自分のお財布とかを作ろうかと思っていたくらいで」
「こちらの商品も、商業ギルドにお任せ願いませんか!?」
ずい、と、エリカさんが私に詰め寄って来た。
「それは構いませんけれど、私は自由に使って……作っても問題ないですよね?」
「当たり前じゃないですか」
私が訊ねると、エリカさんは首を傾げた。
「なんでそんなことを?」
「いえ、任せた結果、自分で作ろうとしたところ、許可なく作るなということにならないかな? と」
「どこの悪徳業者ですかそれは! ミヤマ様、お教えください。そんな業者は叩き潰して見せましょう!」
「い、いえ、以前私がいたところで、そういった話を聞いたことがあるので、確認しただけですよ」
なんだろう。すごいグイグイ来るな。こんな人だったっけ?
「分かりました。その辺りの事はしっかりと書面にして、明日、契約書を持ってまいります」
ふんすっ! と、鼻息も荒く宣言し、エリカさんは慌ただしく帰って行った。
……大丈夫なのかな?
なんだか微妙に不安になってきたよ。
こっちにないものは作らない方が無難なのかしら。またあのグスキみたいなのが出てきたら面倒臭いんだけれど。
私は作業台の上においてある試作のファスナーに視線を向けた。
私は単に、ウェストバッグをファスナー式にしたかっただけなんだけれどねぇ。ベルトで留める形式だから、基本的に留めないでおかないと、中の物品を取りだすのに時間がかかるんだよね。
でも開けっ放しだとスリが怖いと云うね。スリ、本当に多いんだよ。そんな腕を磨くくらいなら、ちゃんとした別の技術を身につけろよ、といいたいけれど。
……スリ技術が達人級になってる私がいうことじゃないけれどさ。
ほとんど魔法みたいになってるからね。技能のせいで。
うん。なんだか興が削がれた感じだよ。もう作業は終わりでいいや。
私はため息をひとつつくと、後片付けをはじめたのです。
誤字報告ありがとうございます。




