268 ダンジョン【ミヤマ】調査隊 ⑤
赤羊の者は誰もその姿を見たことはない。アブランとマヌエラは、解体されている最中のソレを見てはいるとのことだ。
角のとれた四角い頭に、ちょこんとした耳。先端に開いた大きな鼻腔、その下に裂けたようにひらく巨大な口。短めの手足に大きな体。ユーモラスにみえるこのピンク色の巨獣が、二十階層のルームガーダー、ベヘモスだ。
神子様曰く、神の創りあげた完璧な獣――の、レプリカだそうだ。
まず最初に、トロール戦で行っていたことがいきなり潰された。
ロープを足に絡ませ転倒させる。これが失敗に終わった。
あぁ。確かにロープは絡まったさ。絡まって、ベヘモスの動きを阻害し、転倒……したかと思ったら、ドスンと、尻餅をつくように座った。
なんとなく、巨大なぬいぐるみを連想し、思わず足を止めてしまった。他の連中も、なぜか俺と同じように手と足を止め、呆気にとられたようにベヘモスを見つめている。
だが、ベヘモスは止まりはしない。
その短い腕を振り上げる。そして、何かが破裂するかのような音を立てて振り下ろされるピンクの拳。
狙いは俺かよ!
慌てて飛び退き、再度、飛び退く。
拳が連続で振り下ろされて来る。
ズドンと、地面に打ち込まれる度に、まるで地震が起きているかのように揺れる。足を前に投げ出して座る姿勢の為か、そこまで早いサイクルで拳が振り下ろされることはないが、脅威であることにはかわりない。
あんなものをまともに食らったら、地面に血肉の染みを作り上げることになる。弾けた血肉を周囲に飛び散らせて。
畜生! スリリングなんてもんじゃないぞ!
しかもどういうわけだかこいつ、燃えやがらねぇっ!
「背中側には回るな!」
拳を躱しながら指示を叫ぶ。
これ幸いと背中を斬り付けるのはいいが、そのまま倒れられたら潰されるのは必至だからな。
拳に気を付けなら、囲い、袋叩きを始める。
結構な回数を殴っているんだが、誰一人として神子様謹製の魔剣が最大の効力を発揮しない。
これはもう、炎上効果は無効化されていると見ていいだろう。おまけに刃の通りも悪い。どんだけ硬いんだよこいつ。
殴った際の追加の熱打撃は入っているようだから、完全な無効化というわけではないようだ。
状況が変わったのは、マヌエラがベヘモスを怯ませた直後だった。狙ったのか、それともたまたまだったのかはわからない。
とにかくだ、マヌエラの放った矢がベヘモスの鼻腔へと突き刺さった。
さすがに激痛だったのだろう。ばたんと倒れ、バタバタと暴れ出した。そして千切れるロープ。
もとより、転倒させることだけを目的としていたのだ。巨獣をずっと拘束していられるだけの強度はない。
ベヘモスは四つん這いで起き上がると、そのまま走り出した。
って、こいつこれが本来の恰好なんじゃないか!?
縦横無尽に走り回る。こっちは踏み潰されないように逃げるので精いっぱいだ。
畜生め! 誰も踏み潰されてないよな!?
突進してくるベヘモスを躱し、すれ違いざまに大剣を叩きつける。
当たり前だが、こんなデカブツの突進相手に踏ん張り切れるわけもなく、俺は弾き飛ばされた。大剣も手から離れてしまった。
くっそ、剣はどこにいった!?
見ると、ベヘモスの速度が目に見えて落ちていた。俺が大剣を叩きつけた左前脚を引きずって……いや、半ばまで斬れたのか?
目をそばめる。膝下辺りにみえるアレは、俺が使ってた大剣か?
進もうとし、急に足の力が抜けて膝をついた。
お?
そのまま地べたに這いつくばる。
おいおい、しっかりしてくれよ。目を回してる場合じゃないだろ。
そして俺は意識を手放した。
目を覚ますと、そこは天井のある部屋だった。
このダンジョンで天井のある部屋といえば、ルームガーダーの居る先の部屋くらいだ。
「お、気が付きましたね。大丈夫です? ここがどこだとか分かってます?」
何故かマヌエラが側にいた。
「途中でぶっ倒れたのは覚えてる。あれからどうなった? 被害は?」
「重体になったのはハイメさんだけです。なにやってんですか、もー」
は? 重体?
「……俺はどうなってた?」
ベッドロールから身を起こす。
うん? なんか自分の体の調子が気持ち悪い。自分の体じゃないみたいだ。なんだこれ?
「両腕がバッキバキに折れてました。あと他にも何ヵ所か骨折してたんじゃないですかね? 気を失っててよかったと思いますよ。トニックを掛けたらすごい音してましたもん」
……骨折? いや、俺、どうなってたんだよ!?
「おう、ハイメ、起きたか。体に問題はないはずだ。あとは頭ん中だけだが、俺が誰かわかるか?」
「……仕事をしない小隊長」
俺はやってきたむさ苦しい髭面の親父に答えた。
「おまっ!? 酷ぇな。他に云いようがあるだろ?」
「半分冗談ですよ」
「半分はマジなのかよ」
「小隊長さん、現場指揮をハイメさんに丸投げしてますからねぇ。もしハイメさんが「俺が、小隊長に、なる!」とかいいだしたら、きっとみんなついて行っちゃいますよ」
まてマヌエラ。なんだその変なイントネーションの云い方は。つか、俺は小隊長なんて絶対やらないぞ。
「誰が責任を一身に背負う役職なんかやるか。小隊長に押し付けられるから、俺は好きにやってんだぞ」
「なるほど。生贄枠ですか」
「ちょっ、酷くないか? というかマヌエラちゃん、辛辣過ぎない? え? 黒羊ってそんな感じなの?」
小隊長、そんな顔をしても、ちっともかわいくありませんよ。
「いや、俺だって頑張ってるよ。指示だってしっかり出しただろう?」
「上手い具合にやっといて、は指示じゃありませんよ」
マヌエラ、容赦ないな。そういや、マヌエラは階級的にはどうなるんだ? 小隊長より上だったりするのか?
「で、俺がぶっ倒れてからどうなったんだ?」
マヌエラに訊く。現場にいなかった小隊長に訊いても仕方ないからな。
「誰かが「副長がやられた! 敵討ちだ!」とか叫んでから、なんというか、全員が無茶な戦い方をはじめました。冗談じゃなしに死兵と化してましたね」
なにやってんだよ……。アルマンドとアルナルドはなにやってたんだよ。そのための分隊長だろう。
「結局のところ、戦い方は変わってはいませんでした。囲んで叩く、これだけです。それしかありませんでしたしね。ハイメさんが機動力を奪ってくれたので、楽でしたよ。また立ち上がったりもしましたが、再度ロープで足を絡めて転倒させましたからね。そこからは文字通り袋叩きです。あのでっかいハンマーがいい仕事をしましたね。頭蓋を叩き割りましたからね。ほぼそれで決着がついた感じです」
神子様謹製のハンマーか。たしか、近衛でも誰も使っていなかった武器じゃなかったか? まぁ、近衛がハンマーを持っているっていうのは、微妙に恰好がつかないからなぁ。
「その後ですね「やべぇ、副長が死にそうだ。トニック、トニーックって、なんだか人の名前みたいに第一分隊長さんが連呼してて、私が慌てて二本ぶっかけました。
万病薬を掛けたら、骨がくっつく音なんでしょうけれど、そこかしこからバキボキ音がして酷かったですよ。直後に喀血するもんですから、慌てて中級回復薬をぶっかけました」
……どんな有様だったんだ俺? まるっきり自覚がないんだが。
「マヌエラちゃん、こいつ、なにやったの? 俺は足……腕? を斬ったとしか聞いていないんだが」
「あー……。小隊長さん、アレの全身、見ましたよね? 突っ込んで来るあれと真正面から対決してました」
待てマヌエラ、真正面から対決とかなんの話だ。そんな馬鹿やってないぞ。
「馬鹿か? あんなのを真正面から受け止められるわけないだろ」
「突撃してきたのを避けたんですよ。誰があんなデカブツと正面からやりあいますか! 避け様に剣を横殴りに叩きつけたら弾き飛ばされたんです!」
「見てましたけれど、叩きつけた直後に腕が逝ってましたからね。千切れなかったのは不思議なくらいでしたからね?」
「え?」
え、そんなことになってたの? そのせいなのか? いまだに妙な違和感があるのって。
「お前な……。まぁ、こうして生きているし、説教もあれか。聞こえるだろ? いま宴会中だ。食えるか?」
小隊長に問われ、腹をさする。
空腹感はある。あるんだが食欲はないという、おかしな感じだ。まぁ、無理矢理にでも食ったほうがいいんだろうな。
「やけに盛り上がってますね」
「ベヘモスの肉が異常に美味いんだよ。誰だかが麻薬の成分でもはいってんじゃないか? とかいうくらいにだ」
「大丈夫なんですかそれ?」
眉根をよせつつ、小隊長を見た。
「ベヘモス、美味いとしか形容できないくらいに美味しいらしいですよ。余計な美辞麗句は不要だとか。どんな味だときかれても、ベヘモス、としか答えられないくらいに」
余計に怖いんだが。
「王宮でも王族と、一部の者しか食べていませんからね。下手に流通させると殺し合いが始まる、と、アレクス殿下が云ったとかなんとか」
どんだけの肉なんだよ!
「確かに、あれを食ったことのあるものならやり兼ねんな」
……えぇ。
「……食わない方がいいんじゃないか?」
「ダメです。私もまだ食べていないんです。私は食べたいです。一蓮托生です。行きましょう」
マヌエラが俺の腕をとり、ぐいぐいと引っ張る。
「待て待て、行くから。食欲はないが、腹は減ってるんだ」
俺は立ち上がると、ふたりと一緒に宴会をしている部屋の中央へと向かった。
うん。少しばかり変な感じはするが、問題なく歩けるな。起きた直後にあった違和感も大分なくなった。
英雄様の凱旋だーっ!
うおーっ!
ちょっ、うるせえっ! って、誰が英雄だよ!? 俺は無茶をやった、ただの馬鹿だぞ。しかもそれを無茶と自覚してないくらいに。
マヌエラの説明に、我ながら阿呆かと呆れたからな。他人ならクドクドと説教をしていたところだ。
宴席の中央につれていかれ、目の前に山ほど肉を積まれた。
さすがにこの量は見るだけで胸やけを起こしそうなんだが!?
つーか、酒をだすな。薬で治したとはいえ、病み上がりだこっちは。え、他にないの?
こうして俺も騒ぎに参加した。やはり強敵ともあって、これまでと違い、皆が生き残ったことを祝っているようだ。
薄めて風味程度しか残っていないワインを飲む。うん。変わらず食欲はわかないが、食わねば、という気持ちは出て来たな。
こうして、俺も宴会に参加したのだ。
ん? ベヘモスの肉? あぁ、美味かったよ。ヤバいレベルで。
そして翌日、中層へと降りる。予定分は終了しているため、調査は行う予定はない。
神子様曰く、下へと向かうのは簡単だが難しい、とかいうよくわからない評価の中層だ。
なるほど。確かに進むのは簡単だが難しいな、これ。
これまでの傾向から、恐らく下への階段は右側、ダンジョン端の壁沿いあると思われる。それさえ分かっていれば、この非常に見通しのよい一本道を進んでいくだけだ。
沼地に渡された、巨木を真っ二つにして並べたような道。十分な横幅はあるが、巨獣を相手に戦うとなると狭いといわざるを得ない。
……遠くの方を、昨日戦ったベヘモスが歩いているのがみえるな。
あっちに見える、道の上のうすべったいのは……亀?
「これ、地味に面倒臭そうですね」
「面倒と云うか、逃げ場がないと云った方がいいだろ。昨日だって、ベヘモスは部屋を駆けずり回ったんだぞ」
「……昨日みたいなことになったら、沼にドボン、ですね。そういえば、この沼にはお魚がいるらしいですよ。とっても美味しいそうです」
……。
「捕まえたいのか?」
「美味しいときいたら、食べたいじゃないですか」
「マヌエラ、問題だ」
「え? なにかありましたか?」
マヌエラが弓を構え、周囲を伺い始めた。
いや、そういう問題じゃない。
「すまん。云い回しを考えるべきだった。
マヌエラ、質問だ。このダンジョンの魔物の基本サイズは?」
マヌエラの顔が面白いくらいに引き攣った。
「ご、五メートルですね」
「それじゃ、その魚のサイズは?」
「最低でも、五メートルですね」
「どうやって捕まえるんだ? 釣りをするにしても、引きずり込まれるだろ」
「……神子様、どうやって捕まえたんでしょう?」
「……魔法、なんだろうなぁ」
そういや、雷は水を伝わるって聞いたな。沼に雷を撃ち込めば、近くにいる魚はみんな痺れて浮かんでくるんじゃないか?
そんなことをマヌエラに云ったところ、おぉ、と彼女は感心していた。
さて、中層の様子も確認できた。上に戻って、ショートカットの扉を通って、地上にでるとしよう。
あぁ、そうそう。ベヘモスを倒したことで得た宝物は聖武具だった。
聖鎧カノン。
アブランが云うには、カノンシリーズはあと兜と盾だけだそうだ。
神子様、どれだけ聖武具を引き当てたんだよ。すげーな。
こうして、ダンジョン【ミヤマ】の調査探索は終了した。あぁ、いや、帰りの魔の森の道中があるか。
……なんだろう。すごい簡単なことにしか思えないな。どう考えても、ここにいた魔物よりも弱いのしかいないだろうし。
怖いのはバジリスクくらいか? あと、確認はできていないが、悪魔兎が脅威となるくらいだろう。
ははは、殺人兎くらいなら、普通に相手にできそうだ。
まぁ、恐らくはこれは気のせいだ。帰りもしっかりと索敵しながら、余計な戦闘を避けつつ慎重に帰るとしよう。
感想、誤字報告ありがとうございます。