265 ダンジョン【ミヤマ】調査隊 ②
浅層部の調査は順調に進んでいる。
あの茶褐色のでかい犬は、見掛け倒しだった。確かに、きちんと鎧などで護りを固めていなければ脅威ではあるが、そうでなければ傷つけられることは殆どない。
とはいえだ、あんなでかい魔物との戦いなんてほとんどやったことがない。俺たち赤羊が戦ったことのある中で、もっともデカい魔物は土竜だ。あれは竜とはいっても、デカい蛇に足が生えた程度の魔物だからな。
巣穴から引きずり出して、周囲を囲んで叩いてしまえば簡単に倒せる。ヘビみたいな姿から、毒でも持っているように思えるが、毒は持っていない。
これで味が良ければ、見つけ次第狩られるのだろうが、生憎とあまり味の良い生き物ではない。見つけても害のない場所であるなら、放置されるような魔物だ。
でだ、この妖犬なる魔物もわざわざ食おうかというと……。
「美味くない。というよりも、有体に云って不味い」
アブランが顔をしかめながら呻いた。
そうか。食ったのか。
「硬いわ、臭いわで、いいところが無かったな。ちゃんとした調理法があれば大丈夫なんだろうが、そんな手間をかけるくらいなら食わないでいい、と、満場一致したな。あれを食うのは切羽詰まったときだ」
どんだけ不味かったんだよ。
俺とマヌエラがここを留守にしていたのはほぼ丸一日。神様のところで一晩過ごした、などといっても頭を心配されるだけだから、報告は適当にごまかしている。
マヌエラの方も、どうやらその方針のようだ。ただ、神様が“そこにいる”ことを知っている上の者には、王都に戻ってから報告するそうだ。
「上って誰だ?」
「国王陛下」
よし、聞かなかったことにしよう。
で、あの神様……いや、元神様というべきなのだろうか。まぁいい。あの神様は人に対してよい印象を持っていないようだ。
なにせ「僕が神を辞めた理由は、君たちと敵対したからだよ。もう、面倒なんて見てられるか、ってことさ。こっちがしなくてはならない事には徹底して邪魔をしてくるくせに、あれをしてくれ、これをしてくれと、まぁロクなもんじゃなかったな」と、陽気に肩をすくめて見せていたあの男性。
正直な話、胡散臭いとしかいいようがない。ないんだが、信じざるを得ない。
だってそうだろう。こんな魔の森のど真ん中でひとりで生活をしていること自体、あり得ないことだ。その上、あの見えない壁。見たこともない建築様式の建物。中へと入ることは叶わなかったが。そして指をパチンと鳴らすだけで、テーブルだのなんだのが現れ、たちまちのうちにお茶の準備が整ったのを見た時には、さすがに自分の頬を抓ったからな。
更にはだ、食事するのにその有様をどうにかしろと、風呂まで用意されたよ。まさか風呂とトイレと寝室だけの家がポンと出て来るとか思わねーよ。この時点で俺はもう考えることを放棄したさ。
でだ、神様がちょっと来て、というのでいったところ、頭に手を置かれたんだよ。ピリっとした刺激がしたかと思ったら、こういったんだよ。
「風呂の使い方をいま教えたから。見たことがないものがあっても、使い方は分かるはずだよ。まぁ、無駄な知識だけれど」
おぉ、もぅ。考えることを放棄しようとしてたのに、放棄できねぇ。
マヌエラが先に入り、あとから俺が入った。風呂からでてきたマヌエラがやたらと綺麗になっていて驚いた。いや、美醜云々ではなく、汚れ云々で。思った以上に汚れていたんだな。まぁ、なんのかんので強行軍だったからな。当然、風呂になんか入れていないし。そもそも、湯を張ったところに入るなんて習慣がねーよ。どこのお貴族様だって話だ。
見たこともない設備に、見たこともない薬剤。なのに、使い方とかがわかると云う。なんとも得体の知れない感覚だな、これ。知らんハズのモノの名前がわかるとか、予め知らされていなければ気味が悪いだけだぞ、これ。
体を洗い、髪を洗う。真っ白い泡の色がたちまち変わる。
……どれだけ汚れてたんだよ。無自覚なのは恐ろしいな。
こうなるともう、徹底して洗おうというのは、当たり前の感情だろう。驚いたね。腕をさすってみると、手触りが明らかに変わってるんだよ。帝国産の石鹸なんかは安価で流通しているが、あれを使ってもこうはならないぞ。
あれ、使い過ぎると肌がガサガサになるし。
風呂から出ると、服の類がまるで新品同様のようになっていた。鎧なんかは、見た目は元のまま新品みたいという、訳の分からん状態だし。あれだ、わざとくたびれたように見せかけて作った新品、みたいになっている。
用意されていた、やたらと柔らかくて吸湿性のいい布で水気を拭い、服を着る。
風呂から出ると、マヌエラが神様の前で頭を抱えていた。何事かと思ったら――
「ちょっと世界の秘密の一端を教えたんだけれど、ショックだったみたいだねぇ。キッカちゃんは割と平気だったんだけれどねぇ。むしろ僕が同情されたし」
……マヌエラ、何を聞いたんだ?
食事は素晴らしいモノだった。あれこれ凝った言葉なんかいらない。美味い。それだけだった。見た目は冒険者食堂とかで出るモノとさして変わらないようにみえるのに。
「足りないものだらけだって云うのに、キッカちゃんは頑張ってここまで引き上げたんだよねぇ。その内、こっちの料理人もこのくらい普通に作るようになると思うよ。それがキッカちゃんの仕事らしいしね。というか、多分、自分が食べたいだけだろうけれどね」
「神子様のお仕事って、魔法の普及ではなかったのですか?」
「魔法の普及、食文化の底上げ、そこにあとひとつの計みっつかな。もっとも、使命なんてものではなく、できたらやっといてね、程度のモノだったんだろうけれどね」
それから俺たちの話となった。なぜこんな場所にまで、ということだ。
「そのことなら心配いらないよ。僕が引っ越すから」
俺は青くなった。俺たちの事情で神様を追い出す? いや、ダメだろそれ。
見るとマヌエラも顔色を青くしていた。
「そんなに気にすることかね。君たちからしたら、神なんて都合のいい小間使いみたいなものだろうに」
「そんなことは――」
「君たちはそうだろうね。実に敬虔だよ。でも神を利用することしか考えていない輩もまた、大勢いるのさ」
揚げ物を口に放り込み、神様が肩をすくめる。「そういや、月神教で大粛清が行われたってね。僕たちの利用云々で。とばっちりを受けたキッカちゃんが可哀想だ」などといいながら。
俺はマヌエラを見た。
「あとで話しますよ、ハイメさん」
「いや、俺が聞いても意味ないだろう」
「ひとりで抱え込みたくないです」
……待て、どういう意味だ。え、なに? 裏の事情とかも聞かされるの? いや、勘弁してくれよ。諜報の秘匿情報とか知りたくねぇよ。
その後は、いま調査中のダンジョンの話になった。俺たちがやっていることは、危険度の確認というのが主だったところだ。
ダンジョンの環境に関しては、神子様の情報で十分だからな。
神様の話によると、浅層部、四階層までなら危険度は殆どないとのことだ。それが災いして、ゴブリンだのが集落をつくることがあるらしい。
ダンジョンにおける異物を掃除するスライムに潰されそうなものだが、あのダンジョンの浅層部に生息しているスライム(生息する中で唯一大型ではない魔物)は、死骸しか処理しないようになっているとのことだ。
「元は人が住みつくことも想定していたからね。もっとも、こうして君たちが来る……戻ってくるまでに数千年だ。おかげですっかり森が広がってしまったよ」
昔はこのあたりも平原であったらしい。
……ん? 戻って来た?
「云ったろう? 君たちと敵対したって。こっちの仕事が終わりやしないからね。この地から一時退場願ったのさ。それからしばらくして、アレカンドラさんが民を率いてこの地に帰って来たという感じだよ」
「……このことを話したら、教会の一部の派閥が卒倒しそうです」
マヌエラが呻いた。
教会じゃアレカンドラ様について、あれこれ説を唱えているからな。人から昇神した説を全否定している一派は狂乱するだろうな。
神様としては世間話程度のつもりなのだろうが、俺たちからしてみれば、扱いにこまる話ばかりだ。
問題なく報告できそうな話は、ダンジョン関連の話の一部くらいだ。
四層までなら居住が可能であること。実のところ、これが一番の話だと思う。正直、森よりも一階層のほうがはるかに安全だ。
他には、ルームガーダー……神子様はボスとか呼んでいるんだったか。それについての情報。
五層の鶏は、騒音対策と玉子を即時破壊していけばなんとかなる。
十層のトロールは転倒させて、離れて攻撃すればどうにかなる。
十五層の竜は、怪獣猪を仕留めるのと同じ要領で問題ない。
二十層のベヘモスは、トロールを安定して倒せるようになってから戦え。
神子様が話していた攻略法とほぼ同じ。そして竜の対処法を知れたのは大きいだろう。神子様曰く、がんばれ、としか云っていなかったそうだから。
そして翌日、俺たちはこうしてダンジョンに戻って来た。戻って来たと云うか、送り届けられた、という感じだ。
神様が指をパチン。直後、景色が変わって、俺たちはダンジョンの前に立っていた。
あたりを見回し、互いに見つめ合い、同時に頭を抱えてうずくまった。
「いったいどうすりゃいいんだよ」
「下手に報告できません」
「当たり前だ。あの神様、絶対にディルルルナ様より厳しいぞ。人を欠片も信用してねぇ」
「ですよね。会話が成り立っているようで、成り立っていませんでしたからね。一方的に情報を与えられた感じですし」
「俺たちが会えたのは、警告のためだと思うぞ」
「……ですよね。原因がずっと昔だから、私たちとは敵対しないってだけですよね。下手に報告して、突撃するような輩が居たら大変なことになりそうです」
やめてくれ。考えたくもない。
「あと、ひとつ気になったことがあるんですよ」
「なんだよ。俺はもう限界だぞ」
マヌエラの顔を見る。
「門扉のところに、表札ですかね、張り付けてあったんですよ」
「……それがどうかしたのか?」
「神子様が扱ってる文字と同じような感じだったんですよ。かなりシンプルな感じでしたけれど」
そんな話をどうしろと?
「もう、神子様に訊けよ。色々あり過ぎて、云われたって頭が働かねーよ」
「無理ですよ。絶対に私、嫌われてますもん!」
「実際はどーだかわかんねーんだろ? 嫌われてないかもしれないぞ。どうでもいいと思われてるだけで」
「そっちのがよっぽど酷いじゃないですかぁ」
えぇい、揺さぶるんじゃない。
「だいたい、そんなことを気にしてどうするんだ?」
「いえ、神子様が八番目の神ではないかという話がありまして」
それを確認したいのか?
「それを知ってどうするんだ?」
「え?」
マヌエラは目を瞬いた。
「え、えっと……どうしましょう?」
「あぁ、うん。悩むくらいなら知らないままでいいと思うぞ。余計なことを云わないように口を噤んでおけば、嫌われることもないからな」
マヌエラの肩を叩く。
「それじゃ、みんなの所へ戻るぞ」
立ち上がり、俺はダンジョン内へと入った。やたらと長い階段を進む。
「ちょっ、置いて行かないでくださいよ!」
慌てて追いかけ来るマヌエラの声を聞きながら、俺は考えていた。
さて、隊長にはなんて報告してごまかそうかね。
誤字報告ありがとうございます。