28 リリアナさん頑張る
23話のリリアナさん視点です
19/08/01 サンレアンまでの日程を一週間から十日間に変更。
◆四ノ月十二日 水ノ曜日
大奥様のお屋敷を出発。
大奥様への見舞いという名目での訪問は無事に終了。
これでアルカラス家も警戒レベルを上げるでしょう。防衛力はもとより問題ないのです。危険なのは暗殺の類なのですから。
お嬢様に課せられた仕事は無事完了と云っていいでしょう。
あとは、無事に帰るだけです。
サンレアンまで十日間の行程。
この間、何事もなければ良いのですが。
◆四ノ月十五日 陽ノ曜日
ナッツィアに到着。
問題が発生。
この先の街道にて、街道を挟んでゴブリンの集団が抗争を起こしているとのこと。現在メリノ男爵率いる領軍が鎮圧に向かっているそうですが、終息には時間が掛かることでしょう。
奴らは即時殲滅対象生物に指定されている魔物です。男爵様には頑張ってもらいたいものです。……ヘタレとの噂があるのが心配ではありますが。
それにしても、いつの間にこのようなところにまでゴブリンが集まったのか。集落でも作っていたのでしょうか? イリアルテ領でも一度確認したほうがいいかもしれません。お屋敷に戻り次第、旦那様に進言するとしましょう。
シモン隊長と相談の結果、東にある農場を通りコロナードへと向かう迂回ルートに変更。
日数は約二日から三日ほど伸びますが、ここで終息を待つ、あるいは抗争の真っただ中を突っ切るよりははるかにマシです。
◆四ノ月十六日 地ノ曜日
夕刻、パッチョ農場に到着。
農場主よりゴブリンの抗争に関しての情報を収集。このあたりには被害はないとのこと。
リスリお嬢様は安心したご様子。
本日はこの農場に厄介になることに。
◆四の月十八日 月ノ曜日
延々と続く平原から、丘陵地帯へとはいりました。これまでのメリハリのない景色からは多少はマシになりましたが、退屈なのは変わりありません。
リスリお嬢様はもはや死んだような目で景色を眺めている有様です。
会話をしようにも四六時中一緒にいるのです、互いを知り尽くしている以上、暇を潰すような話題もありません。
かといって、本を読むような余裕もありません。そんなことをしたら、馬車に酔ってしまいます。
ディルガイアは平原と荒れ地ばかりの国ですからね、基本的に景色は単調です。野生動物も時折見かけますが、兎や鼠の親分の集団くらいで、特段、珍しいものではありません。
ビッグホーンでもいませんかね?
巨大な角を有する大型の獣。希少種というわけではありませんが、あまり人里に近づかないらしく、街道からでは見かけることは稀です。
確か全長五メートルくらいでしたか。角まで含めるとどのくらいの大きさになるのでしょうね? 根本の角周りは私の胴より太く、その長さは私の背丈よりもあると聞きますし。
温厚な動物らしいですし、一度くらい見てみたいものです。
「リスリお嬢様、行き倒れです」
突然馬車が止まると、ラミロが御者台から云って来ました。
行き倒れ? 農場からも村からも、さほど離れていないこんなところで?
「行き倒れですって?」
「はい。ですが、どうにも様子がおかしいですな。
いずれにしても放置はできません」
ラミロが云う。
そう、放置はできません。そんなことをしてアンデッドにでもなられたら、どれだけの被害が出るか分からないのですから。
生きているのなら助け、死んでいるのならば、然るべき処置をしなくてはなりません。
「確認を」
「いまニカノールが――」
「ゾンビだ!」
ニカノールの声が響きました。
「っ!」
「お嬢様、大丈夫です。たかだか一体、たいした脅威――」
「おい、こっちにもいるぞ!」
「イワン! サントス! 片付けるぞ! 一体も逃すな!」
慌てたようなシモン隊長の声に、思わず顔が強張るのが分りました。慌てて窓から外の様子を窺います。
あぁ、草むらから何人も、何人も……あぁ、そんな、多すぎる。
「リリアナ……」
リスリお嬢様の不安そうな声。
「お嬢様はここに。ご安心ください。必ずお護りいたします」
私は馬車を降りると、短剣を抜きました。
護身用という名目で持っていたものですが、どちらかというと自害用ですね。正直、ゾンビ相手にはあまり役に立たないでしょう。
ゾンビの倒し方は四肢を斬り落とし、行動不能にした上で油で焼くしかないのです。
私の持つ短剣では、手足を切断することなど到底できません。
シモン隊長たちが、なんとか片付けてくれることを祈るだけです。
幸い、ゾンビ共は前方にいるだけで、私たちを囲んでいるわけではありません。とはいえ、数は多い。二十人はいるでしょうか。
……大丈夫。覚悟はできていますとも。
そんなことを考えていると、一体がイワンの脇を抜けて、こちらに走ってきました。
ゾンビはすぐ近くにいる生者に群がるものだというのに、なぜかこちらに真っすぐ走ってきます。
私は短剣を両手でしっかりと持つと、やや斜に構えて腰を落とします。そして一気に体ごとぶつかるように、ゾンビに短剣を突き込みました。
突き込み、そしてすぐに体を離すと左脚でゾンビを押し退けるように蹴り飛ばします。
しっかりと革鎧を貫ぬき、鎧に噛まれていた短剣が上手く抜けました。
もし短剣が抜けなかったら、完全に丸腰になってしまいます。
ゾンビを刺したところで、さほど意味はないのでしょうが、素手で殴るよりはきっとマシです。
私は再び短剣を構えました。
前方で戦っている誰かが助けに来るまで、ひとりで何とかしなくてはなりません。
ラミロは――
ラミロも向こう側でゾンビを蹴り、馬車から遠ざけようと戦っています。
助けは期待できません。
のろのろとゾンビが起き上がります。
革の鎧を着こんだ若い痩せぎすな男。
腰にはショートソードのものと思われる鞘だけがぶら下がっています。傭兵……にしては体つきが貧相ですね。もちろん、狩人や探索者でもないでしょう。
とすれば、他所から流れてきた賊の類でしょうか。
いえ、そんなことを考えても意味がありません。これはゾンビなのです。
私に手を伸ばし、足を踏み出すたびに左右に揺れながら歩いてきます。再び私は斜に構え、両手でしっかりと短剣を持ちます。
大丈夫。さっきと同じようにすればいいのです。
騒ぐ心臓の音に焦る気持ちを落ち着かせるため、ゆっくりと、そして規則正しく呼吸を整えます。
よし。もういち――
そこまで考えた時、急にゾンビが走り込んできました。
慌てた私は何も考えずに短剣を突き出してしまいました。短剣はゾンビの右腕にあたり、弾かれ、手から離れてしまいました。そして私は思わず身を護ろうと右腕を眼前に庇うように挙げました。
ガリッと云うような音が体の中に響いたような気がしました。そして右腕に走る痛み。
あぁ。噛まれた。
噛まれた。噛まれた。噛まれた!
私はゾンビの腹に右足を当てると、ゾンビを引きはがそうと足を伸ばすべく力を込めます。
ぶちぶちと引きちぎるような嫌な音が聞こえましたが、そんなことは無視です。
私は一気に力を込め、ゾンビを再び蹴り飛ばしました。右腕に激痛が走り、勢い余って私は尻餅をつきました。ですがゾンビも思い切り弾き飛ばされ、向こうで仰向けに倒れています。
腕を血が伝うのが分ります。
ゾンビに噛まれるということ。それがどういうことであるかぐらい、私は知っています。それはもう、良く知っているのです。
歯を食いしばります。
いいでしょう。ならば今日が最後のお勤めです。なにがあろうとお嬢様だけは護りましょう。
決意し、立ち上がろうとした時です。
「こんにちはー。手助けは入り用ですかー?」
突然どこからか呑気な声が聞こえてきました。
ゾンビから声の主を探し視線をあたりに向けます。そして見つけました。
街道をとことこと歩いてくるフードを目深に被った、灰色っぽい服装の――
「え? 子供? あなた、早く逃げなさい! こいつらはゾンビ――危ない!」
少女が通り過ぎるのに合わせ、少女のすぐ後ろで立ち上がったゾンビの姿に、私は声を上げました。
あぁ、ダメ、間に合わない!
ごすっ!
「あ痛ぁっ!」
もの凄く鈍い音が響き、少女がたたらを踏むように私の前にまで来ました。
えぇっ? ゾンビの腕が――折れてる?
折れるほどの強さで殴った? それなのに少女はまるで平気な様子。
座り込む私のすぐ目の前にいる少女を見上げ、私は言葉を失いました。
真っ黒な髪。
背に担ぐ背嚢のせいでよく見えませんが、間違いなく夜の闇を切り取ったかのような黒い髪。
美の女神だけが持つことを許された髪の色。
見惚れていると、急に少女の体を包み護るように光が現れました。ゾンビが少女に襲い掛かります。ですが少女の纏う光に弾かれ、ゾンビは簡単に倒れてしまいました。そして少女は、そのゾンビに右掌を向け光の球を撃ち込みます。ひとつ、ふたつ、みっつと。一切の容赦なく。
バタバタともがいていたゾンビは、もう動いてはいません。
少女は振り返り、暫し私を見つめたかと思うと、慌てたようにフードを被り直しました。
「あ、あの、叩かれたんで、勝手に参戦しますね」
バツが悪そうにそういうと、少女はゾンビの群れに向かって歩いていきました。
途中、馬車を囲む青い光の輪を生み出して。
そしてそのあとは、あっという間でした。
少女がなにかを地面に叩きつける仕草をしたかと思うと、ゾンビたちが一斉に燃え上がったのです。
全身から、青い炎を噴き上げて。
ソンビはやがて灰と消えました。
すぐそこに転がっていた、私の腕を食いちぎったゾンビも燃え、灰となっていました。
あれだけ苦戦していたゾンビ共の脅威が、あっという間に消えたのです。
これこそ、まさに神の奇跡。神の御業。
あぁ。お嬢様は無事だった。よかった。
では、あとはすることはひとつ。
弾かれ落とした短剣を探します。
短剣はすぐに見つかりました。馬車の車輪の側に落ちています。
あぁ、右手が上手く動きませんね。痺れています。
短剣を手に取り、考えます。
喉を突くのと、胸を突くのと、どちらが確実に死ねるでしょうか?
暫し考え、私は左手に持った短剣を逆手に持ち替えると、胸に――
「リリアナ! なにをしているの! やめなさい!」
お嬢様が短剣を持つ私の左腕にしがみつきます。
あぁ、振り払おうにも右手に力が入らない。いや、ダメだ。お嬢様のドレスを私の血などで汚してはいけない。
「お嬢様、後生です。お慈悲を!」
私は叫びます。
このままゾンビと成り果てたなら、私がお嬢様を襲うことになるのです。
なればこそ、私はここで死なねばなりません!
「ラミロ、手を貸して!」
「死なせてくださいまし!」
「あの、どうしました?」
なんとか自由になろうともがいているうちに、いつの間にか女神様が目の前に屈みこんでいました。
「め、女神様、私はゾンビに噛まれてしまいました」
「私は女神様じゃありませんよ!」
女神さまが慌てたような声を上げます。
「それで、なんでゾンビに噛まれるのは問題なんです? あ、この薬を飲みなさい。その怪我をまずは治しましょう」
云われた通り、私は女神さまに渡された小瓶の液体を飲み干しました。
するとたちまち私の体の表面を覆うように光が舞い、食い千切られ、抉れていた私の右腕が治っていくではありませんか。
あまりにあり得ない光景に、私は声も出せず、ただそれを見つめていました。
そして女神さまが問いました。ゾンビに噛まれるとどうなるのかと?
「ゾンビに噛まれたり、引っ掻かれた者はゾンビになるんです」
私は答えました。これは変えようのない事実です。
お嬢様が声を荒げ否定しますが、私は知っているのです。
私たち家族を守るためにひとり戦い、傷を負い、そしてゾンビと成り果てた伯父を知っているのです。
だから私は大きな声で云いました。死なせてくれと。
守るべき方を、この手で襲うなどということはあってはならないのです。
血の痕だけ残し消えた傷を見ます。でも、ゾンビになることは避けられないでしょう。そんなことを思っていると、いつの間にか女神さまが再び私に薬壜を差し出していました。
あぁ、そんな。こんな貴重なものをもう一本だなんて。私などにはもったいのうございます。
ですが女神様は、差し出した手を引っ込めようとはしません。
私が内心オロオロとしていると、女神さまは私がもっていた空き壜をとりあげると、中身の入った薬壜を手に押し込みました。
「私はあなたを死なせるためにあなたを治したわけではありませんよ」
女神様の言葉が刺さりました。
あぁ、私はなんと不遜なことを。
改めて、私はもう一本薬を飲みました。また先と同じように私の体の周りを巡るように、金色の光が躍ります。
「これで治りましたよ。本当かどうかは、経過を数日みればわかるでしょう」
え……?
女神様が、私の手から空になった壜を取り上げます。
治った?
ゾンビ病が?
その言葉が信じられず、私は両の掌を見つめました。そして、もうすっかり癒え、傷の場所も分からなくなった、右腕を見つめます。
また女神様が、自分は女神様ではないと云っているのが聞こえます。
それが真実であるかどうかなど、もはや私にはどうでも良いことです。
この方は私にとってはもう、神も同然です。
あぁ、母神アレカンドラ様に感謝を。
人生最悪の日となるはずだったこの日を、人生最良の日としてくださったことに。
胸元で手を組み合わせ、神に祈りを捧げます。
その時、少々不穏な言葉も聞こえてきました。
ほほぅ……女神様を害すると。そうですか。彼らも頑張っていたとは思いますが、恩知らずであるというのは、そのこととは別です。ならば彼らには彼らに相応しい扱いをするまでです。
いえ、大したことではありません。ただ彼ら三人の食事だけ、ほんの少し味気なくなるだけです。大した問題ではないでしょう。私の手間が増えるだけですし。
だいたい、野営でまともな食事を望む方が間違いなのですから。これまでがおかしかっただけなのです。騒げばよい食事が出てくるわけではありませんよ。
材料には限りがあるのですからね。
ふふ、今夜の食事が楽しみですね。