270 ナイフ騒動の後 ②
「あ、親方、お帰りなさい。……なんですかその荷物。今日は揉め事の立会人に行っただけですよね?」
「おぅ、そうだ。こいつは土産だ。嬢ちゃんからの新しい課題だ」
「えっ……!?」
ジラルモの言葉に、弟子のひとりは顔を引きつらせたまま硬直した。
なにせ、以前渡されたインゴット。あれの研究は非常に面倒臭かったのだ。
恐らくは真鍮系の合金とあたりをつけ、そこからは比率だの加える金属だのを、それこそ片っ端から順次確かめていくという、思いつく限りの総当たり作業だ。数日ならまだいいが、そんなことが数十日も続いたのだ。それもなんの成果もなく。
気持ちが折れ、心が死に、まるでゾンビのようにただただ不毛な作業の毎日。そしてほぼ同じ金属インゴットができた時には、工房内に歓声が響いたくらいだ。
「またですか?」
「今回は前みたいな難題じゃない。が、それ以上に難航しそうだな」
「なんで楽しそうなんですか親方!?」
「まぁ、こいつを見ろ」
そういってジラルモは鞄から出したインゴットを、ドスンと作業台に置いた。月長石を用いた合金、月鋼のインゴットだ。
そのインゴットを手に取り、弟子は顔をしかめた。
「親方、またわけのわからない合金を。今度はこれの研究ですか?」
「いや、それの素材はわかってる。これとこれとこれだ」
月長石、鉄、魔銀とインゴットを置いていく。
「……親方、常識がいま崩壊したんですが」
「なに大袈裟なことを云っとるんだ?」
「どうやって月長石のインゴットなんて作れるんです? 削りだしとかじゃないっすよ。なんだこれ? そもそも月長石は金属でしたっけ? どうしろと?」
「こうして現物がある以上、どうにかできるんだろうよ。あの真鍮合金を扱える腕があれば、これもできるっつってたぞ。それにあの嬢ちゃんはこれで武器だのなんだの造ってるからな? 俺たちができねぇとか云ってみろ、鍛冶屋の名折れだ」
ドン、と作業台の上に月鋼金属の短剣を置く。
「うわぁ、マジだ」
「これも金色になる感じだな。どちらかというと、黄銅のほうに色は近いか。こいつで鎧を作ると、全身鎧でも十キロ切るとよ。ふふふ、さっそく必要な量の素材を集めて造らねぇとな」
「は?」
弟子は短剣を手に取り、矯めつ眇めつしながら刀身を摘まみ、その柔軟性を確認する。
「……親方、これ、そこらで最高とか云われている鋼と同等か、それ以上の代物にみえるんですけど」
「前の真鍮合金と同等の代物らしいからな。そうもなるだろうよ。あれもおかしかっただろ? その短剣は、最低限の仕上げがしてあるだけらしいぞ」
「これでも十分以上に売りものになると思いますけれどね。……この柄の部分は面白いですね。皮じゃなくて紐を巻いてあるんですか。凄い手にしっくりくる」
短剣を構え、その感触に感心する。
「で、嬢ちゃん曰く、最終的にはこいつを扱えるようになれってことだ」
どん、と、今度は真っ黒なインゴットを置く。
「……なんすかこれ? 炭? うわぁ、これ金属だ」
「そいつは合金じゃないそうだぞ。で、これがそれで作った短剣だ」
「また凶悪なデザインですねそれ。その緩く波打った刃って、斬り付けたら傷口がぐちゃぐちゃになって治りが悪くなる仕様じゃないですか」
「絶妙だよな。手入れのしやすい限界くらいの揺らぎだぞ。これ以上だとまともに砥ぐのが辛いからな。でだ、嬢ちゃん曰く、暗殺者が持つと大変なことになる武器だそうだ」
「どういうことです?」
「そこらの鎧なんか簡単に貫くから、後ろから口元抑えて、左手で上から肩口にグサリ。それで鎧を抜いて、鎖骨の隙間を通して心臓を一撃だそうだ」
弟子は短剣を肩口に当てて、長さを確かめてみる。短剣の刃渡りは約二十~三十センチが一般的だ。相手が普通の人間であれば、十分に刃先が心臓を貫くことができるだろう。
「いろいろとダメなんじゃないすか? これで武器を造ったら」
「だから鎧も造るんだろうよ。ダンジョンの中層以降から産出するらしいから、どうせいずれ、誰かが加工するようになるだろうさ。ならば一足先に、俺たちで扱えるようになっちまおうじゃねぇか」
ニヤリとジラルモが不適な笑みを浮かべる。
そんな様子の師匠に、弟子は思わずため息をつきそうになるのを、なんとか抑えた。
しかし、それにしてもだ。
「神子様はなんでこっちにこれ等を回してきたんですかね? そもそも、合金の元を教えるとか、普通はありえないっすよ」
「弟子を取る気がないから、技術関連を任せるとよ。ふふん、俺たちは嬢ちゃんの御眼鏡に適ったってことだろ。そこまで見込まれちゃ、やらねーわけにはいかねーだろ」
「神子様、欲がないっすね……」
「鍛冶関連の厄介ごとは任せるとも云われたな」
「それが本音じゃないっすか? 今回は酷かったらしいじゃないっすか」
「おぉ、そうだ。元凶がようやくわかったぞ」
ジラルモがポンと手を叩いた。
「ほれ、暫く前にビダルんところで騒動があっただろう。工房が分裂すんじゃないかってやつだ」
「あぁ、ありましたねぇ。確か、ホルガーとかいうのが、猫を坩堝に放り込んだとか聞きましたけれど。
それが元でその一派が破門……じゃなかった、絶縁されたんでしたっけ?」
「おう、そいつだ、今回の元凶。嬢ちゃんの作品を、元からすべて掠め取ろうとか、どうしようもないクズだったな。もっとも、嬢ちゃんにぶん殴られてあっさりのされてたが」
「は?」
目をぱちくりとさせる弟子に、ジラルモは今日の事柄に関して、詳しく話して聞かせた。
特に、キッカが面倒臭くなって篭手を投げつけた辺りは、それはそれは楽しそうに。
「そういや神子様、バルキンに勝つくらい強いんでしたっけね」
「魔法でいろいろとズルをしてるって云ってたけどな。俺としちゃズルとは思えんのだがなぁ」
「ちょっと見たかったっすね。前に散々馬鹿にされましたし」
「……おい、それ初耳だぞ」
「云ってませんからね」
しれっとした調子で弟子は答えた。
「馬鹿にされたと云っても、云ってることが支離滅裂でしたからね。なんですかね、会話になりませんでしたから。反論しても、それは俺が世界最高の鍛冶師だからだ! としかいいやがらないし」
「あぁ、納得した。今日もそんな感じだった。それで嬢ちゃん、面倒臭くなったみたいだしなぁ」
ジラルモが苦笑する。自分も我を通し、伯爵領を追放されたこともあったが、キッカのやりようは自分よりも直接的だ。
まさか子爵の小倅の顔面に篭手を投げつけるとは思わなかった。それどころか、幼児に話しかけるような調子で神経を逆なでするあたり、笑いをこらえるのが大変だった。
「あのクソッタレ、断罪されたんですよね。どうなったんです?」
「ん? ホルガーはまだ確定じゃないが、多分、強制労働だろう」
「ダンジョン送りっすか? あんまり重罪じゃ……」
「いや、魔の森の伐採作業だ」
「地獄っすね」
ふたりとも同じようにニヤニヤしているあたり、よく似た師弟といえる。もちろん、奥の工房で作業をしている弟子たちも似たようなものだ。
「で、子爵の小倅は……親もあからさまに神子様に喧嘩を売ったからな。それも教皇猊下の御前で」
「馬鹿じゃないっすか」
「おぅ、馬鹿だ。アダルベルトは笑いが止まらんだろうよ。無能な貴族を排除できたからな。男爵に降爵されて、旧レブロン男爵領へお引っ越しだとよ」
「あぁ……女神様もお怒りでしょうしね。丁度いいんじゃないですか」
「そこまでは痛快だったんだがなぁ。その後にこの鋼の話になってなぁ」
ジラルモはため息をついた。
「あぁ、そうそう。その黒いやつ、黒檀鋼っていうらしいんだが、それの前にこれを扱えるようになれとよ。こいつが使いこなせなきゃ無理だって話だ」
更にインゴットを作業台におく。今度のインゴットはモスグリーンのインゴットだ。
「……親方、もう驚く余力もないっすよ。またよくわからないものを」
「嬢ちゃんはオリハルコンっつってたな」
「はぁぁっ!? 神世の金属じゃないっすか」
「実際は違うみたいだがな。本物のオリハルコンは金色をしているんだそうだ。だから、そいつは神鉄なり神鋼なり、好きに呼んでくれってことだ」
「……神子様に関わる時は、もう常識とか考えちゃダメなんすね」
弟子は諦めたようにため息をついた。
それから数日後。
「親方ー。炉の研究をしましょう」
「なんだ藪から棒に」
兜の面頬の仕上げをしていたジラルモが、やってきた弟子を睨むように見つめる。
作業中に来たのなら、容赦なくハンマーを投げつけるところだ。もっとも、それを弟子も分かっているので、こうしてタイミングを計って突撃している。
「いや、あの黒い鋼ですけれど、今の炉だとビクともしないんですよ」
「お前、段階があるって云ったろーが。いきなりアレをどうこうしようとか無理だぞ」
「溶かすくらいはできると思うじゃないっすか。溶けるどころか、柔らかくもなりゃしません」
お手上げとばかりの弟子に、ジラルモは呻き声を上げた。
まさか加工云々以前のところでつまずくとは思わなかった。
「どうにもならなかったら、ちょいと嬢ちゃんに訊いてみるか。とりあえず、炉は従来のものでどうにかなるのかだけでも分かれば、とっかかりはできるだろう」
「炉の設計図とかもらえませんかね?」
「そこまで嬢ちゃんは優しくねーぞ。俺たちのプライドをおもんぱかってるからな。でなけりゃ、こんな回りくどい形で技術継承させようなんてしねーよ」
継承なんすかね? いうな。などというやり取りをしつつ、ふたりは肩を竦めた。
「八月にはまたこっちに来っから、そん時にでも聞いてみらぁ」
「……そういえば親方、『できらぁ』とかって啖呵切ったんじゃありませんでしたっけ?」
「なに云っとんだ、俺の面子よりも技術だろう」
真顔でそれだけいうと、ジラルモはさっさと作業に戻れと、弟子を追い出すようなしぐさをした。
弟子は大人しく両手をあげると、すごすごと自身の仕事に戻って行った。
ジラルモは仕上げの終わった面頬を兜に取りつけ、実際に被り、具合を確かめる。我ながら良い出来だとほくそ笑みつつも、少しばかり顔を引きつらせていた。
なぜなら……。
「従来の半分程度の重さとか、冗談みたいだな。こりゃ、月長石の値段が跳ね上がるんじゃねぇか?」
声色とは裏腹に、ジラルモの顔にはニヤけた笑みが張り付いていた。
★ ☆ ★
イリアルテ家のメイド、イルダは思い悩んでいた。
別に、サンレアンに置いてきたトマトたちを心配しているわけではない。あれらのトマトは、既に食事に欠かせない……とまではいかないが、かなり重要な位置を占める食材となっている。きっと、料理長であるフィルマンを始め、イリアルテ家の料理人たちがしっかりと面倒を見ているはずだ。
それに、王都邸の裏庭にも、イルダがサンレアンへと異動する前に植えたトマトたちがあるのだ。
トマト大好きなイルダとしては、なんの問題もない環境であろう。
では、なにを思い悩んでいるのかというと、その原因は目の前の机の上にある。
ここはイルダの私室。もうひとりルームメイトとなっている同僚はいるが、彼女は仕事に出ている。
そう。本日は非番なのだ。
だからこそ、ひょんなことから手に入れたというか、手元に転がり込んでいたこれに関してどうしたものかと、イルダは思案しているのである。
机の上にあるのは羽根ペンにインク壺、平皿に立てられた蝋燭。そして問題の代物。
それは広げられた薄い植物紙の上に載せられていた。
さて、ここでそのブツの話の前に、彼女がこうして思い悩むこととなったことについて話すとしよう。
ことの始まりは、イリアルテ家次男。養子という形で、奥方である侯爵夫人エメリナの実家であるアルカラス家を継ぐことになっているセシリオのトラブルだ。
キッカが就学の祝いにと贈ったナイフがもたらしたトラブル。
どこぞの子爵の小倅が『それくれよ』ということを、迂遠な方法で正当な持ち主であることをでっち上げる形で手にしようとした、お粗末な計略を謀ったことに始まる。
ナイフの作者を詐称する者を用意するなど、馬鹿さ加減に呆れる限りだ。作者を詐称し、そしてそれどころか、本来の作者であるキッカこそが作者を詐称しているのだ! などと云いだしたとあれば、事は大事となる。
あのナイフの作者はキッカである。つまり、近衛騎士団の武具一式。教会の祭器。王妃殿下、王女殿下へと献上した装飾品。それらの作者であることも、掠め取るということである。
これがどれだけ大事となるのかは、火を見るよりも明らかであろう。
もし、子爵の小倅の言い分が通ろうものなら、キッカは稀代の詐欺師とされるのだ。
まぁ、そのような結果になることはあり得ない事であったし。実際、キッカは、イリアルテ侯爵はもとより、国王陛下とも結託してこの事態を娯楽に仕立て上げてしまったわけだが。
さて、この事件にイルダも少しばかり参加している。紆余曲折あって、キッカが子爵の小倅たちと決闘することになった。それに際し、キッカの決闘の準備に付き添ったのである。
行ったことは着替えと、身だしなみを整えた事。
これが、思い悩む原因となった。
その日の晩、道具の手入れをしていた時に気が付いたのだ。
キッカの髪を梳った櫛。そこに絡みついていた髪。
黒い髪。
黒い髪を持つ者は、女神アンララーのみと云われている。そも、魔素が原因であるため、本来黒髪であったはずの者は、青か赤に色が変質する。大抵は藍色か赤褐色となってしまうため、黒髪の者が現れる確率はまったくないといっていいほどだ。
その黒い髪が、自身の仕事道具のひとつである櫛に絡みついていたのである。
キッカはその容姿から、女神アンララーであるとも云われていた人物だ。当人が否定していることと、加護を得ているということから、神子とされているが。
そう。神が他の神から加護を得ているのはおかしいだろう、ということだ。母神アレカンドラの加護だけであればともかくも。
故に、イルダは悩んで、困っているのだ。
このことをどうするべきかと。
教会に報告するべきだろうか? それとも身近なところで、奥様に報告し、判断をゆだねるべきだろうか?
同僚に相談する? それは絶対に有り得ない。
「あああ、なんでキッカ様、こんな無頓着なんですかぁ」
ここ王都邸でのキッカの身の回りの世話を担当しているのはイルダだ。とはいえ、そのほとんどをキッカ自身がしてしまうため、イルダは非常に悲しい思いをしていたわけだが。
もちろん、ベッド回りのこともキッカは自身で整えていたのだ。それこそ、枕に髪を残すなどということもなく。
そこまで周到にしていたということだろう。なのにだ――
「なんで私にあんなあっさり髪を任せたんですかキッカ様……」
本来なら喜ぶべきところで、嘆く羽目になっているイルダである。
はっきりと云えば、見なかったことにすればいいだけの事である。
だが敬虔な七神教信者であり、このところはキッカ信者でもあるイルダとしては、それを選択するだけの度胸が無い。
それよりもなによりも、今後、どう接すればよいのかわからない。
イルダがこんな有様に陥っていると知れば、キッカはどうにも困ったように笑うだろうが。
イルダはじっと、紙の上に載せられた黒い髪を見つめる。
とるに足らない単なる抜け毛。だが、これこそは奇跡の代物といえるようなものだ。
【女神の御髪】として通用するだろう。いや、通用もなにも、そのものである可能性の方が高いとイルダは思っている。
オークションにだしたらどうなるだろう? などと俗な考えが頭に浮かび、慌てて自分で頭を叩いて、その痛みに頭を抱えた。
傍で見ていた者がいたら、いろいろと心配されるところだ。
こうして、イルダの悩み事は一切解決されることもなく、日が過ぎていくこととなる。
少なくとも、次にキッカが来るであろう八月の一日までは。
誤字報告ありがとうございます。




