231 【バンビーナ】調査探索 ②
その部屋はこれまで探索してきた部屋とは明らかに違っていた。
部屋のサイズは変わらない。だが、その床一面に大きな円が描かれ、その内側に紋様……文字? が記されていた。
それがどこの文字であるのかは分からない。最も博識な斥候役のロックに視線を向けるが、返って来たのは肩を竦める仕草だ。
「これ、キッカさんのところの看板の文字っぽい」
ぼそりとミランダがつぶやいた。
「キッカさんの?」
「うん。工房の入り口のところに看板が下げてあって、そこに書いてあった字と同じような感じだよ。なんて書いてあったのは読めなかったけど。
訊いてみたら工房の名前を書いてあっただけだったよ」
周囲を見回す。この部屋も変わらず、淡いオレンジ色の明かりで照らされている。ぼんやりと左側の壁に獣の頭を模したレリーフがあり、その口の部分から水が流れ出し、すぐ下の水盆へと落ちている。
ラウラがその水を汲み、調査用に持ち込んだ鑑定盤で鑑定を行っていた。
「結果は?」
「飲料水。解毒効果あり。ただし、その効果は三日で消失する、とあるわね」
「三日!?」
三日、三日か。優良な資源になるかと思ったが、三日では無理だな。
「この水は、今ある水と入れ替えて持って行くわ」
「ん? あぁ、【底なしの鞄】なら――」
「【底なしの鞄】にいれても三日で解毒効果は消えるみたいよ」
「くっ。結局はただの水と一緒か。なら、なぜ持って行くんだ?」
「次の階層は毒蛇がいるんでしょ?」
「あぁ……」
思い出した。六階層は毒蛇、七階層がカエル。そして八階層は亀だ。脅威となりそうなのは毒蛇の毒くらいか。
蛇の機動力なんてたかがしているからな。奇襲さえ気を付けていれば、倒すことに苦労することはないだろう。サイズも一メートル程度ということだしな。
「まぁ、その前に中ボス戦だ。確か、でかいネコだったか?」
「えーっと……スミロドン? 聞いたことないね」
「トラみたいなやつじゃないか? 以前、魔の森でみただろ」
「あー。あの縞々のでかいやつ。……あれネコ?」
「ヒゲが生えてたじゃないか」
「いや、アラム、ヒゲって……」
む? なぜそんな残念そうな目で見るんだ? ラウラ。ネコといったらヒゲだろう。
★ ☆ ★
おはようございます。チェロです。あははは……足が震えだしそうですよ。
目の前にはジェレミア卿がいます。なんとか挨拶はしましたけれど、存在感が凄いです。怖い。
とはいえ、たとえ一部で狂犬などと揶揄されていようとも、初対面からいきなり噛みついてくるようなことはないでしょう。
そもそも、そこまで酷い人物であったなら、貴族としてまともにやっていられるとは思えませんからね。
ある意味、テスカセベルムの良心ともいえる人物です。なにせ、あまりにも残念な前王に対して平気でケチをつけていた御仁ですからね。
それに、こちらはこちらで、やることをやるだけです。顔色を窺っていては、組合の沽券に関わります。
ひとまず執務テントへと移動し、そこで現状の説明をします。
「――の辺りにある岩を撤去し、宿場にするのが一番よいかと。もう一案としては、ダンジョン入り口付近を削り、最低限の施設だけを建設するというものもあります」
私の説明を吟味するように、ジェレミア卿は顎に手を当て、広げられた地図をじっと見つめています。
「ふむ。山を削るのは却下だ。どれだけ時間と金が掛かるのかわからん。しかもそれに見合っただけのリターンもないしな。たかだか数軒だけしか建てられないのであれば、無駄としかいいようがない。なにより、魔物暴走災害の際に逃げ場がないのでは、被害が増えるだけだ」
云い切りましたね。これで、麓に宿場を作ることが決定ということです。私としてはホッとしました。山を削るとなると面倒ですからね。それに、下手なところを削るとダンジョンに干渉し兼ねません。
記録でしか見たことがありませんが、ダンジョンを破壊しようとすると神罰が降るといわれていますからね。たしか、教会に口伝という形で残されている話だったはずです。
「宿場をつくるのならば、確かにこの場所が一番だな。水場も近い。問題となっているのは、岩と土竜であると。……あぁ、丁度山の登り口近くに巣があるのか。よし、土竜はこれから行って、我々が仕留めてこよう」
は?
「ジェレミア卿、準備のほうは?」
「問題ない。【バンビーナ】近辺だ。魔物との戦闘も想定した装備できている。土竜程度ならどうとでもなる。
……あぁ、釣り出すための餌となる物が必要だな。まずは猪か鹿を狩ってから討伐に出るとしよう」
私が目をぱちくりとさせている間にも、ジェレミア卿はふたりの供に指示をし、テントから出て行ってしまいました。
ま、まぁ、あのふたり以外にも同行者はいる筈です。さっきの口ぶりから、少なくとも分隊規模の戦闘員を連れてきているでしょう。
お任せしてしまいましょう。
ん? 止めないのか、ですって? 無茶を云わないでください。相手は貴族様ですからね。そんなことできるわけがありません。
それに、ジェレミア卿ならば大丈夫でしょう。バレリオ卿ほどではありませんが、数々の逸話を持つ方ですからね。まぁ、そのほとんどが戦闘系でやらかしたことではありますが。そのせいで、一部で“狂犬”などと揶揄されているわけですし。
となれば、私のやることは――
「土竜の調理をできる者をどうにか確保することですね」
★ ☆ ★
くっそ、これの何処がネコだ!
以前に見た虎以上の巨体に、口に収まらないほどの鋭く長い牙。重戦士の如き雰囲気の体格でありながら、まさに猫の如く身軽に俺たちの間を跳ねるように移動していく。
情けない話、俺たちはすっかり攪乱されている状態だ。完全に乱戦状態となってしまい、チームワークもなにもなくなっている。
「あーっ!」
ミランダが蹴られ、いや、踏み台にされて転倒する。
俺が狙いか!
盾を前面に出し、そのままスミロドンの頭を叩く。スミロドンの左前脚が俺の左ほほを掠めた。
たちまちぬるりとした感触が頬から首元にかけて広がる。
スミロドンは転倒するも、すぐに体勢を建て直し、仕切り直すかのように距離を取った。
のたのたとミランダがやっと起き上がる。重装鎧はこれが欠点だ。一度転倒すると、起き上がるのに時間が掛かる。
ロックはバルナバをガード中。バルナバは……さすがにあんなチョコマカ動く奴を射貫くのは無理か。ラウラも槍を躱されまくっているし。グスタフは……あとで泣きそうだな。ナイフの回収が大変そうだ。
「やったなー!」
って、ミランダ、なんで突撃するんだ!?
「ラウラ、合わせろ! 囲め!」
「任せて!」
突撃するミランダにスミロドンが飛び掛かる。ミランダはお構いなしにそのまま突撃し――
って、おまっ、なんでメイスを投げ捨ててんだよ!
ミランダは得物を投げ捨て、そのままスミロドンと組み合う。というよりも、しがみつき、そのままスミロドンを巻き込んで転がった。
見た感じは、スミロドンを抱きしめているような感じだ。だがその腕はスミロドンの首に回され、しっかりとホールドしている。スミロドンの自慢の牙も、ミランダの肩の上に顎を乗せられた状態では、突き立てることもできやしない。
さらにスミロドンの腹……腰? のあたりには、ミランダの足がしっかりと回されている。
重装鎧一式を身に付けたミランダという重石を付けられた状態では、さしものスミロドンも持ち前の機動力、運動性を発揮することはできないようだ。
「ちょっ、早くやっつけてよ! 抑え込んでるの大変なんだから!」
切羽詰まったミランダの声に、俺たちは慌ててスミロドンを攻撃し始めた。
「酷い目に遭った」
「いや、自分からやったことだろ」
恨めしそうにミランダに云った。というか、鎧のせいで顔を伺い知ることはできないというのに、じっとりとした目で見られているのがはっきりとわかる。
「スミロドンは回収したよ。戦ってる時には大きく見えるのに、死んじゃうと小さく思えるのは不思議よね」
「どんな魔物でもそんなもんだろ。次の部屋へ移動しよう。すぐにはリポップしないと思うが、長々といないほうがいい」
ロックが皆を促し、奥の扉を開けた。
「あぁ、くそ。まるっきり役に立ててないな」
ボス部屋の奥。いわゆる宝物部屋に入った途端に、グスタフが呻くように云った。
「動物系の魔物とは相性が悪いな。そういえば魔法の杖を借りて来ただろう。使ってみたらどうだ?」
「【雷の杖】だっけか? 前衛に当てやしないか不安なんだよ。どう雷が飛ぶのかわからんし」
「最初に前に出て使ってみて、すぐに後ろに退がったらどうだ?」
グスタフに提案する。グスタフは少しばかり顔を顰めていたが、それで納得したようだ。
軽戦士の中でも、軽業を主体とした特殊な戦い方をするグスタフの主体は、投げナイフをはじめとした投擲武器だ。人型の魔物に対しては、牽制や目つぶしなど、援護役として非常に有用な役割を果たしている。
だが【バンビーナ】の魔物相手には少々相性が悪いようだ。いや、魔物の情報さえしっかりしていれば、的確な援護もできるのだろうが、初見の魔物ばかりではそれも難しいだろう。
先のスミロドンに至っては、牙でナイフを弾かれるなんて有様だったからな。あれはどう見てもスミロドンの方が上手であったとしか思えない。実際、ミランダがあんな無茶をしなかったら、もっと討伐に時間が掛かっていた筈だ。
「まぁ、試してみるか」
肩を竦めるように云うと、グスタフは宝箱のところにいるラウラに向かって歩き出した。
「これが【バンビーナ】で初めての宝箱か」
「地図頼りにほぼ無駄なく一直線に進んでいるからね。宝箱探しなんてしてないし。出現する魔物の確認が仕事だからね」
「まぁ、隅々まで回ってたらどれだけ時間がかかるか分からんからな」
「キッカさん、どれだけ時間かけたんだろ? 十階までの地図を貰ったんだよね? 全部くまなく埋まってるんでしょ?」
「……埋まってるね。群がるネズミとか飛び回るネコとか、ひとりでどうやって回避したんだろ? まさか、片っ端から討伐したとは思えないし」
「当人に訊かなきゃわからんことを考えてもしかたないだろ。はやく宝箱の中身を見ようぜ」
バルナバがふたりの間に顔を突っ込み、ひょいと宝箱の蓋を開けた。
中に入っていたものは……なんだこれ?
「あー。これキッカさんのところで見た。ゴーグルっていってたかな? 目を覆う防具だよ」
ミランダがそれを指差し云った。
入っていたのはそれだけ。メダルはなし。扉も下層へ向かう階段だけで他にないしな。地上への直通路はなしか。
ひとまず、鑑定盤で確認してみよう。
名称:真贋のゴーグル
分類:装飾品・ゴーグル
備考:
真実を見通すことのできるゴーグル。隠された扉や罠を見つけることができる。簡易ながらも物品の鑑定をすることも可能。尚、このゴーグルを掛けて女性を見ることはお勧めしない。理由? 察しろ。
「これは便利なものが出たね」
「……説明文の最後が酷い」
ラウラとミランダの反応。
「これはロックが装備した方がよさそうだな」
「そういや、お宝の所有権はどうなってんだ?」
「俺たちの物だぞ。今回の依頼は、出現する魔物の確認だからな。あと、ある程度の地図の信憑性の確認だけだ」
「んじゃ、気兼ねなく使えるな」
「女性を見るなって、どういうことだ?」
ロックが首を傾いだ。
「えーっと、多分、厚化粧、とか?」
「胸を盛ってるか盛っていないかだろ?」
バルナバがラウラに殴られた。
「あー、そういうことね。ってことはだ。ヅラをつけてるおっさんとかもわかるってことか。……地味にヤベェなこれ。普段は着けない方がよさそうだ」
「目のところにやらなければいいんじゃない? こう、おでこの辺りに上げてれば、鑑定できないと思うよ」
ミランダに云われ、ロックがゴーグルを装備する。
「あぁ、ほんとだ。デコに着けてる分には、機能を発揮しないみたいだ。ちゃんと掛けるとどうなるんだ? ……って、これ凄ぇな。周囲の形状がはっきりわかるぞ」
「ん? 見えるのか?」
「見えると云うか、白い線で輪郭が記される感じだな。暗い部分もどうなってるのかだいたいわかる。模様とかまでは分からないが……って、アラム、お前まだ傷の手当してないのかよ!」
ん? 傷? あぁ、そういや左ほほを引っ掻かれたんだったな。
「傷はどんな感じ、深い?」
ラウラが問うてきた。
「派手に出血はしたが、そこまでじゃないな。もう出血もおさまったし」
「それじゃこれ」
ラウラがなにかを投げ渡してきた。掌に収まるサイズの……平たい木の容器?
「なんだこれ?」
「傷に良く効く軟膏。それで金貨一枚」
「たっか!」
「多少の裂傷くらいならたちどころに治す軟膏だよ。使用できる回数を考えたら遥かに安いよ」
ラウラの説明を胡散臭く思いながら、蓋を開け、指先で掬った軟膏を頬の傷に塗り付ける。ピリっとした痛みが走ったが、すぐに消え――
「あれ? え? 嘘だろ? 痛みどころか傷まで消えたんだが」
「いったでしょ。それが金貨一枚の威力」
「効きすぎだろ。え? 大丈夫なのか? これ」
「組合で普通に売ってたから問題ないんでしょ? 売れ筋みたいで、それは運良く買えた最後の一個」
そりゃこれだけ効けば売れるだろうよ。使える回数とこの効果を考えれば、金貨一枚は安い。
さて、しばらくここで休んだら、次の階層へと降りるとしよう。
誤字報告ありがとうございます。