289 調査報告
しかめっ面を隠そうともせず、ハイメは腹を押さえてマヌエラを見つめていた。だがマヌエラはそんなハイメの無言の抗議などものともせず、その右袖を掴んで王宮の廊下を進んでいく。
ダンジョン【ミヤマ】調査隊は無事に任務を終えた。重軽症者は数名でたものの、損失は無し。成果も十二分に上がり、調査は大成功といえよう。そして王都に帰還した翌日の今日、ハイメはマヌエラに捕まえられるや、国王陛下の前へと引きずり出されたのだ。
そう、以前、マヌエラが云っていた【神】に関する報告の為だ。【神】に関しての調査は黒羊騎士団所属であるアブランとマヌエラの任であったはずだ。だというのに、いつの間にやらハイメもそこに組み込まれてしまっていた。
確かに【神】とは邂逅した。だが重要な……いや、重大な情報に関してはマヌエラひとりが聞いているだけだ。故に、ハイメが国王陛下の御前に参じる必要はないはずなのだ。
もとより、この任務に関しては部外者でもあるのだから。
そもそも、なぜアブランがここにいないのか。
ハイメは姿をみせないアブランを呪った。
報告は滞りなく終わった。問題なのは、かたくなに聞くことを拒否していた“世界の秘密”とやらを聞いてしまったことだ。
おかげで腹がキリキリと痛む。
ハイメは多くの者たち同様、先人、先祖を敬う気持ちを少なからず持っていたが、本日この時ばかりは呪いたい気持であった。
なにを血迷って先祖は神の邪魔をして回ったのかと。行動原理は分からなくも無いが、そもそも神によって設置された“それ”に近寄らなければよいだけだったのだ。それも当時は、“それ”は人類未踏の地、到達することが困難な場所にあったというのに、“それ”を破壊するためだけにその困難を押しのけ、破壊を達成するとか、努力の方向を間違えている。
結果として我々はオーキナート神に見限られたのだ。
“それ”。世界を死滅から防ぐために神が設置した造物を破壊して回ったことにより。
それからの神のとった行動は実に皮肉めいたものだ。当時の人類の、宗教的な指導者のひとりを昇神させたのだ。
そう。神を崇めていながらも、その神に仇なしていた者をだ。
そんなに世界を自由にしたいのなら、好きにしろ。
そういう意思を込めてオーキナート神はすべての責任を、その者にぶん投げたのだそうだ。もっとも、上位神の命に背くわけにもいかないため、世界存続のための造物を地の奥底に設置し、破壊されることを防ぐため、そこに至る道程にダンジョンを作り上げた。
ダンジョンが災禍をもたらすことも承知の上で。これが原因で人類が絶滅しようと、知ったことじゃない。そういう意思もあっただろうと、マヌエラは考察している。
後継の神は、これまでの自らの行いがなにをもたらそうとしていたのかを知り、恥じ入り、名を捨てた。時折、宗教関連の書物に登場する“名も無き神”がそれだ。アレカンドラ様の前神でもある。
この名も無き神の現れた時期に、人類はこの北部大陸より撤退している。この時期、北部大陸でなにがあったのかも、マヌエラは聞かされていた。
簡単にいえば、人類と神との戦争である。もっとも、神を相手に戦争などと云えるような状況に持ちこめてもいなかったわけだが。
だが、当時の教会……七神教の前身となる教会は、神を魔王へと貶めた。なんとも傲慢な事だ。
そして人類は北部大陸から撤退。千年後、神子アレカンドラが人類を率い戻ってくるまで、この大陸は無人となった。
これらのことを、マヌエラはハイメが風呂に入っている間に聞かされ、頭を抱える羽目になったのである。
既に教会でも失伝している内容だ。いや、意図的に失伝させたのかもしれない。後の、まともな判断のできた者が闇に葬ったのだろう。
さすがにこの報告には、国王陛下を始め、同席していたマルコス宰相も顔を引き攣らせていた。
「すくなくとも、現在のオーキナート神は人類に対して敵愾心を持ってはいないと思われます。ですが、人類を信用しているとはとても思えませんでした」
マヌエラがそう報告を締めくくるのを、ハイメは隣で聞いていただけだ。自身はほとんど発言していない。
いったい、なんの為に引きずり出されたのか、まったくもって疑問である。
もともと農民その一であったハイメにとって、国王陛下はまさに天上の人物だ。
問われ、いくらかは発言するにはした。だが発言したことに関して、正直、なにを喋ったのか覚えていない。だが言葉遣いに関しては、騎士への昇格試験を受ける際に徹底して覚えたのだ。少なくとも無礼な言動にはなっていないハズだ。
……ハズだと思いたい。お腹痛い。
「もー。いつまでそんな顔をしてるんですか。もう一ヵ所報告に行かなくちゃならないんですから、しっかり歩いてください」
「いや、俺は部外者だろ。部外者だよな? なんで俺まで陛下の御前にだな……。寿命がガリガリとチーズみたいに削られた気分なんだが」
「また大袈裟な」
マヌエラは足を止めて振り向いた。だが、掴んでいるハイメの袖を離すようなことはしない。
いま離そうものなら、絶対に逃げられる。
「もう一ヵ所報告って、どこに行くんだよ」
「教会ですよ」
「……帰る」
「なに、子供みたいなことを云ってるんですか!」
「いや、だから俺はお前の任務とは無関係だろ? なんで俺がついていかなくちゃならないんだよ!」
「大丈夫ですよ。ちょっと私のおばあさまと教皇猊下と会うだけです」
マヌエラの言葉を聞くや、ハイメはぽかんとした表情を浮かべた。そしてその言葉の意味を理解するに至り、その表情が劇的に強張っていく。
「前教皇猊下と現教皇猊下のお二方に拝謁なんて、畏れ多くてできるか! 俺は祭礼の際に遠くから眺めるだけで十分なんだよ!」
ハイメは叫んだ。
通りがかった王宮付きのメイドが顔をしかめたが、特に注意することなく通り過ぎていく。
「ハイメさん、まだ王宮内なんですから騒がないでくださいよ」
マヌエラの注意に、ハイメは唸るような音を出した。
「大丈夫ですよ。別にとって食われたりしませんから」
「そういう問題じゃない!」
囁くように怒鳴ると云う、なんとも器用な真似をするハイメに、マヌエラは苦笑いを浮かべた。
「女神様と肩を並べて進軍したことに比べれば、大したことなんてないでしょう?」
「そう云う問題でもない!」
「もうっ! 四の五いわずについてきてくださいよ。さもないとハイメさんに弄ばれたって、騒ぎますよ!」
ハイメは自由な左手で顔を覆うと天を仰いだ。
マヌエラは貴族の令嬢である。そんな真似をされようものなら、文字通りの意味で首が飛びかねない。
「なんでこんなことになっちまったんだ……」
「女神様に祝福されたからじゃないですかね?」
マヌエラの一言に、ハイメは崩れ落ちた。
★ ☆ ★
地神教教皇であるビシタシオンは、いましがた聞いた報告にどう反応すべきか、頭を抱えていた。となりに座しているテオフィラ枢機卿も同様のようだ。
自分たちの与り知らぬ、はるか六千年も昔の話だ。既に失われている歴史の事実に、どう対処してよいのかわからない。
古代神オーキナートの名は、教会に半ば死蔵されている古い古い歴史書に記されてはいた。
だが、どういった神であったのかは不明であったのだ。
王国側から、その神が魔の森に住んでいるなどと知らされた時には、いったいなんの冗談かと思ったものだ。だが、その話の出所がキッカであるとなると、話は別となる。
なにより、すでにサンレアンの街に赴いているというのだ。
新たな……いや、戻って来たというべきだろうか。とにかく、その古代神に対し、教会としてどう行動すべきかを考えなくてならない。
「テオフィラ様、どうしたものでしょう?」
「どうしたもなにも、私たちだけで決める訳には参りません。他五教派に報せ、早急に話し合うべきでしょう」
「そうでしょうが、信じてもらえるとは思えません」
ビシタシオンの言葉に、テオフィラは呻いた。
確かに、いきなり『古代神が帰って来た。我々はどうすればいい?』などと発信しようものなら、まず頭の様子を疑われるに違いない。
「先ずは月神教と話し合いましょう。確か、サンレアンにガブリエル大主教が常駐していましたね? 彼女なら状況を把握しているはずです。
地神教と月神教が合同であれば、各教派の代表を招集することも可能でしょう」
「では、サンレアンに使いを出しましょう。それと、数日後には神子様も王都に入都されます。詳しいことを神子様から訊くとしましょう」
「まさか、神子様を呼びつけるのですか!?」
「いえ、いつも参拝に参られますから、その際にお話を願いましょう」
ビシタシオンがそういうと、ようやくテオフィラの厳しかった顔が緩んだ。
「そういえば、神子様が祈りを捧げると、神像が光り輝くと聞きましたが」
「はい。事実です。伝承の通りでした。そういえば、最初の時は神子様も驚いて逃げ出したと、報告を受けていますよ」
テオフィラが微かに微笑んだ。
わずか一年で、いろいろと逸話を打ち立てた人物だ。キッカという、会ったことのない人物に対し、テオフィラはある種の完璧な人間像を思い描いていたのだ。
だが、ビシタシオンの様子を見るに、構えて対する必要はなさそうだ。
「どのような方なのです?」
神子の人物像を知ろうと、テオフィラがビシタシオンに訊ねた。だがその問いを聞くや、ビシタシオンは酷く真面目な顔をした。
その様子にテオフィラは眉をひそめた。
「正直なところ、よくわかりません。言葉は悪いですが“得体が知れない”というのが適当でしょう。悪い方ではないのですが。……いえ、悪い方どころか、友好的な者に対しては、ひどくお人好しな方なのですが……」
「あなたにしては、珍しく歯切れの悪い見立てですね」
「本質がわかりません。なんというか、話していて、虚ろにみえるときがあるのですよ」
そう答え、ビシタシオンは考え込むように口元に手を当て俯いた。そしてややあって、こうテオフィラに答えた。
「もしかすると、神子様は誰一人として信用していないのかもしれません」
誤字報告ありがとうございます。




