269 ナイフ騒動の後 ①
ディルガエア国王アダルベルトは、ひとりニヤニヤとしていた。手にある紙の束。それは、先日キッカに聞かされた話を元に作り上げられた、芝居の台本である。
表題は『城下の暴れん坊(仮題)』となっている。
そのすぐ下に『暴れん坊陛下(仮題)』とも記されている。
このふたつがタイトル候補だ。
仕事を投げ出し、お忍びで城下を漫遊する国王陛下が、身分を笠に悪事を働く残念な貴族や代官を懲らしめるという、勧善懲悪な物語だ。
尚、キッカはクライマックスに関してはパターンをふたつ提示している。
ひとつはアクションシーン後に、正体を暴露し悪代官を懲らしめる。もうひとつは、最初に正体を暴露した後、敵役の悪あがきからアクションシーンにもつれ込む。いずれも王道の展開といえよう。
実のところ、台本はすでにそれぞれの形でふたつ出来上がっている。
国王陛下が打診したのは、昨年の芸術祭で、王家の後援を受けることとなった劇団の脚本家兼演出家だ。
国王陛下直々の呼び出しに、まるで死刑台に上る諦めきった死刑囚のごとき顔色で王宮へと訪れた中年男性。だが帰途の際には、気味の悪い笑み浮かべつつ隠しきれない喜びをその足取りに示しつつ歩いて行った。
あからさまに挙動不審になるほどに、国王陛下の依頼は彼の琴線に触れたのだ。
そうして、僅か二日で仕上がって来た台本二冊が、いま国王陛下の手元にある。
あとは、国王陛下がGOサインを出しさえすれば、稽古がはじまり、必要な小道具や舞台背景が造られ、早ければ再来月には公開となるだろう。
ニマニマとした笑みが止まらない。
実に楽しみだ。
唯一不満であったのは、キッカの助言により、主役が自分ではないことだ。これは自分が演じるということではなく、主人公が自分をモデルとしたものではない、ということだ。
もっとも、これに関しては家族総出で「キッカ様の云う通りにしなさい」と云われてしまったため、断念している。
実際のところ、主役を自身としてしまうと、演劇のキャラクターが浸透してしまって、現実の自身に対してよろしくない影響を与える可能性が高いのだ。架空の存在と実際の存在のギャップにより、国民に失望されるなどとあっては、馬鹿もいいところだろう。
これに関してはキッカがそれこそクドクドと言い募ったのだ。それを傍で訊いていた王妃殿下をはじめとする王家の皆が納得し、国王を制したということだ。
結局モデルとなったのは、ディルガエア王国黎明期の王、ザカリアス一世。いろいろとやらかした記録のある王として有名な御仁である。
“賊狩りザック”という、異名があるくらいだ。
そう、国王という立場にあるにも関わらず、盗賊の報がはいると自ら部隊を率いて討伐にでるという人物だ。
これだけを聞くと粗暴な人物であるような印象を受けるが、実際は理知的な王様であったようだ。ただ……ちょっとばかり正義感が強すぎて喧嘩っ早かったようだが。
時代背景的には、まだ帝国が建国されていない時代。現帝国領は都市国家が乱立していた状態もあり、正直な話ディルガエア王国の西側は治安が良いとはお世辞にもいえなかった時代である。
そういった都市国家と共謀し、いろいろと悪事を働いていた下級貴族の記録も多数存在する。それを鑑みれば、芝居のモチーフとしては十分であろう。
仕事そっちのけで再度、台本を読んでいると、宰相であるマルコスがやって来た。
「陛下。取り調べの結果がでましたぞ」
「ふむ。で、どうであったのだ?」
先日のナイフ騒動において、中核にいたひとりであるホルガー・グスキ。彼は捕らえられ、現在は王宮の地下牢に拘留されている。
なにぶん、神子様の作り上げた武具の作者であると嘯いたのだ。さすがにこれを見逃す訳にはいかない。なにせ、教会も出張ってきているのである。それも、教皇猊下御自ら。
むしろあの男は、よくも教皇猊下の前で堂々と嘘を吐けたものだ。
「あのグスキなる鍛冶師ですが、少々ここに問題があるようです」
マルコスはコツコツと自分の頭を右人差指で叩いて見せた。
「どういうことだ?」
「妄想に囚われていると申しますか……自分以上の鍛冶師はこれまで存在せず、これからも存在しない。あの素晴らしい短剣を鍛えた記憶はないが、自分以外に作れるはずがない。だから自分が知らぬうちに作り上げたのだ。などと申しておりますな」
マルコスの言葉に、アダルベルトはあんぐりと口を開け、目をぱちくりとさせていた。
「なんだそれは。そしてそれを、デラロサの小倅は鵜呑みにしたのか?」
「どうにも意気投合したようですな。そのホルガーですが、鍛冶師としての腕は……まぁ、並の上と、それなりにあるようです。さらに困ったことに、あんなぶっきらぼうな調子であるにも関わらず、なぜか人を惹き付けるようなものがあるらしく、古巣であるビダル工房では一大派閥を作っていたようですな。
まぁ、実際はあの有様ですから、問題を引き起こしてビダル工房を派閥ごと叩きだされたようですが」
アダルベルトは顔をしかめた。
「ビダル工房は大丈夫なのか? 工房の秘儀などもあるだろう?」
「それは大丈夫のようですな。初期から妄想癖が酷かったらしく、工房主のビダルはいっさい伝授していないとか。破門を決定的にしたのは、小動物を生贄にした武器を作り始めたからだそうです」
アダルベルトは呻くような声を上げつつ、聞きたくもないことをマルコスに訊ねた。
「ビダル工房の界隈で行方不明者が多数出ているとか、そんな話はないだろうな?」
事と次第によっては、労働力になどせず、厳しく対処しなくてはならない。
マルコスの顔が強張った。
「そ、それは調書にはありませんでしたな。急いで追加で調べさせましょう」
マルコスは慌てたように出て行った。
やれやれ。すっかり高揚していた気分が冷めてしまった。だが、時間的にもいい頃合いだろう。
アダルベルトはため息をひとつつくと、放り出していた執務を再開した。
★ ☆ ★
地神教枢機卿テオフィラは、教皇猊下が乱心したなどという報を受け、慌てた様子で教会本部へと足を運んでいた。
教皇の座を辞して十年近い。まだ成人したばかりのビシタシオンが教皇となり、自身は枢機卿の位に収まり、落ち着いた生活を送っている。
いわば相談役としての役職である枢機卿であるが、優秀な後輩のおかげもあり、王都に戻って来るのはせいぜい年に一度か二度。それが突然の“乱心”の報。
テオフィラは優秀であるがゆえに、若いビシタシオンに教会を任せっきりにしたことを後悔した。
七神教地神教派の総本山といえど、ここには他五教派の者も集っている。当然、他教のよろしくない考えの連中により送り込まれた、厄介者も多数いる。事実、昨年は月神教の司教が問題を引き起こしている。
非常に平和的に見える教会も、ひとたび蓋を開けて見てみれば、そこは魔窟だ。これまで地神教が落ち着いていられたのは、悪だくみをした者たちが、知らぬ間に改心しているからだ。
とはいえ、そういった連中の存在が心を蝕むことはよくあることだ。実際、テオフィラもすべてを投げ出して逃げたくなったことが幾度もあるのだ。暗殺未遂も二度ほどあった。
いったいビシタシオンになにがあったのか? 昨年末、祭祀の際に会った時にはなにも問題はなかったように見えたのに。
テオフィラは気が気ではなかった。
テオフィラは廊下を半ば駆け抜け、警護の軍犬隊が止めるのも振り払い、教皇の執務室へとノックもせずに突入した。
はたして、執務室ではビシタシオンが魔法の修行を、魔法の盾を展開しているところだった。
テオフィラは目を瞬いた。
「ビシタシオン?」
「これはテオフィラ様、お久しぶりでございます」
挨拶を返している間に、ビシタシオンの展開していた魔法の盾が消えた。魔力を使い切ったのだ。
ふぅ、とひとつ息をつき、ビシタシオンはテオフィラに向き直った。
「失礼しました。魔法の修行をしておりましたので。それで、本日はいったいどのようなご用件でしょう? 先触れはなかったようですが」
「先触れもなく来訪したことは詫びましょう。なにぶん、不穏な話を耳にしたものですからね」
不穏、という言葉に、ビシタシオンは眉をひそめた。
応接室へと移動し、侍祭の娘が茶を出し退室したところで、テオフィラは話を切り出した。
「ビシタシオン。先にも云いましたが不穏な話が耳にはいりました。私はその確認にきたのです」
そこでひとつ息を吸い、キッとビシタシオンを見つめる。
「あなた、いったい何を始めるつもりなのですか? まさか教会で商売をしようとでもいうのではないでしょうね?」
ずい、とテオフィラはビシタシオンに詰め寄った。
「なんのことでしょう? テオフィラ様」
「なにかしら事業をはじめるのでしょう?」
「事業?」
ビシタシオンは首を傾いだ。まったくもって覚えがない。
「教皇猊下、例のお酒のことではないかと」
「あぁっ! 確かにお酒の生産に関しては指示を出したわね」
警護についているジェシカの言葉に、ビシタシオンはポンと手を叩いた。
「そうだ! 先ずはここで試験的に生産する予定でしたけれど、この際です、ミレレス男爵領も巻き込みましょう。テオフィラ様のところも、このところ人が増えて、いろいろと彼らの仕事先が足りないと聞いていますよ」
「待ちなさいビシタシオン。私のところを巻き込むとはどういうことです!?」
突然のことにテオフィラは慌てた。まさか自分の嫁いだ先の男爵家に迷惑をかける訳にはいかない。
一体どういうことなのかと問うと、ビシタシオンは一時退室し、口の開いたワインを一壜とグラスを持ってきた。そしてそれをグラスに注ぎ、テオフィラへと差し出す。
そして色鮮やかな透き通った黄色のワインの入ったグラスをテオフィラに差しだした。
「まずはそれをお飲みください。まだ昼間ですが、舐める程度でしたら問題ないでしょう?」
テオフィラは胡乱な視線をビシタシオンに向けつつも、ワインを一口含み、飲みこむ。
その味にテオフィラは目を見開いた。これまでに飲んだことのあるワインとはまるで違う。
甘く、ほんのりとした苦みのある味。そして後味もすっきりとしている。これまでに飲んだ、口に残る渋みなどが一切ない。
しかも、壜から注いだそのままで、なんの混ぜ物をしていない状態でだ。
その様子に満足したのか、ビシタシオンがその酒に関する説明をする。
テオフィラはその内容に、更に目を見開いた。
女神様がお酒を作ることを指示した? 祭祀用の酒とせよと? そしてこれを作ったのも女神様!?
確かにこのワインは素晴らしい。素晴らしいが……女神様がそんな神託を降すとは思えない。
目の前にはニコニコとほほ笑む、愛らしい娘。
テオフィラは眩暈を憶えた。
あぁ……なんということだろう。あまりの激務と、このところの数奇な事件のせいで、きっとこの娘は疲れ果ててしまったのだ。
テオフィラは今更ながらに、側にいなかったことを後悔し始めた。
いや、いまからでも遅くは――
そう思った直後、不意に世界が変わった。
「あら? ここは……」
「キッカ様の自宅ですね。ということは――」
幾度目かのことで慣れているビシタシオンとジェシカ。だが、この経験は初めてのテオフィラは半ば狼狽え、周囲を見回した。見回し、そしてテーブルの上座についている金髪の女性の姿に目を止め、思わず跪いた。
「あらあら、そんなところに跪いたりすると汚れるわよ。たとえここが土足厳禁であってもね。久しぶりね、テオフィラ。息災でなによりだわ」
金髪の、そして黒い巻き角が目立つ女性。地母神にして嵐の女神であるディルルルナが微笑んでいた。
「あのままだと面倒なことになりそうだったから、強引に呼ばせてもらったわ。あまり時間を掛ける訳にもいかないから、手短に話すけれど。お酒の件はビシタシオンの云った通りよ」
女神様の言葉に、テオフィラはいまにも泣き出しそうな顔になった。
「なにもそんな顔をすることはないでしょう。現在出回っているワインが、そのままだとあまり美味しくないのはあなたも思い知っているでしょう?
なにより、あのワインは私のシンボルカラーでもあるのよ。祭祀の際にはあのワインを使って欲しいものだわ」
テオフィラはゆっくりとビシタシオンに視線を向けた。
「ビシタシオン」
「なんでしょう?」
「あのワインに、なにか入れましたね?」
「滅相もありません!」
ビシタシオンは慌てて否定した。
「地神教の枢機卿は、なかなか懐疑的ですね」
「起きている者を無理矢理呼び出せば、こうもなるわねぇ」
突然聞こえてきた声に、ビシタシオンとテオフィラはディルルルナへと視線を向けた。
「アンララーとキッカちゃんよ。いま隣の部屋で、月神教で使う祭祀用のお酒を造っている途中よ。
テオフィラ、不用意にそんなことを云うものではないわよ。私があまり気長ではないのは知っているでしょう?
さて、あまり長いこと拘束するわけにもいかないわ。信じる信じないはテオフィラに任せるわ。
そうね、せっかくだもの、これをお持ちなさい。素材の関係上、祭祀用のお酒とはしなかったものよ」
ぱちんとディルルルナが指を鳴らす。するとビシタシオンとテオフィラの膝上にワインの壜が落ちる。
「ビシタシオン、頼みましたよ。うまく軌道に乗れば、孤児たちの働き口のひとつとして使えるでしょう」
そして再度、ぱちんと指を鳴らす。
一瞬、目の前が暗くなったかと思うと、次の瞬間には応接室へと戻っていた。
しっかりと椅子に座り、目の前のテーブルにはお茶と茶菓子。そしてビシタシオンが持ってきたワインが並んでいる。
そしてそのテーブルのすぐわきでは、侍祭の娘がいまにも泣き出しそうな顔で立っていた。
「あ、あら? どうしたのかしら?」
ビシタシオンが首を傾ぐと、娘はへなへなとへたり込んでしまった。
「よかった。本当によかった……」
放心したように娘は呟いている。
「あー……これは私たちが消えたと思われていますね。ちょっと報せてきます」
ジェシカは一礼すると、侍祭の娘を立ち上がらせ、宥めつつ応接室から出て行った。
「えーっと……テオフィラ様? 納得していただけましたか?」
ビシタシオンに訊ねられ、テオフィラは膝の上にある壜の感触に、口元を引き攣らせた。
なぜなら、あれは妄想や幻覚の類ではなく、事実であると思い知らされたからだ。
「ビシタシオン、あの場所はなんなのです?」
「神子様の自宅をモデルとした場所とのことです。最近、神託の際はあの場所に呼ばれるようになりました」
「神子様というと……なにかと噂になっている、アレカンドラ様の?」
「はい。教会にも、いろいろと提供していただいています」
「提供……」
呟き、テオフィラは頭を抱えた。
「テオフィラ様!?」
「ビシタシオン、どうしましょう? 私としたことが、ディルルルナ様になんという失礼なことを」
「だ、大丈夫ではないかと。こうして無事であるわけですし」
「そういう問題ではありません!」
がばりと起き上がり、テオフィラが声を大にして云う。
「分かりました。ならば我がミレレス領にこのワインの生産拠点を築きましょう。販売などは考えているのですか?」
「教会内のみでの販売にしようかと。あと、材料のひとつである果実は、これから育てなくてはならないので、今しばらくは神子様より提供していだだくことになります」
「提供? なんの対価もないのですか?」
「買取りと申し上げたのですが、神様からはお金を頂くわけにはいきませんと」
ビシタシオンの答えに、テオフィラは目を輝かせた。
「素晴らしい。とはいえ、さすがに無償というわけにいきませんね。なにか考えましょう。先の昨年末の大祭の際に使われたあの神枝は、神子様より贈られたものなのでしょう? さすがに頂いてばかりというのは憚られますからね」
ビシタシオンは口元を引き攣らせつつ、頷いた。
この御仁の性格はよくわかっているのだ。そう、少しばかり思い込みが激しく、暴走しがちなのだ。
キッカが教会に行った寄付や寄進などを話そうものなら、教会前に銅像を建てようととか云いだしかねない。
ビシタシオンはひとまず同意しつつ、ワイン造りのための果樹園を作ることを提案した。
「なるほど。必要ですね。まず材料となる果実がなくては話になりませんからね」
テオフィラはグラスに注がれている、黄色い液体を見つめる。
「ところでビシタシオン。このワインの原料はなんなのです?」
「たんぽぽです」
「……え?」
「たんぽぽとオレンジ、そしてレモンという果実です」
ビシタシオンの答えに、テオフィラはまたも目を瞬いたのであった。
誤字報告ありがとうございます。




